第18話-08(終) 卒業



「……なぁーんて!! 号泣しちゃう緋女ちゃんキャーカッワイイー!!」

「ッざけんなブッころすぞクソがァァァァ!!」

 翌日。

 ケロッと健康笑顔満々で目覚めたデクスタに、緋女はわりと本気で掴みかかった。それを剣聖デクスタは、病床の上に座ったままの姿勢からグッとつまんでポーイと窓の外へ放り捨てる。「のわーっ」などと悲鳴あげつつ外の草の中に転げ落ちる緋女を見れば、病み衰えたりとはいえ剣聖デクスタ、恐るべき腕力と技量であった。

「ふっ! まだまだ甘いわバカ弟子め!」

 しかしそのデクスタにも頭が上がらない相手がある。目尻を三角形に吊り上げて、ものすごい剣幕けんまくで上から叱りつける二番弟子ミラージュである。

「『まだまだ甘いわ』じゃありませんッ!! これで死にかけるの何回目だと思ってるんデスかーッ!! 今度無茶したら3週間おやつ抜きの刑ですからねッ!!」

「ひー!? お代官さまどーかそれだけは平にご容赦おおぉおおーっ」

 ぷりぷりと肩を怒らせて台所へ引っ込んでいくミラージュ。へこへこ頭を下げる情けない師の姿を、窓枠に頬杖ついた緋女が呆れ顔で見つめている。

「まったく……テメーと居るとマジメにやるのがアホらしくなってくんだよクソ師匠……」

「あっはっはー! まー、こーゆーノリが生まれついての性分でねーっ。

 でも、あたしのために泣いてくれたこと。嬉しかったのはホントよ、緋女」

 眉間に深く皺をよせ、しかし照れた頬の赤みは隠せず、無言でそっぽを向く緋女の、この愛おしさは9歳のころからちっとも変わっていないのだった。

 昨夜、緋女との最後の対決で息絶えたかに思われたデクスタだったが、実は生きていた。というより、精魂尽き果てて気を失ったのを、弟子たちが勝手に死んだと勘違いしただけなのである。

 まだ息があることに気付いたふたりは、デクスタをベッドに運び、夜通しで看病した。それでようやく今日の昼、意識を取り戻したのだ。ホッと胸を撫でおろしたところにさっきのからかいであるから、緋女が怒ったのも無理はない。

 緋女は窓枠から寝室に身を乗り出し、照れ隠し半分に昨夜からの疑問を口にした。

「そんでさあ。夕べ、あたしの剣から火ィ出たじゃん?」

「出たわねえ。いつか出るとは思ってたけど」

「あの火ってひょっとして……」

「そ。あれは、あんたの愛の火。

 その胸の中で眠る真のローア、《火目之大神ヒメノオオカミ》……その一端よ」

 緋女は身軽に窓枠を乗り越えて家に入り、壁にかけておいた太刀を取った。刃を抜き、正眼に構え、じっと心を落ち着けて、昨夜の境地を再現していく。数度、深く呼吸を繰り返すと、刃から緋色の炎が立ち上りだした。デクスタがその火の美々しさに目を細める。

「ちゃんと操れているようね」

「火は“首輪”で封印したんじゃなかったのかよ」

「最初に教えたでしょ。“三昧サマーディ”を極めれば五蘊ごうんが自由自在ってね。

 自由になるのが、なんて言ったつもりはないわよ」

「あ!? じゃあ、最初からこのために!?」

「外からのによって折り合いを強要された獣……でももし真に己の内的世界を制御しきれたなら、首輪の封印をすり抜けて炎を発揮することもできる。細かな砂がふるいの隙間をこぼれ落ちるようにね」

「悪っりィやつゥー! それって学園の連中を……」

「裏切り! だまし! ペテンだよーん! でもデクスタちゃん嘘ついてないもーん! 約束通り首輪はつけっぱなしーっ!」

 爆笑するふたり。楽しげに絡み合う師弟の声に、台所ではミラージュが頬を緩めてもいた。

 ひとしきり笑って笑い疲れて、笑いすぎの涙に目尻を擦りながら、デクスタが続ける。

「でも、そのためにはあんた自身が“三昧サマーディ”の極意に至り、それ以上に心身を強く鍛え上げる必要があった。さもなくばローアの火は再びあんた自身を燃料に燃え上がり、世界を焼き滅ぼそうとするだろう。

 これが、『もっと強くなったら』といつか約束した技。

 あたしが考案し、あんたが完成させた究極奥義。

 名付けて――“斬苦与楽”!

 今のあんたに、斬れないものは何もない。世界だろうが、魔王だろうがね!」

 緋女は、太刀を納めて、腰にいた。

 振り返ったその眼の中に、炎が熱く燃えていた。

 師は力強くうなずいた。

「もう教えることは何もない。さあ! 胸を張って行ってきなさい、緋女!!」

 背筋を伸ばし、肩を張り、総身を一振りの刀の如くして、緋女は凛然とこうべを下げた。

「師匠!! ありがとうございました!!」

 大音声の震えも収まらぬ扉を開き、火の玉と化して緋女が飛び出す。

 いざ、仲間の待つ戦場へ。猛然と山を駆け下りていく緋女の背を、デクスタは窓から見守り続けた。10年。かつて世界の身勝手に翻弄され、何もかもを失くした少女が、10年の時を経て今、世界を救いに駆けていく。世界が好きだと叫んでいる。世界を滅ぼすはずの炎が、世界を守るためのつるぎに変わる。

 頬を伝い落ちた一筋の涙。おそらくは人生で最後に流す涙が、これほど温かいことに、デクスタは感謝せずにはいられなかった。

「よっしゃー! あたしの人生、完了ーっ!!」

 大きく手足を投げ出して、デクスタは仰向けに寝転んだ。

「さーてとっ。残り時間でどんなことしてやろーかなっ?」

 その不敵な悪戯顔に、食事を運んできたミラージュは、くすくす笑い声を漏らしたのだった



THE END.







 同じ頃。

 極寒の険阻、グランベルギア山脈。その巨大な岩塊を一文字に断ち割ったかの如き谷底に、ヴィッシュはひとり、ひざまずいていた。

 山の天気は急変する。つい数刻前まで青々と広がっていた空はにわかに雲に覆われ、雪を降らせ始めた。たちまち風が唸り吹雪を起こした。叩きつけ、圧し潰すような猛烈な雪。崖が、山肌が、ヴィッシュの身体の右半分が、骨灰色に染まっていく。

 ――触れたものを殺す剣。掛け値なしとは恐れいったぜ。

 ヴィッシュの右手には、見慣れぬ長剣が握られている。飾り気のない柄から伸びる、曇りひとつない白銀の刀身。一見してどこにでもありそうな品だが、見る者が見れば、剣全体から立ち昇る禍々しい気配をはっきりと捉えたことだろう。

 右腕が痛い。

 夜中、眠りに落ちる前、なぜか不意にがたまらなく怖くなり、涙を流して丸まって、己自身を抱きしめる……あのときの胸の痛みと同じ痛さで、剣を握るこの手が痛い。

 ヴィッシュは視線を腕へ下ろした。剣に触れた手のひらから肘の近くにかけて、皮膚が白変していた。いや、皮膚ばかりではない。残る左腕でさすってみれば、指に触るのは石くれのように固い感触。しているのだ。皮膚も、肉も、汗も、血も、ひとの身体であったはずのあらゆるものが、氷のように冷え切った骨の塊と化しているのだ。

「……安い代価じゃねえな」

 それでもヴィッシュは、口の端へ薄く笑みをつくる。

 苦痛を堪えて立ち上がり、背後の谷へ視線を送る。そこに積み重なっていたのは、死体。魔獣の、魔族の、妖魔の、竜の、谷を埋め尽くし、流血が川をなすほどの、無数の死体。

 ヴィッシュが狩り殺した敵のなれの果て。

 この剣――“勇者の剣”の最初の餌食となったものたちである。

「ま、お買い得ではあるけどな」



To be continued.









■次回予告■


 魔王の侵攻により瓦解したベンズバレン。残された人々は恐怖と困窮の地獄の中で、暴虐の魔手から逃げ惑う。だがそこに、魔の者共を狩り殺すひとたりの死神がいた。希望とは呼べぬ。英雄にはなり得ぬ。ただ狂気じみた執念の鎌で死を撒き続ける孤高の少女。その名は――“灰色の魔女”カジュ・ジブリール。


 次回、「勇者の後始末人」

 第19話 “死を賭すワケは。”

 the Face of Death


 乞う、ご期待。


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