四章 坊誘妖歌

第七十四話 先後 前 -センパイコウハイ ゼン-

 午後の授業も全て終わり、校舎内は勉学という束縛から解放された生徒達が帰宅を始めている。

 中には部活に行ったり、委員の仕事で図書室に向かったり、人が少なくなった教室で駄弁る生徒と様々な放課後の時間がある。

 そんな中、一人。放課後で疎らになった人気がさらに少ない、屋上出入り口の踊り場で電話をしていた。


『って訳で、今夜も頼んだよ』

「了解っす。聞いた感じだと大した相手じゃなさそうなんで、さっさと片付けますよ」

『よろしくねー。全く、まさか一週間そこらで元通りになるなんてねぇ……忙しくて目が回るよ』


 スピーカーの先から、横田の深い溜め息が聞こえてくる。

 以前に横田が言っていたように、不巫怨口女の一件以降から霊障の類は一気に減った。のだが、予想を上回る速さで霊障の出現は元に戻ったのであった。

 依頼が減ったのはたった一週間。供助の停学が解けたとほぼ同時に、またあちこちで霊や妖で騒ぎ始めたのだ。


「こっちとしては稼げるから有り難い……って言いたい所っすけど、確かに多いですね。今週は毎日ありましたからね、依頼」

『でしょ? 本当は適度に休みを挟ませたい所なんだけど、人手がねぇ……不巫怨口女の件で負傷した数人が快復するまではもう少し掛かるし』

「ま、しゃあないっすよ。猫又の調子も戻りましたし、動けるヤツが動かねぇと。俺も先週は丸々休ませてもらいましたし」

「でも月曜から今夜も含めて四日間ぶっ続けってのもね、さすがに俺も悪いと思っちゃうよ。昼間は学校もあるしさ」

「気にしなくていいっすよ。こっちも長い休みで体が鈍っちまうところだったんで」


 すまなそうに声を弱める横田に、供助は小さく笑って返す。

 そんな事は気にもしていないし、自分からすれば体を動かさない方が都合が悪かったと言いたげに。


「おーい、供助ー。こっちは掃除終わっちまったぞー」

「あ、やべ」


 階段の下から太一の声が聞こえてきて、供助は寄り掛かっていた壁から背中を離す。

 そこで太一に任せて当番だった掃除を抜け出し、横田と電話をしていたのを思い出した。


「っと、すいません、横田さん。そんじゃ今夜の依頼が終わったら連絡します」

『あ、待って、あと――――』


 しかし、すでに供助は耳からスマフォを離して横田の声は聞こえず。

 そのまま通話を切ってしまい、何かを言おうとした横田の言葉を聞き逃してしまう。


「人に掃除を押し付けてサボりやがって。あとでジュースおごれよ」

「悪ぃ。ちょいと急ぎの電話でよ」

「例のバイトか?」

「あぁ。本当は無しの予定だったんだけど、急ぎで今夜も依頼が入った」

「今週は毎日バイトしてんじゃん。体を壊すなよ?」

「これくらい屁でもねぇよ。相手は雑魚ばっかだしな」

「って事は今日も寄り道は無しか。なら早く教室に鞄取りにって帰ろうぜ」


 供助は屋上出入り口の踊り場から階段で降りて、太一と廊下を歩いて行く。

 今週は毎日依頼があったが、不巫怨口女と戦った後じゃほとんどの霊や妖は雑魚にしか見えなかった。現に今週こなした依頼は全部、ワンパンで終わるような簡単なものばかり。

 依頼の数は多くても、相手が弱ければ苦ではない。パパッと祓って、ささっと帰る。むしろ現場までの移動の方が時間が掛かったぐらいだ。


「ん? なんか少し騒がしくねぇか?」

「本当だ。なんかあったのか?」


 供助と太一が教室に戻ると、他の場所の掃除当番で残っていた複数の生徒が何やらザワついていた。

 主に女子生徒が数人集まり、そこに男子生徒が二人ほど混ざって話をしている。その中には和歌の姿もあった。


「なんか騒がしいけど、あったのか?」

「おう、田辺! さっき外の掃除してたらさ、校門になんか怖ぇ女の人が居たんだよ」

「怖い女の人?」

「眼付きも悪くて、パーカーにスカジャンを羽織った、いかにもヤンキーって感じの格好だったからさ。文化祭で起きた件もあるし、裏門から帰った方がいいんじゃないかと思って皆に話してたんだよ」

「でも、校門に居るだけで何もしてないんだろ? 彼氏がこの学校に居るから待ってるとかじゃねぇの?」

「いやでも、一つ気にかかる事があってよ……」

「なんだ?」

「結構キレイだった」

「ほう……?」


 話をしている男子生徒の言葉に、太一は小さく微笑む。

 太一も男の子。綺麗な女性と聞いて関心が無いといえば嘘になる。


「……くだらねぇ」


 その様子を半目で一瞥して、供助は自分の机に掛けていた鞄を取る。


「あ、おい! 俺を置いて先に帰んなよ、供助!」

「こっちはさっさと帰りてぇんだ。どうでもいい話に付き合ってられっか」

「待てよ、俺も帰るって。いつも通り校門から校門から帰るんだろ?」

「当たり前だろ。裏門から帰ったら遠いだろうが」


 急いで太一も自分の鞄を持って、供助を追っかける。

 今夜も依頼がある以上、早く帰っていくらか仮眠を取っておきたい。

 供助は鞄を肩に掛け、背中を丸めて昇降口を目指す。


「ちょっと待って、供助君、田辺君!」

「あん?」

「あれ、委員長。どしたの」


 少し大きめの声で名前を呼び、駆け足で追って来たのは和歌だった。


「私も一緒に帰ろうかなって。一人だとね、やっぱりちょっと怖いし……」

「たかだか見慣れねぇ女が一人居るだけだろ? 何が怖ぇんだか」

「そりゃあ怖いでしょ! 絡まれたら嫌だし……」

「すいませんね。こちとら血だらけの女の霊とかをしょっちゅう相手にしてるもんで」


 供助は半目で和歌を見てから、顎をしゃくれさせる。

 しょっちゅう人外を相手に戦っていて、場合によっては殺そうと襲ってくるモノも珍しくない。見た目がいびつで醜悪なモノなど見慣れている。

 それに比べれば、生きてる人間で見た目が少し怖いだけってなれば、恐怖心を抱く事事は無かった。


「あ、供助君と太一君、あと鈴木さんも。今帰り?」

「おっ、祥太郎。掃除当番だったからな。そっちも帰るところか?」

「うん。僕はちょっと職員室に呼ばれてたのがさっき済んで、帰ろうとしてたところ」

「じゃ一緒に帰ろうぜ」


 昇降口手前の廊下で祥太郎とばったり合い、太一が先に歩み寄る。


「そいや聞いたか? 校門にガラの悪い女が居るって話」

「あー、うん。職員室でも少し先生達が話してたのを聞いたよ」

「やっぱもう職員室でも話になってんのか」

「何か問題を起こしてる訳じゃないから様子見してるけど、もう少し経ってもまだ居るようなら生徒が怖がるから対処するとか言ってたよ」

「まぁ実際に怖がってる奴もいるからなぁ」


 太一と祥太郎は話しながら下駄箱で外靴に履き替え、それを聞きながら供助と和歌も靴を履き替える。

 一週間前に文化祭で騒ぎが起きたのもあって、学校全体が部外者の立ち入りに関して少し敏感になっていた。

 その文化祭の騒ぎの中心にいた供助が、この中で一番興味も関心も無いのだが。


「ガンとか飛ばされたら嫌だなぁ。また問題を起こしたりしないでね、供助君」

「しねぇよ。変に絡まれたら、そんなん無視して通りゃいいだけの話……」


 和歌は少し心配そうに呟き、供助の斜め後ろを歩く。

 そんな和歌に供助は面倒臭そうに返して、近くにまで来た校門の方を見る……と。


「げっ」

「げ?」


 歩いていた足を止め、口端を引きつらせて動きが固まった。

 どうしたのかと和歌も校門の先を見てみると、もの凄い勢いで走ってくる人の姿が目に映った。


「古々乃木せんぱぁぁぁぁぁぁぁいっ!」


 それはもはや突進といった速さで、猛ダッシュで突っ込んでくる何か。それはさっき噂になっていた人物で、校門に居た女の正体。

 前髪に銀色のメッシュが入った青色のショートカットの女性が、名前を呼ぶや否や供助へと抱きついた。


「え?」

「え?」

「ええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」


 いきなりの展開に呆ける太一と祥太郎、そして戸惑い狼狽うろたえる和歌。 

 そりゃ予想もしていない事が起きればそうもなろう。


「久しぶりッス、古々乃木先輩! 会いたかったスよー!」

「寄るな! 騒ぐな! 抱きつくな!」


 供助の右腕に腕を絡ませて抱きつく女性に、供助は鬱陶しいと女性の顔に手を押し付けて無理やり離れさせる。

 ただでさえ文化祭で問題を起こしたばかりなのに、ガラが悪い女性と校門前で抱きついていたら、また何かと噂になって問題になるかもしれない。


「あれ? 南さん?」

「あぁん? 誰だよ、あたしの名前を気安く呼ぶ奴は……」

「お久しぶりです、祥太郎です」

「ショータロー? って、あのチョビっ子だった祥太郎か!? 久しぶりだなオイ、お前が最後に会ったのは中学ン時か!? お前もこの高校に通ってたのか、元気そうじゃねぇか!」

「そっちも元気そうですね」

「おーよ! 毎日飯食って寝てりゃそりゃ元気ってな!」


 南と呼ばれた女性は大きく笑いながら、祥太郎の背中をバシバシ叩く。

 白のパーカーに黒がメインのスカジャンを羽織り、さっきまでの一人の時は目付きが悪く、女性で身長が160cmあるのも見た者を怖がらせた理由だろう。

 しかし、知り合いを前にした彼女はさっきまでの威圧感も険悪な表情も消えて、整った輪郭で屈託ない笑顔を見せる。

 教室で男子生徒が彼女を綺麗な人だったと言っていたが、今ならそれが納得できる。


「祥太郎、知り合いか?」

「うん、東戸ひがしどみなみさん。小学校の時に同じクラブに入ってて、家も近かったんだ。歳は三つ上で、退学しちゃったけど元々はこの学校にも通ってたんだよ」

「え、ウチの高校の生徒だったのか!?」

「でも、覚えていないのも無理ないよ。僕達が入学してた時は休学中で、そのまま辞めちゃったから」

「へぇー、祥太郎の知り合いだったのか。年上のねぇ……」


 太一がその言葉を口にして、頭に過ぎる違和感。


「ん?」

「あれ?」


 太一と和歌は言葉の矛盾に気付き、顔を顰める。


「祥太郎の先輩なのに……」

「供助君を先輩呼びしてるの?」


 先輩が後輩を先輩呼び。なんだかよく分からない。

 味方の敵は味方、みたいな。いや違うか。


「いや、まぁ、なんだ……色々あってよ、なんかそうなっちまってんだ」

「あたしは古々乃木先輩の後輩で、古々乃木先輩は私の先輩ッスから!」


 なんか体育会系のようなノリで、南は小さく頭を下げる。

 そんなノリも反応も苦手で、供助は丸くしてた背中をさらに丸めて。項垂れるように頭を手で抑える。


「で、その供助の後輩こと南さんは、わざわざ供助へ会いに学校まで来たのか?」

「いや、お前は年下なんだからタメ口すんなよ」

「あ、はいスンマセン」


 さっきまでにこやかだった表情は一瞬で変わり、鋭い眼付きで太一へとガンを飛ばす南。

 体育会系のようなではなく、完全に体育会系であった。


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