第11話-02(終) 疎通



 それで全て説明がつく。攻めづらい要害に拠点を置いたのも“司令官”の知恵。異常に数が多いのは、おそらくどこかに樫鬼オークを作って計画的にしたのだ。そして今や、そいつは混乱した樫鬼オークたちに何かの術で落ち着きを取り戻させて操り、ヴィッシュを待ち伏せにはめて殺そうとしている。

 緋女は、手近な樫鬼オークの最後の一体を斬り捨て、剣のような目を遠くの古城に向けた。

「いま行く!」

〔いらない。“司令官”叩いて。〕

「どんなやつ?」

〔魔族で術士。城を見てる。〕

「探す!」

〔『任す』。〕

 緋女は犬になって斜面を駆け上り、鼻に全神経を集中させて匂いを探る。城周辺で大きく弧を描いていき――ひとつの痕跡を発見した。鼻にツンとくる焦げた香草の匂い。魔族がよく用いる霊薬の匂いだ。

 緋女は走った。

 方向は、さっき彼女らが隠れていた峰とは反対側の尾根あたり。稜線近くに大きな岩が三つ並んでおり、その隙間のところに向かって匂いの痕跡が伸びている。かなり遠いが、犬になった緋女の脚力ならほんの数分の距離だ。

 と。

 遠い岩の上で、黒い人影がもぞと動いた。犬の目は近視で色も分からないが、かわりに夜目が利く。ごまかしは効かない。

 ――あれだっ!

 瞬時に岩の下まで迫り、稲妻のごとく左右に跳んで岩を駆け上り、魔族の頭上を飛び越えざまに人間に変身。落下の勢いそのままに銀の太刀を斬り降ろす。狙いたがわず一太刀で敵の脳天をかち割る――かに思われたそのとき、魔族の足元の岩が揺れて崩れた。

 魔族がよろめいて倒れ、ために狙いが逸れて太刀が空を薙ぐ。着地するや緋女は二の太刀を繰り出すが、それを阻むものがあった。がうねって伸びあがり、魔族の前で盾となって太刀を防いだのだ。

 無論、ただの岩がうねったり伸びたりするはずがない。

 緋女は舌打ちしながら背後に跳び、岩山から飛び降りた。彼女の目の前で、城ほどもある巨大な人型をとる。その肩の上にいた魔族は、激しい揺れのために立っていられなくなり、頭部に必死にすがりついている。

 “ラク・ニーの岩山”。かつて魔王軍が発掘し、戦力として用いた古代帝国の人形兵器。神話に名高い半神の岩族ロックフォークを模して造られ、神話そのものの破壊力を遺憾なく見せつけた。ほとんどは戦中戦後に破壊されたはずだが、まだ動ける状態のものが残っていたのだ。

 緋女は岩巨人を見上げながら、ぽかーんと口を開けていた。

 ――岩かー。鉄板くらいなら斬れるけど、んんー、岩のかたまりかーっ。

 魔族が緋女には分からない言葉で命令を飛ばす。岩巨人が拳を振り下ろす。緋女は素早く跳躍して難を逃れるが、巨人のパンチの威力は、拳から巻き起こる風圧だけで軽く体勢を崩すほどだ。まともに食らえば一撃で終わる。

「やっば!!」

 なぜか嬉しそうに、緋女は岩巨人に飛びかかっていった。



   *



 ――どうする?

 カジュからの《遠話》で緋女の状況を聞き、ヴィッシュは脂汗をたらす。横手から来た樫鬼オークの拳をかわし、戦槌メイスの反撃を当てながら距離をとる。が、体重も乗らず、踏み込みも充分でない鈍器で、頑丈が売りの樫鬼オークは仕留められない。そのうえ逃げた先にもまた別の樫鬼オーク

 早く状況を変えねば全滅する。ヴィッシュの脳が唸りながら回りだす。

 案1、緋女に合流し魔族を叩く。案2、緋女を城側に呼び戻し樫鬼オークを叩く。案3、いったん撤退して態勢を立て直す。いずれもナシだ。こちらには樫鬼オークを1匹残らず仕留めるという絶対目標がある。敵を逃がす可能性のある案は取れない。となると――分散したまま遅滞防御し、予備戦力で背後を叩く。

「カジュ! いい魔法ないかっ」

〔15分ちょうだい。樫鬼オーク仕留める。〕

「決まりだ。緋女へ、『15分もたせろ』!」

〔ROG。〕



   *



「おっけええぇぇェェェェィヤッ!!」

 緋女の斬り込みが岩巨人を打つ。気迫、踏み込み、ともに充分。会心の一撃と言ってよい一打だったが、岩巨人は――せいぜいのけぞり一歩退く程度。

 ――硬い!

 緋女は岩巨人の胸板を蹴飛ばしながら後退し、着地と同時に再び攻める。岩巨人を斬るのは無理。ならば狙いは肩の上の魔族だ。岩巨人の身体を目にも止まらぬ速さで駆け上り、一息にその頭上まで躍り出る。

 そのまま旋風つむじかぜの剣速でひと薙ぎ。完全に捉えた!

 が、緋女の剣が魔族の首を断つその直前、魔族の皮膚が硬質化し岩になった。動脈のみをかすめ斬るつもりでいた緋女の太刀はさほどの威力もなく、あっさりその表面で弾かれてしまう。

 ――なんかまた魔法!?

 カジュなら見破っただろうが、これは《本質崩し》の術だ。生まれ持った人の本質をいったんにしてしまい、全く別の存在に創り変える魔術。理論上はどのようなものにでも変身できる一方、極めて制御の難しい危険な術でもある。ほんの少し調整を誤れば意図したのとは全く違うになり果ててしまい、を見失って二度と元に戻れなくなる。

 この魔族は身体を岩巨人に同化させて緋女の攻撃を防いだわけだが、こんな危ない術に頼ったということは、かなり精神的に追い詰められていたのだろう。

 しかし緋女にそんな事情は分からない。必殺のつもりだった攻撃をあっさり防がれ、彼女は少なからず衝撃を受けた。

 その緋女に、岩巨人の拳が飛んでくる。空中に跳びあがったこの体勢では、跳び退こうにも足がかりがない。

 緋女は空中で犬に変身した。変身して体重の減った緋女はそのぶん一気に落下速度を増す。それを利用して緋女はかろうじて拳を避けた。

 カジュが言うところの“エネルギー保存加速”――緋女自身は魔法的根拠などさっぱり知らないが、この現象を回避や跳躍に使いこなすコツは、誰よりもはっきりと理解している。頭でではなく、肌と肉とでだ。

 着地した緋女に、すぐさま岩巨人の踏み付けが来る。緋女は素早く跳び、間合いの外まで退くと、地面に食い付くように踏ん張って岩巨人と対峙した。

 ――くそー、キツいな。

 岩巨人がゆっくりと一歩せり寄ってくる。緋女は踏ん張り、一歩も退かない。

 ヴィッシュボスは『倒せ』とは言わなかった。指示は『15分もたせろ』だ。

 ならば。

「慎重……慎重……慎重に……」

 岩巨人が来る。

「隙を……見る!!」

 岩巨人の蹴りがあたりを土砂ごと薙ぎ払う。緋女は針の糸を通す正確さで巨人の足元を潜り抜け、背後に回るや跳躍。完璧なタイミングで、背後から剣を叩き込む!

 巨人がよろめく。ただでさえ狭苦しい尾根での戦いだ。緋女の打撃でバランスを崩し、斜面に向かって倒れ落ちる。

 響く轟音。渦巻く土煙。絶好のチャンスを、緋女はしかし、離れて見張るのみで捨て置いた。いつもなら息もつかせず追撃していたところ。だが今の目的は、時間を稼ぐことだ。

 だから待つ。待ちに徹して動きを見れば、15分耐えきることは、たやすい。

 岩巨人が斜面に手を付き、ゆっくりと立ち上がる。

 緋女はチョイと手招きした。

「来な。のーんびりと遊んでやるよ!」



   *



 ヴィッシュは戦槌メイスを固く握り、ざっと周囲に視線を走らす。樫鬼オークどもの囲みは着実に狭まり、完全に退路を塞いでいる。見事に統制された動きだ。このまま15分もたせるのは――無理。

 緊張の汗が額から垂れる。ヴィッシュはそれを、ぺろ、と舐めとり、

「喧嘩は度胸……初手でビビらす!!」

 不敵に笑うや、雄叫びあげて樫鬼オークの群れに飛び込んだ! 手近な一匹に力任せの一撃を叩き込み、その周囲の樫鬼オークたちに次から次へ、かかってはち、ってはかかる。その暴れ狂いようは、さながら大雨で水嵩みずかさを増した河がついにつつみを破り、黒い水が渦巻きながら一挙に噴き出し、轟々ごうごうと肌身を震撼させる唸り声を立てながら、人も家も薙ぎ倒して暴れ狂う。まさにその濁流のように、ヴィッシュは樫鬼オークの群れを蹂躙した。

 樫鬼オークの中の勇敢な一匹が、ヴィッシュの背中に挑みかかった。硬い拳が背中に食い込み、ヴィッシュは蛙の潰れたように呻いた。が、次には先ほどにもまさって恐ろし気な咆哮をあげ、樫鬼オークを脳天からち降ろし、その首をし折り、その勇敢な行動にを与えた。

 樫鬼オークたちの中に恐怖が走る。うかつに攻めれば――殺される!

 しかし、狂気の化身を演じるヴィッシュは、その実、内心でずっと怯えている。彼は今、自分に言い聞かせ続けている。

 ――喧嘩は度胸、喧嘩は度胸、止まるな、動け! ほら動け!!

 敵の心理に恐れを生み、攻め手を鈍らせる……そのためにヴィッシュは、敢えて危険も不安もかえりみずに暴れているのだ。

 相手の恐怖が緩めば、死ぬ。

 ゆえにヴィッシュは再び叫んだ。己を奮い立たせ、敵を怯えさせるためにだ。休んではならない。休ませてはならない。ヴィッシュは後ずさる樫鬼オークに迫り、次なる一撃を打ち込んだ。



   *



 時間が流れる。ゆっくりと流れる。戦闘の緊張の中で過ごす15分はあまりにも長い。

 岩巨人の攻撃をいなし続けて、さすがの緋女にも疲れが見え始めた。ヴィッシュは1秒たりとも立ち止まらずに敵を打ちのめし続けていたが、いよいよ戦槌メイスを持つ手が上がらなくなってきた。今やふたりは同じことを一心に念じ続けていた。

 ――まだか!? 早く!!

 疲労で足の鈍った緋女に、岩巨人の拳が振り下ろされる。

「やばっ」

 時間とともに恐怖に慣れた樫鬼オークたちが、ついに総攻撃を仕掛けてきた。

「ダメか!」

 そのとき、ついにカジュの術式が完成した。

〔お待たせ。〕

 尾根の上で座禅を組んでいたカジュの、背中から陽光色の閃光がほとばしり出る。いや、閃光ではない、何百という数の《光の矢》だ。それが一様に天を向き、ずらりとカジュの背後に並ぶ。その姿はまるで、光輝の《翼》を羽ばたかせる天使のよう。

〔――《光の雨》。〕

 《翼》が弾ける! 《光の矢》が一斉に解き放たれる。けたたましい金切り音を立てながら上空に飛び上がった《矢》の束は、空から獲物に狙いを定めるや、鋭角に折れて地上へ降り注ぎ樫鬼オークという樫鬼オークを片っ端から粉砕した。避けた奴もいた。隠れた奴もいた。だが逃げても無駄だ。《矢》はそれ自体が命あるもののように、逃げる樫鬼オークへ執拗に追いすがり、その背中から胴へ貫き爆発した。ただ一匹の例外もなくだ!

 阿鼻叫喚の真っただ中で、ヴィッシュは悲鳴を上げて身を伏せていた。が、巻き込まれる心配はなかった。《矢》は敵味方を完璧に見分け、敵だけを攻撃するように創られているのだ。やがて自分は安全だと気付き、ヴィッシュはようやく息をつく。

 一方、城で樫鬼オークが全滅したことに気付いたのか、岩巨人――それと同化した魔族――の動きに動揺が走った。緋女はその好機を見逃さなかった。防御に徹して時間を稼ぎながら、彼女はじっと隙をうかがい、ついに見つけていたのだ。岩をとおすためのわずかな隙を。

 右膝の皿の上端。そこに走った微かな亀裂。ここなら斬れる。

 緋女は跳んだ。

 肩の上に担いだ太刀を、渾身の力を込めて振り下ろす。踏み込み、体裁き、握り、太刀筋、全てが最高。緋女の力と技と心とを至上のかたちで刃に込めたその時、そのしなやかな一太刀は――、文字通り。

 岩巨人の右脚が斬り落とされた。

 岩巨人が轟音を上げて倒れる。魔族は慌てて同化を解き、元の身体に戻って逃げようとしたが、それがかえって良くなかった。落下して地面に叩きつけられた挙句、飛び散った岩巨人の破片、ほんの握り拳程度の大きさのものに頭蓋骨を叩き割られ、あっけなく死んでしまった。

 緋女はぐったりと座り込む。

「勝……ったァァァー! ッシャー!!」

 もちろん、遠い古城で、尾根の上で、ヴィッシュとカジュも同じ気持ちで緋女の声を聞いていた。



   *



 仕事を終え、キャンプ地で合流。カジュが石の上に腰を下ろしてウトウトしている。ヴィッシュは荷物を片付けながら、

「あんな術が使えたんだな」

「“使えた”じゃないよ。“創った”だよ。」

「え? 今?」

「この3日でね。敵味方の識別は難しくて。まあ間に合ってよかったよ。」

 ふわあ、とカジュがあくびを垂れる。ヴィッシュは思わず片付けの手を止めた。

「まさか寝てなかったのは……」

「3徹はさすがにキツいす。あとわよろしく。おやす……。」

 カジュが目を閉じ、ふらありと横に倒れていく。ヴィッシュは慌てて駆け寄り、彼女を抱きとめた。腕の中でクウクウと安らかな寝息を立てているカジュを見ながら、ヴィッシュは困惑する。

「それならそうと……」

 と言いかけ、気付く。

「……言われるようになりたいな……」



   *



 帰り道、カジュはヴィッシュがぶって行った。ヴィッシュのぶんの荷物は緋女が分担した。翌日に夕暮れには宿場についたが、そのころにはもうヴィッシュも緋女も疲れ果てていた。

「腹減った……」

「晩飯なにすっかな……」

「そりゃお前……」

 とは言うものの、食欲がない。疲れすぎると食い気さえ枯れ果ててしまうものだ。

 だが、宿場の大通りに差し掛かったところで、屋台から、ぷんと出汁の香りが漂ってきた。緋女が鼻をひくつかせた。ヴィッシュが「おっ」と声を上げた。カジュまでたまらず目を覚ました。

 このたまらなく胃袋を刺激する香り。じっくりと骨を煮込んだスープに、甘い脂の気配まで混ざっている。

 これは、あれだ。かつて異界の英雄セレンが、故郷の味を懐かしんで再現し、ひとびとに振る舞い、以来、内海地方全域に広まったという――あの料理。

「「「ラーメンだ!」!」。」

 みっつの声、みっつの意見が、今こそピタリ一致した。

 3人、屋台に飛び込んで、汗だくの豚みたいな顔を横に並べて、すするラーメンは――うまい。




 THE END.








■次回予告■


 緋女の危機を救ったのは、巨人の剣豪ゴルゴロドン。互いに剣の道を究めんとする者同士。天真爛漫の緋女と豪放磊落のゴルゴロドンは、意気投合して互いに友情を結び合った。しかし皮肉な運命が、ふたりを敵味方に分けてしまう……


 次回、「勇者の後始末人」

 第12話 “ジャイアント・キリング”

 Giant Killing


乞う、ご期待。

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