7.

 あとひとつ横断歩道を渡れば駅に辿り着く。気付けばそんなところまで、江上と紙島は来てしまった。

 丁度信号は赤だった。交通量は少ないものの、なんとなく足を止めて信号が変わるのを待っていると、おもむろに紙島が口を開く。

「ユキ、一個お願いがあるんだけど」

「なんですか?」

 信号を向けていた目を、隣に立つ男へと移す。眩い金髪をニットキャップに仕舞い込んだ男は、声を掛けておきながら江上の方を見ようとはしなかった。

「『さよならユーリカ』歌ってよ」

「…………ぜったい、嫌です」

 紙島が部屋を訊ねてきたときのことが蘇って、江上は頭を抱えてその場にうずくまりたくなるのを必死に堪えた。そんなリアクションを見せてしまっては、この男の思う壺だ。

「そう? 残念」

「……紙島さん、へたくそって言ってたじゃないですか」

「それとこれとは話は別。俺、ユキが歌ってるのを聞くのが好きなんだわ」

「俺にとっては辛すぎますよ……」

 何が悲しくて、プロのボーカリストの前で、その人が作詞作曲した曲を歌わなければならないのか。そんなの、一種の罰ゲームではないか。

「俺じゃなくて紙島さんが歌ってくださいよ」

 ため息を吐くように零れた言葉を、けれど紙島は聞き流さなかった。

「べつに良いけどさあ……高くつくよ?」

 にやりと笑う男の顔を真っ向から見据えて、江上も挑むように笑う。

「やっぱりいいです。……こんなところで歌わせるのは勿体ないので」

 信号が変わった。

 紙島の不意を突かれたような顔をみて、ようやく江上は胸がすく思いがした。

「ほら、早く行かないと信号変わりますよ」

 背中を軽く押すと、ようやく紙島は歩き出した。横断歩道を渡り終えて振り返る。

「またね、幸晴」

 決して大きくはないのに良く通る声で、紙島が言った。

 そして一瞬だけ不敵な笑みを見せると、すぐに踵を返して駅構内へ向かってしまう。

 結局、たった一度だけ呼ばれた名前だった。その響きを、ずっと覚えていようと思った。



 もう、こうして普通に顔を合わせることはないのだろうという予感があった。

 次に紙島を見るのはきっと、彼がどこかのライブハウスでステージに立つときだ。そのとき江上はフロアにいることになる。あれだけ近い距離で話をすることはきっともうない。

 それでも別に構わないと思った。

 紙島がどこかで音楽を続けていて、それを耳にすることができるのなら。



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