第17話-05 これでお別れってわけじゃないから



〔もう喋っていいの?

 えっ!? わっ!! えっと!!

 ぼく、あの、ソールっていいます! いちおう、みんなからは“勇者”って、言われてる……んですけど……

(固いぞー! にっこり笑えっ! 勇者スマイルー!)

 だってえー! もおっ、やめてよエイジ!

 あ、えっと。

 これは万が一のために残しておく記録映像です。だからあなたがこれを見てるということは……ぼくはもう、直接説明できる状態ではないのかもしれません。覚悟はしてるけど、すごくつらいです……

 自分が死ぬことじゃなくて。あなたに……ぼく以外の誰かに……こんな重荷を押し付けることが……

 でも、これは大切なことだから。

 どうか、落ち着いて聞いてください。


 あなたは、

 勇者の後継者です。


 ぼくが持っているこの“勇者の剣”は、触れたものすべてに死をもたらす最強の魔剣。

 でもそれは、剣を振るうぼく自身さえ例外ではない。

 ぼくの身体は、魔剣の力の反動によってもうボロボロになっています。おそらく、もってあと数年……でも、ぼくらは戦いをやめるわけにはいかない。ひとに《悪意》がある限り、魔王は何度でも蘇る。なのに、その時ぼくは、もうこの世のものではないかもしれない。

 だから、遅かれ早かれ必ずやってくる“その日”のために、“剣を継ぐ者”が必要でした。

 それが、あなた。

 常人なら柄を握るだけで魂ごと消滅してしまう死の魔剣を、自らの力として振るい得るもの。

 300年前《死の女皇》から剣を託された“異界の英雄”セレンの末裔。この世界に何人残っているのか、というより本当に残っているのか、もう誰にも分からなくなってしまった……その一族のひとりが、あなたなんです。

 ひょっとしたら……というか、ぼくが誰かに負けたのなら、充分ありえる話ですけど……既に魔剣は破壊されてしまってるかもしれません。でも大丈夫。これはただの剣じゃない。これ自体が一種の上位神……らしいです。だよね?

(あってるよ。自信もっていけ)

 うん!

 えーっと、つまり、ひとに《死》への畏れがある限り、“勇者の剣”は何度でも蘇る。逆に言えば、たかが刀身を消滅させた程度でなんとかできるような生易しいものじゃないってことです。

 だからこそ、この剣が希望になる。

 もし魔剣が失われていたのなら、北のグランベルギア山脈へ向かってください。クー・レンスクから“妖精の森”を抜けた先にある、《死》の神殿遺跡……その最奥で、きっと“勇者の剣”が新たな宿主を待っているでしょう。

 ……勝手なことを言っているのは分かっています。

 隠しだてはしません。魔剣を振るうたびにあなた自身も重大な障害を負う。最悪の場合、即死することさえあるかもしれない。

 でも、すべて承知のうえで。

 ぼくは、このメッセージを……

 世界の未来を……

 たったひとつ残された最後の希望を……

 あなたに託します。

 啓示暦1309年12月10日。以上、記録終わりっ!

(はいおつかれー! いいねー、この調子でケイちゃんに愛のメッセージでも贈ってみない?)

 ひぇっ!? そっ、そんなの、やだよお……

(ああ? じゃあお前は嫁さんのこと愛してないっていうのか! どうなんだ! ソール!)

 そんなわけないっ! それは、もちろん……愛してるよ、ケイちゃん……

 ……?

 あ―――――っ!? 録画しっぱなしじゃないか―――――っ!!

 ちょ……止めてっ! やだぁ―――――!!〕



 真っ赤な顔して掴みかかってくる勇者を最後に、映像はぷつりと途切れた。

 人気のない路地裏で、湿気た木板の壁に寄り掛かり、手の中の結晶を見つめ続けていたヴィッシュは、溜息を吐いてのけぞった。こつり、と後頭部が壁にあたる。屋根と屋根の間から僅かに覗く空の中を、鴉が一羽、鋭く横切っていく。

「世界の危機だ。今こそ立ち上がれ、選ばれしものよ! ……てか?」

 ヴィッシュは思わず苦笑する。

「いまどき英雄ヒーローモノじゃあるまいし」



   *



 第2ベンズバレンの大通りは馬車10台が横並びに走れるだけの広さがあるが、昼過ぎともなるとその大半が露店で埋まる。粥、油麺、焼肉に焼き魚。ここ半年ばかりは焼きヴルムと看板をぶら提げてその実ただの焼き鳥屋、という怪しげな店もずいぶん増えた。外食ばかりではない。小麦、乳製品、菓子に茶葉。古着や小間物や金物の鋳掛なんてのもある。魚売りは水揚げされたばかりの新鮮なやつを桶いっぱいに詰め、旬の魚の美味さを声張り上げて宣伝する。

 ヴィッシュはその喧噪の中を、ポケットに手を入れ、背を丸めながら、ひょいひょいとそぞろ歩いていた。そこへ、なじみの魚屋の声がかかる。

「兄貴! ヴィッシュさん! スズキのいいのが入ってるよ!」

 足を止め、道端に降ろした桶を覗いてみれば、光り輝くようにいきのいいスズキが、まだ生きているように澄んだ瞳でヴィッシュを見つめ返してくる。たっぷりと脂ののった、見るからに食べ応えのありそうなやつだ。ヴィッシュの頬がほろりとほころぶ。

「いいな。もうこんな季節だったか」

「どうです? お姫様がたも喜びますよ」

「商売上手め。半身でもらおうか」

「ありがとうございますっ」

 魚屋は威勢のよい返事が終わるか終わらないかのうちに包丁を抜き、桶に入れたままで器用にヒョイヒョイと魚をさばいてしまった。目を見張るような早業、これもまたひとつの神業だ。そう素直に褒めると、魚屋は照れ臭そうにはにかんで、草の葉で包んだ魚を手渡してくれる。

 自宅へ足を向ける。4番通りにさしかかる。裕福な家の子らが、連れだって遊びに駆けて行く。きゃっきゃと耳を付く子供の声とすれ違った時、ヴィッシュはふと、彼らを恨めしそうに見つめる別な少年の姿に気付いた。商家の息子。幼いころから店の手伝いに明け暮れ、同年代の連中と遊ぶ暇も与えられない子だ。

 本音では、他の子らと一緒になって駆け回りたかっただろう。だが彼は使いの途中だ。すぐに店に帰らねばならない。そうしなければ親に叱られるから……ではない。両親の店が、彼の働きを必要としているから。そうでなければ商売が立ち行かないからだ。

 ヴィッシュは商家の息子に声をかけた。

「今日もがんばってるな」

 少年がぽかんと口を開けてヴィッシュを見上げる。

「負けるなよ」

 少年は、一文字に口を閉じ、ヴィッシュにぺこりと頭を下げた。そのまま彼は走っていく。子供たちの遊びの輪の中へ、ではない。彼の戦場、彼の仕事場に向かってだ。

 その小さな背中が、陽光を浴びて、まばゆい。

 少し進んだところで、運河を行く船頭の舟歌とすれ違う。曲がり角では、辻占いの婆が恋占いの真っ最中。一枚一枚めくられるカードをはらはらと見守る娘の赤い頬が愛らしい。こなたの道端では、腰を下ろした吟遊詩人が調子っぱずれの歌声を懸命に響かせる。詩人に銅貨を放りながらぱたぱたと家を飛び出すのは、これから出勤の娼婦。その美しさに見惚れた農夫が足を止め、ぽかんと口を開けて、揺れるお尻を目で追いかける。突然主人が荷車引きを手伝ってくれなくなったものだから、ロバは彼を横目に睨み、ぶるんと抗議の声をあげた。

 家に帰りつけば、となりの空き地から鋭い風切り音が聞こえてくる。緋女が日課の素振りに勤しんでいる。大上段の構えから、空間そのものさえ切り裂かんばかりに振り下ろされる白銀の刃。締まる筋肉。弾ける汗。生き生きとほとばしる吐息が、音楽的なまでに好もしく響く。

 再びゆっくりと剣を持ち上げ、長い深呼吸をひとつして、背の筋肉を隆起させながら緋女が声を発した。

「晩メシ、魚だ」

 こちらに背を向けたまま匂いだけでメニューを察するとは、さすがに緋女だ。ヴィッシュは苦笑し、スズキの包みを持ち上げる。

「手伝えよ。職人技を見せてやるぜ」

 剣が唸る。満足のいく太刀筋を得たのか、緋女は上機嫌で振り向いた。うんっ、と元気よく返事するその表情は、乙女の笑顔そのものだった。



   *



 まずはムニエル。切り身に塩コショウで下味をつけ、小麦粉をまぶしてバターで焼き上げる。淡白な白身にはバターの濃密な甘みが抜群によく合う。お次は多めの油でカリカリの揚げ焼きに。オリーブオイルとバジルのソースをかけ回せばたまらない風味が出る。仕上げはヴィッシュの独創料理――昆布と乾燥イワシから取ったスープの中に薄切りの魚肉をスッと泳がせ、僅かばかり火を通す。これに醤油のタレをチョンと付け、そのまま口に放り込めば……

「うっ……ま!? あぁーい!? なんだ!? なにこれ!? なんだこれ!?」

「……………。」

 ひとりでお祭り騒ぎする緋女。無言でひたすら喰い続けるカジュ。いい気になって次々に料理を運んでくるヴィッシュ。なにしろ仲間たちの喰いっぷりがいから、料理人としても作りがいがある。

 季節はすっかり夏。この暑さだからエールがいい。杯に並々と注いでからカジュに頼めば、《冷却》の術で霜が降りるほどに冷やしてくれる。脂の乗った旬の魚に、豪快な泡酒。爽やかな夜風が窓から窓へ吹き抜けていき、ヴィッシュはたまらず、唸り声をあげた。

「うまい。いいぞ、うまくできた」

「ふーん。うまくできない時もあるんだ?」

「毎日作ってりゃ失敗もあるさ」

「まずいって思ったことないけど」

「そうか? ありがとうよ」

「うーん……」

「なんだ?」

「やっぱさあ……あたしも料理、できたほうがいいかなあ……」

 緋女がフォークを口にくわえて、ぴこぴこと上下に振っている。

「まあ、できないよりできたほうがいいだろう。飯を作るってのは生きるために大事なことだ。やらなきゃいけないかどうかはまた別だがな」

「うー。シバさんと同じこと言うー」

「シバさん?」

 カジュに視線を向けるが、彼女も知らない名前と見えて、首を横に振るばかり。緋女は上目遣いに身を乗り出し、小悪魔の微笑みでヴィッシュを見つめる。

「気になる?」

「誰だよ」

「はじめて好きになったひと」

 食卓に、衝撃走る。

「待って正座する。」

「どんなやつだ!?」

「声でけー。」

「んー、年上?」

「何歳。」

「えっと、じゅう、にじゅう……」

 指折り数える緋女。一本指が折られるごとにカジュの眼が丸く広がっていく。ヴィッシュは平静を装いながら、エールをひたすらすすっている。

「五十の次ってなに?」

「ろくじゅう。」

「そのくらい」

「年上好きは筋金入りかよ。」

「優しかったもん。あとね、料理が上手」

「なるほど……。」

「ヴィーッシュ! 怒るなよお」

「怒ってねえよ」

「怒ってんじゃん! お前だっているだろ、そういうひと。はい! ヴィッシュの初恋は?」

「おいおいおい! 馬鹿言え、そんなの誰も興味ないだろ……」

「待ってメモ取る。」

「なんでだよ!! そんな……おい、ほんとに話すのか、これ?」

 息をぴったり合わせて頷く女性ふたり。ヴィッシュは呻きながら後ろを向き、ぼつぼつと語りだす。

「俺は、その……人じゃない。絵なんだ……」

「絵?」

「5歳くらいの頃かな……村に芸人の一座が来てさ。その紙芝居の主人公に……恋をした。

 なんだか面白い物語でな。ある国のお姫様が主人公なんだが、その子は剣の達人なんだ。で、魔王にさらわれた王子様を助けに行く。その戦いぶりがかっこよくて、きれいで、すてきで……

 紙芝居屋に頼み込んで、古くなった絵を一枚、売ってもらったんだ。毎晩その絵を抱いて寝たよ。今はもう、戦争で村ごと焼けてしまったけど……」

 恥ずかしそうに小声で話すヴィッシュに、緋女はきらきらと星空のような視線を向ける。

「ロマンチック……」

「そうかなあ。」

「カワイイ!」

「そうですか。」

「じゃあじゃあ、初めて付き合ったひとは!?」

「俺ェ!? また俺か!?」

「知りたい」

「うーっ……

 昔、シュヴェーアの軍にいたって話はしただろ。その時俺が指揮してた部隊に、メイルグレッドっていう聖職のお嬢様がいて……

 なんだか知らんが、やたら俺の周りについてきてさ……ナダムの馬鹿が『付き合っちゃえー』とか『はやく結婚しろー』とか、もうしつこくってだな……」

「あー。言いそう」

「それで逆に打ち明けづらくなっちゃったんだが……

 実は、みんなには内緒で、既に付き合ってた」

「きた―――――っ。盛り上がって参りましたっ。ねー緋女ちゃん。」

 隣を見上げてカジュがギョッと凍り付く。緋女が膝の上に頬杖をつき、猛獣の眼でヴィッシュを冷ややかに見つめていたのだ。

「今でも好き?」

 問われてヴィッシュは視線を手元へ落とした。酒に口をつけ、目を細め、遠い日の思い出に思いを馳せ、静かにまぶたを閉じる。やがて彼は、ゆっくりと確信をもってうなずいた。

「……ああ。好きだ。ずっと大切に思ってる」

「よし!!」

 破顔した緋女が立ち上がり、ヴィッシュの肩を自分の方へ引っ張り上げるようにして抱き寄せた。カジュがほっと胸をなでおろす。

「ああ。それで正解なんだ。」

「そうだよ。だから好きになったもん」

「ああ、はい、《爆ぜる空》投げますね。」

「おい、俺はもう話したぞ。ずるいぞ。お前もなんかないのか」

「ボクか。あんまり面白い話じゃないよ。」

「あ、嫌なら無理にとは……」

「別に嫌じゃないよ。

 “企業”の学校にいたころね。教育の一環でチームを組まされたクラスメイトが……。

 いや、ともだちが……。

 あー。もういいや。彼氏がいて。」

 ひょい、とカジュはこともなげに肩をすくめる。

。」

 あまりにもするりと言いのけてしまったから、数秒、ヴィッシュと緋女はカジュの言った意味が理解できず、じっと固まっていた。やがて固い地盤の表面から雨水がじわじわと土中を潤していくように、ふたりはカジュを理解した。ほんとうに? ほんとうに。少なくとも、この気丈で、健気で、誰よりも責任感の強いこの少女と、通じ合えたと確信できる程度には。

 緋女は無言でカジュの小さな身体を包み込み、力いっぱいに抱きしめた。されるがままのカジュが、首を人形みたいに揺らして、緋女の胸に顔を埋める。涙はない。もう泣く必要などない。ヴィッシュが代わりに泣いてくれていたから。

 温もりの中で時はゆったりと流れ、やがて涙も流しきり、ヴィッシュは、ポケットの中の物をテーブルに置いた。

「ずっと考えていたことがある。俺たちには何ができるのか。今、それがようやく形になった気がするよ」

 勇者の遺言が籠められた水晶。そこから迸る閃光が、狩人たちの眼に火をつけた。

「聞いてくれ。

 魔王を倒す策がある」



(つづく)

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