第15話-03 故国への帰還



 ヴィッシュたち3人はシュヴェーア経由でクスタへ向かう商船に便乗して、第2ベンズバレンから出港した。

 内海の大規模な商船はその多くが快速の喚風アイリー船である。喚風アイリー船は帆船の一種で、魔術で生み出した風によって走行するものを言う。常に順風を得られるため巡行に極めて有利であり、風任せで大きく所要日数が変動しがちな船旅をかなり安定させることができる。小回りが利かないため海上戦には向かず、高給取りの術士を雇うコストもかかるが、大型の貿易船ならそうしたデメリットは問題にならないというわけだ。

 波の穏やかな季節ということもあり、船旅は苦も無く順調に進んだ。出港から10日目、水夫の良く通る声が船中に響き渡った。

「陸が見えたぞ!」

 暇を持て余していたカジュは、待っていましたとばかり甲板に飛び出し、船の舳先へさきから身を乗り出して行く先を眺め見た。水平線の向こうから、陸の建物が背の高い順にせり上がってくる。港の灯台、教導院の三角屋根、そしてシュヴェーア帝国の港町ドロスブルクの街並みと、その周囲に広がる緑に覆われた大地。

「おー。上陸までどのくらいっすか。」

 近くで甲板磨きに勤しんでいた船員に尋ねると、うきうきと弾んだ答えが返ってくる。

「昼飯時には着くよ。旨いものが食えるぞ」

「よしよし。」

 とカジュが胸を撫でおろすには訳がある。ちょうどその時、聞くのも苦しいような嗚咽が船の裏側から聞こえてきた。様子を見に行ってみれば、ヴィッシュが海に向かって激しく嘔吐し、心配顔の緋女にずっと背中をさすられている。

 ヴィッシュは出港から数日して、かなり重い船酔いにかかり、以来ほとんど四六時中こうしているのだ。食べた物も飲んだ物もほとんど身体に残ってはいまい。船旅が長引くようなら真剣に命の危険を心配せねばならないところだった。

「あと1時間で上陸だってさ。」

「そっか。おい、もうちょっとだぜ。しっかりしろ、あたしがついてる」

「ぅ……ああ……」

 緋女の看護は実にかいがいしいものだったが、症状の改善はほとんど見られなかった。それどころか、カジュの目には、シュヴェーア帝国が近づけば近づくほど酔いが酷くなっているように見える。

 ――ほんとに船酔いなのかね……。

 かつて重度のストレスで心と身体を壊した経験があるカジュだからこそ、ヴィッシュを襲っているものの正体が分かる気もする。だが、分かったからといってどうしてやることもできない。彼の精神が故郷の土を拒み続け、しかもその場所に向かい続ける以上、どんな励ましも慰めも効きはしないだろう。

 ――明日は我が身か。

 カジュは自分自身の不安を喉の奥に飲み込み、平静を装う。

「ボク、荷物まとめてくる。」

「あ、あたしもー」

「いいよ。みんなの分やっとくから。そばにいてあげなよ。」

 呻くヴィッシュの背中をチラと見やり、カジュは船室に向かう。その背中に緋女の大声がかけられる。

「カジュー! 好きー!」

「知ってまーす。」

 ぱたぱた後ろ手を振り、カジュは扉の奥へ入っていた。

 だがそのとき、異変が起きた。

「おい! なんだあれ!?」

 水夫の慌てた声が船中の注意を引く。誰もがひととき手を止め、港の方へ視線を移し、次々に騒ぎ出す。

「煙だ!」

「港が!?」

「火事なのか!?」

 その声を聞くなり、カジュは甲板に駆け戻り、《風の翼》で空へ飛び上がった。船の帆よりも高い所から陸を見下ろし、カジュはすうっと目を細める。

 ドロスブルクの港。そのいたるところから立ち昇る黒煙。煙の狭間で残忍に揺らぐ炎の舌。ただの火事ではない。声が聞こえる。何百何千という人間が恐怖に駆られて叫ぶ声が。あの火の正体がカジュにはすぐに分かった。あまりにも見慣れすぎた光景だった。

「……戦争だ。」



   *



 ドロスブルクは300年の歴史を持つ、帝国でも最も古い港町だ。建国帝“名もなき竜殺しの英雄”が邪竜討伐のため上陸したのもここなら、魔王戦争で国を追われた現皇帝が再起戦の旗を上げたのもここ。きめ細かい東シュヴェーアの材木をふんだんに用いた街並みは風光明媚で知られ、多くの文人、詩人が愛した宿や聖堂、カフェなどがそこかしこに現存する。

 それら全ての歴史が今、無慈悲で貪欲な炎に蝕まれ、邪悪で執拗な黒煙に飲み込まれ、灰燼かいじんに帰そうとしている。

 恐慌に陥り、行くあてもないまま逃げ惑う住人たち。街の警備隊は必死に声を張り上げ、避難者たちの誘導に努める。たった今も、ある兵が、すすに汚れた母子を火事の中から救い出し、広場の方へと送り出したところだ。彼は脂汗まみれの顔を左右に振って、次に為すべき仕事を探した。仲間がそれに気付いて手を振ってくる。

「こっちだ! 手を貸せ!」

「分かった、すぐ行……」

 だが、彼はもうそれ以上、誇りある役目を果たすことができなかった。

 物陰から突如飛び出した錆だらけの剣が、背中から、彼の胴を貫いたのだった。

 愕然として彼は後ろを振り返る。

 生命の気配すらない虚ろな眼孔に異様な赤い光ばかりを爛々と輝かせた、骸骨スケルトンの戦士が、そこにいた。

 兵が力尽きて倒れたのを合図に、物陰にびっしりと詰まっていた骸骨スケルトンどもが洪水のように溢れ出す。途端、街に絶叫が走る。兵士たちはとっさに槍を構えて応戦するが、敵の数は少なく見てもこちらの十倍。食い止めるどころか、勢いを緩めさせることさえできず、警備隊はなすすべなく死霊アンデッドの群れに踏み潰される。

 警備隊長ボンゴ・ロンゴ率いる部隊が駆けつけたのはその時だった。野生の熊ほどの体躯を持つボンゴ・ロンゴでさえ、目の前の絶望的な光景に一瞬怯む。だが逃げてはいられない。押し寄せる死霊アンデッドどもの前には、追い立てられ懸命に走る住民たちがいるのだ。

「野郎どもォーゥ!」

 ボンゴ隊長は口髭をビリビリと震わせ叫んだ。

「粉砕せェ―――――ィ!!」

『粉砕せェ―――――ィ!!』

 地鳴りにすら似たときの声をあげて兵士たちが突撃する。数では劣れど、こちらは名にし負う“内海最強”シュヴェーア帝国軍。兵卒のひとりに至るまでが剛勇無双の豪傑ばかり。勇猛果敢に敵陣に飛び込み、一糸乱れぬ連携ぶりで鉄槍振るうそのさまは、さながら大地を薙ぎ払う大暴風。両軍激突するや否や骸骨戦士スケルトン・ウォーリアどもが斬られ、砕かれ、吹き散らされて、白骨の飛沫を天に飛ばす。

 だが。

 何物をも恐れぬはずのシュヴェーア軍の動きが、一瞬、戸惑いのために止まる。

 頭蓋を砕かれた敵が。肋骨を割られた敵が。脳天から縦一文字に両断されたはずの敵が。

 何事もなかったかのように、平然と立ち上がり、再び掴みかかってくる!

「こいつら死なねえ!」

 シュヴェーア兵の悲鳴が巻き起こった。血が吹き出す。恐怖がすさまじい勢いで全軍に伝染する。ボンゴ隊長は自らも槍で骸骨スケルトンを突き倒しながら、蒼白な顔面で戦況を見た。

 いけない。味方は潰走寸前だ。無理もない。こちらは一傷で倒れるのに、敵は殺しても死なないのだ。このままでは全滅する。といって……住民たちが安全圏まで逃げ切るには、まだ時間がかかる。撤退命令はまだ出せない! なすすべもなく殺されていく部下たちを目の当たりにして、ボンゴ隊長は焼けるように熱い涙を浮かべ、断腸の思いで再び号令を下す。

「踏ん張れ踏ん張れ踏ん張れ―――――ィ!!

 お前らの強いとこ見せてやれェ―――――ッ!!」

 それが部下に死を命じることに等しいとは知りながら。

 だが、決死の奮起さえ、圧倒的な戦力差の前では塵にも等しい。味方の陣の一角が、ついに突破された。骸骨スケルトンどもが雪崩れ込んでくる。後ろに回られた。挟撃される。もはや勝ち目は、ない。

 誰もが絶望にすくみあがった――そのとき。

〔みなさん伏せてー。〕

 ぼそぼそと呟くような少女の《配信》が、その場の全員の脳内に響いた。

 その直後、空に、白い影が矢のように飛来する。

「《光の雨》。」

 カジュの呪文に応え、天空から現れた数百の《光の矢》。それが豪雨の如く降り注ぎ、正確に、骸骨戦士スケルトン・ウォーリアだけを撃ち抜き蒸発させていく。そしてひととき勢いを緩めた死霊アンデッド軍の中心には、

「お次どうぞ。」

「任せとけ!」

 真紅の竜巻が突入する。

 振るう大太刀が敵を巻き込み、暴れ、轟き、粉砕する。骸骨スケルトンの骨と言う骨を当たるが幸い叩き割り、走り抜けた後ろには白骨が累々連なり山を為す。あっけにとられるシュヴェーア軍の眼前で、艶めかしく舞い踊る肉食獣の肢体――緋女!

「ありゃあ……なんだよう?」

 茫然呟くボンゴ隊長。彼は緋女とカジュの猛然たる戦いに目を奪われ、すぐ足元で立ち上がる骸骨スケルトンに気付いていなかった。骨のこすれ合う不気味な乾燥音を聞きつけ振り返ったその時には、既に骸骨スケルトンの赤目は鼻の先。

 ボンゴ隊長が死を覚悟した、その直後、横手から叩きつけられた盾が、敵の頭蓋骨を打ち砕いた。盾の持ち主はひとりの戦士。彼は気迫を鋭く吐き捨てながら盾の縁を骸骨スケルトンの脚に打ち込み、大腿骨を真っ二つにする。

 不死身の死霊アンデッドといえど足を砕かれては這いずることしかできない。無様にのたうつばかりの頭蓋骨を、戦士の脚が力強く踏み割った。

 ――そうか! こうすればいいのか!

 殺すのではなく、動きを止めるのだ。無力化すればそれでよいのだ。死霊アンデッドへの手慣れた対処に感心しきりのボンゴ隊長。彼の興奮を知ってか知らずか、盾の戦士は深呼吸。息を整えながら油断なく盾を構えなおす。

「やれやれ。着いた途端にこの騒ぎかよ」

 その声に、ボンゴ隊長は、聞き覚えがあった。

「ま、酔い覚ましにはいい薬だ」

 親しく苦笑してみせる、その戦士は――

「ヴィッシュ……? お前! ヴィッシュじゃないかよ―――――ぅ!!」

 雷鳴めいた大声を聞いて、シュヴェーア軍の兵卒たちがざわつきだす。

「ヴィッシュ?」

「ヴィッシュって?」

「“討魔隊長”?」

「“百竜殺し”!?」

「“東の勇者”ァ!!」

「ヴィッシュ・ヨシュア・クルツフェンだーっ!!」

 途端に湧き上がる兵士たち。士気は一挙に沸騰し、何百もの槍が天を突きあげヴィッシュを称える。予想だにしなかった大歓迎に、当のヴィッシュが大困惑。

「足を狙え、ボンゴ!」

「分かった!」

 と早口にアドバイスを送るやいなや、その場を逃げ出すかのように仲間たちの元へ駆けて行く。ボンゴ隊長は熱々の蒸気のような鼻息を勢いよく吹き出して、部下たち目掛けて号令を鳴り響かせる。

「よぉーっしゃー! 野郎ども! 盾殴りシールドバッシュ! あしころせェ―――――ィ!!」

あしころせェ―――――ィ!!』

 軍勢の威勢が天を揺るがすかの如く響き渡り、死霊アンデッドども目掛けて猛然と反撃を開始した。



 出会う骸骨スケルトンをひとつひとつ潰して回りながら、ヴィッシュは戦況を確認した。ボンゴ隊長の命令を受けたシュヴェーア兵は、効率よく敵を無力化しはじめた。徐々に敵勢を押し返しつつある。

 どうやら勝敗の分水嶺は乗り越えたようだ。こうなれば敵の壊滅は時間の問題だ。

 ――よし。これで街はな。

「カジュ! そっちはどうだ?」

〔えぐいの来たっす。〕

 と珍しくカジュが弱音を吐く。ヴィッシュが見やれば、遠くそびえる港町の城壁を、何か巨大な怪物が一突きに突き崩している。

「げっ!」

 ヴィッシュは顔をしかめた。あの怪物。熊さえ一飲みにする巨大な顎。城壁を容易く打ち砕く剛力の爪。そして、緋女の打ち込みさえも弾き返す、異常な強度を誇る白骨の身体。

 “不死竜ドレッドノート”。死霊アンデッド化したヴルムである。

 冗談ではない。ただでさえヴルムの肉体は強靭無比。鱗は鋼鉄をも弾き返し、骨は分厚い岩盤をも貫く。それでも生きた竜ならば急所を狙って仕留めることは可能だが、もし、死んだ竜の身体を、痛みも感じず出血もしない死霊アンデッドとして蘇らせたらどうなるか?

 答えはこれ。緋女ですら斬るのに難渋し、カジュの術ですら焼き殺せない、最強クラスの魔獣ができあがる。過去には、とある邪悪な術士が操る不死竜ドレッドノートが、たった一頭で一国を滅ぼした例もある。こいつを何とかしない限り、街の壊滅は免れまい。

〔作戦よろしく。〕

「……よし……決めた! 注目を集めておけ! 俺が仕留める!」

〔がんばれ緋女ちゃん。〕

「やってる……よォ!」

 不死竜ドレッドノートが前足を叩きつけ、緋女はその一撃を皮一枚で潜り抜ける。そのまま敵の脚を踏み台にして頭上へ跳躍。頭蓋骨目掛けて裂帛の気合と共に大上段からの大太刀を叩き込む。が、巨人さえ一刀のもとに切り伏せたほどの刃が、辛うじて頭蓋の一部を割り、角の一本を斬り落としたのみ。

 ――かてェ!

 まるで分厚い岩盤に斬りつけたかのような手ごたえ。少しでも打ち込みの角度が狂えば剣を圧し折ってしまうところだ。厄介な敵。だが、緋女はぺろりと舌なめずりして、不敵な笑みを唇に乗せる。

 ――見せろよ相棒。あるんだろ、策が!

 着地するなり再び緋女は跳び、右へ左へ不死竜ドレッドノートを翻弄しながら執拗に打ち込みを続ける。

 その姿を横目に見ながらヴィッシュは不死竜ドレッドノートの足元に駆け込み、折れた竜の角をさらっていく。

 ――もちろんあるさ。見ててくれよっ!

 敵が緋女に気を取られている隙に、後ろ脚の間近にまで駆け寄る。足首の関節に竜角の先端を差し込み、腰にぶら下げていた戦槌メイスに持ち替える。大きく横に戦槌メイスを振りかぶると、くさびを打ち込む要領で、竜角を関節に叩き込む。

 その途端、衝撃に耐えかねた関節が粉砕され、バランスを崩した不死竜ドレッドノートが斜めに傾き尻もちをつく。

 竜の骨は確かに硬い。並の武器で傷つけるのは難しい。

 なら、同じ硬さを持った武器を使えばよい。幸い、あたりには緋女やカジュが斬り落とした牙や角がごろごろしている。

 それらの一本を再び拾い上げ、ヴィッシュは走りながら仲間たちに声を張り上げた。

「次、前足! 援護!」

「よっしゃ!」

「イエスボース。」

 自分の身体の異変の原因、ヴィッシュに目を付けた不死竜ドレッドノート。赤い目で睨みつけ、大口を開けて彼の頭上に襲い掛かる。だがその一瞬を見事に突いて、緋女の太刀が割り込んだ。頭蓋に食い込む白銀の刃。反射的に不死竜ドレッドノートの爪が緋女へ向けて振るわれるも、待ち構えていたカジュの《光の盾》があっさりと弾き返す。

 ちょうどその時、2本目のくさびがヴィッシュの手で打ち込まれた。左前脚の膝関節が完全に崩壊する。

 片側の脚2本を失った不死竜ドレッドノートは、巨体を支える手段を失い、横倒しに倒れはじめた。圧し潰される直前で竜の下から転がり出て、ヴィッシュが吼える。

「緋女! 今だ!」

 その命令を予期していたかのように、緋女は太刀を肩に担ぎ、不死竜ドレッドノートの目前に着地する。

「立ってる物を斬るのは難しいんだよ。フラフラするしよォ。けどな!」

 太陽目掛けて跳躍した緋女の、刃が大上段に振り上げられる。

「まな板の上に載ってりゃァ―――――ッ!!」

 飛び降りざまの縦一文字。最速の刃に渾身の力。緋女会心の一撃が、不死竜ドレッドノートの頭蓋と頸椎とを脳天から真っ二つに断ち斬った。

 その途端、不死竜ドレッドノートの生命を維持していた魔法力線が物理的に遮断され、その活動を停止した。巨大な肋骨が、腰骨が、膝が、ひとつひとつ砕けて分かれ、砂埃を立てながら崩れていく。

 巨体の崩壊を背に、緋女は、すぅ……と穏やかに深呼吸した。

 そのそばにヴィッシュが歩み寄り、カジュが降り立つ。一仕事終えた3人の後始末人は心地よい疲れの汗を浮かべながら、互いの顔を一瞥いちべつし、やがて、3つの拳をコツリと突き合せた。

 ヴィッシュは顔を背けて背中を丸めながら。

 緋女は小悪魔めいて笑いながら。

 そしてカジュは、手を届かすため、ピョンと軽やかにジャンプしながら。



(つづく)

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