第20話-05 弱点
充実している。
軍の再編、訓練、配置、論功行賞に作戦立案。資金と物資の調達はコープスマンをどやしつければ済むにせよ、占領統治の指揮や人材配置はミュートの仕事。日和見領主を日和見のまま釘付けにするにも飴と鞭がいるし、西では隣国ハンザが漁夫の利を狙って蠢きだした。小規模な
――いいぞヴィッシュ、もっと暴れろ。
望まぬ復活を遂げて以来ずっと嫌々生きてきた彼が、今、初めて生きがいを感じている。
――お前の策は全部おれが叩き潰してやる!
高揚のあまり廊下で突然笑い出した彼を、通りすがりの魔族が気味悪げに盗み見ながらそそくさと逃げ去っていく。そんなことも一度や二度ではないが、ミュートはひとの目など気にも留めない。
彼の胸を占めるものはただひとつ。ヴィッシュはどう動く? ヴィッシュは何を考えている? ヴィッシュはおれの胸の内を、どんなふうに読んでいる? それ以外のどんな疑問も情報も彼にとっては価値がない。今やただ勇者ヴィッシュだけが、ミュートの人間性をこの世に繋いでいるのである。
今日も今日とて朝から広間で幹部会議だ。といってもこの独裁体制でのこと、ミュートひとりが戦略を開陳し、居並ぶ幹部たちへ仕事の指示をするだけの集会なのだが、そうして全軍へ指図するのが最近は楽しくてたまらない。
が、その日は様子が普段と違っていた。ミュートは常のようにうきうきと鼻歌など歌いながら広間の扉を叩き開け、大股に部屋へ踊り込んだ。
「お待たせ諸君! 対勇者の秘策をひっさげ四天王ミュート様ただいま参……じょ……お?」
おどけ半分に名乗りを上げたミュートは、広間を満たす異様な殺気に眉をひそめた。
石造りの広間にひしめいているのはいつも通りの顔ぶれ。魔貴公爵ギーツ以下
だが、この
「なんだなんだァ? お通夜かここは……あ、ごめん、おれ遅刻だった?」
「構いませんな、魔王様?」
ミュートのちゃらけは黙殺し、魔貴公爵ギーツがふんぞり返る。魔王は眉間に深く
「……是非もなし」
「捕らえよ!!」
ギーツが腕を振りかざし朗々と声を響かせたその直後。ミュートの背後に人影が出現した。
竜人ボスボラス。
稲妻の如き速度で瞬時に間合いを詰めた魔王軍最強の戦士が、ミュートの腕と肩を引っ掴んで石の床へと捻じ伏せた。恐るべき早業。もとより体術ではとうてい敵わぬ相手である。そのうえ不意打ちでは抵抗のしようもない。ミュートは胸を強打し、潰れた肺から苦悶の息を漏らす。
「がッ……てめえ! 何しやがるこのッ……」
必死の抗議は強引に中断させられた。ボスボラスの指がミュートの首根っこを鷲掴みにし、万力のように締め上げながら乱暴に床へ押し付けたのだ。
「おおっと! 黙ってろよ旦那ァ。特に呪文なんかはいけねェ……こんな細首1秒で
「馬鹿野郎ッ! なんで……おれが何したってんだ!」
「さてもさても
会心の笑みを浮かべつつ歩み寄ってくるのは魔貴公爵ギーツ。勇者にやられて半べそかいていたのと同一人物とは思えぬ堂々たる物腰で、ミュートの眼前に仁王立ちする。
「
「はァァァァ!? 内通だァァァッ!?
寝言は寝て言えボンクラがァ!!」
「確たる証拠はここにある! 覚えがあろう、このミミズののたくったような汚い字! 明らかに貴様の書いた密書だ、四天王ミュート……否、シュヴェーア討竜中隊副長ナダムよ!」
「あ……!?」
ミュートの背筋が
ミュートは押さえつけられた首をどうにか傾け、奥の魔王へ目を向けた。魔王は今や固く眼を閉じ、疲れ果てた身体を玉座に沈めている。この事態に何も言わない……
いや。言えないのだ。口を挟むわけにはいかないのだ。なぜなら、既にギーツ派が魔王軍を掌握しているからだ!
ようやく彼は事態を悟った。どういう推移でかまでは分からないが、ミュートへの内通疑惑はもう魔王軍全体の共通認識となっているのだ。無論、
完全な手詰まり。全く気付かぬうちに最悪の状況に追い込まれてしまった。これは間違いなく、あの男が人間関係の隙間へ打ち込んだ
――やりやがったな
*
「魔王軍の致命的な弱点。
それは仲が悪いってことさ」
緋女と水入らずで束の間の安らぎを味わっていたあの夜、ヴィッシュはそう言って得意げに笑ってみせた。緋女は恋人の胸に頬を乗せ、目をきらきらと輝かせて、彼の言葉に聞き惚れている。
「そもそも魔王と
まあ自業自得だよ。『力こそ正義、強い奴は何してもいい』……そんな触れ込みで募集をかければ、腕ずくで他人を
そこへさらに、独裁の構造的欠陥も影響し始める」
「こうぞうてきけっかん」
「二番手争い。
独裁政権はトップのカリスマで成り立つが、全ての仕事をひとりでこなせるほど国家経営は楽じゃない。だから実務に
となると周りは黙っちゃいないよな。『魔王様はあいつをひいきしてる』『あいつは魔王様の寵愛をかさに着て強権を振るってる』そんな不満が湧いてくる。目立たない所から小さな権力争いが起き始め、正当性を主張するために独裁者個人崇拝の深さを競い合うようになり、それが徐々にエスカレートして、気付いた時には組織が派閥でまっぷたつ。
独裁者だって内輪もめは止めたいが、それも簡単なことじゃない。なぜなら、ひとつの派閥を助けることは自動的に別派閥への攻撃になり、最悪の場合は組織全体の崩壊に繋がっちまうからだ。こうして不平不満と抗争を調整しきれなくなれば、保身と不信に支配された各派閥は完全に連携を失い、士気は地に落ちて、トップからの勅命がない限り誰も何もしようとしない組織ができあがる!
独裁ってのは最終的に必ずこうなるのさ。魔王軍ももうその直前まで来てる。俺たちは、その
「魔王軍の
「いいや」
「
「違うんだな、これが」
「じゃあ、コープスマン? 竜人ボスボラス? まさか鬼のナギ?」
「全部はずれ。
正解は? だらららららっジャーン! 魔貴公爵ギーツだ!」
「えぇー? あいつゥー?」
「と、魔王もミュートも思ってるのが狙い目だ。考えてもみろ、第2ベンズバレン攻略戦のとき、ギーツは軍司令としてとことん無能だったろ。なのになぜあれほどの高い地位に収まっていたか? それは、別の側面では極めて有能な男だからだ。
政治力! 魔貴公爵ギーツはひとを集めて派閥を形成するのが抜群に上手い。典型的な調整型の政治家、治世の能臣だな。いつ空中分解してもおかしくない魔王軍がまがりなりにも軍隊の形を保ってるのは、ギーツが個人的に魔王に心酔し、そのギーツを他の
高潔、素直、天性のおひとよしって性格も、合戦場では欠点だがひと付き合いではむしろ美点。そのうえ人一倍正義感が強いから、内通疑惑には絶対喰いついてくる。あとはいくつか証拠らしきものさえ用意してやれば、あっという間に根回しを済ませてミュート排斥に動き出してくれる。
いったん
*
――クソッ! 完全にハメられた!
歯噛みしても後の祭りである。
ミュートに対する離間の計など、本来なら成功するはずがなかった。魔王クルステスラは彼を深く信頼しているし、こんな見え透いた計略にはまるような愚物でもないのだ。
だが魔王の下に蠢く幹部たちなら御しやすい。権力欲に駆られた
要するに、この場の全員の利害が一致してしまったのだ。
この状況ではもう魔王すらミュートを庇えない。庇えば魔王軍に決定的な亀裂が走る。ミュートを取るか、魔王軍の残りすべてを取るか……この2択なら、答えは当然、決まっている。
「さあ魔王様! この裏切り者に公正なる裁きを!」
魔貴公爵ギーツは芝居がかった仕草で腕を振り上げ、己の存在を誇示するかのように玉座をかえりみた。
魔王は、しばし黙し……
その後、石のように重いまぶたを持ち上げ、立ち上がった。
「四天王筆頭、
魔王軍全軍の裁量権を、僕はひとり、君に
ならばこれは君の仕事だ。裁くがいい。君を、君自身の良心によって」
奇妙な命令。ミュートに対する刑罰を、ミュート自身に決めよというのだ。魔族たちにざわめきが起きる。魔王の静かな、しかし濁った視線が、ミュートの熱を帯びたそれと交わる。
――オーケイ、大将。分かってる。
ミュートは苦笑し、目を伏せた。
「手ェ放せ、ボスボラス。てめえ相手じゃどうせ逃げられやしねえだろうが」
「ま、そりゃな」
竜人が鼻で笑いながら手を離す。ミュートは衣服の埃を払いながら立ち上がる。
「四天王ミュートが被告ミュートに判決を言い渡す。
内通疑惑ありといえども物証は偽造が容易な書状のみでもあり確実ではない。しかし内通の可能性を放置すれば今後の悪影響は計り知れない。よってミュートから全ての身分と権限を剥奪、地下抗魔牢へ無期限禁獄処分とする」
「慎め」
水を打ったように静まり返る魔族たち。魔貴公爵ギーツへ投げかけられた魔王の声は、さながら氷の刃のよう。
「判決は下された。異論はあるまいね、魔貴公爵ギーツ?」
「は……ございません」
「では連行せよ。
ミュート退任後の軍統括は、魔貴公爵ギーツ、竜剣のボスボラス、奇貨のコープスマン、以上3者の合議で執り行え」
後ろ手に縛られ、呪文封じの
――気付いてるよな、大将?
――ああ、気付いてる。
――偽造とはいえ、あの密書は内部情報に精通していなければ書き得ない代物だ。つまり……
――本物の
ふたりのこの洞察は正しい。魔王城には、5ヶ月も前……魔王軍の旗挙げ直後にはすでに間諜が入り込んでいたのである。魔王をはじめ熟練の術士がひしめき合っているこの魔王城で、全く感付かれることなく5ヶ月も潜伏し続けたとは信じがたいことだ。しかしこの困難な任務を成し遂げられる人物がひとりいる。
亡霊射手ドックス。ヴィッシュの後輩の狩人で、魔物に取り憑かれた後遺症によって存在感が極めて希薄になってしまった男。彼はヴィッシュの依頼によって魔王城に潜入し、以来ずっと
話にならないほどの戦力差にも関わらず
――だが、おそらくはもう……
――安全圏に逃げた後、だろうね……
ミュートと魔王の推察通り、ドッグスは数日前に魔王城から脱出済である。今回の謀略で間諜の存在を察知されると見越したヴィッシュの指示だ。今ごろは第2ベンズバレンに到着し、長期にわたる多大な貢献を皆から賞賛されているところだろう。
――何もかもあいつの手のひらの上! おれとしたことが!
ミュートは敗北の苦味を噛み締めながら、地下牢に引かれていった。ここには対術士用の特別牢が用意されている。壁にも格子にも《警報》と《術式塞ぎ》の術式がびっしりと張り巡らされている。囚人が魔術での脱獄を
ミュートは自らの足で地下牢に入り、恐ろしく冷えた石の床へ、一文字に唇結んで座り込んだ。
一方彼のはるか頭上においては、魔王が疲れ切った身体を玉座へ沈めていた。全身を包み込むように柔らかく居心地良いはずの玉座が、今の魔王には氷の拷問椅子に思える。
いなくなってしまった。
魔王の内心を思いやれる者も、魔王が心情を吐露しうる相手も、ここにはもう、誰も。
*
城内の政変をよそに、道化のシーファはひとり、つまらなそうに南の空を眺め続けている。
魔王城の三角屋根の上へ
シーファにとって、世界とはその程度のものでしかなかった。
だが、もしも。
本気で遊べる、そんな相手がこの世に現れたなら。
それはシーファにとって、灯りひとつない暗黒の夜空にただひとつ
「
とん、とシーファは剣の柄を指で叩いた。
「
(つづく)
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