第百二十六話 希望と言う名の船に乗り④

 やっぱり止まっている。


 後方のデッキまでやってくるとスクリューが止まっていることを確認した俺は、錨が降ろされていないかも確認する。船の手すりに沿って覗きこんでいるとユカリスティーネが話しかけてきた。


「なにをしているんですか?」

「錨を降ろしていないか確認しているんです。スクリューが止まってしまって立ち往生しているのか、なにか理由があって停泊しているのか、なんにせよこんな海のど真ん中でトラブルとかだったら洒落にならねえっ!」


 言いながら上空を見上げると煙突から蒸気が上がっているので釜の火は落ちていないと思う。こんな所で火を落としたら、再び船が動き出すまでにどれくらいかかるかわかったもんじゃない。

 落ち着いて周りを見るのだが船員達も出てきていないし、乗客達に何の連絡もないのでただ単に停泊しているだけかもしれない。

 それにしても静かすぎる。幾ら夜中だとは言えこんだけの大きな船なのだ。乗船している者が全員寝静まってしまっているなんて考えられない。


「きゃあっ! なんですかあなた達!?」


 突然後方からユカリスティーネの悲鳴が響く。振り返るとユカリスティーネは俺の元へ駆け寄ってきて、背後に身を隠すと肩越しに指差しながら小声で言った。


「べんりさん。あいつらなんですか?」


 その指差す先を見ると、虚ろな目をした水夫たちが数人、横に並んで俺達の方をぼーっと見つめている。そしてゆらゆらと身体を左右に揺らしながら、ゆっくりとこちらの方へ歩いてくる姿はまるでゾンビのようであった。


「こりゃ悪い予感的中かもしれないな……。ユカリスティーネさんっ! 走りますよっ!」

「でも、どこへ行くんですか?」

「ソフィリーナ達を叩き起こします。あいつらはハッキリ言ってこの異世界じゃ最強クラスの戦闘能力を持っています。だから俺なんかと居るよりも断然安全ですから」


 情けない話だがそれが現実だ。男でありながら女の子一人を守りきれる自信が俺にはない。こんな所で無駄に恰好つけて彼女を危険に晒すような真似をするくらいなら、どんなに惨めだろうが俺は構わない。


「すいません。情けない男で……」

「いいえべんりさん。賢明な判断だと思います。こんな状況でも焦らず、最善の答えを導き出せるあなたは、本当に頼りになる男性だと思いますよ」


 そう言ってにっこりと微笑んでくれるユカリスティーネはマジで女神のようであった。

 俺はユカリスティーネの手を握ると、迫ってきている水夫達と反対方向へ走り出す。幸いにも奴らは動きが鈍い、すぐに皆と合流して安全を確保してから状況の確認と対策を考えよう。


「それにしても一体、なにが起きているんでしょうかべんりさん?」

「わかりません。あいつらはどう見ても普通じゃなかったです。操られているのか、憑りつかれているのか、或いはやばい薬でもやってるのか。なんにせよ逃げるが勝ちです」


 言いながら階段を下りる。一等客室はここを下ってすぐなのだが前方から先ほどの水夫達のように虚ろな目をした今度は乗客達が廊下を塞いでいた。


 なんなんだよ? いつからここはこんなゾンビ達が徘徊する船になっちまったんだ? 完全にホラーじゃねえか、ちっきしょうがぁ。正直ユカリスティーネと一緒じゃなかったらしょんべんちびってたかもしれない。


「ここは駄目だ迂回しますっ!」

「べんりさん。先ほどから酷く息が苦しいんです。なにか、これは邪気? 黒魔術のような気配を感じるんです」


 ビンゴ! それだ。こいつら操られているんだ。船室内に居た者が対象だったのだろうか? なんにせよ外に居た俺らはその術にかからずに済んだわけだ。

 俺は一応ユカリスティーネにパワビタンを飲ませる。そのおかげか気分がよくなったらしいので再び走り出した。

なんとかゾンビ達をやり過ごしソフィリーナの部屋の前までたどり着くのだが。


「やっぱり鍵かけてるよなぁ」


 ドアノブをガチャガチャ回すのだがさすがに開かない。ドアをどんどんと叩いても中からは、うんともすんとも返事はなかった。


「あいつ、完全に酔い潰れて寝てるな」

「ええー!? ソフィは寝落ちしたらなにがあっても起きませんよ!」

「知ってます。俺は一年間あいつと一つ屋根の下で生活していたんですから」


 その言葉にユカリスティーネは、「え?」と短く声を出し青褪める、そしてワナワナと震えだすと俺の首を締めながらガクガクと揺さぶってきた。


「お姉ちゃんと同棲していたんですかべんりさんっ! どういうことですかっ!? え? 付き合ってるんですか二人? え? まじで? ちゃんと避妊はしてるんでしょうねえええっ!?」


 なにを言っているんだこいつは! そんな関係じゃねえよ。て言うか首絞めんじゃねえ死ぬ。

 俺はユカリスティーネの手をタップして息ができないことを合図するのだがまったく気が付かない様子。


 やばい、死ぬ……。マジで息ができない。あ? なんかいつもやってる臨死体験みたいな感じになってきたぞ? わーい、天国に逝けるかな?


 昇天しかけた所でユカリスティーネは手を離してくれた。


「ひゅー……ひゅー……あぶねえぇぇぇ。マジで死ぬところだったぁ」


 息も絶え絶え床に這いつくばっていると影が目の前で揺れる。なにかと思い見上げると、消防用の斧を手にしたユカリスティーネが俺のことを見下ろしていた。


「ま……て、待て待て待て待てえええっ! 落ち着けええええええええっ!」


 ユカリスティーネが斧を振り上げた瞬間、俺は死を覚悟した。


 しかし、斧が振り下ろされた先は俺の頭ではなかった。ガシャンと大きな音を立てるとソフィリーナの部屋のドアノブを壊すユカリスティーネ。


「開きましたよべんりさんっ!」


 この子も脳筋タイプだったのか……。



 もっとお淑やかな女性はいないのだろうかと、この非常事態に俺は思うのであった。




 つづく。

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