第六十四話 悶絶 -ショウキ-
体中が痛い。喉も痛めて声もガラガラ。
背中も強く打って息がしづらく、呼吸をするとゼェゼェと喉が鳴る。
手足も痛みから痺れも起き、動かすのもワンテンポ遅れる。
疲労困憊――――否。
体中が傷だらけで痛みだらけでも、己の足で立って、己の拳を握れる。
地面に踏ん張って、身体を構えて、顔を上げて。目を向け拳を向け、廃れぬ闘争心を向ける。
満身創痍――――否。
痛いからなんだ。苦しいからなんだ。辛いからなんだ。
そんなのを理由に止めるなんてくだらない。そんな言い訳で諦めるなんて、くだらない。
どんな状況だろうと関係無く。焦茶色の髪をした少年の霊力は……
戦意喪失――――否。
今も心に闘志が
拳に入る力は衰えない。身体に纏う霊気は弱まらない。心に灯る炎は燃え尽きない。
諦めるなんて馬鹿らしい。逃げるなんて馬鹿らしい。友人を見捨てるなんて馬鹿らしい。化け物に喰われるなんて馬鹿らしい。
散々痛めつけられ、何度も無意味さを知らされ、幾度と危険な目に遭わされても。学習せずに立ち向かい続ける程に供助は……馬鹿らしい。
「すぅぅぅ、はぁぁぁぁぁ……」
大きく深呼吸。
体中の痛みを忘れ、まだ残る息苦しさを無視し、己の内に秘める霊力を練り込む。
ただ一つだけ。他の事は考えず、ひたすら、ただひたすら。
眼前に居る敵を。祓うべき敵を倒す事だけに――――集中する。
「アアアァァァァァァ……ハァァァァァァァァ……」
晴れていく白煙。現れ出す巨大にして凶体。
不巫怨口女は奇抜奇声を呻き上げて、その忌々しい蛇体を現した。
「消化器の煙幕で時間を稼げたのはこちらとしても助かったが……それは奴にとっても同じだったようだの」
猫又は今だ立つ事さえ叶わぬ身体を和歌に支えられ、表情を険しくする。
数分振りに再会した凶敵は、先程まであった傷がすでに癒えて。千切り、折れ、切断されていた手足も完全に再生していた。
うねり、うねり。うぞろ、うぞろ。百足むかでの足の如く、だが生えるのは足だけでなく。
傷も火傷も焦げ跡も消え、万全な状態に回復した不巫怨口女に――――。
「俺ぁ諦めが悪ィんでね」
供助は鼻を鳴らし、自身の往生際の悪さ。諦めの悪さ。学習しない、頭の悪さを自嘲して。
「あんま払い屋をよ――――」
痛む身体に鞭を打ち、構える。
霊気を纏い、拳に霊力を込め、戦意を向けて、自分が得意の素手喧嘩スタイルを。
相手が蛇だろうが、百足だろうが。やる事はタコ殴りだと。
小指から人差し指へ、ゆっくりと順に握り。そして、最後に親指。両の手は一番の武器へと化して。
「――――嘗めんじゃあねぇぞ……ッ!」
供助の戦意に呼応するように、全身から放たれる霊気。
尽きぬ霊気、留まらない霊力。どこから湧いて来るのか、どうして練り出せるのか。
供助の強さの骨頂である、打たれ強さと
「なん、と……まだこれ程の霊力を捻り出せるだせるとは……!」
長く戦闘を行い、体も傷付き、万全には程遠い状態だと言うのに。
全く衰えず、むしろ増大する供助の霊力に……猫又は舌を巻く。
予想していた限界量を圧倒的に超え、減衰しない底力。ただただ驚くしかなかった。
「っはぁ、ふぅ……」
しかし、つい先程まで痛めつけられ、
供助の足取りは
「アアァァァァァァァァアアァァ……」
呻き声をさせ、うねうねと伸び始める不巫怨口女の手足。
一本、二本、三本、四本……沢山。その凶手凶足が、獲物を掴み殺さんと襲い掛かる。
狙われるは当然、最寄りに居る人間。衰弱する太一と祥太郎は恰好の餌食。
喰らってしまおうと、噛み殺そうと。過去から蘇った化物は小銭に群がる乞食の如く。
凶悪な細腕と華奢な足を――――。
「おいおい」
――――め、ぎ。
「せっかく格好付けたんだからよ、ちったぁ俺に付き合えよ」
数本を裏拳で払い、また数本を平手で払い落とし、素通りしようとする二本を掴み。不敵な笑みを浮かべて、供助は言った。
傷付こうがフラつこうが、威力は衰えず。馬鹿力は相変わらず。
めぎめぎめ、ぎ……べきん。
「なぁ?」
掴む不巫怨口女の腕と足の骨を、握力のみでへし折り。ぶっきらぼうに投げ捨てる。
喰いたいなら喰えばいい。殺したいなら殺せばいい。ただ……俺は全力で邪魔ぁするけどな、と。
供助は片手で垂れてきた前髪を掻き上げた。
「アアァアァァァァァイィィィ……」
空に弾かれ、地に落とされ、骨を折られた手足は元の長さに戻っていき。
代わりに無傷の手足をまたも、不巫怨口女は伸ばし始める。
「学習しねぇな、お前ぇ。ま、俺も人の事言えねぇか」
前髪を掻き上げた手でそのまま、頭をぼりぼりと掻いて。
馬鹿の一つ覚えのように同じ攻撃しかしてこない相手に、供助は鼻で笑った。
「邪魔くせぇ!」
先程同様、同じ攻撃をしてくるならば同じ方法で払い除けるだけ。
払い、叩き、弾き、落とす。相当の霊力を込めた供助の腕手ならば、強く叩かなくとも軽く払うだけでも十分に跳ね返せる。
後ろに居る友人達に、文字通り手も足も出させないと。襲い掛かる魔手から自らを盾として全てを弾き返す。
「おっ?」
次々と払い落とし、弾き返し、殴り折られる不巫怨口女の手足。
そして、第二波の最後の二本。矢のように飛んできた二本の手を、供助はガッシリを掴み止める。
「細腕にしちゃあ力があるよなぁ……握力の方はどうだ?」
供助は唇の片端を吊り上げ、僅かに白い歯を覗かせて。掴む手に力を入れる。
手と手が握り合い、指と指が絡み合い、力と力がぶつかり合う。
「力比べと行こうじゃねぇか……!」
握り合い。掴み合い。手と手の取っ組み合い。
供助が力を込めれば、不巫怨口女も潰し返すと言わんばかりに力が返って来る
拮抗する力。ぎしぎしと軋む骨。肉にめり込む互いの指。
だが、決着は早く。ものの十秒で勝敗は決した。むしろそれは、勝負とはまるで言えない結果。
「ハッ……手数が多けりゃあいいってモンじゃねぇな」
ぐちゃ。例えるなら完熟したトマトが潰された様と言えばいいか。
いとも容易く、簡単に。供助は不巫怨口女の手を、握り潰した。
「アアァァァァアァァァァイイッ!」
握力比べで負けたのが悔しかったのか。いや、悔しいという感情は奴には無い。
あるのは悔しいではなく、口惜しい。村人に騙され殺された恨み辛みの怨嗟のみ。
生きる人間全てが憎い。過去、現在、未来、関係無く。怨みを晴らすべく、いつまでも憎み、復讐し、食い殺していく。
再度、不巫怨口女は手足を伸ばし供助を襲う。
「俺と同じで芸が無ぇな……ほらよっ!」
供助は自虐を含んだ台詞を言いながら、今だ掴んだままの不巫怨口女の手を大きく振るった。
左、右、上、下、斜め、適当。長縄跳びをするように腕を振り回して、飛んできた手足を払い弾く。
握り潰した手をそのまま振り回していたのもあり、長く保たずにブチンと音を立てて手首から先が千切れてしまった。
「ありゃ」
糸の切れた凧のように吹っ飛んでいく腕を眺める供助。使い物にならなくなった物を持っていてもしょうがなく、千切れ残った不巫怨口女の
大きな労力を使わずに、不巫怨口女の手足を全て上手く弾き払う事が出来た。加えて体の痛みも少しだが引いてきて、供助の顔には余裕が見え始める。
それでも供助の負傷具合は軽くない。本当ならば柔らかい布団の上で気を失ってしまいたいだろう。
「アアァァアァァァァァァァ」
「やはり、手足を幾ら屠っても意味が無いの……」
闇夜の空へと伸び出す、不巫怨口女の手足。
底付きぬ肉塊の銃弾を、またも伸び飛ばそうと準備を始める。
「アアアァァァァァァァァアイイイイィィィ」
「来いよ、全部叩き落としてやら……」
「……ア」
「あ?」
ぐねぐねと
停止ボタンを押されたビデオ映像のように、止まった。
「あん、だ?」
だらんと
奇怪不可解の行動に供助だけでなく、猫又や和歌達も怪訝の表情をさせる。
そして、止まること約十秒。
「アアアアアアアァァァァアァァァァァァァァァァッ!」
「おおっ!?」
――――絶叫。
項垂れていた頭は空へ向け、口は限界まで開けられて。
啜っていた自身の血が混じる、赤色混じりの涎を垂らしながら……奴は、不巫怨口女は。
悶絶悲鳴、苦悶絶叫。そう、つまり。奴は、とうとう。
「イイィィィィィィィイィィアアアアァァァァァァァッァァァァァァァァァアアァァッッッッ!」
全身を襲う苦痛に、身を悶えさせた。
「なんだ、苦しみだした? 一体どういうこった……?」
「新たな手足を生やす……という様子でもなさそうだの」
「どうみても苦しんでるように見えるけどな、あれはよ」
「もしや、攻撃が効いていなかったのではなく、効いていたという自覚が無かった……?」
和歌に肩を貸してもらい、なんとか立ち上がる猫又。
そして、今になって苦しみだした不巫怨口女の理由を考え、その可能性を口にする。
「恐らく、長年に渡って続けられていた
「今更その効果が出てきたってのか?」
「いや、違うの。御霊鎮めによって不巫怨口女の限界値が格段に下がっていたのだ。だが、奴はその事に気付いていなかった。村人を喰い殺していた全盛期と同様に負傷の蓄積を気にせず、怨み晴らすがままに暴れていたのが仇となったのだろう」
「って言ってもよ、あんだけ殴っても涼しい顔をしていた奴だぞ?」
供助はまだ半信半疑だと、何をされても対応出来るように不巫怨口女から目を離さない。
自分が油断して隙を作れば、後ろに居る友人達を危険に晒してしまう。確信が持てるまでは、変な希望は持たない方がいい。
「奴の手足を見ろ」
「手足?」
「供助が付けた傷が治る速度が確実に遅くなっておる。それどころか、千切れた腕から新たな手足も生えてきておらん」
「そういやぁ気持ち悪くうねっているが、確かになんも生えてきてねぇ……」
猫又に指摘された事を確認すると、確かに千切れた不巫怨口女の腕からは新しい手足が生えてきていない。
それどころか傷も治る様子も全く無く、不巫怨口女は今もなお苦しみ身体を悶えさせている。
「んじゃあ、お前ぇの言う通り、その限界とやらがようやく表れたってんだな?」
「確証も確信も無い。だが、様子を見る限りでは確率は高いの」
「っしゃあ……!」
供助は右手を左手に打ち込み、顔には笑みが自然に浮かぶ。
まさかの展開。思い掛け無い所での一転。ようやく訪れた、好転。
「しつこく殴りまくってりゃあ、あの野郎を倒せるってんだなっ!」
「可能性としてはそうだが……危険なのは変わらん」
「それでもやるしかねぇだろ。やるしかねぇんだ……!」
絶望が迫り寄っていた状況下で、見え始めた一筋の光り。勝機の言う名の希望。
それを掴もうと、掴んで離さまいと。供助は自身の両手を強く、とても強く――――握り締める。
限界間際の払い屋と、苦痛に身悶える不巫怨口女。祓うか、喰われるか。結果はどのような未来になるかは解らない。
だが、決着の時はもう近くまで……来ていた。
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