第7話 狐

第7話‐1 敗走

 市役所を出た二階堂は、普段よりも荒い運転で車を走らせていた。


 それも無理からぬことである。助手席に座る相棒が、命の危機にひんしているのだから。


 白紫稲荷神社には、ものの数分で到着した。隣接する駐車場に乱暴に車を停めると、二階堂は苦しそうに呼吸をする蒼矢を抱えて参道へ向かう。


 戦闘モードのままの彼の体は高熱を出しているのか、とても熱かった。おそらく、蛇目あいにかけられた『甘果かんかじゅ』によるものだろう。


(死ぬな、蒼矢! 頼むから――!)


 二階堂は、祈るように懇願する。


 蒼矢を失うかもしれない恐怖と不安と焦燥が、ない交ぜになって心の中をかき乱していく。


 負の感情に押しつぶされそうになりながら参道を進んでいくと、神社の境内はいつもと変わらない雰囲気で出迎えてくれた。


 足早に本堂へと向かい、心の中で白梨と紫縁に呼びかける。


『……珍しいね、誠ちゃんが礼を欠くなんて』


 しばらくして、のんきな声が聞こえてきた。口調からして、おそらく白梨だろう。


(礼を欠いたことはお詫びします。ですが、一刻を争うんです!)


 二階堂が心の中で告げると、賽銭箱を挟んだ向かい側に生成り色の着物を着た長身の人物が現れた。白梨である。


 傷だらけの二人を見て事の重大さを認識したらしい白梨は、険しい表情ですぐに二人を本堂の中へと案内した。


「誠ちゃん、いったい何があったの?」


 蒼矢を床に寝かせたあと、白梨が真剣な眼差しで尋ねる。


「実は……」


 二階堂は、蒼矢の隣に座って一呼吸おいてから口を開いた。


 連続失踪事件を追っていたら、一人の妖怪に行き着いたこと。その妖怪こと蛇目あいと戦闘になり、呪いをかけられてしまったことを告げる。


「なるほど、『甘果の呪』か……」


 おとなしく説明を聞いていた白梨は、蒼矢の首筋のあざを見てつぶやいた。


「ご存知なんですか?」


「これでも神様だからね。こと、妖怪が使う術や呪いについてはわりと知ってるよ。ただ、これの場合、解呪する方法が『蛇女の鱗から作った薬』だけしかないのが厄介でね……」


「そんなっ……! 神様なら解呪できると聞いたんですが、無理なんですか!?」


 二階堂が白梨に詰め寄る。いつもの冷静さはどこかへと消えていた。


「落ち着きなさい。できないとは言ってないでしょ。一つだけしかないのは、あくまでも、なんだから」


 白梨は叱るように諭すように告げると、


「この呪いを解くことは、私にもできるよ。まあ、それなりに時間はかかるけどね」


「そう……ですか」


「そう落ち込みなさんな。大丈夫、蒼矢は死なせないよ。それより、誠ちゃんは自分の心配をすること」


「え……?」


「もしかして、自覚してない? かなり暗い顔してるよ。精神的なダメージ、相当あるんじゃない? 早く帰ってゆっくり休みなさい」


 神様に諭されては、うなづくしかない。


「……それじゃあ、蒼矢をお願いします」


 そう言って、二階堂は白梨に深々と頭を下げると、本堂を後にした。


 駐車場に戻り車に乗り込んだ二階堂は、深いため息をついた。


 別に、白梨と話をするのに緊張していたからというわけではない。神の力を借りる形にはなるが、蒼矢を助ける手段があることに、内心、ほっとしたのである。


『他に解呪できる存在がいるとしたら、それこそ神様くらいのものよ』


 あの時、蛇目あいがそう口にしなければ、今頃は途方にくれていただろう。


「……とりあえず、帰るか」


 そうつぶやいて、二階堂は車を発進させた。


 幽幻亭までは、ほんの二、三分の距離である。しかし、二階堂にはそれが常よりも長い時間に感じられた。助手席に蒼矢がいないから、というのも大きな要因なのだろう。


 自宅に到着した二階堂は、ややおぼつかない足取りで家の中に入る。そのまま居間へと向かい、倒れ込むように椅子に座った。


 体が重い。


 緊張の糸が切れたせいで、疲労感が一気に押し寄せてきた。肉体的なダメージも多少はあるが、精神的なダメージの方がはるかに大きい。


「忘れられたと思ってたんだけどな……」


 ため息とともにつぶやいて、わずかに自嘲する。


 過去に囚われて無様をさらし、大切な相棒の命までも危険にさらしてしまったのだから、情けないことこの上ない。


(もし、蒼矢が助からなかったら……)


 そんなことを考えて、慌てて思考をやめた。


「あいつは、そうかんたんに死ぬような奴じゃない。大丈夫……大丈夫だから」


 大丈夫と、自身に言い聞かせるように幾度となくつぶやく。


 しばらくそうしていると、わずかばかり不安が和らいだ。


 体内の空気を入れ換えるように深呼吸をすると、二階堂はスマートフォンを取り出して電話機能を立ち上げる。依頼人である榊に状況報告をするためである。


『――はい、榊です』


 三回目の呼び出し音の後、榊は事務的な声音で電話に出た。


「もしもし、二階堂です。今、お時間よろしいですか?」


『ああ、二階堂か。どうよ? 進捗の方は』


「えっと……それが、さ……」


『失敗でもしたのか?』


「ああ……実はそうなんだ」


 二階堂はばつが悪そうに言うと、連続失踪事件の犯人は予想通り妖怪だったこと、退治しようとしたけれど逃げられてしまったことを話した。


「……でも、深手を負わせたから、しばらくはおとなしくしてると思う」


『そっか……。とりあえず、わかった。上に報告しとく』


「よろしく」


『でも、このまま放置ってわけじゃないんだろ?』


「もちろん! これ以上、被害を拡大させるわけにはいかないからな」


『了解、引き続き頼むぜ。それじゃ』


「ああ」


 電話を切ると、二階堂は椅子の背もたれに寄りかかり天を仰いだ。


 今更ながらに、負けたことを実感する。


 失敗するのは初めてではない。たしかに、深手を負わせたことも事実だ。だが、こちらも戦力を欠いた。いや、失ったと言っても過言ではないだろう。今のままでは、蒼矢が復帰しない限り妖怪に立ち向かうことなどできないのだから。


(これからどうしよう……)


 ため息をついて思案するも、明確な具体策などすぐに浮かぶはずもない。


 不意に、腹の虫が鳴いた。


 時計を見ると、午後二時をすぎていた。


 朝八時前に朝食を食べたきりである。空腹を感じるのもしかたがない。しかし、食欲はなかった。どちらかと言えば、強めの酒をあおりたい。そんな気分だ。


 二階堂はキッチンに向かうと、茶箪笥から液体の入った瓶を取り出した。それは、紅茶に入れるためにと買っておいたラム酒である。


 冷蔵庫を開けて中を確認する。ちくわとウインナー、それとコーラが目に留まった。


「……久しぶりにラムコークにでもするか」


 つぶやいて、コーラを取り出しグラスも準備する。


 ラムコークは、二階堂の好きなカクテルである。自宅でかんたんに作れるので、この仕事を始める前は休日によく飲んでいたのだ。


 ラム酒とコーラをグラスに注ぎ、マドラーで軽く混ぜる。


 次に、ちくわとウインナーの炒め物を手早く作る。味つけは塩とこしょうのみである。


 皿に盛りつけたつまみとグラスを居間に運ぶと、二階堂は椅子に座って一息ついた。


 ラムコークを一口飲む。鼻に抜けるラム酒独特の甘く芳醇な香りが、気持ちを落ち着けてくれる。


 次に、ウインナーを一切れつまむ。塩とこしょうがきいていて、酒の肴にはちょうどいい。


(これ、多めに作って蒼矢と飲むのも悪くないな)


 ふと、そんなことを考えて彼のことを思う。


 白梨に任せておけば大丈夫なのは理解している。だが、それでも蒼矢の心配をしてしまうのは、彼が本当に死んでしまうかもしれないという恐怖からだ。


 思えば、戦闘面においてはずっと蒼矢に任せきりだった。


「そういえば、あの時もそうだったっけ……」


 つぶやいて、二階堂は過去の記憶に思いを馳せる――。

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