第15話-04 招待状



「ヴィッシュ! ヴィッシュよぉ―――――ぅ!!」

 不死竜ドレッドノートを片付けて港へ戻るなり、肌がビリつくほどの大音声で迎える男がひとり。シュヴェーア帝国軍ドロスブルク港警備隊長、ボンゴ・ロンゴである。大樽のような身体を左右に揺すり、地震でも起こすのかというほどの足音で駆け寄り、ヒグマと見間違うほどの太い腕で問答無用にヴィッシュを抱きしめる。

「うおおー! うおおおー! まさか! まさかこんなピンチに……お前が帰ってきてくれるなんてよーぅ! うおおおーん!」

「おいおい。泣き虫は変わらねえな」

 いい年をした中年男が、別の中年男を胸に掻き抱き、子供みたいに泣いている。周囲の部下たちは、上司の醜態を、しかし微笑ましげに見ながら、くだけた口ぶりでからかってくる。

「涙目の隊長ー! また泣いてんですかァ?」

「うるせえ! こりゃ、おめえ……汗だ!」

「すごく汗っかきっすねー! 戦況落ち着きましたぁ」

「よくやった! 怪我人を教導院に集めろィ。お医者さん手配してあっから!」

「はいサー!」

 気合の入った敬礼を返して、兵士たちは駆け足で仕事に向かった。上官とこれほど打ち解けた関係でありながら、礼節は失わず、命令には手足の如く従い、任務への熱意も高い。シュヴェーア軍は精強だ。かつてヴィッシュがいた頃と少しも変わることなく。

 その働きぶりを懐かしみ、ヴィッシュはそっと、目を細める。まだ泣いている旧友の背を、そっと撫でてやる。

「お前がドロスブルクの隊長か。出世したなあ、ボンゴ」

「馬っ鹿言えぇ。もし帝国に残ってりゃ、お前は今ごろ将軍閣下だよ」

 ――買いかぶりだよ……

 と、ヴィッシュの本心は、苦い。だが顔を上げたボンゴ・ロンゴの目には、冗談も世辞もない。彼の言葉は丸ごと本心だ。心からヴィッシュを評価してくれているのだ。

「なあヴィッシュ。オレは、ずっとお前が心配でよう……いきなり消えちまいやがって。

 お前のことだから……『全部俺のせいだ』って。『俺なんか苦しめばいいんだ』って。ずっと……ずっと……自分を責め続けてるんじゃないかと思ってよう……!

 生きててくれて良かったよぅおおおお―――――! ヴィッシュよお―――――ぅ!!」

 ボンゴ・ロンゴの号泣が、ヴィッシュの胸には、火傷するほど熱くて……

 緋女が、ヴィッシュの背中を優しく叩く。

「いるじゃねえかよ。いい友達が」

 その足元を、カジュが手を振りながら追い抜いていく。

「お仕事手伝ってきまーす。」

 何か冗談を言い合いながら去っていく仲間たちを見送りながら、ヴィッシュはぽつりぽつりと呟き、ボンゴを抱擁した。

「ああ。ほんとうだ。ほんとうだよ……」



   *



 その日は焼け出された住民の救助や残敵掃討だけで終わってしまい、ヴィッシュたちはドロスブルクに泊まることになった。ボンゴ・ロンゴが警備隊の宿舎を貸してくれ、緋女とカジュはそちらへ。ヴィッシュは、久々に酒を酌み交わそうという誘いに乗って、ボンゴの家へ。

 ボンゴの立派な一軒家には、しかし彼と若い下女ひとりしか住んでいないらしかった。下女のケチャはそばかすが愛らしい、イモ畑の土の匂いがするような16歳の娘で、実にしっかりした働き者だった。彼女が用意してくれた夕食は、山盛りのかし芋と腸詰、そしてもちろん、目が覚めるほど苦い麦酒ラガー。ヴィッシュは大喜びだ。

「おっ、これこれ! これこそシュヴェーア味だ」

「ケチャや、ありがとうよ。あとは自分でやるから、もうお休み」

「はあい。だんなさま、飲みすぎちゃいやですよ」

「散らかしたらちゃんと片付けるよう」

「ちがいます! 肝臓が悪いって、お医者さまに言われたじゃないですかあ! だんなさま死んだら、ケチャ泣きますからねっ!」

 べっ、と舌をだして下女は自分の部屋へ引っ込んでいった。にやにや笑いで掬い上げるように友を見上げるヴィッシュ。照れてほっぺたを掻きむしるボンゴ・ロンゴ。麦酒ラガーの杯をコンとかち合わせ、一気に飲み干すなり、ヴィッシュがからかう。

「かわいいじゃないか」

「うむう」

「お前まさか?」

「違うんだよう! あの子の方から部屋に来るもんだから……それでつい……」

「おおーっとォ! 予想外の事実が来たぞ!」

「わあ! しまったあ!」

「ははは……! まあ、お互い一人前の大人同士だ。別に悪いことじゃない」

 余談であるが、この内海においては12歳で成人とされるのが一般的である。結婚年齢は都市部ほど高くなる傾向はあるものの、おおむね16歳前後といったところ。すると、ケチャなどは充分に大人と言えることになる。

 とはいえ、親子ほども年の離れた男女関係なら、からかいの的になるのは確か。人によっては顔をしかめることもあろう。ボンゴがケチャのことをあっさり漏らしたのは、そんな堅苦しいことを言うヴィッシュではないと知ってのことだったに違いない。

「でも責任はとれよ?」

「分かってる、分かってる」

「じゃあ今夜は祝杯だ」

 早くも2杯目を注ぎ、笑いの中で口をつける。故郷の味、故郷の酒、気の知れた古い友。ヴィッシュは訊いた。あれから10年、シュヴェーアで起きた大小さまざまの出来事を。ボンゴも聞きたがった。狩人に転身した友の、成功失敗とりまぜた武勇伝を。そしてふたりで口を揃えた。かつてこの国で、肩を並べて戦った頃の――世界的には最悪の時代であったはずの魔王戦争での、懐かしい思い出話を。

 歳を取った。

 語り合えば語り合うほど、ふたりにはそれが実感された。10年という時間は、重い。かつての戦友が、それぞれ全く異なる世界で暮らし、全く異なる仲間たち、全く異なる敵と、戦い続けてきた。昔は一本であったはずのその道は、分岐点を過ぎて遠く遠く離れ、今や、ふたりに全く異なる景色を見せているのだ。

「変わったよな。お互い」

 ヴィッシュが腸詰をつまむ手を止め、寂し気に呟くと、ボンゴが顔をしかめて胸を反らした。

「太った、って言いたいのかよう」

「正直それはあるぞ」

「お前だって。ちょっと髪、薄くなったんじゃないかあ?」

「知ってるよ。ま、遅かれ早かれだ」

「男前が台無しだよう」

「いいんだよ。髪の量しか見ないような女は好みじゃないんでね」

「あの女剣士はちゃあんとお前の中身を見てくれるってわけだな?」

「そりゃ、お前……」

「オレは白状したぞう」

「ああそうだよ!! あいつが好きでいてくれりゃそれでいいんだ!!」

「あははーん? 責任とれよーう?」

「この野郎」

 ひいひい笑い転げるボンゴ・ロンゴの額を、ヴィッシュの指がピンと弾く。あまりに彼が楽しく笑うものだから、ヴィッシュの仏頂面もしまいには融けた。ふたり分の笑い声が混ざり合い、窓から漏れ出し、涼しい夜風にのって流れていった。

 やがて笑いが収まると、ボンゴはふと、暗い色を顔に浮かべた。

「本当に、良かった。お前が、帰ってきてくれて」

 こう切り出されると、ヴィッシュとて歴戦のつわものである。ボンゴの言わんとすることを察して、杯をテーブルに置いた。

死霊アンデッドのことか」

「今、帝国はメチャクチャなんだ。半年ほど前、ノルンの街から死霊アンデッドが湧き始めてよう……覚えてるだろ? あのノルンだよう」

 ヴィッシュは無言で頷く。忘れるはずがない。ノルンはかつて、ヴィッシュが率いる中隊が魔王軍から解放し、以来中隊壊滅までの拠点となった街。ヴィッシュにとっては第二の故郷とさえ言える場所だ。

 この旅の目的地もそのノルンの街であった。シェリーが夫や子供と一緒に住んでいたのは――そして何者かに殺害されたのは――まさにそのノルンなのだ。

 ボンゴはいつのまにか目尻に涙をためていた。身体こそ大柄ながら誰よりも繊細で、涙もろい男。部下たちから“涙目の隊長”などとあだ名されるような男が、どれほどの心労を胸にため込んでいたのか。想像に難くない。

「初めは、せいぜい小隊規模の骸骨スケルトン肉従者ゾンビくらいのものだった。それが日に日に数が増えて……不死竜ドレッドノートみたいな化物まで出るようになって……

 中央の連中も救援に来てくれたんだが、間に合わず。ついに先月、ノルンが落ちた」

「冗談だろ? 帝都軍団が押し返せなかったのか?」

「敵の数が多すぎるんだよう! 帝都軍団でも、街道の要所を押さえて死霊アンデッドが溢れ出るのを防ぐので手一杯らしい。まるで魔王戦争の再現……いや、ひょっとしたらそれ以上かも」

「そんな話、ベンズバレンには全然伝わってないぞ」

「当たり前だよう。こんな弱みを国外に知られたら四方八方から攻め立てられるに決まってる。必死に隠そうとしてるんだよう。でももう、それも限界なんだ……」

 ヴィッシュは絶句した。

 当初の予定では、ここからノルンの街に向かい、そこでシェリーを殺害した魔族を探すつもりだった。だがどうやらそれどころではない。今の話どおりならノルンに入る、どころか近づくことさえ難しい。

 腕を組んで考え込むヴィッシュの顔色を、ちら、とボンゴがうかがってくる。ヴィッシュはそれに気づき、

「なんだよ?」

「いや……その……

 うん……やっぱり……

 お前に言うべきかどうか、迷ったんだけど、いちおう、言っておくよう。気を悪くせんでくれよ、こりゃ、ただの噂だからよう」

「分かった。なんだよ」

「ちょうど、死霊アンデッドが湧き始めてからなんだ……

 っていう人がいるんだよ……」

「何を?」

。あいつが、

 ヴィッシュは。

 茫然と口を開け、無意識に腰を浮かせて、立ち上がった。

「……あ?」

「だから! 怒るなよう! ただの噂だって。オレも信じちゃいないよう。

 でも……でもよ。ちょうどその頃に、その……嫌な出来事があって……あんまり何もかも時期が重なったもんだから、つい、繋げて考えちまって」

「シェリーが殺されたことか?」

「あ……知ってたのか……」

「おいおい。お前が手紙をくれたんだろ?」

「手紙ィ?」

 ボンゴ・ロンゴが目を丸くする。

「手紙なんか書かねえよ。のに」

 愕然。

 今度こそ、ヴィッシュは言葉を失い、その場に凍り付いた。



   *



「緋女! カジュ! 状況が変わった!」

 ヴィッシュは警備隊の宿舎に駆け込み、息を切らせて緋女たちの部屋へ飛び込んだ。刀の手入れや水晶玉いじりで思い思いに夜を過ごしていたふたりが、ヴィッシュの形相にただならぬ気配を察して身を起こす。

「俺にシェリーのことを伝えてきたこの手紙。差出人はボンゴ。だが彼はこれを書いてない」

「ん? どういうこと?」

「偽手紙か。」

「ボンゴが記憶喪失でもなけりゃあな。俺たちはハメられたかもしれん」

 ヴィッシュが床にしゃがみ、手紙を広げて見せる。そこに書かれた文面は緋女には読めないが、カジュには、親密な友人が書いた共通の知人の訃報に見える。文章の中には古い思い出話や、当人たちの間でしか通じない隠語らしき言葉も含まれている。

「……身内の手紙としか思えないね。」

「ああ。俺たちのことに詳しいなんてもんじゃない。ボンゴの文章の癖まで知り尽くしてる。そんな人間が、シェリーの死を俺に伝えてきた。なら俺がどう反応するかも予想がついたはずだ」

「お前をこの国に誘い出した、ってこと?」

 緋女の推測に、ヴィッシュは苦々にがにがしげに頷いた。

「どうやらこの手紙は、俺への招待状だ。

 あるいは――への、な」

「あたしらを罠にはめて殺すため?」

「逆にベンズバレンから遠ざけるため。」

「ことによるとその両方、だ。

 いずれにせよのんびり構えていられなくなった。俺は今夜のうちに発つ。この手紙の送り主、心当たりを探ってくる。お前たちは明日すぐにノルンの街へ向かってくれ」

「作戦目標は。」

「とりあえず街の状況調査だ。死霊アンデッド発生の原因を排除したい。俺も用事を済ませたらすぐ合流するが……くれぐれも無理はするな。敵はこれまでにない大軍だ」

「りょーかい。んじゃー、馬借りよっかー?」

「ああ、それはいいな。頼んできてくれるか」

「ボクも馬見るー。」

 立ち上がって部屋を出ようとしたカジュの手を、そっと、ヴィッシュの手が掴む。カジュが視線を向けると、彼は――

「なあ、カジュ。教えてくれ」

 彼は今にも泣きだしそうな顔をして、しかし、歯を食いしばって堪えているのだった。

「魔法とか、何か、そういうもので――ことって、あるのか?」



(つづく)

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