第15話-05 運命は斯く扉を叩く



 ドロスブルクから街道を東へ走り、ドース百連丘陵の麓を駆け抜け、ユミルの山道に飛び込む。ヴィッシュは馳せた。旅慣れた脚、知り尽くした道であった。一人前の狩人が日に夜を継いで歩き続ければ、常人の3倍もの速さで旅は進む。2昼夜。たったの2日だ。に辿り着くまで。

 あのとき、ユミルからドースまでに費やした17日間が嘘のよう。

 傷と、飢えと、極限まで蓄積した疲労のために、ひとりまたひとり、仲間たちが倒れていった――あの地獄が、何かの間違いであったかのよう。

 間違いであればどんなにいいか。

 今、ヴィッシュは、あの時と同じ道を逆に辿っている。それはまるで、置いてきてしまった何かを取り戻しに向かうかのようだった。10年前、大勢の友の命と一緒に、あの戦場に棄ててきてしまった、かけがえのない、あまりにもかけがえのない――何か。

 一体、何を置いてきてしまったのだろう。

 一体、何処へ来てしまったのだろう。

 涙を奥歯で噛み殺し、苦しみを憤激にすりかえて、彼は駆けた。駆けた。駆けた……

 道すがら、出発前にカジュが話してくれたことが脳裏をよぎる。

「死者蘇生の術……ボクも考えてみたけど、可能性は3つだね。

 ひとつめ。死後に魂が現世に残った場合。いわゆる幽霊だけど、これは『蘇った』というより『ちゃんと死んでなかった』というほうが正しい。肉体は普通に朽ちていくから、いずれ霊魂だけの存在になる。

 ふたつめ。死体に《命の皇》の魔力を吹き込んだ場合。術士が肉従者ゾンビ骸骨戦士スケルトン・ウォーリアを動かすのはこの術。根本的には自動人形アウトマットと同じ理屈で、ボディが金属か死体か、程度の違いでしかない。新鮮な死体で脳の保存状態が良ければ記憶や人格が再現されることもあるけど、魂は《死の女皇》の元にあるままだから、ま、せいぜい記憶をコピーした人形、ってとこかな。

 で……みっつめ。死者が、神へと転生した場合。」

「人間が神様になるってのか?」

死の担い手ネクロマンサードゥザニア、始皇帝ヴァーネンタリウス、黒衣のドド。歴史上それなりに例のあることだよ。高位の神の力を借りて魂を《死》から取り戻し、存在を根本から規定しなおすんだ。

 そんな大技が可能なのは最低でも十二皇十帝クラスの神様だけど……まともなやつなら手を貸すわけない。最高神たる《死の女皇》に正面からケンカ売ることになるからね。」

「つまり、ならやりかねない」

 何も言わないカジュに、ヴィッシュは苦々しく先を続けた。

「たとえば……魔王の力の根源。《悪意の魔神》ディズヴァード……だとか」

 長い長い溜息だけが返答だった。

 カジュの言葉を何度反芻はんすうしてみても、ひとつの答えにしか辿り着けない。ヴィッシュは淀みなく歩き続けながら、しかし脳内では必死に別の可能性を探っていた。何か他にあるのではないか? もっと、もっと違う、もっと楽な道が、他に……

 とうとう彼は堪えきれなくなり、突如足を止め、道のわきに膝をついて、吐いた。

 胃の中身が血を思わせる赤に染まり、饐えた味と匂いを伴って、次から次へと逆流してきた。ヴィッシュは喘ぎ、咳き込み、何度も不愉快な唾を吐いて、体中をわななかせ、拳の中に土を固く握り込み、獣の如く、唸った。

 こんなに辛くても。

 こんなに苦しくても。

 この道を歩む者は――自分ひとり。

 震える膝で、立ち上がる。

 ヴィッシュは進んだ。

 その日の夜になって、彼はついに辿り着いた。ユミル山脈の中腹。険しい峠道の途中。

 彼がに。

 満月が輝いていた。あの夜も。今と同じように。

 その青白い月光に照らされて、傾いた墓標が暗闇に浮かび上がる。かつてここを通りかかった旅人が、親切にも墓を作ってくれたのだと聞いていた。銘のない墓石。歴史の狭間に声もなく消えていったはずの、名もない兵士の生きた証。

 それをヴィッシュは、ただ、茫然と見下ろすばかり。

 何もなかった。

 墓穴は暴かれ、中で眠っていたはずのナダムの亡骸は、忽然と消え失せていたのである。

 ヴィッシュが震える。

 糸の切れた人形のように、力を失い、崩れ落ちる。

「なんでだよ……」

 慟哭は、世界全てを呪うかの如く。

「どうしてこんな……こんなことに……!」



   *



 死霊アンデッドの軍勢に占領されたというノルンの街。その街並みを見渡せる小高い丘の上、立ち並んだ針葉樹の下に、表情を曇らせた緋女の姿があった。彼女は木の幹に体重を預け、ともすれば身体を突き動かしそうになる衝動を、力づくで腹の中に閉じ込めようとしている。

 そこに遠方の空からカジュが飛来した。《風の翼》を解除してふわりと緋女の隣に降り立ち、並んで街の方に目をやる。トン、と土を叩く杖の音が、カジュの焦燥を物語っている。

「そっちはどう。」

「全然だめ。街中死霊アンデッドだらけ。ヴルムのやつもいたぜ」

 カジュが杖の先で、地面に市街の概略図を描いた。緋女はその前にしゃがみ込み、手早く三か所指で示す。

「こことここ。ヴルムはこのへん」

「総勢3万は超えてるね……シュヴェーア本隊が手をこまねくわけだよ。」

「生きてる人は……もういねえな」

「たぶんね……。」

 ノルンの状況は想定を遥かに超えていた。というよりボンゴ隊長が掴んでいた情報が半月ほど古かったのだ。

 緋女とカジュは、ヴィッシュの指示通り2日かけて慎重に調査してきたが、その間にも状況は時々刻々と悪化していた。死霊アンデッドの数は増え続け、そのうえ、徐々に組織的な動きを見せ始めている。放っておけば、遠からず街から死霊アンデッドの大軍が溢れ出るだろう。そうなる前に発生源を潰さねばならないのだが……

「よお。これヤバくね? ヴィッシュはいつ来るんだよ」

「旅程から考えて合流は明日の昼あたり、のはずだけど……。」

「ハズじゃ困んだろー! その前にあいつらが動き出しちゃったら……」

 と、緋女が口にした、そのときだった。

 足の裏から下腹部まで、突き上げるような重低音がふたりを襲った。爪先が痺れるほどの震動が大地を通じて伝わってくる。百戦錬磨のふたりは一瞬にしてこの揺れの正体を悟った。

 ふたり同時に、弾かれたように街を振り返る。

 城門を突き破り、蟷螂カマキリの子が卵から溢れ出るようにして街道へ飛び出てくる――数千数万の死霊アンデッド軍。

 その進軍の足音が、地震さながらに大地を揺らしているのだ。

 恐れていた事態が起きてしまった。それを認識した瞬間、緋女はもう走り出していた。

「行くぞ!」

「やるしかないかーっ。」

 犬に変身して矢のように駆けて行く緋女の後を、カジュは《風の翼》で追いながら、しかし漠とした不安を殺しきれずにいる。恐るべきことが起きつつある。その確信がカジュにはあった。目の前の死霊アンデッド3万体などがかわいく思えてくるほどの、想像を絶する強大な敵の予感が。

「……やるしかないか。」

 もう一度自分に言い聞かせ、カジュは戦場へ飛んでいく。

 だが、策は――ない。



   *



 まさにその時、とある山道で、ひとりの旅人が足を止めた。彼は小柄で、ともすれば少年と見間違うほどに幼い顔立ちをしていたが、背には似つかわしからぬ巨大な剣を背負っていた。流浪の戦士、であろうか。だが傭兵にしては、表情が世間ずれしていなさすぎる。

 その旅人が、道の真ん中にじっと立ち止まり、木々の中を流れる風の声に耳を傾けている。明るい黒髪が、木洩れ日を浴びて鮮やかな緑色に照り輝く。風が止み、葉擦れの音が収まってもなお、彼は動こうとしない。

「あの……旦那?」

 旅人の一歩後ろを歩いていた連れの男が、おずおずと声をかける。この男は近くの町で雇った道案内。このあたりを縄張りにしている魔物狩りの狩人――後始末人である。仕事がら山道に詳しく、隣町までの約束で旅人が協力を求めたのだった。

「しっ」

 旅人が人差し指を口の前に立てる。

「聞こえませんか?」

「へえ……?」

「軍勢が動く音だ」

 道案内の狩人は、それを聞くなり震え上がった。彼もシュヴェーアで働く後始末人ならば、自分たちが目指している先の街――ノルンで起きている異常事態については、嫌と言うほど耳にしている。

「まさか! ノルンの死霊アンデッドが!?」

「そうみたいです。急ぎましょう!」

 と旅人は歩き出したが、連れが動こうとしないことに気付いて振り返る。道案内は旅人の視線を受けて、首を左右に振り回し、半歩ずつ後ずさっていく。言葉こそないが、その怯えた目が如実に語っている。「無理だ。これ以上は近づきたくない」と。

 旅人はそっと目を伏せ、一呼吸した。次に目を開いた時には、旅人の表情は一転して明るくなっている。

「ノルンまでは、もう道なりにいくだけですよね?」

「あ、ああ……」

「この先はぼくひとりで大丈夫です! ここで別れましょう」

「いいのか?」

 道案内の男はホッとするやら決まりが悪いやら。旅人は彼を安心させようと、屈託のない笑顔を見せた。

「はい! 帰り道、お気をつけて!」

 道案内はこれ幸いとばかり、脱兎の如く逃げ去った。旅人はその背中を見送ると、肩に食い込む大剣の位置を直して、戦場へ向けて歩き出す。背中の剣は、彼の小さな身体にとっては、あまりにも重い。だがずっと背負い続けてきたのだ、これまでも。そしてもちろん、これからも。

 立ち止まっている時間など、彼にはない。

 寂しさに心を揺らす自由など、彼にはない。

 なぜなら――英雄ヒーローはいつだって、ひとり。



   *



 数千体も連なる骸骨スケルトンの大軍勢に、真紅い閃光が突入する。犬の脚力で敵の足元を駆け抜け、敵陣の中央まで達したところで人間に変身。跳び上がりざまの横薙ぎで骸骨スケルトン5体を両断する。すぐさま緋女に目を付ける死霊アンデッドども。目の赤光を爛々と燃やして四方八方から殺到する。

 が。

 緋女が跳ぶ。押し寄せる骨の壁の一角を恐るべき勢いの突進で突破。先刻まで緋女がいた位置で団子になる死霊アンデッドどもの背後に回り込むと全員まとめて斬り捨てる。

 本来なら剣での攻撃をほとんど受け付けないはずの骸骨スケルトンだが、緋女の剣はあまりにも鋭すぎる。常識外れの威力によって骨と言う骨が粉々に砕かれ、ただ一撃で行動不能に陥る。

 しかし敵の数はあまりに多すぎた。多勢が相手でも敗れるような緋女ではないが、手は足りない。街の外へ進軍する敵全てを食い止めることは到底不可能。事実、死霊アンデッド軍の大半は緋女を気にせずそのまま先へ進んでいる。

「あー! ばか! こっち来いや! コラ!」

〔考えなしに突っ込むからだよ。〕

 と脳内にカジュからの《遠話》が響く。緋女は後ろから飛びかかってきた骸骨スケルトンを切り伏せながら、

「助けてカジュー! びじん! てんさい!」

〔よく言われるよ。《石の壁》×2。〕

 どんっ!

 カジュの呪文に応え、緋女の左右に巨大な壁が出現した。必然、彼女の横を抜けて進もうとしていた死霊アンデッドたちは行く手を遮られ、すり鉢状に配置された壁の流れに従って、唯一の出口――緋女の方へ集まってくる。

「ええー? 全部あたしひとりでやれってか?」

〔なんか不満か。〕

 太刀を悠然と肩にかつぎ、緋女がにやりと不敵に笑う。

「いや。面白おもしれぇ!」



 数千の骸骨スケルトン相手におおはしゃぎで暴れまわる緋女。その姿を見守りながらカジュは上空を飛びぬけた。

 外へ出ようとする骸骨スケルトンは、これでしばらく食い止められる。だが城門付近を埋め尽くすかに思えるこの軍勢さえ、ノルンの街全体に溢れかえる死霊アンデッド軍の中ではごく一部に過ぎない。緋女といえど無限に体力が続くわけもなく、いずれ押さえきれなくなるのは必至。

 ――先手を打って数を減らすしかないな。

 城壁の上を飛び越え、街の中へ。生きた住人を失った大通りは、代わりに、無数の死霊アンデッドで埋め尽くされている。さながら街は墓地。家々は立ち並ぶ墓標。揺れ蠢く死体の群れは不吉な枯草の草原。

 この一帯だけでも、ざっと見て2万近い敵がいる。狭い城門につっかえて外に出られず、軍勢の大半がここで足止めを食っているらしい。うまい具合に密集している今なら、まとめて叩くことも不可能ではない。

 ――街ごと吹っ飛ばしていいなら手はあるんだ。

 カジュは城門の上に着地。街の中の死霊アンデッド軍に向けて握り拳を突き出し、指を1本ずつ開きながらその指先に火を灯しはじめた。

「《は》。」

 人差し指。

「《ぜ》。」

 中指。

「《る》。」

 薬指。

「《そ》。」

 小指。

「《ら》。」

 最後に親指に火をつけるなり、5つの炎を拳の中に握り込み、眼下の死霊軍目掛けて投げ下ろす。

「《5倍爆ぜる空》っ。」

 その直後、恐るべき規模の大爆発が死霊アンデッド軍を飲み込んだ。炎と爆風が容赦なく大地をなめ尽くし、立ち並ぶ家々もろともに骸骨スケルトンたちを粉砕していく!

 魔法の同時使用ストックを5枠全て《爆ぜる空》に注ぎ込む大技だが、その破壊力と効果範囲は単に《爆ぜる空》5発分に留まらない。同系統の術を重ねることでより大きなエネルギーを引き出せるようカジュのアレンジが加わっている。

 その威力のほどは――前方の都市数ブロック分が一瞬にして荒野と化したほど。おぞましいまでに密集していた2万の骸骨スケルトンは、今や9割がたが粉砕され、累々と積み重なり骨片の山を成している。

 カジュは自分の仕事の出来栄えを眺め見て、うーん、と低く唸った。

「いまいちだな。」

 これほどの破壊力にもかかわらず、不満そうであった。いずれ来るであろう強大な敵との決戦に向けて新たに開発した術だったのだが、思ったほどの効果を得られなかったようだ。

 ――これじゃ勝てない。には。



 一方そのころ。

「オラァ!」

 気迫の一撃でさらに1体の骸骨スケルトンを叩き切ったところで、緋女はふと異変に気付き、手を止めた。死霊アンデッド軍の動きが変わった。さっきカジュが城門の向こうで仕掛けた大爆発を聞きつけてなのか、城門の外にいた軍勢が反転し、街の中へ戻ろうとし始めたのだ。

 ――何が起きた?

 首を傾げる緋女。どうするべきか考えたが、いまひとつ状況が掴めないので、とりあえずカジュと合流しに向かう。行きがけの駄賃に骸骨スケルトンの10体も斬り捨てながら軍勢の中を切り抜け、城門まで辿り着くと、身軽な跳躍で壁の上へ飛び上がる。

 カジュは身じろぎもせず、荒野と化した街を睨み続けていた。

「おいカジュ! なんか変!」

「来たみたいだよ。」

「何が?」

「本命が。」

 と、そのときだった。

「そのとおーり! いい勘してるぜ、美人のお嬢さん」

 骨片連なる爆心地から、朗々と響き渡る場違いに陽気な声。緋女とカジュが睨む先で、地面にうず高く積み重なった死霊アンデッドの残骸が、乾いた音を立てて、崩れる。その奥から。死体の狭間に見え隠れする暗闇の底から。

 闇そのものが形を得たかの如く、ひとりの男が這い出てくる。

 緋女が太刀を構える。

 カジュの額に脂汗が浮かぶ。

 張り詰めた殺気が、毛先までもを痺れさせていく。

「主役は遅れてやってくるもんさ。なにしろおれは、優れた魔法使いであると同時に、如才ない演出家でもあるものだから。場を盛り上げるための手練手管ってやつは知り尽くしてるんだよなァ。

 まあ簡単に言えば? どこのグループにも1人はいる、『パーティ大好き人間』ってこと」

 ぺらぺらと饒舌におどけて見せるその男。肌という肌をことごとく汚れた包帯でくるみ、その上からボロボロの黒衣を纏い、薄い裂け目のような口に不愉快な笑みを浮かべている。ふざけた物言い、ふざけた態度。しかし、その男の異様な気配のために、緋女やカジュさえ身動きが取れずにいる。下手に動けば命を取られかねない。そんな確信がふたりの中にある。

「てめえか。街をこんなにしたのは」

 静かな憤怒を湛えた声で問う緋女に、黒衣の男が優雅に両腕を広げて応える。

「おれはミュート。

 死術士ネクロマンサーミュート。

 以後お見知りおきを――勇者の後始末人諸君!!」



(つづく)

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