《第86話》ひと足早く?

 今日は一段と寒さが厳しい。

 そう感じながらカーテンを開いたときの衝撃は凄まじかった。


 それは、灰色のアスファルトが白く染められていたからだ!


 莉子は顔すら洗わず、すぐさまコート、マフラー、ニット帽、軍手を装備すると、竹箒を武器に外へと飛び出した。

 うっすらと積もった雪なので、竹箒で十分だ。溶けてからでは遅いので、素早くカフェ周りを掃き掃除を行ってしまおうと、箒を振り回していく。

 影の場所はすんなりと雪がはけてくれるが、陽が当たっている場所はもう溶け始めているようで、ずるりと動くだけで全く軽やかではない。結局箒が使えないところはスコップで端に寄せる作業となってしまった。


 雪が溶け始めてはいるが、やはり冷え込みが厳しい朝だけあり、手のかじかみが強い。軍手一枚じゃ意味がなかったようだ。

 子供の頃に連れて行かれた北海道の冬に比べれば……

 なんて言い聞かせてはみたが、寒いものは寒い!

 おおまかに雪かき(とまで言えるかどうかわからない)を終わらせると、莉子はダッシュで部屋に戻り、牛乳を温め始めた。ココアを飲むためだ。


 一息入れてから身支度を整え、莉子は厨房へと立ち、今日は冷え切っているのでスープランチもいれようかと材料を取り出したとき、ふと思い出したことがった。

 クリスマスツリーである。

 そう、ハロウィンが終わってからずっと思考の先にぶら下がっているクリスマスツリーだ。


「もう出さなきゃな……」


 先日購入したのを頭の中で確認しながら、莉子は再び作業へと戻っていった。




 夜の営業時間に入ると余計に考えてしまうのが、ツリーのこと。

 12月に入った途端にクリスマス色が強くなり、BGMもそんな選曲が目立つようになった。

 電飾も増え始め、この並木道も近々ライトアップがされる予定だ。


「今日はいつになく思考が飛んでるな」


 そう言うのは連藤である。

 オーダーをこなしているものの、仕事が手につかない雰囲気が伝わるようだ。


「そんなに飛んでますか?」


「ああ、俺のワインが空のままだ」


「……これは、すみませんっ」


「そんなに悩むことあるの……?」


 今日は連藤と上がりが一緒だったようで、瑞樹は彼と一緒に来店していた。

 そんな彼でも気づいていたようで、心底心配した声音が莉子へと届く。

 莉子は薄く微笑み、首を横に振りながら、


「クリスマスツリーをどこに飾ろうか悩んでて」


「「そんなこと!?」」


 2人の声がそろうのも無理はない。

 それが手につかないほどに悩むものなのだろうか。

 男性ならそう思うかと思う。

 いや、女性でも思うかもしれない。


 だが莉子は違ったようだ。


 莉子曰く、


「うちのツリーは180cmくらいの小ぶりなものだから、外の入口近くがいいかなぁとか。

 でもみんな写真撮ったりするなら、カウンターの横がいいかなぁとか。

 カウンターの横にするなら、ひと席、潰れちゃうし……

 テーブル席の奥に置くのはスペース的にいいかと思うけど、駐車場側はなんも見えなくなるし……」


 どうも、ここに置いたらぴったりハマる! という場所がないようだ。

 逆に言えばどこに置いても問題はないが、どこに置くにも理由が欲しい。

 その理由も全く見当たらない。

 となると、悩む一方になるのも仕方がない。

 とはいえ、先日せっかく買ってきたのだから、飾ってしまいたい───


 うだうだと御託を並べた莉子に向かって瑞樹が一言。


「それなら、莉子さんがよく見えるとこでいいんじゃない?」


 さも当たり前のように言うが、理由がわからない。


「だって外の入口は確かにみんな見るけど、あんましキレイには見えないでしょ?

 カウンターの横だとテーブル席の人はそんなに見えないし。って思うと、どこに置いても死角があるから、それだったら、莉子さんがよく見えるところにおいて、莉子さんがクリスマス満喫してもいいんじゃないかなぁって」


 たまには面白いことも言うものですね。

 莉子はひとり頷き、納得したようだ。


「したら、私がよく立つ場所の前に置くことにします」


 そう指を指した場所はちょうど瑞樹の真後ろぐらいだろうか。

 ちょうど店内の中央にある入口横に置くことになったようだ。


「莉子さんのツリーだもんね! 莉子さんが見える場所が一番いいよ」


「確かに。客の俺たちはそれほど見入るもんでもないしな」


「そしたら2人にツリー出すの手伝って貰おうっと」


 そういうなり、現時刻を閉店時間30分前にしてしまう店主はどうなのだろうか……



 瑞樹と連藤を残して他の客がすべて捌けたのは1時間後となってからだ。

 そこへ下ろしてきたのは莉子の身長ぐらいだろうか。細長いダンボールを抱えて現れた。


「ひとりでも飾れるけど、やっぱ誰かと飾る方が楽しいでしょ?」


 いいながらダンボールを開けると出てきたのは、真っ白なクリスマスツリーだ。

 本当に白いツリーである。緑の針葉樹風の葉に白い粉がまぶされているのではなく、枝も葉っぱも真っ白だ。

 それのオーナメントはというと、すべてゴールドで統一されているのだが、様々な模様や塗装がほどこされ、同じオーナメントがないようにも見えるほど。さらに若干重さがあり、触った感触でガラスでできていることがわかる。


「莉子さん、ガラスのオーナメントを使うのか」


「そうなんですよ、連藤さん。だから落とさないように気をつけないといけなくって」


「たっかいねー……」


「そのたっかいものを、瑞樹くんには飾ってもらいます」


 莉子は話しながらツリーを組み立て、枝ぶりを直していく。

 瑞樹も同じく枝を直していくが、左右対称にならないと美しくないため、大雑把な莉子よりも正確な角度で調整をしてくれる瑞樹は適任だったようだ。

 莉子は瑞樹にこの作業を任せると、連藤が大事そうに握りっていたオーナメントを取り上げた。


「連藤さんはてっぺんの星をつける権利を与えます。

 それまで少し待っててください」


 莉子はてっぺん用の星を連藤に手渡すと、金色に透けたオーナメントを枝へひっかけていく。

 だが、ここでも瑞樹の几帳面な一面が発揮され、色合い、模様、大きさのバランスが美しい比率で整えられ、それは美しいオブジェへと変わっていく───


「適材適所とはこのこと。瑞樹くんが今日来てくれて良かったです……」


 見事なバランスで飾り付けられたツリーを眺め、莉子は独り言のように声をこぼした。


「おれ、ちょっとしたディスプレイとかそういうの好きなんだぁ」


「でしょうね。完璧すぎるもん、これ。

 ……さ、ラストは連藤さんのお仕事です」


「莉子さん、俺の目が見えないのをわかってて言ってるのか?」


「はい。なのでスイカ割りの要領で連藤さんを案内し、てっぺんへ乗せて貰おうかと」


「ツリーが倒れたら終わりだぞ?」


「それは瑞樹くんが支えているので安心してください」


 そういうとおもむろに連藤が立ち上がり、右腕を突き出した。



 この男、やる気である……!



「代理、マジでやるつもりなの!?

 え……あ、もっと右!」


「数歩前に進んでェ……」


「行きすぎ!」


「下がって!」



「「そこ……てっぺん!」」



 莉子と瑞樹の声が重なった。

 見事な不協和音であったが、タイミングは間違いない。


 身長が高いことが幸いし、ツリーに触れることなく天辺へと星のオブジェが乗せられた。

 しっかりと差し込まれた星は、そんじょそこらの揺れでは落ちないだろう。

 ぴったりとはまったオブジェを見て、3人のどよめきがカフェの店内へこだましていく。

 連藤自身もこれほどうまくいくとは思っていなかったようだ。


 莉子は完成したツリーの脚を隠すべく、腕ぐらいの木の筒を脚の周りに置いていく。まるで木の植木鉢のようだ。


 莉子は腕組みをしながら上から下まで眺めたあと、カウンターへと入り、さらに見つめ、


「完成です。

 みなさま、お疲れさまでした!」


 そう声を上げると、拍手が起こった。


 始めてから40分程度の設置時間ではあったが、かなり充実した時間であったのは言うまでもない。


「さぁ、今日から26日まではツリーを飾っておこうと思います」


「あとはクリスマスメニューだな」

 連藤の不意の一言が莉子の胸に刺さり込んだ。


 クリスマスメニューなんてものがあったのか……


 カウンターで項垂れる莉子を置いて、瑞樹と連藤はどんな料理でどんなワインなんだろうと会話を弾ませている。



「……クリスマス、許すまじ………」

 莉子の呪いの声は誰にも届くことなく、冷たい床へと沈んでいった。

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