ライラックのせい


 ~ 六月十二日(月) 二時間目 十五センチ ~


   ライラックの花言葉 思い出を大切に



 久しぶりに指定の距離へ戻った席に腰かけるのは、物覚えの悪い藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪、今日はその左右へ二つ結んだお団子にライラックが一房ずつ挿さっているのだが、まるでツノみたいに見える。


「パネッス? なにそれ覚えてないです。あと、今は授業中です」

「うそ。魔法で敵を倒すの。昔、二人で見てたアニメのキャラクターなの。えっと、こういうのなの」


 授業中だというのに世間話に余念のない穂咲が、パネッスなるものをボールペンで描き始めたのだが、頭の一部を書いたところでインクが切れた。


 さすがにそのツノだけでは分からん。

 あと、俺のペンケースを漁らないでください。


「ボールペンを取りなさんな。それ俺の友達だから。大切なやつだから」


 そして逆側の角を書いたところでまたインク切れ。


 完成した絵は、頭と二本の角だけ。

 今日の穂咲にしか見えやしない。


「ブンブン振ってもインクは出ないからやめてくれ。覚えてるだろ? 穂咲のおじさんから貰った大切なやつなんだから、勘弁しろよ」

「パパの? なんで? いいなあ!」

「覚えてないのかよ。タコ焼きとボールペン、どっちが欲しいか聞かれた時、早い者勝ちで貰ったやつだ」

「覚えてないの。道久君、意地悪。早い者勝ちじゃ勝てないから、あたしに譲ってほしかったの」

「譲った結果、タコ焼きをセレクトした奴に言われましても」

「ふにぃ!? ……はあ。昔のあたしのばかぁ」


 あらら、しょぼくれちゃった。

 あの時は笑顔でタコ焼きを頬張ってたくせに。


「おじさん、これを友達だと思って大切にしなさいって言ったんだ」


 金色で、ちょっと重たいボールペン。

 それを二人で見つめていると、


「うう、覚えてないの」


 穂咲が寂しそうにつぶやいた。


 でもそれはしょうがないんじゃないかな。

 穂咲にとってはいつも通りの一日で、俺にとってはこれを貰った特別な日だったんだから。


「覚えてないなんて普通さ。俺だって、パネッスのこと覚えてないですし」

「…………どこのタコ焼き? 公園の裏の?」

「だと思うぞ。おじさんと公園で遊ぶときは、いつも買ってくれてたよな」

「道久君が、ゾウさんの上で食べるの」

「で、穂咲がキリンさんな」

「………………嬉しい。それ、覚えてる」


 そうつぶやいた穂咲の幸せそうな瞳が、俺の手で光るボールペンを見つめていた。


「しょうがねえなあ。今日は二人で立っとけ」


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