第五十六話 忌避 ‐キヒ‐

 その場に居る者の視線が集中される、ソレは。

 長い長い白髪を垂らし引き摺り、人の顔が覗いていた。廊下の曲がり角から、床に寝そべって顔だけを壁から出すという異様な体勢で。


「あんなに髪が長い生徒、ウチにいたかしら……」

「いや、そもそもさっきまであそこに倒れていた生徒なんていなかったぞ……」


 まるで廃墟に転がるマネキンの生首の如く。

 不巫怨口女の長髪が顔の殆んどを隠し、口元しか見えない。しかも、口元と言っても口など見えず。青白い肌が覗けるだけで何も無い。


「委員長、早くこっちに来いッ!」

「えっ、あ……え?」

「早くしろ! 急げっ!」


 供助が大声で叫ぶも、理解出来ない状況に委員長は戸惑いから行動が遅れる。

 気絶する生徒と教師。繋がらない電話。帰った筈なのに居る供助。突如現れた顔だけの何か。

 あまりの急展開、予想外の状況に、整理する時間も無い。


「アアァァ、ア、アォア……」


 ずるり、ずり。

 匍匐ほふく前進のように身体を動かし、顔だけを出していたおんこうじょはゆっくりと身体を露わにした。

 人と同様の形をし、長い白髪が体に絡み。細い腰付きに膨らみのある胸、身体は女性と一見で解る――――が、両の腕が無い。

 肩から先が存在せず、現した上半身をうねらせ動く。地べたを這う姿はどこか見窄みすぼらしく、哀れに見える。


「腕が、無い……?」

「委員長ッ!」


 その姿を見て違和感を捉える委員長の名を、供助が叫ぶ。


「いいから早くこっちに来い!」

「で、でも、あの人……」


 ぐりん、と。首を曲げた。

 不巫怨口女は供助達の方を向く。目は見えない。髪で隠れているから。表情も見えない。当然髪で隠れているから。

 口が無い。髪で隠れているでも、角度の問題でもない。文字通り、表現通り、あるべき箇所に口が見当たらなかった。


「供助、奴はこっちに気付いておるぞ!」

「馬鹿でも見りゃ解る! クソッ、二人が逃げる時間を稼ぐしかねぇか……!?」

「見た限りでは大きさはほぼ人と変わらぬようだの。ならば……」


 供助と猫又は戦闘態勢に入り、霊気と妖気を纏う。額には冷や汗が伝い、握る拳は汗でじっとりしている。

 目の当たりにする不巫怨口女の妖気。その強大さ、強力さ。全身の肌が引っ張られ、寒気で毛が逆立ってしまいそう。


「アァ、ア、アァァ、アァァァァァァァァ」


 浮いた。比喩じゃなく、その通り。浮いた。

 床に寝ていた不巫怨口女の体が、宙に浮き出したのだ。だらんと頭こうべを項垂らせ、長い髪を垂らして。

 地を這っていた不巫怨口女の身体は、今では天井に張り付くように背を付けた。

 そして、無かった口を開いた。


「アァァ」


 何も無かった口元から、パックリと。

 耳まで口端が届く大きな口を、開けば下顎が取れてしまいそうな程に大きな口を。

 疎らに生えた歯と赤黒い口内を見せながら、身体を浮かせて、歪な笑いも浮かべた。


「え……? あの人……ひ、と?」

「アアァ?」


 目は見当たらない、見えない。しかし、解る。不巫怨口女が和歌へと首を曲げ、目を向け、狙いを定めたのが。

 そして、不巫怨口女は見せた。彼女の体ではなく、彼女の“本体”を。巫女と妖怪が混じり合ったその姿を。


「アアアァァァァォォォァァァアアアァ」


 鱗がある蛇の体躯。両側面に生える無数の腕と足。その数は何十と混じり、太さ長さ大きさまでも不揃い。

 不巫怨口女が動く度に、ずぞろずぞろと密集する虫のように手足も気味悪く動く。

 気味悪さ、異様さ、異常さ、非常識さ、不可解さ、不理解さ。姿形を一目見ただけで、一般人には常軌を逸したモノだと解る。

 そして、一番の問題があった。それは……大きさ。


「誰だよ、人間と変わらねぇ大きさっつったのは!」

「横田の話で下半身が蛇と聞いてはいたが、まさかここまで大きいとは思うてなかったの……!」


 とうとう現れ、接触した不巫怨口女。巫女の人体である上半身の部分は人間と同等の大きさだったが、それよりも下。

 腰から下は蛇とも百足とも言える、醜悪な容姿。そして何より、広さがある廊下を所狭しと埋める巨体。

 側面に生えている手足が壁に擦り付けられ、長く太い蛇の腹を床に這いつかせる。


「ひっ……なにこれ、あれ、なに……?」

「アアァァアァハァアァ」


 ぞわ、ぞわぞわぞわ。

 大小疎らの手足が蠢き、一際長く細い、骨と皮だけの腕が伸びる。

 和歌のどかの方へと、細い首元へと。裂けた口で薄ら笑いしながら。


「やっ、やだ……いや、来ないで……」


 動きは決して速くはない。だが、和歌はその場から動く事が出来なかった。

 不巫怨口女の危険性、異常性は姿を見て気付き察している。早く逃げなければならないと頭が答えを出している。

 なのに、動けない。身動きが取れない。その容姿に驚愕し、あまりの異様異形に圧倒され、足が竦んで歩く事すら叶わなかった。

 唯一取れた行動は、壁に背中を寄り掛け、そのまま力無く床に尻餅を搗つく事だけ。


「ったくよぉ……!」


 呟くと同時に、疾駆するは供助。

 向かうは言わずもがな、幼馴染のもとへ。


「だからさっさと逃げろっつっただろうが……」


 利き手である右手を強く握り直し、霊気を込める。そして、狙うは和歌に伸びる不巫怨口女の腕。

 あと数センチで触れようとする所で、供助はその腕を力の限り――――。


「この、だぁほ!」


 ――――殴った。

 太い木の枝を折ったような音が鳴り、不巫怨口女の細長い腕は間接が一つ増えた。


「アアァァァァァァイイィィィィィィィィィィイ……?」


 薄ら笑いから絶叫に一転――――するかと思いきや。

 不巫怨口女は折れ曲がった己の腕を不思議そうに眺め、ぶらぶらと宙で遊ばせる。

 明らかに腕は折れ、不自然に曲がっているのにも関わらず、痛がる素振りが全くない。


「っち、腕一本折っても大したダメージにならねぇってか」


 委員長と不巫怨口女の間に割って入る供助。

 決して手加減した訳でもない一撃。しかし、結果はご覧の通り。舌打ちし、薄らと額に冷や汗が浮かぶ。

 ただ、少なくとも目的は果たせた。供助の後ろで座り込んでいる、和歌を守るという目的は。 


「……あ」


 一瞬のフラッシュバック。過去の記憶。昔の思い出……その欠片。

 和歌は短い声を漏らし、重ねた。 


『どっかいけ! こっちにきても、おまえはいきかえらないぞっ!』


 もう何年も前の事。彼女がまだ小さかった頃、怖い思いをした時の思い出。その思い出と重ねた、重なった。 

 あの時に助けてくれた子供と、今、目の前に立つ少年の姿が後ろ姿――――大きな、背中。


「猫又ァ!」

「解っておるのっ!」


 供助が呼ぶよりも速く。猫又は駛走し、和歌の肩を掴む。


「立つんだの! 早くこの場から離れねばならん!」

「は、はい」


 猫又は手を取って立ち上がらせるも、和歌は足に上手く力が入らない様子。

 不巫怨口女による瘴気や生気吸収の影響ではなく、さっきまで腰が抜けていたのが原因だろう。


「ま、待って! まだきょう……古々乃木君がっ!」

「俺より自分の事だけ考えろ! さっさと行け!」

「で、でも……」


 霊力を持たない一般人でも、目前にいる不巫怨口女は異常であると解る。

 故に、まだ不巫怨口女と対峙する供助を心配する。


「アアアァァァァァァアイィィァ!」

「ちぃ!」


 気味悪い声を出し、無数の腕を伸ばし上げる不巫怨口女。

 それを、勢い良く振り払った。


「がっ……!」


 腕で防御して受けるも、衝撃を受けきれずに弾き飛ばされる供助の体。

 激しく壁に叩きつけられ、供助は痛みに顔を歪める。


「アアアァァァァア?」

「ぐ、ぐぁ……」


 背中を強打して動きが止まった供助の首へ伸びる、不巫怨口女の青白い腕。

 細い無数の腕が、強く喉を締め付けていく。


「こ、君っ!」

「供助っ!」

「い……から、早、行けっ!」


 和歌と太一が叫ぶも、供助はこの場から離れる事を優先させる。

 喉の気道を握り締められ、呼吸がままならない供助は苦悶の表情ながらも声を捻り出す。


「二人共、こっちだの!」

「でも供助が……」

「二人を逃がそうと供助が身体を張っておるのだ! それにお前達が居ては邪魔になる!」

「……っ!」


 太一は悔しそうに歯を噛み締める。

 不巫怨口女に襲われている供助を一瞥し、何も出来ない自分を恨みながら不巫怨口女に背を向けて走り出した。


「っは、か……!」


 不巫怨口女の腕を振り払おうと抵抗するも、呼吸が出来ず力が入らない。

 腕の数も多く、一本や二本ではなく十数本の腕が供助を掴み、締め上げる。

 何より、細腕だというのに力が強い。指は肉にめり込み、壁に押し付けられ潰れてしまいそう。

 酸素供給がままならならず、段々と薄れていく意識。


「こん、の……!」


 気を失いそうになるのを気合で止め、供助は右手に霊気を集める。

 呼吸が出来なく集中しづらい状況で、低級妖怪なら逃げ出す程の力を絞り出した。

 が、しかし。


「アアアァァァイ」

「っち、く、そ……」


 不巫怨口女は霊力に反応して、供助が攻撃するより一歩早く霊力を込めた右手を押さえ付けられてしまう。

 右腕の自由すら奪われて攻撃手段を失くした供助は、いよいよ意識を保つのが難しくなる。


「アァアァア……アギィッ!」


 途切れそうになる意識の中、突如聞こえたのは不巫怨口女の短い悲鳴。

 そして、首を締める力が緩むと同時、供助の視界には火の粉を被る不巫怨口女の姿が映った。


「出来る女は気も利く女……ってのぅ!」


 人差し指の先に出された、野球ボール大の火球。猫又の持ち技である、灯火ともしび

 それを不巫怨口女の頭部へと投げつけ怯ひるませたのだ。


「いい、加減……手ェ離せってんだ!」


 可能になった呼吸。脳に巡る酸素。取り戻す意識。渾身の一撃が、首を掴む無数の腕へと向かい飛ぶ。

 バキボキと鳴る音。折れる音。骨が完全にイった音。例えるならば、何本も束ねた割り箸を一気にへし折る……そんなイメージ。


「アアアアアァァァァァァァァァッッ!」


 初撃の腕一本と違い、今の攻撃では十本近くの腕が折れた。

 さすがに痛みを感じたらしく、不巫怨口女は歯軋りしながら悶絶する。


「っは、かはっ! 危、ねぇ、意識飛びかけた」


 激しく呼吸をして、供助は床に膝をつく。


「供助、早はようするんだの!」

「はぁはぁ、わあってるっての……!」


 まだ息が整わず苦しく、少し視界がボヤけているが体に鞭を打って走り出す供助。

 今の状態、状況では不巫怨口女を相手に時間稼ぎすら叶わない。一度撤退し、体制を整える必要がある。


「悪い、助かった」

「私のコントロールの良さは野茂もビックリする程だからの」


 フフンと鼻を鳴らす猫又。

 首元を手で押さえ、供助はまだ息苦しそうにしながら礼を言う。


「供助、こっちだ!」


 供助と猫又が階段を駆け下り、一階の廊下に出た所で声を掛けらる。明かりの点いていない教室のドアから、太一が手招いていた。

 後ろからは不巫怨口女の悍しい妖気が迫ってきている。外に出るまで追いつかれずに逃げれるか――――それは否だ。

 供助と猫又は飛び込むように太一が居る教室の中へと入った。


「お前等、外に逃げたんじゃねぇのかよ……!」

「供助を置いて逃げれるかよ」


 太一は供助達が教室に入ると同時にドアを閉め、鍵を掛ける。


 ――――アアアァァァァァアアァァ。


 どこからか聞こえてくる不巫怨口女の声。

 距離は遠くなく、近くもなく。自分を傷つけた人間を探して校内を回っているのだろう。


「やはり、灯火程度の技では一瞬の目暗まししか効果は無いか。厄介だのぅ」


 予想通りではあっても、その効果の薄さに猫又は嘆息する。

 元々灯火は攻撃用の技ではないにしろ、顔面に直撃させたのにほんの数秒しか足止め出来なかった。

 高火力を出せる篝火かがりびを放とうともしたが、近くに供助が居て巻き込む心配があったのと、効かなかった場合を考えて灯火の使用になった。

 篝火は高火力であるが為に妖力の消費が激しい。その為、無駄になってしまう結果は避けたい。

 万全の状態で二発がやっと。言ってしまえば、灯火を打った今、篝火はあと一発。故に妖力の使い方、使い所が重要なのである。


「しかし、少しばかり埃っぽい部屋だの、ここは」

「ここは文化祭でも使わない、倉庫として使われている教室だからあんま掃除されてないんすよ」


 猫又は鼻の頭を軽く手で擦りながら教室内を見回すと、机や椅子は壁際に置かれ、他にはダンボールや様々な教材が目に入った。

 太一は猫又に答えながら、身を低くして物陰に隠れる。


「はぁ、はぁ……」

「古々乃木君、大丈夫?」

「あぁ、息を切らしてるだけだ。その内回復する」


 太一と同じく、不巫怨口女に見つからぬよう物陰に隠れる供助と和歌。

 供助は大丈夫だと小さく笑って見せるも、その首周りには痛々しい手の跡が残っていた。


「……ごめんなさい、供助君に言われた通り、私が早く逃げてれば……」

「謝んな。こうして全員無事なんだからよ」

「無事じゃないよ、古々乃木君が危ない目に……!」

「この位いつもの事だ。慣れてる」

「慣れてる、って……」


 顔色一つ変えず、ごく当たり前の反応。

 悍しい化物が現れても、危ない目にあっても。特に変わらない事だと、日常茶飯事だと。

 供助は朝の挨拶を返すが如く、普通に答えた。


「あ、古々乃木君、手に怪我……」

「壁に叩きつけられた時にどっか擦ったか。まぁ大した怪我じゃねぇよ」

「ちょっと待って」


 和歌はスカートのポケットからピンク色のポーチを取り出した。

 ファスナーを開けて中から出てきたのは、絆創膏。しかも、可愛らしい花柄の。


「手、出して。貼ってあげるから」

「いいっての、こんなの放っておいても勝手に治るって」

「いいから。動かないで」

「お、おい」

「昔もよく擦り傷とかしてたよね」

「……っち」


 和歌は昔を思い出して微笑む。

 幼い頃、近くの公園で走り回っていた。まだ仲が良く、一緒に遊んでいた頃を思い出して。

 なのに今は、一緒に遊ぶ事なんて無くなって……会話だって笑い合ってする事も、無い。

 一瞬だけど、まるで昔に戻ったみたいで、和歌は無意識に笑みが出ていた。


「ぶっはっはははははっ! 供助、花柄の絆創膏とはよう似合っとるのぅ!」

「うっせぇ。頭ん中が花畑のお前に笑われたくねぇ」


 そして、昔の思い出をブッ壊すかのように、絆創膏を指差して笑う猫又。

 まぁ、花柄の絆創膏なんて似合っていないのは痛いほど解っている。絆創膏を貼られたのが自分じゃなくて太一だったら、供助も猫又と同じく笑っていただろう。


「はい、これで大丈夫。他に怪我している所ない?」

「ここだけだ。他には無ぇよ」


 本当は背中や首がまだ痛んでいたが、供助は言わずに嘘を吐いた。正直に言ってしまえば、和歌が心配し、さらに自分のせいだと自身を責めるからだ。

 昔からの知り合い。幼馴染だから、供助はそういう面を知っている。だから、嘘を吐き隠した。

 和歌がポーチをスカートのポケットに仕舞おうとするも、手が滑ったのか床に落とす。

 すると、ポーチの口からはみ出る小さな黄色い箱が一つ。忙しい人の味方、ペロリーメイト。


「これはペロリーメイト!? のぅ、これ貰ってもいいかのぅ!? 食べていいかのぅ!?」

「え? え、えぇ……別にいいですけど」

「やっほぅ!」


 和歌から許しを貰うと、猫又は即座に黄色い箱を手に取る。

 それはそれは速い事速い事。


「頭ん中が花畑のクセして花より団子かよ」


 前髪を掻き上げ、額を押さえて溜め息を吐き出す。

 背中や首の他に、頭も痛くなりそうだった。


「なぁ供助、さっきのアレ……なんだ?」


 供助の対面に座って、太一は口を開いた。その顔は暗く、影を作り、怯えている。

 理解出来ず、受け入れ難く、信じられないモノを目の当たりにして……恐怖が心を覆っていた。


「……あれは」

「あれは、なんだ?」

「……」

「知らないって訳じゃないんだろ? むしろ、供助は何なのか知ってる口ぶりだった」

「……」


 なんて返せばいいのか。どう答えればいいのか。供助は解らず、黙ってしまう。

 出来るなら、この世界に巻き込みたくなかった。自分がこんな仕事をしているのを知られたくなかった。

 だから、言葉が詰まった。声が出てこなかった。


「ちょっと、いいかな?」

「どうした、委員長?」

「確かにさっきの化物も気になるんだけど……」


 小さく挙手して、委員長こと和歌は話に割って入ってきた。


「あの、古々乃木君?」

「ん?」

「その、あの……」


 和歌の視線が、戸惑いながら向けられた。


「この人は誰……なのかな?」

「うむ?」


 食べカスを頬っぺたにくっ付けて、ペロリーメイトを頬張る猫又に。

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