第86話 全速力

私は公用チャに跨り、全力でペダルを回転させるが、遥か前方をひた走るマッスー主任に追いつかない。


「化け物か、あの人は!」


額に浮かぶ汗が後方に吹き飛ぶ。



マッスー主任とペアを組み、私達は栗山メイが働いていたという駅前の洋菓子屋へ向かう。


てっきり駅前なので電車で行くのかと思いきや、マッスー主任の「近い」の一声で電車を使えなくなった。


洋菓子屋へは5駅分もある、せめて公用チャを使わせてくださいと懇願し、了承を得たのだが、猪のように猛進する先輩を見ながら、公用チャを使えなかったら、どうなっていたことやらと、汗を流しながら追いかける。


「気合が足りないぞ! 気合が!」


先に現場へ着いた先輩が水を飲みながら、公用チャにもたれ深く息をして、心拍を平常に戻している私に向かって言う。


「人間には限界があります」


「限界を自分で決めちゃダメだ。限界ってのは決めた時点で打ち止めだからな! 限界なんてものは存在しない!」


豪快に笑いながら、先輩は水の入ったペットボトルを投げてよこした。先に到着して、私の分も買ってきてくれたのだ。


息絶え絶えにお礼を言い、キャップを外して一気に飲み干す。


「おいおい、そんなに焦って飲むと、お腹下すぞ」


「大丈夫です。私、お腹強いので」

口元を腕で拭い、空になったペットボトルを自動販売機横のゴミ箱に入れる。


「それな、睡眠薬も毒も効かないって本当なのか?」


「私自身で試したことはないですし、試したくもないですが、昔から胃が強いんですよ」


「アイアン・ストマック」


「それ、流行らせないですください。まだビッグバンの方がましです」


「ビッグバンは別に言いのか」


「いえ、それも嫌ですけど」


「嫌なら、あだ名を越える働きをしないとな」

マッスー主任は水を飲み終えると、ゴミ箱に入れた。


「俺も最初は嫌な呼び名があったんだぜ、先輩としての威厳を保つため、敢えて教えないけどな。それでも、頑張っていると、次第に周りも認めてもらえるもんだぜ」


「今のマッスーはどういう意味なんですか?」


私が訊くと、主任は片腕を曲げて、ニカッと笑った。



「マッスル」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る