第5話-07(終) 決戦(後編)
《電撃の槍》が空間をひずませ、《鉄槌》がそれを受け止める。
絶え間ない攻防のさなか、ネズミ頭が
今のでお互いストックは切れた。
つまり、本番はここから。
――唱えるがいいさ。なんだろうが。
ネズミ頭は邪悪に笑う。ストック切れの隙を狙ってカジュが攻撃してくるのは目に見えている。だがネズミ男には超速詠唱という絶対的優位がある。相手の呪文詠唱を聞き、その狙いを把握してから返し技の詠唱を初めても、充分に間に合うだけの速さがある。
果たしてカジュの詠唱が始まった。身振り。杖の補助。魔法陣と呪文。彼女なりに全てを注ぎ込んだ最速の呪文構築。もう分かった。《光の矢》だ。
防御は《光の盾》で事足りる。これで矢を防ぎ、すぐさまこちらも《光の矢》で返せば、これに対抗できる者など居るはずもない。
――がっかりだぁ! 前と同じパターン!
勝利を確信したネズミ頭の、《光の盾》が完成した。あとはいつでも、カジュが魔法を発動したのを見て防御するのみ。
一瞬遅れて、カジュの呪文も完成し――
*
と。
不意に、シーファが
速い! 悪寒を覚える
――
ヴィッシュは一瞬で敵の意図を悟った。複雑化させて
ヴィッシュの援護に向かおうと動きかけていた機先を制され、
その危機を救ったのは、ヴィッシュ。彼がとっさに放った煙幕弾が、シーファと
視界が煙に覆われる。シーファの苛立った舌打ちが聞こえる。
「
この程度で止められる訳がない。それはヴィッシュたちだって百も承知。音か、気配か、何を用いてかは知らないが、視力抜きに至近距離の敵を
しかし――
濁り渦巻く空気の向こうで、シーファの気配が動いた。
白煙断ち割り、道化の仮面が迫り来る。闇そのものを引き連れて、狂気じみた殺気を撒き散らして、氷のごとく冴えた刃が襲いかかる。この間合い、この剣速、この太刀筋、避けるすべは――ない!
「終われ」
そして。
必殺の突きが、ついに相手の腹を刺し貫いた。
「がッ……」
響く悲鳴。
噴き出す鮮血。
道化の仮面に走る――
――違う。
シーファの剣に貫かれていたのは、
ヴィッシュ。
激痛を堪え、涙を食い止め、ヴィッシュはニヤリと笑みを浮かべた。
「……だから見てろって言ったろう?」
瞬間、狂気の道化師シーファは悟った。全てはこの時のために積み重ねた布石。戦いは初めからこの男の策の中にあったのだ。自らに向けられた侮りを利用して身を隠し。味方の力を信じて任せ。絶妙な不意打ちで焦りを引き出した――そしてついには己自身を犠牲に捧げ、止められぬはずのシーファを止めた。
全ては。
仲間が放つこの一太刀を、最大限に
道化の背後に、怒りの炎が出現した!
「あたしのツレを」
――
「ナメんじゃねぇ―――――ッ!!」
*
魔術の矢が、胸に大穴を穿つ。
ネズミ頭の術士の胸に。
黒い目を見開き、髭を先端まで痙攣させて、ネズミは信じられない物を見るように自分の胸元を見下ろすと、やがて、倒れた。土埃が舞い上がる。吐血が、何物とも知れない素材の床を汚した。
とてとてっ、と、愛らしく、上機嫌に、カジュは倒れたネズミに寄っていく。両膝かかえてひょいっとしゃがみ、彼の顔をじっと覗き込む。
「ほい、お仕事終了。おつかれさん。」
……あぇ……たす……け……
「え。助けないよ。雑魚は死んでた方がいいんでしょ。」
その声は冷え切っている――ネズミの目に絶望の色が浮かんだ。
「まあ説明くらいしたげるよ。キミの超速詠唱に勝つ方法、色々考えたんだけどさ。
まず第一に、とにかく威力を上げること。防がれようが何だろうが、防御魔法ごとぶっ飛ばしちゃえばいい。でもそれは、キミが防御魔法の質を上げれば結局同じ事になるだけだよね。
次に考えたのが、詠唱速度で勝つこと。ギリギリ威力を保ったまま、極端に詠唱が短くて済む術を構築すればなんとかなるかなって。この方法は、キミの限界速度が読めないって危険があった。こっちが速くしたつもりでも、実はそっちがもっと速かったです。てなこともあるわけだしね。
――で、
指でカジュは魔法陣を描く。空中に描かれた光の陣を、よく見えるようにネズミの目の上にかざしてやる。その顔には自信たっぷり、満面の笑みが浮かんでいて、まるで新しい
というより、そのものであったのか。
「カジュちゃん謹製オリジナル魔法。名付けて《見えない光の矢》。
そもそも攻撃が見えなければ防ぎようがない。反応速度も詠唱速度も関係ないってわけ。ま、紫外線には気をつけようってこと……。」
と、気分よく解説を披露していたカジュは、そこでようやく気付いた。
ネズミ男が、もうぴくりとも動かなくなっていることに。
カジュは指先で、死体をつついた。やはり、反応はない。
「なんだ。もう死んでたんだ。」
カジュは立ち上がった。杖を両手に持って、んーっ、と大きく背伸び。それから、興味を無くしたような虚ろな目を、足下のネズミの死体に向ける。その顔は無表情。いつにも――いつにも増して。
「ボクより凄い術士……。」
カジュは鼻で笑って、
「いるわけないじゃん。そんなもん。」
*
シーファの右腕が、二の腕の半ばから切り落とされた。自分の腕が鮮血を
一方のヴィッシュは、もはや息も絶え絶えといったありさま。腸は、シーファの剣によって完全に切断されているだろう。出血と衝撃で意識が朦朧としていようし、凄まじい痛みも走っているだろう。しかし、すぐに治療すれば命が助からないこともない。
シーファは思わず溜息を吐いた。滅多にないことだが。
――惜しい。
と、その時だった。
〔あー、CQCQ。シーファちゃん、聞こえるかなー?〕
陽気な男の声が、ドームの中に響き渡った。弾かれたように
シーファは滝のように血を吹き出す腕を、破った服のすそで縛り上げながら、
「邪魔をするな、コープスマン。今
〔ワガママ言わないの。今日はお開きだよ、
「魔法遣いは?」
〔君ふうに言えば……
「ふ……まあ、
〔おや、いつになく素直だね〕
「お預けにはお預けなりの
〔風雅だねえ。んじゃ、また後で〕
それっきり、奇妙な男の声は聞こえなくなった。
じっ、と。シーファは
「
「あ?」
「
「!?」
絶え間なく襲い来る猛烈な痛みの中、ヴィッシュは辛うじて眼のみを動かし、彼女の動揺を認めていた。一体何を
「てめえ……なんで知ってる!?」
だが、シーファは道化の面を
「
それだけ言い置くと、シーファは矢のように駆け出した。斬り飛ばされた自分の右腕を拾い上げ、遺跡の外に繋がる道の方へ。あれほどの深手を負っていながら、苦痛も疲労も感じさせない動きで、たちまち彼女の背中は闇に溶け、消えた。
――終わっ……た。
緊張の糸が切れた
*
その後しばらく、ヴィッシュは寝転がったまま、高い高いドームの天井を見上げていた。腹の傷は深く、その痛みはただ耐えるにはあまりにも辛いものであったが、
それに、シーファの上役らしき男はこう言っていた。魔法遣いは「
「な」
「ん」
「やったな」
「逃がしちまったけどな……」
「いーじゃんか。後始末人だろ?」
「ん……?」
「殺さなくたって、始末がつきゃ勝ちだよ」
「そうか。そうだな。そのとおりだ」
「ね」
「うん」
「お前、がんばったよ。えらいよ。な……」
――ああ。
ヴィッシュは腕で、両目を隠す。
――どうして、ただこれだけのことが。
いかにして応えよう? ヴィッシュは思考を廻らせて、あらゆる美辞麗句をこねくりまわし、はたして何の成果も得られず、結局、思ったままを口にすることにした。伝えたかったことではない。伝えねばと感じたことでもない。ただ、心に浮かんだ言葉を、そのままに。
「お前だってすごかった。惚れたよ、
このうえ何の言葉が必要であろう。
「――
――ヴィッシュ。
ふたりの距離は自然と縮まっていった。手のひらが頬を撫でる感触はどこまでも柔らかく優しく、刀傷の痛みを忘れさせるかに思われた。今やヴィッシュの目は穏やかに開かれ、紅玉めいた
そっと、胸の中にヴィッシュの頭を掻き抱き、
そしてふたりは、水の滴り落ちるがごとく、星の夜空を巡るがごとく、生命の朽ち果て、再び萌え出づるがごとく――互いの唇を、静かに触れ合わせたのであった。」
『……って勝手にナレーションつけんじゃね―――――ッ!!』
ヴィッシュと
一体いつの間にそこにいたのか。戦いを終えて戻ってきたカジュが、寄り添うヴィッシュたちのすぐそばで、不服そうに口を尖らせている。
「いいとこだったじゃん。どうぞボクに遠慮なく。さあどうぞ。」
「
「えっ。じゃ、やりたくないんスか。」
「えっ……」
「どうなんすか。そこんとこどうなんすか。ねえ
「あっ……やっ……」
たちまち
――すげぇ踏み込みかたするなァ、こいつ……
と戦々恐々カジュの顔色をうかがうばかり。
「ゥェァ―――――!!」
奇声一発、ヴィッシュを放り投げ、暴走馬車よろしく逃げ去っていく。あとに残されたのは顔面から床に突っ込んだヴィッシュと、ケラケラ声を上げて笑うカジュのふたりきり。
「フハハハ。ゆかいゆかい。
さて。傷見せてよ、ヴィッシュくん。」
「……おい」
「ほいさ。」
「あんまりいじめないでくれ」
ヴィッシュの傷口に、慈しむかのように手を掲げ、魔法陣と呪文を紡いでいきながら、カジュは悪戯な笑顔をくれた。
「じれったいと背中押したくもなるでしょ、マイ・ボス。」
*
遠い秋空は澄み渡り、黒も白もない、どこまでも青。
その空を、悠然と泳ぎ行く鮫の姿があった。大きさは、大型の帆船ほどもあろうか。その鮫の腹には、船の胴体に似た籠が吊り下げられていて、驚くべきことに、数カ所に空けられた窓の中には人の姿が見える。
俗にいう飛行魚。正式名称を、“上陸用中型空艇魔獣ヌークホーン”。通称“コバンザメ”である。
「まーた派手にやられたねえ、シーファちゃん!」
船内の一室で、シーファは椅子にどっかりと腰を下ろし、腕の治療を受けていた。微動だにしない彼女の姿を見やりながら、呆れ気味に男が頭を掻く。大変に珍しい視力調整器具――眼鏡というものをかけ、ぱりっとした服に身を包んだ紳士。
彼はコープスマン。生粋の
シーファはこの期に及んでも仮面を外そうとしない。あの道化の笑みの裏側で、どんな表情をしていることやら。少なくとも、彼女の声は浮かれ、上擦ってさえいた。どうやらかつてないほどに御機嫌のようすであった。
「
「対等だって?」
コープスマンは苦笑する。
「その仮面、
そう。
シーファが身につけ、外そうとしない道化の仮面。
その目にあたる部分には、穴はおろか、切れ込みひとつ空いてはいない。
視界を完全に闇に包む。そのためだけに被り続けている仮面。
これが信じられようか? シーファはこれまで、己の目を完全に塞いだまま、
「見るべき物など
道化の仮面は
「
――あのシーファにここまで言わせる相手……
コープスマンは彼女から距離を置き、船体のガラス窓から地上の様子を見下ろした。眼下に広がるハンザ列島南部の緩やかな丘陵地帯。その向こうに霞んで見えるのは、混沌に満ちた新興巨大貿易都市、第2ベンズバレン。
“
そして今日。
「勇者の後始末人、か」
コープスマンの眼鏡が、陽光を反射して白銀に染まる。
「……邪魔だなァ」
THE END.
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