第六十五話 十分 -ジカンカセギ-

 ついに見え出した一筋の光。小さな希望。

 不巫怨口女を倒せる可能性が目に見えて、供助の拳には力が込もる。

 ……しかし、長引く戦いとここまでの蓄積されたダメージ。限界が近いのは敵だけでなく、供助自身もであった。

 増援が来るまで供助だけで持ち堪えられるか……恐らくそれは、確率は低いだろう。なぜなら。


「く、う……ぁ……」

「う、うぅ……」

「田辺君? 大森君も……!」


 生気を吸い取られて気絶した二人が、苦悶の表情を強くさせて呻き声を上げだす。

 息は荒く、顔色は真っ青。唇も紫。和歌のどかが心配して声を掛けるも、二人の反応は苦しむだけ。

 そして、絶叫を上げて身悶えする不巫怨口女に一つの変化が起きる。不快を纏う強風が巻き起こり、奴へと吸い寄せられていく。

 言うまでもない。限界近くなった不巫怨口女が再生能力を回復すべく、生気を吸収する勢いを強めたのだ。


「ちっ!」


 後ろで苦しむ二人の友人を一瞥して、供助は忌々しそうに舌打ちする。

 自分の活動限界まではまだ余力がある。しかし、不巫怨口女の瘴気に抵抗する術を持たない太一と祥太郎は、もはや増援が来るまで保たないだろう。


「猫又……もう一発、篝火かがりびを撃てるか?」

「篝火とな……? すまんが無理だの。まだ多少の妖力は残ってあるが、先程と同等の篝火を撃てる程の妖力は残っておらん」


 これまでに灯火を二発撃った上に、不巫怨口女との戦闘でも常に消費していた。

 最大火力の篝火を出せる妖力はもう、猫又には残っていない。今も立つ事すら難しい状態なのだ。


「なら、どんだけ掛かる?」

「む?」

「篝火を撃てる程の妖力が溜まるまで、どんだけ時間が欲しいか聞いてんだ」

「……後の事を考えなければ、十分」

「よし、十分だな」


 猫又の返答を聞くや否や、供助は地面を強く踏み込んで軍手を嵌め直す。


「俺が時間を稼ぐ。お前はさっさと妖力を溜めろ」

「奴に限界が近付いておるとは言え、供助もすでにボロボロ。大丈夫なのかの……?」

「あの野郎を仕留めるにゃあ、もう一発篝火をブチ込むしかねぇ。なにより、俺よりもヤベェ奴等がいるんだ。どっちにしろ他に選択は無ぇよ」


 その通りだった。他に選択肢は無い。このままでは太一と祥太郎だけじゃなく、学校に残る生徒全員の命が危ない。

 そうなれば不巫怨口女が生徒の生気を吸い切るよりも早く、生徒達が息絶えるよりも先に。短時間で決着をつけるしか手は無い。

 となれば当然、高火力かつ高威力の技が必須となる。猫又の状態は知っていたが、それでも無理を承知で篝火に頼らざるを得なかった。


「いいか、お前は妖力を溜める事だけに集中しろ。俺がどうなっても構うな」

「いいのかの? 本当に手助け出来んぞ」

「知ってんだろ? 俺が打たれ強いってのぁよ。十分位ぇなんとかなる」


 猫又と和歌。そして、太一と祥太郎。不巫怨口女と対峙すべく、供助は四人を後ろにして厄敵へと向かい立つ。

 鉄の味がする唾を地面に吐き出し、切れた唇から滴る血を軍手で拭う。


「素人の太一と祥太郎が気張ったんだ、専門家はらいやの俺も気張んねぇでどうするよ……!」


 名も無く、型も無い。自分が戦いやすい構えをして、手足をうねらせる妖へと睨みを利かせ。

 供助は軍手を嵌めた両の手へと、振り絞った霊力を集中させる。


「イインチョウ、二人と一緒に私の後ろにおるんだの。幾らかは生気吸収への壁になる」

「猫又さん……大丈夫、ですよね? 皆きっと、助かりますよね……?」

「……わからん」


 猫又はその場に膝を突いて屈み、深呼吸する。

 心配そうに目を向けてくる和歌に何かしらの言葉を返そうとしても、何も思い浮かばなかった。それに思い浮かんだとして、それを言っても気休めにもならない。

 そして猫又もまた、この状況で気を遣う余裕は無かった。今から自分がすべき事に集中する為に。


「しかし、ここに居る友人達を……学校に残る生徒を一人も死なせまいと、供助は今もなお戦おうとしておる」


 チリ、チリ――――ヂチッ。

 猫又の黒い髪の毛が小さく逆立ち、二本の尻尾もピンと伸びる。地面の一点だけを見つめて意識を集中させ、高ぶらせるは体内に残る僅かな妖気。


「だから、供助を……私達の事を信じて欲しい」


 奥歯を強く噛み締め、開いた口から覗ける犬歯はぎちりと軋む。


「正直、倒せるかどうかも怪しい……が、痛み辛みを嘆くのは全てが終わったあとだのッ!」


 猫又の体は静電気を纏い始め、バチバチと弾ける音が鳴る。妖力の回復を図ると同時に、残っている妖力を体内で増幅させる。

 妖力が枯渇寸前の状態から無理矢理に力を高めて篝火を放つのは、かなりの負担が体に掛かる。言うなれば、長距離を全力疾走した後に、超重量のバーベルを持ち上げるようなもの。

 だが、反動は筋肉痛のそれではない。限界を超えて妖力の開放と使用。恐らく数日は妖力を上手く使えず、人間の姿にすらなる事が出来なくなるだろう。

 それでも猫又は体に鞭を打つ。供助は友を救おうと体を張っている。なら、それに付き合ってこその相棒であろう、と。


「アァァァァアアアァァァイィィィアァァ……!」


 不規則、不揃いにうねらせていた無数の手足を止め、不巫怨口女は低く呻き声を上げた。

 そして、耳まで裂けた大きな口を向ける先には、拳を構える一人の少年。


「生気を吸い取って動けるようになったってか? けどな、そいつはテメェにゃ過ぎたご馳走だ」


 ふぅ、と。小さく吐き出す一息。

 供助は霊力を高めつつ、思考は冷静に。されど心は烈火の如く。

 友人を苦しませ、喰らおうとする妖を目の前にして……誰が怒りを感じずにいられようか。


「いつまでも我が物顔で喰らってんじゃあねぇぞ……ッ!」


 供助は強く踏み出し、地面を蹴り出して疾駆する。突貫する先は当然、事の元凶である不巫怨口女の元へ。

 自分では火力不足なのは理解している。止めを刺すのが難しいのも痛感している。けど、倒せるならばどうだっていい。誰だっていい。

 自分は不巫怨口女を倒すのが目的であって、自分が不巫怨口女を倒したいのでない。倒せる手段があるのなら、それに頼って縋ればいい。

 そして、結果を導く為に自身が出来る事はなんでもやると。供助は全力で、時間稼ぎの囮として拳を振るう。


「手数の多さには負けるけどよ……手癖の悪さなら負ける気しねぇぜ!」

「イィィィィィアアアァァァァァアァアァッ!」


 供助の接近に合わせ、不巫怨口女も迎え討とうと数本の手足を宙で向きを変える。

 互いの間にある距離は五十メートル。供助の攻撃範囲にはまだ遠いが、不巫怨口女にとっては既に文字通り手の届く距離。

 手と足。全ての指の爪を立て、伸縮自在の四肢が高速で供助へと襲い掛かる。その数、四本。


「ハッ、数が少ねぇな! 腹が減った状態じゃ力が出ねぇってか!?」


 四本の内、先行する二本。それを目で捉えながら、供助は煽る言葉を口にする。

 もっとも、言葉を理解しているとは思えない不巫怨口女に対しては意味が無い。だが、それを解っていてあえて言うのは、軽口を叩いて供助自身の戦意を奮い起こす為であった。


「アァァイィアァァァァアァアァッ!」

「どっ……せいっ! おらぁ!」


 一本は右手で払い、二本目は左手で叩き落とす。めぎり、と木の枝を捻り折ったような鈍い音。

 指が疎らな方向へと向けられた不巫怨口女の二本の手足は地面に落とされ、供助は残りに備えて直ぐさま拳を構え直す。


「次っ!」

「アアアアァァァァアァァァ!」


 痛みか、怒りか、それとも今もなお収まらない過去への怨みからか。耳を塞ぎたくなるような不気味な絶叫を轟かせ。

 あやかしは自分への驚異となる煩わしい存在へ、邪魔をしてくる供助へ。黒々しい敵意と妖気が籠こもった二本の凶手を伸ばす。


「アアアァアァァァァウウゥゥアァ!」

「曲がっ――――!」


 ……否。不巫怨口女が敵意を向けていたのは、供助では無く、その後ろ。

 供助と接触する寸前。二本の腕は股開きに方向を変えて、後方に居た猫又へとその手を伸ばす。


「なんっ!? 私を狙って……!」

「ちぃ!」


 供助は両手を大きく開き、横を素通りする不巫怨口女の腕を鷲掴む。

 しかし、勢いが付いた二本の腕はすぐに止まらず。さながら急ブレーキを掛けた電車の車輪の如く、供助の手の中を滑らせていく。


「ぐ、く……こ、んのぉ……!」


 奥歯を噛み締め、弾かれそうになる指へと集める霊力。

 手の平全体ではなく、指への霊力集中。五指は鋭い杭と化し、不巫怨口女の腕の肉へと抉り刺さる。

 そして、供助が腕を掴んでから十メートル先でようやく、その勢いが制止した。


「っぶねぇ……猫又が妖力を溜めてんのに気付きやがったかっ!」


 供助が後方の猫又を見やり、不巫怨口女の腕が止まったのを確認した、ほんの数秒。

 再度、視線を正面へと戻した瞬間。供助の眼前には新たな凶手が飛び掛っていた。


「ぐうっ!」


 青白い色をした、伸びる長い腕。鞭のように撓しなり、その先端が供助を襲う。

 両手は塞がっていて、離せば猫又の所へと奴の腕が飛んでいく。足は踏ん張っていて蹴りを出せる状態じゃ無い。

 供助は咄嗟に腹部へと霊力を集中させ、衝撃と痛みに顔を顰めながらも攻撃に耐えた。


「ちっ、細い腕のくせに重てぇじゃねぇか……ッ!」

「供助っ! 大丈夫かのっ!?」

「口ィ動かす暇があったらさっさと妖力を溜めろ! 打たれ強くても痛ぇモンは痛ぇんだからよ!」


 供助の取り柄の一つである、霊力スタミナの多さ。それを腹部へと凝縮させれば、妖にとっては高圧電流が流れている鉄壁となる。

 不巫怨口女の腕は強く弾かれ、地に落ちていた先の二本の腕と一緒に元の長さへと戻って行った。

 攻撃をなんとか防いだ供助であったが、その頬から垂れる血。今の攻撃を弾いた際、爪が引っ掛かって浅い切り傷を負っていた。


「が、こりゃあ良い感じだ」


 だが、傷を一切気にせず。不敵に、供助は笑った。


「奴が猫又を狙うって事ぁ、俺よりも猫又を危険だと思ったわけだ。つまり、篝火をもっかい喰らったらヤベェって事だろ?」


 そして、ぎらりと眼付きを鋭くして。

 微かに見えていた小さな光が肥大し、供助の手には力が入る。


「――――けどよ」


 ぎ、ぎ、ぎぎ……ぎ。

 供助が掴む不巫怨口女の腕から聞こえる骨の悲鳴と、肉の繊維が切れていく音。


「時間稼ぎの為に囮になってんだ、俺も少し位は危険だってぇのを教えてやらねぇとなぁ?」


 第一関節までだったのが第二関節へ到達し、霊力を纏った供助の凄まじい握力が不巫怨口女の腕をへし折った。

 鈍くも小気味の良い音が鳴り、これで奴の手足を折ったのは何本目か。だが、今回は折るだけではない。

 折った腕を、肉を引き裂いて骨がはみ出るその腕を、供助は。


「アアアァァァァイイィィィギャヤッヤヤアアアアアアアッ!」


 ――――容赦無く、引き千切った。

 みちみちみち、と。ゴムのように伸びる肉。しかし、ゴムより伸縮性は薄く、肉はいとも簡単に離ればなれ。

 腕の切れ目からは血が吹き出し、供助の足元は赤く染まり、大きな血溜まりが作られた。

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