第14話 深き水底の夫

 ジェハがグルガンの小屋に戻ったとき、もうガールッタはいなかった。

「あのバアさんは?」

 一応尋ねてみたのは、まだ隠していることがあれば聞き出そうと思っていたからだ。あまり当てにはしていなかったが、あの邪悪で醜い姿への変身からリナを救おうにも、手掛かりは短剣1本しかない。やってみても損はなかろうと思われた。

 だが、グルガンは素っ気なく答えた。

「もうおらんよ」

 話すのも面倒臭いと言わんばかりの口調は、去っていったガールッタに呆れたようにも聞こえる。

「どこへ行った?」

 ジェハも、ため息まじりにまた尋ねる。この場にいれば何か聞いてみてもいいが、わざわざ追いかけてまで情報を求める相手でもない。

 グルガンにしても、関心はないようだった。

「知らんな」

 そこへ、後から入ってきたクローヴィスが口を挟んだ。

「出ていくとき、おかしな様子はありませんでしたか?」

 グルガンは固く目を閉じ、顔をしかめる。何か考えていたようだったが、やがて、ああ、という顔で言った。

「目を覚ますなり、礼も言わずに駆けだしたな」

「あのバアさんならやるだろ」

 ジェハがまぜっかえすのを、クローヴィスが目くばせしてたしなめる。グルガンはそれには構わず、水車小屋の戸口を長い白髭の生えた顎で指した。

 怪訝そうに言う。

「そこで外に顔だけ出した」

 ジェハからすれば、だからどうしたという程度のことでしかない。

 だが、そこで何か言う前に、クローヴィスがグルガンの疑問に答えた。 

「人がいないのを確かめたんでしょう」

「だからか、何も言わんとコソコソ逃げてったのは」

 グルガンはそれで納得したようだったが、今度はジェハの顔をまじまじと見つめた。

「どうした? ガールッタが瞼の母に似ているとも思えんが」

「まぶた……の?」

 聞き慣れない言い回しにジェハが首をかしげると、クローヴィスが横から言い直した。

「生き別れのお母さん」

「いねえよ!」

 いるもいないも、生き別れか死に別れかさえも知らない。

 ムキになって突っかかったジェハだったが、背も高く、足も長いクローヴィスにするりとかわされてつんのめった。

 その背中から、グルガンが詫びる。

「いや、冗談が過ぎた。許してくれ」

 身体をふらつかせながらも振り向いたジェハは、天井の隅をムスッと見つめながら答えた。

「いや、俺は……こっちこそ」

 物心ついてから、謝ったことも、相手を許したこともない。

 戦場、地下墓地、荒廃した街角……気を抜けば金や物ばかりか命まで取られかねない場所で生きてきたのだ。傭兵仲間の戦友であっても、欲が絡めば敵同士になる。何があっても謝る必要はないし、刃を一度でも交えれば、相手がその場からいなくなるまで戦い続けなくてはならなかった。

 そんなジェハのたどたどしい物言いに、グルガンも何か気付いたことがあるようだった。

「ワシでよければ話を聞こう」

 

 ジェハは、リナと会ってからのことをグルガンに全て話した。

 話すのはつらかった。思い出したくもなかった。

 リナの蛇体。青く光る鱗。鋼鉄の刃のような、長い爪……

 唯一の救いは、ガルバが薬で眠っていることだった。到底、幼馴染に聞かせるような話ではない。

 そして、これまでの経緯を全て聞いたうえでグルガンが出した結論は、これだった。

「リナは、人間ではないものに変えられた」

「人間では……ないもの?」

 ジェハが言葉に詰まったときを境に、おずおずとした口調は、怒りを秘めた呻きに変わっていた。

 それに気付いたのだろう、グルガンはジェハの目をまっすぐに見て告げた。

「ラミアよ」

「……ラミア?」

 聞き返すジェハに、グルガンが怪訝そうに尋ねた。

「知らんのか?」

「知らない」

 ジェハは傭兵ではあったが、古い時代の王族が葬られた広大な墓所などの盗掘にも加わったこともある。そうしたところに潜むのは、蟲や獣ばかりではない。半人半獣の亜人どもが、武器を持って隠れていることもあった。

 だが、そんなジェハでも知らない生物は、まだまだいるということだった。

「妖魔だ」

「妖魔……」 

 名前だけは、傭兵仲間から聞いたことがあった。見たことはない。

 なんでも、獣の形をしてはいるが人の言葉を理解し、下手をすると人間よりも賢いことがあるという。その上、力が強かったり、目にもとまらぬ速さで動いたり、空を飛んだり、並みの人間では歯が立たない。

 亜人どもは、姿かたちが人間に似ているだけの獣だ。だが、妖魔は違う。人の姿をしていないのは、人を凌ぐためだとも言われている。

 それが、リナだというのだ。ジェハは思わず叫んだ。

「そんなわけない!」

「ラミアは、人の姿と蛇の下半身を持っておる」

 闇の中の雷光に一瞬だけ浮かんだ影を、ジェハは思い出した。

 青銅色の鱗に包まれた華奢な上半身と、床を這う蛇体。

 その記憶をなぞすように、グルガンは語った。

「その身体で人の身体に巻き付き、全身の骨を砕く」

「でも、リナは」

 あとの言葉は続かなかった。言いたいことは何もないのに、駄々っ子のように何か言わないではいられない。だが、グルガンはグルガンで、ジェハに何も言わせないように先手を打った。

「人を食い殺す! 鋭い爪で捉えて……」

 グルガンの言葉が途切れたのは、逆上して立ち上がったジェハが胸ぐらを掴んだからである。背が低いので、いかに小さくしぼんだ老人といえども持ち上げることはできない。

「その妖魔が何であんなとこに住んでんだ!」

 傭兵仲間の話というのは、どこか遠いところから、まことしやかに流れてきた噂がほとんどだ。儲け話を聞きつけて、武装を整えて馳せ参じてみれば、鍬や鋤を振り上げた百姓の小競り合いだったなどという話はざらにある。

 これもその類だと思いたかったが、グルガンはいきり立つジェハを落ち着き払ってたしなめた。

「確かに、ラミアである限りは沼地や水の流れる洞窟などに棲んで、人が迷い込むのを待ち構えておるのがふつうだ」

 人が迷い込むのを待ち構える、と聞いて、ジェハの身体は強張った。最初にリナと出会ったとき、そうするのではないかと疑ったのはほかならぬジェハだ。

 後ろめたさにそんな記憶をねじ伏せようとすれば、このまま言葉尻を捉えて食い下がるしかない。

「じゃあリナじゃないだろ」

「夜な夜な人里へ現れて、人を襲うこともある」

「黙れジジイ!」

 眉ひとつ動かさずに言い切ったグルガンに向かって、ジェハはとうとう拳を振り上げた。

 低い声が、その一撃を押しとどめる。

「ジェハ君」

 クローヴィスだった。

「何だよ」

 そう言いながらも、さっき命のやりとりを共に潜り抜けた戦友にたしなめられて、ジェハは手を下ろす。

「ほら」

 ぐずる子供をなだめるように、クローヴィスはジェハを椅子に座らせた。グルガンも、咳払い一つして座った。

 その上で、目の前に迫る危機について、淡々と語り続ける。

「今のリナは、まだ人の意識がある。だが、ラミアになりきってしまえば、激情に任せて村人たちをも襲うようにならんとも限らん」

 そう言うなり、ジェハをまっすぐに見つめて付け加えた。

「おぬしを襲ったときのように」

 初めて会った夜、ジェハは本気で戦った。それで死ぬかと思ったわけだから、村人は誰一人としてリナには敵わないだろう。 

 その結果は予想がついたが、ジェハは微かな望みを捨てたくはなかった。

「……そうなったら?」

 望んだのとは違う、しかし覚悟していた答えが震える声で返ってきた。

「餌食になるより他はない」

 そこまで話して、グルガンは絶望した様子で顔を覆った。

「あの娘がラミアとは……」

 クローヴィスが冷静につぶやく。

「彼女をラミアにしたのは、『深き水底の王』だね」

 グルガンが顔を上げて頷いた。

「妻とするためだな」

 ジェハは叫んだ。やり場のない怒りを剣にぶつける。鞘がガチャリと鳴った。

「何でリナが!」

 グルガンが制止する。

「それはわからん」

 グルガンの言葉を、クローヴィスが継いだ。

「だが、少なくとも彼女が生きて帰れた理由は、それだ」

 ジェハの頭の中に引っかかるものがあった。

「生きて?」

 クローヴィスは、自らの見解をはっきりと述べる。

「彼女の両親は殺され、リナは『深き水底の王』に生贄として捧げられた」

 ジェハが立ち上がって怒りに絶叫する。グルガンがひょこひょこと身体を起こして押しとどめた。

「ガルバが目を覚ますぞ」

 ジェハはふて腐れた様子で自分の椅子に座る。クローヴィスは話し続けた。

「宿を世話するとか何とか言って逃げられないように祠へ連れ込み、村人がリナをさらおうと祠で殺害したときにペンダントが落ちた。他所から流れてきた両親だけがわざわざ瘴気の森の祠まで行って、ペンダントを落として行方不明になったと考えるより自然だ」

 グルガンが首をかしげる。

「しかし、ワシはそんなもの見たことがないぞ」

 あっさりと、クローヴィスが答えた。

「リナが来てからなくなったと考えれば説明が付く」

 ジェハは納得しないで吼える。

「だからなんでリナが!」

 クローヴィスは肩をすくめた。

「『深き水底の王』にでも聞いてみるしかないな」

 そこでジェハは喰ってかかった。

「どうやって行くんだよ」

 クローヴィスは目をしばたたかせながら、ジェハではなくグルガンに質問で返した。

「この辺に湖か沼は?」

 グルガンはしばし考えてから答えた。

「『瘴気の森』のむこうにある『瘴気の沼』が」

「そこだ」

 水車小屋を出て行こうとするクローヴィスに、ジェハが立ちはだかった。

「なら、俺も行く」

 クローヴィスは、振り返りもしなかった。

「構わないけど、一緒に来てどうするんだ」

「『深き水底の王』と話をつける。連れて行ってくれ」

 クローヴィスはふっと笑った

「死ぬかも知れないよ」

 息も荒く、ジェハは言った。

「何もしないよりいい。俺は賭ける」

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