第四章 魔族傭兵と封印編

あるわけないでしょプロローグ




「なんで……何故これほどの国で勇者が召喚されているっていうの!?」


 ヘリウの叫びが広間に反響する。

 彼女は先の襲撃による被害報告を分析していた。それによれば、どの国でも二人以上の勇者が召喚されていることとなる。その上、空間魔法を加護に持つ勇者までいるときている。


「ネオンもアルゴもクリプも、マグネスもオキシもナトゥーリも、皆死んだ……死んでしまった。いや、私が死なせてしまった」

「ヘリウ様……」


 ノーブルが一人、キセノはヘリウに声をかけようとして、沈黙した。彼女がヘリウの側近となったのはつい最近のことである。ビースが諜報の最中に死に、さらに先の作戦によってノーブルのほとんども死んでしまったためであった。キセノがここに立っているのは、ヘリウの「失敗」の象徴でもあるのだ。

 重い空気が流れる中、ドンドンと乱暴に扉がノックされた。


「ヘリウ! ヘリウは居るか!」


 返事を待たずに広間に入ったのは、この魔王城の中でヘリウに次ぐ力を持つ大男、ボロンである。

 ヘリウは佇まいを直し、彼に向かう。


「魔王か魔王代理と呼べと言ったであろう。ボロン」

「ヘリウ! ヒドロ殿に反乱の動きがあるとのことだ!」

「なに!?」


 ヒドロはイグノアを除き、魔族の中で序列二位につく男である。その実力はヘリウに匹敵する。

 派閥の大きさこそ魔王代理であるヘリウの方が大きい。だが龍族との境界を守り、ときに侵略するヒドロの軍の練度は非常に高いのだ。

 実質的に、魔族はヘリウとヒドロの派閥で二分されていると言っても過言ではないのである。


 魔族は力こそ全て、力の価値を重んじる種族である。弱者は自然と強者に従い、必然的に最も力のあるものが魔族の頂点に立つのだ。

 だが、その強者である筈の物が、力無き振る舞いをした場合は別である。それは例えば、より強者であるものに降参したり、弱者であるはずのものに敗北したり、あるいは人間のように魔動具や知略といった卑怯な小細工をする、といった事だ。


「先の失敗で、ヒドロ殿の派閥は大きくなりつつある。またこの魔王城内でも、魔王派から離脱するものが後を絶たぬ」

「くそ……今は内部分裂などしている場合ではないと言うに……」


 ヒドロが実際に反乱を起こすとなれば、魔族は完全に二分される事となる。人間の相手などしていられなくなる。勇者軍という驚異が今そこにあるというのに、である。

 魔族は心の奥で、人間という存在を過小に評価している。先代魔王は勇者に打倒されたにも関わらず、魔族は人間を見下し、嘲笑し、出し抜かれるのだ。


「なあヘリウ。あんな人間の真似事をするからこうなるのだ。我々には向いていない。やはり力で叩き潰すべきなのだ」

「黙れボロン。勇者があれだけの数召喚されたことが分かったのだ。作戦を練り直さねばならない」

「何を……力で叩き潰せばよかろう。たかが数十人。軍勢と言えるものですらない」

「これだから魔族きさまらはだめなのだ」


 勇者のような特殊な加護を持ったものが数十人。人間の知略と合わせれば、それは空前絶後の驚異となり得る。魔族が神の怒りにより半分に減った今、魔族はもはや存亡の縁に立っていることなど、彼らには理解できないのだ。


「……変わったな。ヘリウ」

「ボロン。お前はいつまで、私に幼い幻想を抱いている。く去れ」


 ボロンは渋々と広間から姿を消す。キセノは二人の論争を、黙ってみることしかできなかった。


 この二週間後、魔族は魔王ヘリウ派とヒドロ派に別れ、内戦を始めることとなる。







「あなたが先代勇者ぁ……? あるわけないでしょそんなこと」

「えぇ……」


 高富士祈里=先代勇者説、女神様に速攻で否定されるの巻。


「いやだって、ライジングサン王国の転移魔法陣が魔女さんや賢者さんによって弄くられてた事が、俺の多重召喚の原因なわけだろ?」


 そう。ついにあの八回召喚の原因を女神さんが突き止めたのである。

 女神さんがあの世界の女神共(女神ばかりでややこしい)にバレないように、俺が召喚された他の世界を辿る感じで痕跡を調べた結果、そんな結論に至ったらしい。

 神様の世界の話は難しくてよくわからん。


「厳密に言えば、賢者ダグムーンが『魂がより強い者を優先して召喚する』という設定を強化するためにシステム経由で神力を使える形にしたところ、神力の大元が介入してきて因果律捻じ曲げるレベルのバカみたいな出力に改造されちゃったことが原因、かしら」


 よく分からん。俺が多重召喚されたのは、因果律がねじ曲がった事により奇跡を必然的に起こした結果だというが。……そも因果律というのがしっくりこない。


「要は現実改変みたいなものよ。本来ライジングサン王国に召喚されるはずのない魂を、他の召喚を重ねることで無理矢理結果を持ってきた感じ。ここまでの出力のは見たいことないけど……あの世界で封印された創造神ってのは結構凄い存在だったから」


 神力の大元は、封印された創造神で確定らしい。


「そんな創造神様が、神もどきの女神達に封印されていると」

「自分で管理するのめんどくさいからってシステム任せにしたツキが回ってきた感じね。システム逆に利用されて、自分の強すぎる神力によって自縄自縛状態」


 なんというか、ドジである。


「で、あんたが先代勇者じゃないっていう根拠の話なんだけど、簡単に言うとそんなに魂っていきなり強くならないのよってこと」

「ほ?」

「転生を繰り返すことで、ちょっとずつ強くなっていく感じかしら。魂の強さは精神の強さとは言うけど、もう少し狭義なのよね」


 そうすると、箱庭の外へオーバー・ボックスとかはどうなのだろう。あれは魂……精神の爆発で起こると聞いたが。


「実際に見たことはないけど、推測はできるわね。システムによる制限を一時的に超えた瞬間にその反動が起こるわけだけど、多分その時封印された創造神が情報と神力叩き込むって事でしょ?」

「聞いた感じでは。バックドラフトにガソリン叩き込むような」

「そりゃまあ魂の強さや精神の強さには多少の揺らぎはあるわよ。あなたが『精神干渉魔法』使うときだって、よく利用してるし」


 催眠する際に抵抗力を弱めるため、過剰演出で絶望させて……というのはよくやる流れである。結果的に死体蹴りと煽りを欠かさないウザいプレイヤーみたいになっているのは言い訳できない。


「でも波にはある程度中心がある。箱庭の外へオーバー・ボックスは上手く大きな波のトップにつけ込んでるわけ。その後に波が下がろうが、箱庭の外へオーバー・ボックス状態は継続される仕組みね」


 自力で脱獄した瞬間に刑務所ふっ飛ばして、そこから萎えてももっかい牢獄に叩き込まれることはないとか、そういうイメージだろうか。


「ちょっと違うかな……」


 そうかぁ。ちょっと違うかぁ……。


「んで、その箱庭の外へオーバー・ボックスって、まずシステムの暗示下にあることが大前提なのよ。あなたの魂の強度は高すぎて、常にボーダーの上にあるわけ。だから最初から全く暗示を受けてないし、脱獄の反動がないから箱庭の外へオーバー・ボックスも起こせない」

「そうだな」


 やろうと思えばできるかなー、と思って試したことはある。結果、アリーヤとシルフに白い目で見られただけだった。何をしたかは秘密。


「でも聞く限り、先代勇者とやらは箱庭の外へオーバー・ボックスを起こしたんでしょ? 波とか転生の成長とかでは説明できないくらいに、魂の強度が違いすぎるのよ」

「なるほろ」


 まあ俺も、魔女や賢者さんが召喚魔法で強い魂サーチするなら先代勇者かな〜という妄想で、当てずっぽうに近い物なわけだが。

 そもそも先代勇者は突然消えたってだけなので、元の世界に戻った可能性も低く、普通に死んで普通にあの世にいる可能性のほうがよほど高い。


「あんたくらいの魂の強度になると、前世でも相当やらかしてるはずなの」

「……俺日本では割と一般人だったと思うんだけど」

「主観ででしょ〜? 傍から見たら異常だったかもしれないわよ。大体それだけ偽装してても精々十数年が限度。成人後社会に出たらやらかすこと間違いなし」


 そんな犯罪者予備軍みたいな言い方せんでも。


「じゃあなんで俺みたいなのが生まれたんだ」

「転生じゃなくて、自然発生ってことでしょ」

「そんな魂ってポンポン生えてくるものなのか」

「普通はないけど、棄てられた世界アバンダンド・ワールドなら珍しいことでもないわね。あそこ割と元異世界人の魂とかあったりするから」


 どゆこと。


「魂が自然発生する大体の場合は、違う世界を起源とする魂が掛け合わさって新しい命を生み出す際なのよね。だから棄てられた世界アバンダンド・ワールドでは珍しくもない話よ。そのせいで新しい魂増えすぎて世界人口増加し続けてるわけだけど」


 77億人にそんな裏事情が……。

 というか、父母のいずれかが異世界人疑惑発生。まあ前世異世界人ってだけだろうが。


「とはいえ普通はもっと弱い魂で生まれるはずなんだけどね。転生一回もしてないとか、一切強化してないノーマルキャラみたいな話だし」


 絶妙によくわからない例えやめてくれ。

 ……しかしそうか、もしかしたら前作主人公的な過去が俺にも、とか期待したが違ったか。


「あなたに『過去があって同情されちゃう悪役ポジション』が許されるわけないでしょ」


 悪役なんですか俺。


「というかあなた、実際はそんなに期待してなかったでしょ? 前世が勇者とか」

「まあ」


 だって俺は俺だし。前世ってなんじゃらほい。


 まあ、そんなこんなで女神さんとは何度目かのお別れをしたのである。


「……ところで俺、賢者さんの策を破壊するどころかライジング王国滅亡させてしまったわけだが」

「今更?」


 そっすね。











 意識が戻る。と同時に、あらゆる方向から聞こえてくる喧騒。いや、まごうことなき戦場の音だ。

 目を開ければ知らない天井……どころではない。テントの布地が目についた。ペンキをぶっかけたみたいに、返り血だったり自分の血だったりを浴びた魔族達・・・が、大きなテントの中を出入りしていた。

 ここは野戦病院。魔王陣営・・・・の本陣にある。


「あ、祈里やっと起きましたか! さっさと持ち場に付いてください!」


 起きて早々アリーヤに雑に扱われる。膝枕も無かった。非常に残念である。


「戦況は変わったか?」

「ずっと膠着状態ですよ! もう、私は先に行きますからね!?」


 いやぁ真面目だなぁアリーヤは。俺達は所詮傭兵。しかも金でもなく経験値目的の俺達が、そこまでこの戦争に心血注ぐ意味もないと言うに。


 さて、人間の国から離れて魔族の領域に来てから早一月。


 今この荒野で行われているのは、魔王派閥と、どこかの有力魔族派閥との戦争……内戦である。なんと魔族達は、勇者達と戦争をしようと言う前に魔族同士で争い始めたのだ。魔族は力に従うというが、魔族も人間もさして違いはないということか。

 俺達は魔王陣営に雇われた傭兵ということになっている。


「全く……急に倒れたからびっくりしたもんだよ」


 そう俺に話しかけてきたのは、三ツ目の女魔族である。俺とアリーヤを傭兵に誘った、元賞金稼ぎだ。ただとある事件で仲間の賞金稼ぎが多く死に、引き際だと見て傭兵になることにしたとかなんとか。詳しいことはよくわからん。


「持病みたいなものだ。気にしないでいい」

「それ気にするもんじゃないかい……?」


「──祈里〜? 早く来てくださいって」


 テントの入口から顔を覗かせてそう言うアリーヤ。先行くんじゃなかったのか……?


「まあそう慌てるなアリーヤ。もうレベリングも十分だ。さっさと終わらせよう」

「……それならそうと早く言ってくださいよ」

「お、終わらせるって、どういうことだい?」


 すんなりと納得したアリーヤ。困惑する三ツ目魔族。後者は中々リアクションがよろしい。


「ほら、将を射んと欲すればまず将を射よっていうだろう?」

「言いませんが」

「馬じゃなかったかい……?」


 異世界だからこのことわざ無いかなって思ってたらあるらしい。これも先代勇者経由か?


「あとアリーヤ後処理頼むわ」

「え……私ですか……」


 適任なのでしょうがない。横の三ツ目魔族は頭の上に疑問符浮かべてるし。


 テントの外に出れば、むせる程の熱気と土煙。魔族も人間と臓物が弾けた臭いはさして変わらん。眼下には魔族の海だ。戦闘中の魔族やら既に死体の魔族やらが一面中に広がっている。

 夜なら殲滅は難しくない。今は昼だが、ストーンバレットぶっ放せば全滅可能だろう(その場合味方の魔王陣営も全滅するが)

 だが今回はどちらも使わない。何にせよ戦争というもので状況を決定づけるのに有効なのは、「裏取り」である。それが定石になりにくいのは、「裏取り」そのものが容易ではないからだ。

 まあ、俺の場合は別である。


 俺は近場の魔王陣営の魔族兵士の背後に周り、『影移動は』で彼の影空間に入る。

 流石魔族。体内魔力量が豊富な分、影空間も相応に広い。故に非常に動きやすい。

 そしてその影空間は、更に先まで繋がっている・・・・・・

 戦闘を続ける魔族、そして地面に折り重なっている魔族の死体、それぞれの影が折り重なって繋がっているのだ。

 どこまでも繋がり、非常に広い空間。この戦場において、俺はほとんど何のコストも支払うことなく全ての場所に実質的にワープする事が可能だ。

 そしてそれは、敵陣営のど真ん中ですら、同じ事である。


 《探知》で地上の位置関係の把握をしつつ、自由に動ける影空間で俺は全速力で駆ける。

 敵将は分かりやすい。この場で最も強い者が必然的に長だ。人同士の戦争ならば影武者を疑うところだが、魔族の戦争にそれはない。


 敵将の背後の影より影空間の外に出た俺は、黒剣でその背中から心臓を串刺しにする。


「グァぽっ……!」


「シルバ様!」


 魔族の体は硬く、黒剣は身体を貫いたもののかなり抵抗があった。ぐりっと捻る。心臓と消化器官の一部を破壊された魔族は、大量に血を吐きながらそれでも動く。己の胸を貫いている黒剣を右手で掴み、左手で背後にいる俺の肩を掴んだ。


「逃が……すな……れっ……」

「流石に凄まじい生命力だな」


 だが周りの魔族は瞬時には動けない。あと数瞬あれば武器を構えられたかもしれないが……少々不意打ちが過ぎたらしい。

 そして数瞬もあれば十分だ。


「『キリ』裂け」


 俺の言葉に感応し、黒血に籠めた呪いの魔力が発動する。俺の血管に流れる黒血が凝固し、刃の形をとって皮膚を破り、俺の左肩から顕現した。

 黒血の刃が、俺の左肩を掴んでいた魔族敵将の手を切り裂く。

 それと同時に俺は黒剣から右手を離し、再び詠唱。


「『キリ』落とせ」


 右掌から皮膚を破り現れる黒い血の剣。それをそのまま横に振り、魔族敵将の首を落とした。







 ゴロ、と転がる首。敵将の死体は膝を付き、血を吹きながら地面に崩れる。


「これでこの戦場は終わった。もうお前達に戦う意味はない」


 祈里は静かにそう言う。周囲の魔族は、未だ状況を掴みきれていない。だがそんなことは意に関さず、祈里は続けた。


「だがこれで終わりではないだろう? なあ」


 そう笑いかける彼の顔は、凄惨な戦場に似つかわしく。


「将の首をとった者は、ここで高らかに名乗りを上げるのが慣わしだそうだが……俺には関係ない」


 尊厳の底まで、彼らを見下していた。


「俺は名乗らない。名乗ってやらない。このままこいつは、名も無き一傭兵に殺されたという汚名に塗れたまま、ここで死ぬ」


 祈里は将であるシルバの首を足で転がしながらそう言う。

 状況を掴めていなかった周囲の部下達は、いつの間にか顔に怒りの皺を刻み、祈里を睨みつけていた。

 祈里は笑みを深める。


「うん……いい敵意だ。さあ、無駄極まる掃討戦を始めようか」


 敗北の決まったシルバ陣営に、怒号が響いた。




 明らかに敵軍の空気が変わったのを、アリーヤ達は感じ取っていた。


「これは……一体」

「祈里が将を討ち取ったんですよ」


 三ツ目の魔族であるユニウに、アリーヤはさも当然と行った様子で答える。


「ほ、本当に一人でやったのかい……? こんな短時間で?」

「まあ、やろうと思えばできるでしょうね」


 アリーヤですら、祈里の能力を使えるならばいくつか方法を思いつけるほど容易だ。

 だがユニウにとっては違う。これだけの魔族が戦う戦場において、傭兵たった一人が戦況を変える……それどころか敵将を討ち取るなどあり得ない。そもそんなことがありえるならば、この世に戦争は生まれないはずだ。

 この戦場の終結に緊張感がやや薄れたユニウだったが、しばらくして疑念を抱く。将を失ったはずの敵軍が、未だに士気を落としていない。彼らは魔王陣営など見向きもせず、むしろ自陣に向けて進軍しようとしていた。


「な、なんだ……なんで逃げないんだい?」

「大方、祈里が煽ったのでしょう。『お前達はこのままおめおめと逃げ帰るつもりか〜』とかなんとかいって」


 呑気に声真似まで披露するアリーヤだったが、ユニウはそれどころではない。


「ば、馬鹿じゃないのかい!? 放っておけば逃げ出すだろうに!」


 別に総大将であるヒドロが討たれたわけでもないのだ。戦況が決したならば、逃げ帰れば別の戦場が用意される。そうすればこの一戦は敗北しても、ヒドロ派閥そのものの戦力が大きく失われるわけではない。それは敵軍の彼らも承知なはずだ。

 わざわざ火に油を注がなければ、祈里は敵将討伐という華々しい功績を持って帰還することができるというのに。


「将は倒せても兵力は失われていません。逃走兵が少なくなるように、ここで掃討するつもりでしょうか(……まあ半分は趣味でしょうが。どうせ楽しんでるんでしょうし)」

「まさか……これだけの大軍を相手に戦えるってことかい……?」


 傭兵稼業に彼ら二人を誘ったのは、彼らから強い『予感』を感じたからだ。ゆえに彼らの能力が高いことは分かっていた。分かっていたが、これほどとは……とユニウは感嘆する。


「いや、無理じゃないですか? 多分」


 だがアリーヤはそんなことを言い出した。


「ええ!?」

「夜ならともかく、この大軍を殲滅できるほどの火力はないでしょう」


 あるいはいくつか手札を切るならば、可能ではあるかもしれない。しかし祈里がそこまで情報を公開するほど、この戦場に価値を見出していないことをアリーヤは知っていた。


「じゃ、じゃあ、一体どうするつもりなんだい……? わざわざ煽って、こんな大軍を自分に敵意を向けさせるなんて」

「さっき言ってたでしょう。後処理は頼むと」


 そこで初めてユニウは、アリーヤの左の手首に傷がついている事に気づいた。

 裂けた手首は回復することなく、血を細く流し続けている。

 だが地面に血は落ちていない。

 血が、空気に溶ける・・・ように消えているのだ。

 彼女の手首の傷が再生していないのは、銀が多く含まれたミスリルの短剣によってつけられたものだからである。


 アリーヤはミスリルの短剣を鞘にしまい、「絶斬黒太刀」を取り出した。


「行きます」


 敵味方入り乱れる前線へ駆けるアリーヤ。


 「絶斬黒太刀」は全ての物を斬ることができるという反面、消費魔力が多すぎるという欠点を持つ。

 かつてこの刀が「絶斬ノ太刀」であった頃の所有者であるイージアナ・イーツェは、効果の発動時間を斬る瞬間のみに限定することで、魔力消費を抑えていた。

 しかしアリーヤにはその芸当を真似することができなかった。再現するにはミスリル剣ありきの高度な魔力操作と、イージアナの天才的な体術のセンスが必要だったためである。

 アリーヤは刀を扱う程度の体術の心得はあっても、神業とも言えるそれを真似できるほどのセンスは無かったのだ。『天才』の加護があっても届かない領域であった。

 ゆえにアリーヤは、発動時間ではなく発動範囲を限定することにした。刀身全体に絶斬の効果を発動するのではなく刃先、それも爪の先程の範囲のみに効果を限定したのである。

 これにより魔力消費は格段に抑えられ、長時間の運用が可能となった。


 アリーヤは気配を消し、敵味方入り交じる魔族達の間を縫うように駆ける。スピードを落とさぬまま、体を回転させ刃を滑らせるようにして魔族を斬る。スカートが回転により花弁のように広がった。

 爪先ほどの刃は、魔族達にかすり傷ほどのダメージしか与えない。ゆえに激しく戦い続ける魔族達にとって、痛覚はほとんど無かった。

 アリーヤは誰にも気づかれることなく、気に留められることなく、戦場をひらりと駆けた。


 やがて一帯は乱戦と課した。敵軍の指揮系統は機能しておらず、最初は包囲していた魔王派閥も敵軍の異様な士気に崩され、もはやどちらがどちらの陣営であるかも分からない。


 そんな中で、戦場を一通り駆けたアリーヤは、両陣営から少し離れたところで「絶斬黒太刀」を鞘にしまう。


(多くの魔族は戦闘で傷を負っている……そして今、無傷そうな魔族達に小さく切り傷を作った。これで芽吹く・・・には十分でしょう)


 アリーヤは袖をまくり、左手を露わにした。


(前線は私が最初立っていた位置より風下……何よりこれだけ走り回ったあとなら、戦場全体の空気に私の血が充満しているはず)


 左手首の内側の傷を上にし、戦場に向けて手を伸ばす。


「咲け。『黒薔薇』」


 アリーヤがそう唱えた次の瞬間、彼女の透き通るような肌に、黒い紋様が浮かび上がった。

 その茨の紋様は左手首の傷から腕を伝って、肩、うなじ、首。

 そして頬で黒い薔薇を咲かせる。


「吾が血種より芽差し、黒血無き者に」


 アリーヤはうたった。


「茨を」


 掌を閉ざす。


 その時、戦場に奇妙な沈黙が下りた。




「な、なに……が……」


 シルバ側の兵士は動きを止めた。いや、何者かに止められたのだ。魔王派閥側の兵士も、何が起こっているか分からず動きを止めてしまう。

 シルバ側の兵士にはいつの間にか小さな切り傷があり、そこから茨のような黒い紋様が体を縛り付けるように浮き出ていた。


(誰かの呪魔術か……?)


 何が起こっているか分かりきっていない魔王派閥の兵士だったが、決定的な隙であることに変わりない。


「うおぉぉぉ!!」


 雄叫びを上げ剣を振りかぶり、敵を両断する兵士。敵は拘束に抵抗し逃れようとしたが、剣の攻撃範囲から逃れることはできなかった。

 周囲を見れば、およそ戦場全体で同じようなことが起こっている。


(これは……戦場全体の呪魔術? 魔王直属の方でもいらっしゃっていたのか……?)


 ともあれ、討ち取った敵の首はとらねばなるまい。自分の実力で倒したと言えるものでもないが、魔王直属かそれに類する魔族が来ているならば、この首を捧げるのもいいだろう。そう思い直し、兵士は両断された敵の首に剣を当てた。その死体には、もう黒い茨の紋様は残っていなかった。




(かかったのは八割くらいですかね……?)


 いくらアリーヤと言えど、この短時間で全ての魔族に傷をつけることはかなわない。再生能力を有する魔族もいるだろうことを考えれば、上々の出来であった。


(とりあえず敗残兵もこれでほとんど全滅。祈里の言う後処理は終わったでしょう)


「『黒薔薇』解除」


 アリーヤの腕から薔薇の紋様が消える。捲くっていた袖を戻し、目線を今まさに戦いが終わった戦場へと向けた。


「祈里……は無事でしょうけど、どこにいるんですかね」


「ここだぞ」

「ひゃんっ」


 突然後ろから肩を叩かれ、アリーヤは思わず声を上げる。肩を抑えて振り返れば、ニヤニヤと笑う祈里が立っていた。


「な、い、祈里……!」

「思ったよりお前の呪魔術効いて良かったな。経験値貰えないからレベルが上がらないのが残念だが」

「それはそうですけどそうじゃなくて! え、もしかして私の影に潜んでたんですか!?」

「あたり」


 祈里ほどではないとはいえ、アリーヤにも多少気配を探る術はある。今回のスキルの構成に《隠密術》はセットされていないはずなので、アリーヤが背後に祈里がいることに気づかなかったのは、今の今まで影空間に潜んでいたからに他ならない。


「中々広くて快適だったぞお前の影」

「何か嫌なんですけど」


 自分の影が物件のように評価されてるのが、妙に居心地の悪いアリーヤであった。

 そしてふと気づく。


「……あれ? 戦場からここまで影繋がってませんでしたよね」

「おっとそれ以上はいけない」

「もしかして私が黒薔薇使う前……戦場から離れるときから影に潜んでました?」

「君のような勘のいい下僕は嫌いだよ俺」

「ストーカー……」

「ぼそっというのやめて」






 青天の霹靂が如く終結した戦場。魔王派閥の兵士達は深く考えず勝利に浮かれているが、ユニウは真実を知っている。この戦場は、たった二人が一瞬で終わらせたものなのだと。


(もうこれほどまで、私の教えた呪魔術を使えるなんて……)


 ユニウが二人に呪魔術を教えてから三週間。たったそれだけで、魔王直属と見間違うほどまで練度を高めたのだ。それまで呪魔術の存在すら知らなかった二人が、である。


(いつもの私なら恐ろしくて逃げているところだね。こんな明らかに臭すぎる・・・・連中、何かの事件に巻き込まれる前に離れるべきだ)


 昔からユニウは異様に勘が良かった。賞金稼ぎというもともと危険な仕事の中、「覗き屋三ツ目」という明らかに狙われそうな異名をつけられておきながら、未だに無事に生きているのがその証左である。

 そんなユニウの勘が告げているのだ。いや、勘など無くてもわかる。このまま祈里とアリーヤについていけば、間違いなく大きな事件に巻き込まれ、ユニウは危険な目に遭うだろう。


(でも、今回ばかりは別だ。本当に嫌だけど)


 ユニウの呪魔術が言っている。ユニウが今後生き残るためには、彼らについていくしかないのだと。


(……本当に嫌だけど)


 目の前に広がる惨状と、今まで彼らと過ごしてきた思い出に、ユニウは頭を抱えたくなる。

 思い返せばユニウが彼らと出会ったのは、賞金首の張り紙の前であった。



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めっちゃ召喚された件 ~世界法則無視のチート権化~ さいとうさ @saitousa

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