第8話‐2 二階堂と八咫烏

 扉を抜けると、先程とはうってかわって目の前には広大な草原が広がっていた。


 その光景に圧倒された二階堂は、ただただ呆然とするしかない。


 そんな二階堂をしりめに、


「ようこそ、我が修練場へ」


 と、柚月が歓迎の言葉を口にする。


「修練場……。ってことは、ここ神域なんですか⁉」


 驚いたように二階堂が尋ねる。


「そうだよ。あたし特製の特別仕様なのさ」


 と、柚月は自慢するように胸を張った。


 本来、神域には人間は入ることができない。


 だが、柚月は古来から修行僧などの人間と縁があった。そのため、自分が作成した神域にアレンジを加えて、人間が入れるようにしたのである。


「さて、修行だけど、どこから始めようかね?」


「その前に、一つ質問いいですか?」


 やる気に満ちている彼女をさえぎるように、二階堂が尋ねた。


「何だい?」


「修行って、だいたいどのくらいで終わるものなんですか?」


「ん~……。人にもよるけど、だいたい一年くらいかな」


 柚月は少し考えながら答える。


「一年……ですか」


 二階堂の表情が曇った。


「それだと長いって顔だね?」


 と、柚月に指摘されるも、二階堂は視線を外すことしかできなかった。


 だが、さすがに一年は長すぎる。深手を負わせたとは言え、敵である蛇目あいは妖怪だ。悠長に構えていたら、傷は完治するうえにより強い力を身につける期間を与えてしまうことになる。それは、どうしても避けなければならないことだった。


「もっと短期間で強くなりたいってわけかい?」


「……できれば」


「どのくらいで?」


「……長くても一ヶ月くらいで」


 その言葉を聞いた瞬間、柚月はいきなり笑いだした。


 二階堂は、きょとんとしながら彼女を見つめる。


 ひとしきり笑い終えた柚月は、息がかかる程の至近距離まで二階堂に近づくと、


「かなり辛い修行になるよ? もしかしたら、死ぬことになるかもしれない。それでも?」


 覚悟はあるのかと凄むように問う。


 だが、二階堂は臆することなく、覚悟はできていると告げた。


 しばしの間、二人は見つめあう。いや、にらみあうと言った方が正しいかもしれない。


 静かすぎる沈黙が肌に痛いくらいに刺さり始めた頃、柚月が表情を緩めて視線を外した。


「あたしの負けだ。一ヶ月であんたの望み以上に強くしてやるよ」


「……っ! ありがとうございます!」


 二階堂は、満面の笑みで礼を言う。


 すると、柚月は自身の胸の前に右手を出し、その手のひらの上に白く輝く球体を作り出した。


「それは……?」


 二階堂が尋ねると、柚月はにやりと意味深な笑みを浮かべて、


「これからあんたに与えるものさ」


 と、さも当然のことのように言ってのける。


 これから与えられるもの……修行のメニューだろうか? しかし、それと実際に目の前にあるものとが同じものだとはどうしても思えない。


 不思議に思っていると、柚月は手のひらのそれを二階堂の胸に押し当てた。


 ぎょっとして身じろぎする二階堂。


「動くな!」


 柚月が鋭く否と言わせぬ声音で告げると、二階堂はその場に縫い止められたように動けなくなった。


 彼女に押し当てられた輝く球体は、ゆっくりと二階堂の体内へと入っていく。それがすべて吸収されるのに、それほど長い時間はかからなかった。


 輝きが消え去ると、柚月は表情を緩めて、


「……これでよしっと。今、あたしの霊力をあんたに与えた。体に馴染んだら、前よりは強くなるはずだよ」


 と告げて、きびすを返す。


「え……? あの……これ――っ!?」


 これだけですかと問おうとした刹那、二階堂の胸もとに鋭い痛みが走った。思わず、胸もとに手をあてる。


(何だ……これ? まさか、さっきの――!)


 痛みの原因が、先程の輝く球体だろうことは容易に想像できた。しかし、胸に手をあてても和らぐことはない。それにともない、呼吸もままならなくなってきた。


「……ゆ……づき……さ……」


 息も絶え絶えに柚月の名を呼ぶ。


 呼び止められた彼女は、軽く振り向くと薄く笑みを浮かべ、


「ああ、言い忘れてた。それに耐えられたら、本格的な修行に入るから」


 言い置くと、よろしくとでも言うかのように手を振ってから姿を消した。


 痛みは胸もとから全身へと広がり、強さを増していく。肌を引き裂かれそうな痛みに耐えきれなくなった二階堂は、呻きながらその場にうずくまり倒れてしまった。


 痛みを押さえ込むように縮こまるが、治まる気配はまったくない。それどころか、体が熱くなってきた。まるで、高熱でも出しているかのようだ。


 浅い呼吸をくり返していると、ほんの少し痛みが緩和されたような気がした。しかし、頭はまだぼーっとする。


 仰向けになると、ゆっくりと深呼吸して不足している酸素を体内に取り入れる。


(神様の霊力、か……)


 澄んだ青色の空を眺めて、二階堂は自分の中に人と神の二つの霊力が存在することを改めて実感する。まだ馴染んでいないのだろう、自分の体が自分の物ではないような違和感がある。


 つい先程まで、こんなことになるとは思ってもいなかった。いや、柚月から霊力を分け与えられた今でさえ、これは夢なのではないかと思えてならない。それほどまでに、自分が怪異にここまで関わるとは思っていなかったのだ。


 だが、この体の不快な症状は現実のもので。


 とりあえず、力が馴染むまではこのままおとなしくしていようと二階堂はまぶたを閉じた。


 が、次の瞬間、体内で何かが這い回るような感覚に襲われる。


「うああああああっ!?」


 悲鳴をあげて飛び起きた二階堂は、それを振り払おうとするが体の表面には何も付着してはいなかった。ただ、不快で気持ちが悪い感覚が、二階堂を蝕んでいく。


 それに呼応するように、少し和らいでいた痛みもまた強くなった。


 二階堂は、呻きながら自分自身をかき抱くようにしてうずくまる。


(くそっ……! 何なんだ、これ……。早く消えろ!)


 痛みと不快感に耐えながら祈るが、すぐに消え去るものでもないことはわかりきっている。だが、祈らずにはいられなかった。


 体の痛みと不快感と熱さは、二階堂の体力だけでなく精神力までをも徐々に削っていく。


 ――どのくらい経ったのだろうか。柚月が姿を消してから、かなりの時間が経過しているような気がする。いや、本当はもっと短いのかもしれない。だが、確実なことは、二階堂が相当消耗しているということである。


(もう、いっそのことこのまま……)


 と、命を諦めかけた瞬間、脳裏に蒼矢の顔が浮かんだ。


『へえ、こんなとこで諦めちまうんだ? お前、諦め悪いんじゃなかったっけ?』


 と、彼は不機嫌そうに言った。


 その表情は、お前には失望したとでも言いたげである。


(ああ、諦めは悪い方だよ。でも、これは耐えきれないって……)


 弱音を吐く二階堂に、


『じゃあ、あいつが――あの蛇女が野放しになってもいいってか?』


 蒼矢は、語気を強めてそう告げる。


「――っ!」


 二階堂は、ギリッと音がする程奥歯を強くかみしめた。


 昨日見た光景がフラッシュバックする。あの惨状をくり返させてはいけないと心底思った。


『……ったく、こんなとこで弱音吐くなんてお前らしくねえっての。さっさと強くなって迎えに来いよな』


 先程までの不機嫌そうな表情はどこへやら、笑顔を見せた蒼矢はそう言うと二階堂の脳裏から消えていった。


(……こういう時でも蒼矢に助けられるなんてな……)


 二階堂は内心で苦笑すると、意地でもこの試練を超えてやると心に決める。


 この不快な症状は、一週間程二階堂をさいなみ続けた。

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