第七十二話 打上 -ゴチソウ-

 供助が停学になって初日。太陽は少し前に落ちて、今は空に星空が見える。

 日曜日の夜といえば月曜日の襲来に怯えて憂鬱になる時間だが、一週間の停学になった供助にはそんなものはない。

 だらだらと畳の上に寝転がり、頬杖を立てて居間でテレビを見ていた。猫又も近くの座布団で丸まり、一緒にごろごろしている。

 現在の時刻は八時過ぎ。九時になれば行きつけのスーパーで半額シールが貼られ始める。それまでテレビを見ながら暇を潰していた。

 半額弁当は財布には優しいが、こうして半額シールが貼られる時間まで夕飯を食べれないのが地味に辛い。


「のぅ、供助。喉が渇いた。烏龍茶を入れてくれんかの」

「自分でやれ、自分で」

「自分で出来んから頼んでおるんだの」

「ったく……」


 寝転がっていた供助は体を起こして、テーブルに置いてあった烏龍茶のペットボトルを取る。

 キャップを開けて中身を注ぐは、畳に置かれたお皿。猫又はまだ人型になれない為、コップでは飲み物を飲みにくい。

 なので底が浅い皿に入れて、従来の猫と同じ方法で飲んでいた。


「こんなもんか?」

「うむ。どうもだの」


 一センチほど注いだところで止め、キャップを閉めて烏龍茶をテーブルに戻す。

 猫又は人型での生活が慣れていたせいで、今まで出来ていた事が出来なくなって何かと不便そうだった。


「ところで供助、なんか携帯が鳴っておるぞ」

「ん? あぁ、横田さんか?」


 さっきまで供助がクッション代わりに折り畳んで使っていた座布団の横で、振動するスマホがあった。

 そういえば昨日、演劇の練習中に鳴らないようにマナーモードにしていたまま解除していなかったのを思い出す。

 手に取って画面を見たところで、供助の動きがピタリと止まった。


「ん? どうした、供助?」

「いや、あー……そうだよなぁ、行かねぇ訳ねぇか……」


 猫又に返事は無く、渋い顔をさせてスマフォの画面を見つめる供助。この反応を見る限り、予想していた横田からの電話では無い事は分かる。

 ならば、供助が電話に出るのを戸惑う相手は一体誰なのか。猫又は烏龍茶を飲みながら、横目で様子を伺う。


「……はぁ、出ない訳にもいかねぇか」


 供助は溜め息を吐き出してから、観念した様子で画面をタップする。

 そして、スマフォを耳に持っていった瞬間。


『こぉらぁぁぁぁぁぁぁぁ! 供助ぇぇぇぇぇぇ!!』

「いい゛っ!?」


 スピーカーから聞こえてきた怒鳴り声に、スマフォを耳から一度離す供助。

 あまりの音量に聞き耳を立てていた猫又も驚いた。


『ウチに連絡が来たぞ、こんのバカ孫が! 学校で問題を起こしたらしいな!?』

「じ、じいちゃん、声を抑えてくれって。それには理由があってよ……」

『いい、理由は言わんでも。担任からの電話で粗方の事は聞いた』


 スマフォから聞こえてくるのは、還暦を迎えた男性の声。電話の相手は供助の祖父であった。

 歳は六十を超えていても、その声には張りと元気があって年齢よりも若々しく聞こえる。


『事情も理由もワシはどうでもいい。ただ、一つ聞くぞ』 

「な、なんだよ?」

『お前は自分がした事を後悔してるか?』

 

 さっきまでの怒鳴り声は対照的に、静かながら重みのあるトーン。

 祖父は野太く圧のある声で、供助へ一つの問いを投げかけた。


「……そりゃ、俺がした事は正しい方法だったとは思ってねぇよ。けど、間違った事をしたとも思ってねぇ」

『そうか。ならいい』


 問いに対する供助の答えが納得のいくものだったのか。

 祖父が小さく笑う声が、スピーカーから聞こえてきた。


「なんかあっさりしてんなぁ」

『なんだ、お前は怒られたいのか?』

「いや、そういう訳じゃねぇけど……初っぱなから怒鳴られたし、てっきり怒られるもんだと思ったからさ」

『お前は香織が育てた孫だ。理由も無く暴力を振るう本当のバカじゃない事は、ワシは知っとる』

「じいちゃん……」

『ただな、ばあさんが心配しとったぞ! いくら迷惑を掛けてもいいが、ワシ等の寿命を減らす真似だけはやめろよ!』

「ごめん。ちゃんと謝るよ」

『ワシが聞きたかったのはそれだけだ。ばあさんが話したがっとるから代わるぞ』

「あぁ」


 祖父はほんの数分の会話で満足し、電話口を祖母と代わる。

 普段は悪態をついて面倒臭そうにしている供助が、こんなしおらしい反応を見せるのは初めてだった。


「大丈夫、ちゃんと食ってるよ。一年以上も経てば嫌でも慣れるって」


 胡座をかきながら電話をする供助。

 いつもみたく背中を丸めているが、今はその背中がなぜか可愛く見える。


「そのうち顔を出すよ。うん、じゃあ」


 祖母と近状の報告などを話し、十分ほどで電話は終わった。

 供助は真っ暗になったスマフォの画面を数秒眺めて、祖父母へ心配を掛けてしまった事への反省を含んだ一息を吐いた。


「……電話の相手は祖父母か」

「あぁ。学校から俺が停学になったって連絡が行ったらしい。ま、当然か。今の保護者って事になってるからな」


 供助の両親は既に他界して、この家には一人で住んでいる。まぁ今は一匹の居候が増えたが。

 とは言え、供助はまだ高校生で未成年。保護者が必要な年齢である。その為、今は母方の祖父母が後見人として供助の親代わりになっている。


「父さんには親戚がいなかったらしくてな。そんで自動的に母さんの親戚に引き取られたんだ」

「そうであったか。しかし、父方の親戚がおらんとは、何か理由が……いや、すまん。何でもない」

「あぁ、別にいい。詳しく聞いた事なかったし、父さんも父さんで大して気にしてなかったからな」

「ふ、む……そうか、なら良かった」


 供助はが気にするなと言うが、猫又は失言してしまったと反省する。

 先程の会話を聞いた通り、祖父の性格は竹を割ったような性格をしている。対して、祖母は心配性なところがあって何かと気に掛けてくれる。

 今回の停学で祖父母には迷惑と心配を掛けたと、供助は改めて反省をしていた。そして、詳しく聞かず孫である自分を信じてくれた事が嬉しかった。


「っと、気付きゃいい時間だ。んじゃ、ちょっくら飯を買いに行ってくるわ」

「お、もうそんな時間であったか。確かに腹が空いたのう」

「今日は何か良い弁当が残ってりゃいいんだけどな」

「停学謹慎中なのに外へ出て歩いて大丈夫なのかの?」

「食わなきゃ死ぬのに、そんなもんを律儀に守るバカはいねぇだろ」

「ま、そりゃそうだの。供助、今日はカツ丼が食べたい気分だからカツ丼を頼むの」

「あったらな」


 スマフォと財布をズボンのポケットに突っ込み、着のままの姿で居間を出る。たかだかスーパーに買い物に行くだけ。いちいち着替えて身だしなみを気にする必要はない。

 Tシャツにジャージ、靴はサンダル。ラフな格好で家を出る。外はほんわかとして、秋なのに春の夜のような温かさ。半袖でも寒くない。


「もうすぐ十月だってのに、あったけぇもんだ。温暖化の影響ってヤツかねぇ」


 外灯が少ない道を歩いて、供助は独り言を言う。

 まだ遅い時間ではないが、夜になって暗くなれば人通りも少ない。誰に聞かれる事もないと、供助は気にしない。

 と、家を出てから五分くらい。ポケットの中でまたスマフォが震えているのに気付く。


「電話……? 今度こそ横田さんか」


 取り出して画面を見ると、着信名に『横田さん』と表示されていた。


「はい、もしもし」

『や。調子どう? 怪我とか大丈夫?』

「まあまあっすね。猫又もまだ上手く妖力を使えねぇけど、調子はいつも通りっすよ」

『それは良かった。君は結構傷だらけなんだから、体が丈夫だからってあんま無理しないよーに』

「学校も一週間の停学になっちまったんで、ゆっくり休みますよ」

『停学? 何しちゃったのさ?』

「ほら、今日から文化祭だったからちょっと騒ぎすぎちゃいまして」

『あーらら。文化祭ではしゃぐなんて、供助君も年相応な所があんのねぇ』


 電話先から横田の軽い笑い声が聞こえてくる。

 横田は親でも保護者でも無く、ただのバイト先の上司。責任を問われる身分から離れれば笑い話程度の事だ。

 もっとも、横田は横田で供助という人間がどういう者かを知っているからこそ、軽く笑って済ませるのだろう。


『また連絡するって言ってたし、事後報告も一応しとこうかなと思ってさ』

「事後報告って不巫怨口女の件ですか?」

『そ。学校の生徒と教員達は全員無事。後遺症もなんも無く済んだよ』

「まぁ、今日の学校もいつも通りだったし……聞くまでもなく、そうでしょうね」

『あとウチの払い屋も命を落とした者は一人もいなかったよ。傷を負った状態で結界を張っていた何人かは重傷で入院してるけど、命に別状はない』

「そりゃ良かった。これで報酬も貰えてりゃ文句なしだったのによ」

『まぁまぁ。気持ちは分かるけど、ここは素直に平穏無事を喜ぼうよ。俺達は“祓い屋”じゃなく“払い屋”なんだから』

「分かってますって。ただ少し愚痴りたかったんすよ」

『あとは嵐の後の静けさってヤツかな。ここ最近多かった霊障が急に減っているという話が来ている。この様子だと依頼の数も落ち着いていくだろうと読んでいる』

「そうなんすか? でもそういや確かに、今日は霊や妖を見掛けないっすね」

『ここのところ騒いでいた雑魚が、いきなり現れた不巫怨口女おおものの妖気にビビって大人しくしてるんだろう。今言ったように何人か入院して人手が減ったからね、お陰で助かったよ』


 ここ数週間、供助が住む五日折市を含む一定範囲では霊障が多く発生し、例年の三倍にも及ぶ依頼の多さだった。

 しかし、今こうして外を歩いている供助が辺りを適当に霊視をしてみても、霊や妖の姿どころか影すら見当たらない。

 いつもなら人畜無害な霊や妖はどこかかしらに浮遊していたりするものだが、今日は注意して探しても見当たらない。横田の言う通り、怖気付いて身を隠しているのだろう。

 例えるなら調子に乗った高校生のヤンキーが騒いでいた所に、ヤクザが拳銃を発泡して威嚇しながら乱入してきたようなもの。そりゃ怖くて家に引きこもるだろう。


『という訳なんで、供助君は何も気にせずに傷を癒してよ』

「了解っす。家計に響かない程度に休ませてもらいます」

『ああ、そうそう。もう一つ言う事あったんだ』

「なんすか?」

『いやね? あんだけ頑張ってくれたのに、報酬がなんも無いってのはちょっと酷かなぁって思ってさ』


 昨夜の依頼は急にして難解、加えて過去最高の強敵だった

 しかも、被害にあった場所は高校。もしかしたら今頃は大量殺人のニュースでテレビで流れていただろう。

 緊急事態であったとは言え、不巫怨口女を足止めさせるという無理難題を供助と猫又に任せる決断をしたのは横田であった。

 死人も出ず、最悪の事態は回避出来た。だがしかし、今回の依頼は祓い屋に横取りされて報酬は無く、二人は怪我を負って事に対して横田は自責の念があった。

 今回の件で一番の貢献者の二人が無償だったのを気にして。それ以上に感謝して。


『だからね、今日の昼間に――――』





     ◇     ◇     ◇





「ただいま、っと」


 供助は夕飯の買い出しから戻り、滑りが悪い玄関の引き戸を開ける。

 脱いだサンダルは片方ずつ明後日の方向を向いて転がるが、面倒臭いと直さずに家に上がっていく。


「お、帰ってきたか。おかえりだの」

「おう。晩飯買ってきたぞ」

「カツ丼はあったかの、カツ丼!」

「一応探してはみたが、今日は残って無かったわ」

「むぅ、そうか……半額になる時間まで残ってるかは運次第だからの、仕方ないか」


 猫又はがっくりと頭を落とし、連動して二本の尻尾も畳に落ちた


「で、だ。代わりにこれ買ってきた」

「ぬ? ぬぬぬっ!? こ、これは……!?」


 言って、供助が居間のテーブルに置くはスーパーの袋。

 しかし、いつもと違う。いつもの弁当が複数入っている袋よりも、明らかに大きい。大きくて、なんか丸い。

 猫又が前足だけテーブルに乗せて袋の中身を覗き込むと、色鮮やかに生魚の切り身が並ぶ光景があった。


「寿司っ! 寿司ではないか!」


 猫又は目を輝かせて、喜びで耳をピンと立たせる。もちろん尻尾も。

 しかも、寿司は一人前用のパックではなく、パーティー用の特大のものだった。軽く五人前はあろうだろう。


「供助、なんか悪い事したの? 死ぬの?」

「してねぇし死なねぇよ!」

「じゃあなんで寿司なんて高価な物を買ってきたんだの!? 頭を怪我して暗黒騎士になったとしか思えん!」

「俺ぁ正気に戻ってるっつの。スーパーに行く途中、横田さんから電話があってよ」

「横田から?」


 今から大体三十分くらい前。

 スーパーに向かう途中で掛かってきた電話で、横田はこう言った。 


『だから、今日の昼間に供助君の口座に入金しといたから。二万円。依頼の報酬に比べたら少ないけど、俺からのご褒美だ。美味い物でも食べて、英気を養ってよ』


 そう言われ、スーパーのATMで確認したら本当に入金されていた。

 予想外の収入に、供助はだったらと奮発して寿司を買ってきたのだった。


「って事があってよ。そんで買ってきた」

「横田ぁぁぁぁぁぁぁぁ! そこに痺れる憧れるゥゥゥゥゥ!」

「ま、予定とは違うが……お前には助けてもらったからな。約束通り食わせてやろうと思ってよ」

「回らない時価の寿司とまではいかぬが、それでも寿司は寿司! 十分嬉しいのぅ!」

「何言ってんだ、間違いなく回らない時価の寿司だろうが」

「ぬ? 回ってないのは分かるが、時価ではなかろう?」

「俺が何の為に九時過ぎのスーパーへ買いに行ったと思ってんだ」

「ま、まさか……」


 猫又は気付き、すぐさま寿司の値札を確認する。そこに貼られていたのは、赤と黄色の見慣れたシール。

 そして、赤い文字でこう書かれていた――――“半額”と。


「時価に変わりゃしねぇだろ?」

「こりゃ一本取られた。確かに時価にはかわりないのう」


 時価とはその時々で商品の値段が変わる事を言う。

 ならば、スーパーで夜九時を過ぎて半額シールを貼られたのもまた、時価と言えよう。


「しかし、寿司を食えるのは嬉しいが……人型に変われんと不便でならんのぅ。これでは思うままに寿司が食えん」


 思いがけないご馳走にありつけて嬉しさも大きいが、人型に変身できないせいでご飯を食べるだけでも一苦労。

 江戸っ子なら寿司は手で食べるのもありだが、いかんせん今は猫。猫の足じゃあどうやっても寿司が掴めない。


「こんばんわー」


 廊下から聞こえてきた、ガラガラという引き戸が開けられた渇いた音。

 それと同時に耳に入ったのは、聞き覚えのある男の声。


「こんな時間に客? って言うか、今の声って祥太郎だよな?」


 供助が廊下に出て玄関を見てみると、やはりそこには友人の祥太郎が居た。


「やっぱ祥太郎じゃねぇか」

「ごめんね、勝手に玄関を開けちゃって。呼び鈴を押したんだけど鳴らなかったから……」

「いや、別にそれはいいんだけどよ。こんな時間にどうしたんだ?」

「ほら、文化祭が終わったら久々に集まって遊ぼうって約束したじゃない」

「したけどよ……それだけでわざわざ来たのか?」

「それに僕だけじゃないよ」


 何か含んだ笑みというか、どこか嬉しそうな。

 緩やかに口端を上げた祥太郎の後ろから、少し申し訳なさそうに一人の少女が現れた。

 縁無しの眼鏡と長いポニーテールが特徴の、供助のクラスメイトであり隣人の幼馴染。和歌だった。


「こ……こんばん、わ」

「和歌、お前も居たのかよ」


 隠れるように玄関の外に居た和歌は、おずおずといった様子で家の中に入ってくる。


「お前、打ち上げはどうしたんだよ?」

「行ったよ。二次会のカラオケは断って来ちゃったけど」

「主役を演じたお前が打ち上げに参加しなくていいのか? 二次会とは言えよ」

「でも、私にとってはこっちの打ち上げも大事だったから」

「こっち……?」

「うん。文化祭には参加できなかったけど、文化祭が出来るようにしてくれた一番の功労者は供助君と猫又さんでしょ? だから、二人と一緒にご苦労様会ぐらいはやろうって」

「誰だよ、そんなのやるって言い出した奴……って、そんなの太一しかいねぇわな」

「ふふ、当たり。ほらこれ、打ち上げの残りだけど。出来るだけ持ってきちゃった」


 和歌が差し出してきたビニール袋の中には、唐揚げやフライドポテト、イカリングに春巻き。

 パーティーで定番の食べ物がたんまりと詰められたタッパーが複数入っていた。


「僕もほら、出店で作ったたこ焼き。冷めちゃってるけど。他にもコンビニでお菓子と飲み物も買ってきたよ」

「こんだけ大量の食料が貰えるたぁ嬉しいねぇ……とりあえず上がれよ。玄関ここじゃなんだろ」


 供助は顎で居間の方を差して、祥太郎と和歌を家の中に入れる。


「お邪魔しまーす」

「お、おじゃまします」


 祥太郎は抵抗も無く上がり、そのあとを和歌がついて行く。

 和歌に至っては供助の家に上がるのは小学校以来。久しぶり過ぎて少し畏まってしまっている。


「おお、和歌ではないか。祥太郎もか」

「こんばんわ、猫又さん」

「どうも、お邪魔します」


 まだ寿司を覗きみていた猫又が二人に気付き、和歌と祥太郎は軽い挨拶をする。


「猫又さん。怪我の具合はどうですか?」

「怪我はどうって事ない。ただ、人の姿になれんのが不便でのぅ……」

「余り物ですけど食べ物を持ってきましたので、良かったら食べてください」

「おぉ、有り難い! この匂いは唐揚げに春巻き……フライドポテトもあるの」

「凄い……よく分かりましたね」

「ふふん、これでも猫だからの。人より嗅覚が優れてるんだの」


 人の姿で言うならまだしも、猫の状態で『これでも猫』だと言われても猫にしか見えない。

 と言うよりも、ただ単に食い意地が張ってるだけだと、心の中で供助は突っ込んでいた。


「そういや言いだしっぺの太一はどうしたんだ?」

「太一君は一度家に寄るからって、一足先に帰ったんだけど……そろそろ来るんじゃないかな?」


 祥太郎が荷物をテーブルの上に置きながら答えると、噂をすれば何とやら。

 居間の掃き出し窓から見える庭が人工的な光に照らされて、何やらエンジン音が近付いてくる。

 少し暑さがあって開けっ放しにされた掃き出し窓の先に、スクーターに乗った太一が現れた。


「お、皆さんお揃いで。いやぁ、ちょっと家に取りに行ってたから遅くなった」


 太一はヘルメットを取って、スクーターのエンジンを切る。

 そして、フットスペースに置いてあった箱を持ち上げ、掃き出し窓まで持ってきた。


「よっ、こいしょ……っと!」


 一つのダンボール。いや、ダンボールというより一ケース。

 太一が重そうに運んで、畳の上に置いたそれはビールであった。


「び、び、び……ビール!? 酒ではないかっ!?」

「へっへー、猫又さんが飲むかと思ってさ。親父に頼んで貰ってきた」

「えっ!? 今日はビールを飲んでいいのかの!?」

「あぁ、おかわりもいいぞ」


 実は太一の実家は自営業で酒屋を経営している。それもあって、未成年でも太一は容易に酒類を手に入れる事が出来る。

 スクーターも家の配達を手伝うのに必要だからと、学校に申請して正式に免許を取ったもので、決して校則を破って取った訳では無い。

 そこんとこは意外とちゃんとしている太一なのである。


「お……おお……ご馳走が、ご馳走がこんなに一杯……しかも酒まで……」


 ずっと食べたかった寿司に、様々な揚げ物。たこ焼き。お菓子にジュース。さらに酒。

 猫又が供助の家に住み始めてからは見た事もないご馳走の山。いい匂いに食欲は刺激され、テンションもだだ上がり。


「ぬぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」


 時に、精神は肉体を凌駕する。理由はどうであれ、それは確かに存在する可能性。

 ――――ぼふんっ!

 猫又の絶叫と共に巻き上がるは白い煙。そして、その白煙の中から現れるは人型の猫又。


「復ッ活ッ! 猫又復活ッッ!」

「飯食いたさで治るとか、お前の食い意地どんだけだよ」

「今ならご馳走を食べた後に十四キロの砂糖水も飲めよう! そんくらいの復ッ活ッだの!」

「叫び過ぎて裏返ってんぞ」

「毒が?」

「声がだっつの!」


 人の姿に変身できるようになり、さらには沢山のご馳走と久々のアルコール。

 テンションの高さだけなら、今の猫又は地上最強の生物。な気分。

 すごいね、人体。


「のぅ、さっそくビール貰っていいかの!?」

「どうぞどうぞ。家の冷蔵倉庫に入れといたんで、いい具合に冷えてますよ」


 太一はダンボールのケースを開け、中から取り出される一本のビール。

 それを差し出され、猫又は両手で受け取る。


「キンッキンに冷えてやがる……! ありがてぇのぅ……!」


 なんか猫又の鼻と顎が尖ってるように見えるが気のせいだろう。


「太一もいつまでも外にいねぇで中には入れよ」

「そんじゃ、ここからお邪魔ーっと」


 太一は靴を脱いで、掃き出し窓からそのまま家に上がる。


「って、寿司あんじゃん! 供助、お前何か悪い事したのか?」

「なんでどいつもこいつも……臨時収入があったから買ったんだよ。今回は猫又に助けられたからな、その礼でな」

「供助の食卓で半額弁当以外が並んでるなんて珍しい光景だ……」

「ああ、俺もそう思う」


 我が家で寿司が食えるなんて何年ぶりか。少なくとも、供助が高校に入って一人暮らしするようになってからは一度も無い。

 もしかしたら、この光景が見れるのは最初で最後かもしれない。それくらい珍しかった。


「ぷっはーっ! 久々の酒は効くぅぅぅぅ! 供助、寿司食おう、寿司!」

「お前、もう飲み始めやがって……しゃあねぇなぁ、台所から小皿持ってくる」

「供助君、私も手伝うよ」

「悪ぃな。そんじゃ和歌は唐揚げとかをレンジで温めてもらっていいか?」

「うん。大森君もたこ焼きも一緒に温めるね」


 和歌は惣菜類が入った袋を持って、供助と一緒に隣の台所へ移動する。


「祥太郎、適当に菓子も空けといてくれ。俺は飲み物と紙コップ出すから」

「わかった。猫又さん、この中で何か食べたいお菓子あります?」

「えーっとのぅ……あ、それ! チョコあ~んこパンがいい!」

「ビール飲んでるのに甘いのでいいんですか……?」

「ふっふ。ビールに甘い物……意外と合ったりするんだの」

「へぇー。お酒には塩っぱい物が合うんだと思ってた」

「お、ヘビィスターラーメンがあるではないかっ! しかも旨塩味っ! わかっとるのぅ!」

「おいしいですよね、これ。僕は普通のチキン味が好きですけど」


 ビールを片手にコンビニ袋を覗いて、中身を物色する猫又。

 隣で準備をしている太一をよそに、翔太郎とお菓子の話を弾ませていく。

 そんな賑やかな声は、隣室の台所まで届いていた。


「なんかさっそく打ち解けてんな」

「猫又さんって気さくで話しやすいから、田辺君と大森君はすぐ仲良くなるんじゃない?」

「まぁな。人見知りするような性格でもねぇからな」


 和歌は電子レンジの温め時間を設定しながら、居間の賑やかな声を聞いて自分も楽しそうにしている。

 器棚から人数分の小皿を取り出す供助も、頬を緩めていた。


「でも、良かったのかな……いきなり私達が来ちゃって」

「あん? 家に上がっといて今さら何言ってんだ?」

「そ、それはそうだけどっ! けど、お寿司を買って食べようとしてたみたいだったから……迷惑だったんじゃない?」

「気にすんな。こっちとしては色んな食いモンを持ってきてくれて有り難てぇし、猫又も太一が持ってきた酒に喜んでる。迷惑なんかじゃねぇよ」


 供助は洗い場に寄り掛かって、レンジに入れた料理が温まるのを一緒に待つ。

 つい最近までは口喧嘩をして、すれ違って、言い合ってたのに。今ではこうして、笑い合いながらお喋りが出来る。

 学校では怠そうにして、面倒臭がって、笑顔なんて滅多に見せない供助が……こうして、感情を隠さず表にして笑っている。

 和歌はまるで仲が良かった昔に戻ったように思えて、楽しさよりも嬉しさが強かった。


「それに、どうせ食うなら賑やかな方が美味ぇだろ?」

「……うん、そうだね!」


 払い屋とは日の目に掛かる事は無い。だから、その者の働きや苦労、犠牲が知られる事は稀有である。

 こうして供助の行いを知り、理解してくれる者達はとても貴重であり、そして大切な存在だろう。

 世に知られる事は無い。だが、ほんの僅か。友に知られ、共に生きていけるのならば。それはきっと、とても素晴らしい事だ。

 だから、どうか。この者達の笑い声が、いつまでも続いますように。


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