8.自分の中の最低限の正義は貫き通す

「こういう傷はこの薬を使って治せますよ。あと少し深いのは……。」

「さすが……本物の医者のアドバイスはとても参考になります。」

「いや、私は生物学者ですよ?これは契約書の治癒能力です。」

 ここはブレッド・フラシャリエ。負傷した美沙と有子を治療していた。緑の契約書の力、治癒術。それは彼らにしか使えない類の魔術だった。植物の力を上手く使いこなしこの力を身に付けたのが始まり。この力を将来医師を目指す勤は悠哉を尊敬の眼差しで見ていた。悠哉の隣に座り、手帳にメモまでしている。

「それに現代医学ならこんな古風なことしませんよ。そうやって尊敬していただくのはとても嬉しいですけどね。」

「美沙さん? 薬を塗りますわ、少し痛むかもしれませんが我慢してくださいまし。」

「う、うん。」

 地面に叩きつけられて出来た美沙の傷は見事に腫れあがっていて、肩甲骨の内側から背骨にかけて痛々しい傷が出来ていた。特に肩甲骨の下付近はひどく、角のある石にぶつけられたのだろう細かいけれども深い傷が無数にあった。愛菜はまず傷付近の血や体液の汚れをガーゼで拭き、また別のガーゼで煎じたオトギリソウを染み込ませ、美沙の傷に塗っていく。効果は止血である。

「いっ……!!」

「だ、大丈夫ですわ! 良薬は口に苦しって言いますし!」

「この場合口には含んでないけどね」

 美沙の正面では朱音がにっこり笑って愛菜に突っ込んでいた。そして薬が傷に染みて痛いと涙を流している彼女の涙を優しく手で拭き取っている。

「よし、塗り終わりましたわよっ。それにしてもお兄様、これ何の植物なんですの?」

「知らずに塗っていたのですか。それが塩酸だと言ったらどうします?」

「ああ、それならオレがあなたを全力で殺します。」

「怖い顔で言わないでください。……絶対勤は本気でしてくるでしょう?」

「いや、オレからしたら医者や学者はすぐに人を殺せるので怖いですよ。」

「へぇ、良い感性持っているのですね。まぁ使っていた植物はオトギリソウという薬草ですよ、止血効果があるんです。」

 それを聞くと勤は安心したように口元を緩めた。第一塩酸はこんな緑色していませんよ? と笑って悠哉は答える。

「有子はどうですか?」

「あの子はまだ寝てるわよ。呼吸困難にはなっていないようだし、目が覚めたら完治ね。……あの子にとって兄さんは悪魔だから。」

「……そうですね。よく、怯えず相方を助けようと立ち向かいました。」

「あの……申し訳ないのですが、その話を詳しく聞かせていただけませんか?」

 勤は薬の事などを手帳にメモをし終わると真剣な顔つきで朱音と悠哉を見た。一瞬二人は躊躇ったが、すぐに話してくれた。

「有子は、今まで見てきてわかったと思いますがとても引っ込み思案でしょう? 契約書であるのに人を撃つこと、殺すことを躊躇う子です。彼女の母親が人間名を『有子』と名付けたのは優しさが有る子という意味かららしいですよ。本当に、私は彼女は優しさの溢れた……契約書なのにとてもらしくない子だと思います。」

「だけど彼女の母親は産んですぐに亡くなってしまったの。だから叔母である私が引き取って育ててきた、育ての母としてね。……この子は両親に望まれずに生まれてきた子なのよ、こんなにいい子なのに、可愛らしいのに……。」

「え? 朱音さんが有子の叔母って、じゃあ……」

「……ええ。」

 朱音はこみ上がる怒りを抑えながら勤の目をじっと見つめた。そしていつも意志の強そうな赤い瞳はより一層、今日は強く輝いている。

「有子の父親は私の兄さん、アルテマよ。」

 唯一、神の血を引く子供。

 思わず勤は自分の着ていた黒いカーディガンの裾を握りしめてしまう。じゃあ、あそこで自分を撃ったのは有子の父親でアルテマだったということなのか。その事実に納得がいかないのか、いつも落ち付きのある黒い瞳がとても泳いでいた。

「しかも、兄さんはとても有子を毛嫌いしているの。この子が産まれてこなければ奥さんは生きていたとでも思っているのかしら。とにかく最低よ。仮にも本当の自分の子供なのに放置だなんて。だから、実質彼女にとっての父親は悠哉なのよ。」

「さすがに彼も護身術として銃のことは教えたようですがね。有子はいつも訓練が終わった後は怯えた顔をして、今にも泣くのを必死に堪えているかのようでした。」

「どうしてそんな大切なこと黙ってましたの!? 私、初めて聞きましたわよ!!」

「彼女の大切な親友がそんなことを知ったらあの子に気を使ってしまうでしょう?」

「ええ、私は有子の大親友ですわよ。例え兄さんの義理の娘でも、それは変わりありません。」

 いつもの猫の様な丸い愛菜の目付きはとても細くきつくなっていた。ふざけているとでも言うかのように、兄を睨んでいた。

「私は有子がああして、笑って学校生活を送れているのはきっと愛菜や勤、あなた達のような同年代の友人が居たからこそだと思います。義父ちちおやとしてとても感謝していますよ。」

「感謝してもらわないと困りますわ。」

 笑顔で素直に礼を述べる兄を前にして愛菜は、そっぽを向き朱音の座っているソファの隣で眠っている有子の方へ行く。そしてどこか寂しそうな目で眠っている彼女を見つめた。

「有子はきっとアルテマさんが怖いのですよね。どうして、こんな必然的に父親と関わることになる戦に参加をしたのでしょう? それに戦いは嫌いなはずじゃ……。」

「……でも、血は嫌いと言ってないわ。」

「それはどういう意味なのですの、朱音さん。」

 愛菜がそう聞き返すと朱音は静かに首を横に振った。話す気はないようだ。

「きっと、赤色を見ると安心するんですよ。」

 今まで黙っていた美沙が上半身を包帯で覆われた状態で呟くように言った。それを見て朱音は傷は大丈夫なの? と尋ねる。

「ええ、おかげさまで。赤色は怒りや悪い印象を与えがちななんですけどね、でもそれと同時に勇気づける色でもあるんですよ。有子さんはきっと勇気が欲しいんだと思います。本当のお父さん……アルテマ様に伝えたいことがあるんじゃないですか?」

 美沙は淡々と語り始める。それを聞いて朱音と悠哉は黙ることしか出来ない。しばらくの沈黙が続いてから美沙はハッとして動揺を隠せない。

「あ、えっと…ご、ごめんなさいっ! な、何か知ったかぶりみたいで……」

「……いえ、美沙ちゃんの言うことは間違っていません。」

「で、でもこれは個人的すぎるし……。」

「ありがとうございます、これ以上はちゃんと本人から聞きます。」

 勤が頭を下げ、話に一区切りが入る。

「今夜、有子はオレが見ています。お二人もお疲れでしょうし、美沙も怪我があるだろうしゆっくり寝てください。」

 愛菜、君も寝ると良い。

 そう言って勤は自分の着ていた黒いカーディガンを有子にそっとかける。

「いいえ、私は寝ませんわよ。有子が夜中に野獣に襲われる可能性がありますもの。見張りが私の役目です!」

「なんだ、寝ないのか。残念だ、有子の寝顔独占できると思ったのに。」

真顔でそう呟く勤を見て美沙はええええ!? っと驚きを隠せなかった。

「に、兄さん!! そ、そんなことを!?」

「博に比べたらましだと思うが? あいつなんて……。」

 続きを言おうとして勤は止めた。それを見て悠哉が笑いを堪えきれなくなり、声を上げて笑いだす。

「はははっ、こういうところはちゃんと兄弟でしたね。若いとは良いことだ。私も昔を思い出しますよ、朱音をああしたいとかこうしたいとか。」

「お、お兄様まで……よ、夜な夜な朱音さんを襲おうとしていたのですか!?」

「ええ、若いころはよく考えましたよ。」

「……悠哉、不潔。」

「そんな真顔で言わないでくださいよー。」

 笑いながら悠哉は近くに置いてあったオトギリソウの入った瓶を持ち、黒のフルフレーム眼鏡をかけて楽しい夜をお過ごしくださいと笑顔で言って自分の部屋へと戻って行った。白衣がなびいて、去り方もとてもサラッとしていた。

「も、もう少し紳士的なイメージがあったから驚いた。」

「まぁ私も最初はそう思ったわ。でも存外下心が見えるのよ、あの人。愛菜がこんな性格なのもわかるわよ。」

「え、えっ!? 私があ、あんなに破廉恥と……!?」

「違うわよ、もう。」

 そう言うと朱音は笑いながら悠哉が使っていた机を見始める。やっぱ、何か忘れていくんだから…と、机に置いてあったシャープペンを持つ。それはシルバーと赤で出来ていて、それを見た瞬間美沙以外の全員は、あぁ……と呟くように声を漏らした。

「え! な、何があぁ……なの?」

「まぁいずれわかりますわ。とにかく、お疲れでしょう? 明日は休日ですし、早朝に家に戻ればあの二人に心配されることはありませんわ。訳は私がちゃんと説明しますし、ゆっくりお休みくださいまし。」

 笑顔で愛菜は美沙の肩を押してここがあなたの部屋ですわ、と自分の部屋を案内する。

「なるべく綺麗にはしておきましたのよ。あ、興味があったらこの植物たちを見てくださっても良いですわよ。」

「す、すごい。薔薇とか百合が部屋で育てられてる……。」

「ふふ、ここで育てたものは店の玄関の飾りとかにするのですよ。あ、ベッドはそこですわ。栽培室と分けられているので花粉症とかでも大丈夫ですわよ。」

「う、うん。ありがとう。」

「どういたしまして、ですわ。お休みなさいませ。」

「うん、おやすみ!」

 笑顔で愛菜は手を振りながら扉を閉める。そして有子のところへ戻ろうとするときに朱音とすれ違う。

「あ、勤君と愛菜の分のブランケット置いておいたわ。使ってね。」

「あ、ありがとうございますわ。」

 それじゃあお休み、と言って朱音は部屋へ戻って行った。自分もお休みなさいませ、と返事をした。

「西塚勤、青と契約を結んだ魔術師。」

 人望も良く、家族からはもちろん友達や親せきから、ましてや契約書からも好かれている。自分も勿論、彼のことを嫌いではない。でも自分にとって彼は敵だ。それも間違いではない。

「殺すなら今、かな。」

 そう言い、愛菜は自分の武器である投げナイフを三本両手で握りしめ、勤から死角になるところで彼を廊下から見ていた。

「…………。」

隣で彼は座って眠っている有子を見守っていた。そっと頭も撫でている。

「……。」

「……寝てますわね。」

 その瞬間こくっと勤が前に倒れかける。それを間一髪で止め、目をこすり始める。だが次はこすりながらウトウトとし始める。もう愛菜は呆れて武器をしまい、二人がいる部屋に入って行く。

「はい、もう眠いのでしょう? 有子は私が見ていますから、無理しないで寝てください。」

「あ、ああ。すまない。」

 そう言って愛菜は勤に朱音が置いていったブランケットを渡す。なんでわざわざ彼の死角に……と思いながらもレモン色の可愛らしいブランケットを渡した。そして自分はソフトグリーンのブランケットをくるくると自分に巻きつける。

「私はお兄様の席で寝ますわ。有子の隣で寝てもいいですわよ。」

 私が見守ってるから安心です……

「……なんでお前が先に寝る。」

 寝つきが怖いほど良い愛菜は速効で眠ってしまう。勤は苦笑しながらその光景を見ていた。そして自分もソファに座り、夢の世界に入って行った。

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