いちゃりばちょーでー-3

 翌朝、朝食をとってから旅館を後にし、昨日よりも身軽な格好で俺たちは三味線店探索に繰り出した。

 せめて霧島がどこの市町村で幼年期を過ごしていたかだけでも分かれば、もう少し絞れそうにも思えたのだが、あいにく彼女の記憶はとても曖昧で、結局沖縄本島全てが探索の対象になっている。

(とりあえず、昨日探しきれなかった那覇市を引き続き探索だな)


 ところで、俺も霧島も知らなかったのだが沖縄には電車がない。移動にはモノレールかバスを使うのだ。

 那覇市には沖縄県唯一のモノレールが運行しているのでそれに乗り、事前に仕入れた情報を頼りに当たりをつけて下車して、あとは地図を見て三味線店まで歩いていき、そこの店主に訊いてみる。


「お客さん、内地からね」

「あ、はい。ちょっとお尋ねしたいんですが、この三線を直して頂きたいんですけどこれはこちらで作られたものでしょうか」

 どこの三味線店でも店主と俺とで同じようなやりとりが行われ、霧島は期待の眼差しで店主を見つめているが、

「あれー、わんぬ三線あいびらん」


 空振りを感じ、俺も霧島も揃って気落ちする。それが定着したパターンだった。

 俺たちは三味線店をあとにし――しようとして店主や従業員と話しこんでしまう場合も多々あったが――また次の三味線店を目指して進む。

 その繰り返しだった。

 いつ道が開けるのかわからなかった。

 そしてそれは、突然やってきた。




「これ……もしかしたらせーえーおじいの三線かもしれないさ……」

 昨日から数えて八件目の三味線店で、そこの店主は霧島の壊れた三線をいろいろな角度から眇め、ぼそりとそう言った。

 それに霧島はものすごい勢いで食いつく。

「せ、せーえー!? 誰それ、その店どこ!?」

「落ち着け、霧島」

 俺は霧島の頭をわしづかんで抑えつけたが、そういう俺にとってもようやく掴みかけた手がかりを逃すまいとの焦りを抑えるのに必死だった。


 店主の話だと、『せーえーおじい』というその職人は自分と仲がよく、若いころには同じ師のもとで修業をしたものだと言う。

 俺はその人の商う店の住所と店名を控え、店主に礼を言って出口へ向かう。

 霧島はすでに店の外に出ていて、早く来いとばかりに店内の俺に向けて手をぶんぶん振っていた。




『津嘉山三味線店』

 たどり着いたその店の看板には、メモと同じくそう書いてあった。

「霧島、どうだ? この店に覚えはないか?」

 幼いころの記憶が残っているならば、あるいは――。

 そう思って隣の霧島に問いかけてみる。

 腕を組んで下を向き十秒ほど考えた霧島は、自信がなさそうにため息を吐いて言った。

「たしかにここ……覚えある……」

「マジか!?」

 霧島は俺のほうを向いて、多分だけどね、と付け加えてからまたうつむく。


「どきどき、してきた……」

「ここでドキドキしててもしょうがないだろ。行くぞ」

 彼女の手を引き、開け放たれていた硝子戸の中に入る。

 中は意外と涼しかった。所狭しと三線が並んでいて、ショーケースには霧島が持っているようなチミやウマ、妙な笛や小さな板を三枚連ねたような楽器と言えるのかも微妙な品物が並んでいた。

 それらは今まで見てきた三味線店と似たような光景だったが、霧島は今まで以上にきょろきょろ、うろうろと店内を物色している。それはまるで、ここに残った思い出の欠片を集めるかのように。

 人がいないな、と俺が口に出す前に、


「めんそーれー」

 と、若い男の声が奥から聞こえ、その声の主であろう男が顔を出した。

「あい、そのいでたち、内地からっスね? どうぞどうぞ、ゆっくりしていってください」

 背は俺と同じくらいの高さで、頭に白いタオルを巻き青の作務衣を纏っている。見た感じの年齢は三十を過ぎたばかり、と言った感じか。いかにも人の良さそうな若手の職人、と言った風貌だ。


「あれ……」

 その男を見て、霧島は不思議そうな声を出す。

「もしここがそうなら、ここの店主は、もっと歳とってるお爺さんだったはずなのに……若返り?」

「あい、違いますよ」

 首を傾げた彼女に、三味線店の若い男は頭を掻きながら答えた。


「確かにこの店は親父がやってたんスけど、親父、歳のせいか目が悪くなって、カーギ(形)のいい三線を作れなくなりましてね。今は、俺に店主の座を譲って隠居してるんス」

 なんだか、俺たちに合わせているのか無理に標準語で喋っているような印象を受ける。ところどころに、沖縄の人間らしい訛りがあった。

「なるほど……」

「親父もいますよ。お客さん、親父を知ってるんスか?」

「知ってるというか、知らないというか、覚えてないというか……」

 なんて歯切れの悪い――と俺が言いそうになった時に、奥から白髪で円い眼鏡をかけた老人がのそっと顔を出す。


「だあ、どうしたんさ?」

「……あっ、このひとだ」

 その老人を見て、霧島は声を高くした。

「確かにこのひと、私が小さいときに店主やってた……」

「んー?」

 老人は眼鏡を上げ、霧島の顔をまじまじと見つめてから高い声をあげた。

「あい! もしかして、霧島のいなぐんぐゎやいびーみ(霧島の娘さんかな)?」

「う、うん、霧島瑠那……」

「え? このひとがあの霧島の娘さんなんスか?」

「だあ、やっぱり! でーじちゅらかーぎーよー(すごく美人になったね)!」


 若い男は驚き、老人はなにを言ってるのだか分からないが、霧島の手を取ってぶんぶんと振っている。喜ばしいことなのだろう。

「ずっと内地にいたって聞いたけど、ほんとう?」

「はい、東京で暮らしてて、沖縄でのことも、沖縄の言葉も、ほとんど忘れちゃいました……もうすっかり、やまとんちゅ……」

「そんなことないさー。うちなんちゅは、どこへ行ってもうちなんちゅさーね」

 ニコニコしてそう言う元店主に、霧島の顔もほころんだ。

 沖縄の人間であるということは、どれだけ時間が経とうと、どこへ行こうと変わらない――というところだろう。それは、沖縄の人間、うちなんちゅにとっての誇りなのかもしれない。


「あ、あの、さっそく、三線の話をしたいん、だけど……」

 場の空気が盛り上がってきたところで、霧島は気まずそうに声のトーンを落とす。

 ここで買った(まだ確定ではないが)三線を壊してしまいました、と言ったら、店主たちはどんな顔をするだろうと不安なのだろう。

 霧島は俺をちらっと見たが、俺の顔に答えは書いていない。

(なんのためにここまでやってきたんだよ。三線を直してもらうためだろ。ほら、行け!)

 代わりに目で語ってやると、霧島はこくんと頷き、バッグから三線を取り出した。


「この三線……多分ここで私の父が買ったと思うんだけど……」

「あらー、ソーが見事に折れちゃってるっスね」

「どれどれ、ちょっとよく見せてねー」

 二人の店主は彼女の壊れた三線を手にとり、あちこちから眇めて見ていた。

「うん、確かにうちが作った三線さー。瑠那ちゃんのお父さんがこれ買って、それ以降も何度もうちにメンテナンスしに来てくれたの、よく覚えてるよ」

「その時、ちっちゃくてかわいい女の子が、お父さんといつも一緒に来ていたこともっスね。親父が三線直してる間に、店で走り回っていろいろひっくり返す瑠那ちゃんを、俺が必死に追いかけて捕まえて店の外まで連れ出して、よく相手してたもんっスよ」

 若い店主の言葉に、霧島は顔を赤くする。


「そ、そそ、その節は、お世話になりました…………全然、覚えてない……」

 カチコチになりながら月並みな文句を並べ、最後に小声で本音を漏らす。

「お前、可愛いというかアクティブなところあったんだな。今とえらい違いだ」

「「だっはっはっは!」」

 俺がそう言うと店主二人は大爆笑し、霧島は「うー!」とか言いながら、真っ赤になってポカポカと俺の頭を殴った。




「んでまあ、この三線っスけど」

 場が落ち着いたところで若い店主が口火を切り、それに老店主が応えた。

「そうさねー。ソーはもう完全に折れちゃったけど、チーガはまだ生きてるね。これなら、棹を変えるだけでまたよく鳴るよ」

「ほ、ほんとですか」

「だあ、すぐ直るさ。せっかくだから、棹を見て自分で決めるといいよー。小さいときから三線の音を聴いてる瑠那ちゃんなら、どれが自分に合うか分かるでしょ」

 そう言って店主は、俺たちを店の奥に案内してくれた。


「うわっ……すごいな……」

 店の奥、作業場に入ってびっくりした。まず目を奪われたのが、大量の棹。

 ひんやりした作業場の壁じゅう、それも高さで言えば天井付近に、それらがびっしりと吊り下げられ、並んでいる。五十、六十本はゆうにありそうだ。

「すごい……ソーが、棹がいっぱいある……」

 俺と同じように大量の棹を見上げる霧島が、また変な言葉を発している。言葉の意味は分からないが感動しているようで、目をキラキラさせながらそれらを眺めていた。

「こっちにあるのがだいぶ寝かせたやつ。こっちのは、寝かせてまだ五年とか六年とかだから、あんまりよくないさーね」

 老店主が指でさしながら、そう説明する。


「寝かせる、って?」

「簡単に言えば自然乾燥させるってことっス。棹は木を削って作るんスけど、伐採したらすぐ棹の形にするってわけじゃなく、その木材をまず自然乾燥させるのが普通なんス。木ってのは地面から水を吸ってますよね? ですから木材も中に水分が残ってるんですが、時間が経てば経つほど中の水分が抜けて材質が締まっていき、結果として音をよく伝えるようになるんです。それだけでなく、寝かせない棹はひねりやひび割れが起こりやすいから、ってのも理由になりますね。だから、長い間寝かせてる棹のほうが、一般的によい棹と言われてるんス」

 俺の疑問には若い店主がそばで教えてくれた。


「ある程度……うちの店ではほとんどが五年以上っスね。寝かせたやつをさらに削って仕上げ、塗って、そこでようやく三線の棹になるんスよ。こうしてたくさん並んでますけど、実は一本作るのに、すごく時間がかかるもんなんです」

「そうなのか……本当に大変そうだな……」

 俺と若店主が話をしているのをよそに、霧島は目を凝らして空中の棹を眺めていた。

「…………あっ!」

 そして、何かに気づいたようにはっとして声を上げて、びしっと指をさす。

「あれ! あれが見たい……!」

 霧島が指さすのは、俺たちが入ってきたところ、入口の真上の壁面に並んでいる棹たち。

 色塗りも終わっているのか、それらだけ漆のようなつやつやとした光沢がある。

 店主は息子にそれらの棹を下ろすよう言うと、彼はすぐさま脚立を開いた。


「どれっスかー?」

 若店主は脚立に乗って、上から声を降らす。

「そ、それ! ちがくて、その隣の……」

「ああ、これっスか……」

「…………」

 なんとなくだが、そこで店主二人の雰囲気が少しだけ変わった気がした。

 何か、特殊な棹なのだろうか。

「やっぱすごいっスね、これを見抜くなんて」

「だあ、やっぱりあのたーりーのいなぐんぐゎさねー(あのお父様の娘さんだね)」

 よく分からないが、やはり何かすごい棹らしい。

 若店主は両手に棹を抱え、慎重に脚立から降りて霧島にそれを手渡した。


「わあ、わああ……」

 その棹は、一緒に並んでいた完成済みと思われる棹の中で、ひとつだけ光沢がなかった。

 黒の中にほんの少し焦げ茶が混じっているような、なんともいえない渋くて重みのありそうな色合い。

 彼女はそれを手にとって、呟く。

「……はじめて見た……この棹は……“えーまくるち”の棹だ……」

 老店主はただ、重く頷いた。


 霧島が「えーまくるち」と言ったその棹は、漢字で書くと「八重山黒木」というものらしい。

 若店主によれば、八重山黒木(八重山黒檀とも)とはこの沖縄本島からもう少し南西に離れた八重山諸島から採れる材質で、木材の密度がもとから非常に高くそれでいてよくしなり、単純に材質だけで言うならば、この木で棹を作ったものが三線としては最上の物とされる。

 しかし現状、八重山黒木は三十年以上前に伐採禁止とされた木材であるため希少価値が非常に高い。ゆえに、八重山黒木の棹を持つ三線は、奏者なら一度は手にしてみたいと言われる憧れのものだとか。

 ちなみに現在この店にある八重山黒木の棹は、完成・未完成問わずこれ一本らしい。


 霧島はまるで御神体にでも触れているかのように、仰々しく眺め、首を動かしていろいろな角度からそれを拝む。しかし先ほども思ったが、完成済みとされる棹の中で、それだけが唯一漆で塗られておらず、艶がないのだ。

「なんだか、それが一番粗悪に見えるんだがな」

 俺が素直にそう言ったら、霧島に不快そうな顔で睨まれた。

「……そんなことない。これが、一番いいはず……」

「そうさー。このにーにーは、分かってないさーね」

「うんうん、分かってない。毛利くんはなにも分かってない」

(てめえら……)

 仲良く頷きあう老店主と霧島を見て、軽くイラッと来たが我慢する。


 だというのに、こいつらはますます調子に乗って。

 もう一度頷きあったかと思うと、呼吸を合わせて二人同時に同じことを言いやがった。

「「ないちゃー(沖縄の人間から見た、本土の人間に対する呼称)はこれだから、ねー?」」

「……っ、ハモんな! なんだよお前ら、揃いも揃って知らないからって俺を馬鹿にして……!」

「ま、まあまあ。内地の人はだいたい、そう思いますって」

 責められて逆切れを起こした俺を、若店主がフォローしてくれた。


「三線のソーは、だいたい黒く塗られるんスよ。それは、ぱっと見で材質が分からないようになんです。さっき言ったように、三線の棹で最上とされる材料は八重山黒木の棹で、もともと黒いんス。ところが、それよりも安い一般的な材料、たとえばユシ木、桑の木なんかで棹を作ると茶色くなります」

「だから全部黒くして、パッと見では材質を分からせないようにってことですか?」

「そっスね。まあ単に美観とか汚れ防止って側面もありますけど。だから、もともと黒い八重山黒木や、カミゲンって呼ばれる南洋産の黒木でも、他と同じように漆を塗るのが普通だそうっス。最近ではウレタンで塗る手法もありますね。けど、この棹はあえて塗らないでおく。それはまあ、親父の方針でね」


「しかし、棹なんてどれも同じなんじゃ……そもそも弦を弾いて音を出すのは、こっちのボディの部分だと思うんですけど」

「たしかにそうなんスけどね。でも、音っていうのはつまるところ振動ですから、チーガで作られた音は振動として棹に伝わり、棹がその響きをさらに空気中に伝え、我々の耳に届くんスよ。棹があまり振動しなければいい音は出せませんし、逆に棹がしっかりした良い材質で作られていればよく鳴る三線、てなわけっス」


 知らないことだらけの俺に、丁寧に解説してくれる若店主。俺の中では解説者役のナンバーワンにノミネートされた。

 振り向くと背後で、うんうん、と霧島が頷いている。それからまた、何かに気づいた表情になり、老店主に問う。

「ところでこの棹、真壁型まかびがた?」

「そうさー。うちで作ってる棹は、ほとんど真壁さーね。ちょっと知念大工(ちにんでーく)も作ったりするけど……折れちゃったその棹も、真壁のはずだよー」

「わあ……ますます、欲しい……」

 目のキラキラを三割増しにさせてうっとりする霧島に、背後から俺は囁きかけた。


「おい、なんだよそのマカビってのは」

「棹の形状の一つ。真壁は一番スタンダードなやつ。折れた棹も真壁だから、これが真壁型だと知ってますます欲しくなったとさ」

「ふうん……」

 霧島はなおもまじまじとその棹を見続けていた。そうしていたら当然、店主から「それにする?」と訊かれる。

「…………でも、お金が……」


 霧島は口ごもる。そう、それが問題だ。

 もし彼女の資金が潤沢なら、さっさと「じゃあこの棹で作ってください」と言うだろう。それをしない、つまり金がそこまでないのだ。

 俺は小声で若店主に訊いてみる。

「この棹って、普通に売ったらいくらくらいなんです」

「そっスねー。八重山の黒木で作る棹はどこでどうやって作っても二十万は下らないですし……しかもこの棹、確か八重山黒木が伐採禁止になる前、親父が知り合いから原木を譲り受けたとかで相当寝かせてあるやつで、俺が生まれる前からこの店にある、うちの最高の一振りなんスよ。今はこの店の商品は全部俺が値段つけてますが、さすがにこれはちょっと……八十万以下では首を縦に振りたくないっス」

 若店主は霧島に聞こえないよう、囁き返した。


(うおお……信じられん……なんで楽器ってたまにやたらと高いのが出てくるんだよ……)

 その理由はたった今若店主から聞いたが、それでも腑に落ちない。

 すぐそばには、入門用として一万円前後で売られているフルセットの三線もあるというのに、こちらは棹だけで八十万か。

 そんな金を彼女が持っているとは考えにくい。というより、一介の高校生が動かせる金額ではない。


「ただ、この棹は……」

「ん?」

 若店主は何か言おうとしていたが、俺が訊くと「なんでもないっス」と言ってはぐらかせてしまった。

「……もともと、興味本位で訊いてみただけ……予算的にも、ユシ木がいい……折れた棹も、ユシ木だったし……」

 霧島はそう割り切ろうとするが、やはり少し気落ちしているようだった。

 いい音を出したいという気持ちは俺にも分かるが、こればっかりは仕方がない。

 ふう、とため息をつく霧島。そんな彼女に、裏返った声がかかる。


「あい、待って! わんぬ頼みをてぃーち聞いてくれたら、その棹をいちゃんだであげるさー」

「は?」

「お、親父!?」

 俺は何を言っているのだかわからず、若店主は彼の言ったことに驚愕しているようだった。

無料ただであげるって……その棹を……!?」

 どうやら、自分の頼みをひとつ聞いてくれたら、その棹を無料でくれる、とのこと。

 これには霧島も驚き、ぽかんと口を開けたままでいる。


「そ、その」

「頼みの」

「……内容とは……」

 まるで漫画のように過剰な引きを若店主、俺、霧島の三人で図らずも演出してしまうほど、それは驚くべきことで。

 店主の頼みとはこのようなものだった。



 明後日、甥の結婚式がある。その披露宴の余興で、三線を弾いてくれないか。

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