《第64話》夜に咲く花 ⑷

 連藤が、莉子の足並みに合わせて連れてこられた屋台は、公言通りアメリカンドックである。

 油の揚げる音と香りが連藤に届いてくる。さらに熱気も肌に当たってくることから、ひっきりなしに揚げているのがわかる。甘く香ばしく、脂っこい空気が頬にかかった。アメリカンドックが揚がり終わったようだ。


「お、お姉さん、揚げたて1本どうだい?」


 莉子は声をかけられ、


「はい、1本お願いしますっ」


「ケチャップとマスタード、どうする?」


「あ、マスタード多めでケチャップもお願します」


 はいよという明るい声とともに、オーダー通りのアメリカンドックが手渡された。

 ここにあるものが食べ放題だなんて、本当に夢のような場所! 莉子はそう思いつつ、熱々を一口頬張った。

 顔をほころばし、二口目に進むが、


「…やっぱり、砂糖のほうが美味しい気がする……」


 連藤の顔がこちらに向いた。結構な勢いがあった気がする。


「…今、なんて言ったんだ……?」


「砂糖味が美味しいって言ったんだけど」


 覗き込む連藤に莉子は笑い、


「アメリカンドックに砂糖をまぶすのは北海道の一部だけらしいね」


「そんなところがあるのか?」


「あるんだよ。私の母の実家が北海道でね、アメリカンドックといったら砂糖なんだぁ」


「嘘だろ……」


 絶句に近い。

 そしておぞましいものでも見たようなそんな顔つきだ。塩気で食べるのが当たり前の食べ物だ。それに砂糖をまぶすだなんてことだ!

 そう言わんばかりの軽蔑の眼差しである。


「赤飯に甘納豆入れる地域だから大目に見て欲しいんだけど。

 なんていうの? 家でホットケーキ揚げたことない?

 そのとき砂糖まぶさなかった? あんな味」


「わかるが、中に入っているのはソーセージだろ?」


「魚肉だもん。ちょっぴり塩気がある感じでそれがまた美味しいんだよ。

 今じゃコンビニでも買えるじゃん。

 その地域のコンビニだったらアメリカンドックくださいっていったら、ケチャップとマスタード、砂糖どれにします? って言われるんだから」


「……ありえない」


「一度食べてみたら、存在は許せると思うよ?」


「……食べたいとも思わないから大丈夫だ。その、甘納豆の赤飯も食べたいとは思わない」


「あ、私も甘納豆の赤飯が嫌いなんだぁ。

 そそ、黒飯もこっちの人には馴染みがないみたいだね」


「なんだそれは?」


「黒豆を使ったおこわのことだよ。

 赤飯の小豆を黒豆にしたバージョン?

 これは北海道だとお葬式とか法事のときに食べるものだからさ、たまにこっちから嫁いだ奥さんが、黒豆でおこわ炊いて、縁起が悪い! ってなるって話、ばあちゃんから聞いたことがあったなぁ」

「北海道は、未知の食文化なんだな……」


 彼の見えない目で見つめる世界は、本当に異次元のようだ。


「そりゃね、あっちこっちの郷の人が北海道を開拓したんだから、そこらへんのいろんな文化が混ざってくるよねぇ。ジンギスカンだって全然道内で味付けが違うし」


「広いだけあるな」


「本当にね。ね、次はさ、串焼き食べない? 牛の串焼きだって! めっちゃ美味しそう」


 莉子は次の屋台にめぼしをつけたのか、再び連藤の腕を引いて歩き出した。もうすでにアメリカンドックは胃にしまいこまれてしまったようだ。

 その途中で、


「連藤さん、頭ちょっと下げて。髪の毛、なんかへんなとこある」


「え……ああ、…どうだ?」


 連藤が莉子に頭を下げて見せると、いきなり何かが取り付けられた。

 手で確認すると、薄いプラスチックでできたものがある。連藤はすぐにわかった。


「お面をつけたな」


「強面の代理が、これだけで可愛く変身!」


「……莉子さん……」


「ちゃんと戦隊モノの、参謀ブルーにしたから。ちなみに私はグリーンね。今年の戦隊モノはグリーンが女の子なんだって」


 ブルーブルーと連藤は口ずさむがほぼ無表情の彼を莉子は連れて歩いていく。

 引きずられるように歩くが、連藤の耳元にはくすくすと笑い声が聞こえてくる。


 ……気がする。

 自分は耳もいいし、肌で雰囲気を感じることもかなり詳細に感じられる方だ。


 連藤は改めて思いなおし、左腕を掴む莉子の手に自分の手を当てた。


「莉子さん、お面なんだが…」


「だいじょうぶだいじょうぶ。

 何か聞こえているとしたら、それは自意識過剰だからだよ」


 莉子は連藤の鼻を一つ突き、牛の串焼き屋に向かっていく。鼻先には香ばしい脂の香りと炭の匂いが漂ってきた。目の前に立つと火の熱が肌をかすっていく。脂を炭が弾く音といっしょに美味しいタレの香りも舞い上った。


「お、兄さん、カッコイイね!」


「でしょ?」


「お姉さんもイイねぇ、浴衣と似合ってるよ」


「ありがと! したら牛の串焼き、2本下さい」


 牛の串焼きを買い、それも食べきるとお好み焼き、イカ焼き、フランクフルトも購入し、最後に綿あめを手に入れる頃には、頭にそれがあるも忘れていた。

 なぜなら莉子が他人の声が聞こえないほど、どの屋台が美味しそうかを解説をしながら歩き回っていたのだ。方向感覚が鋭い連藤でも、これだけ連れまわされると自分がどこにいるのかわらなくなる。すでに白杖を折りたたみ、身を任せている状態だ。


「おう連藤、お前久しぶりに祭りを満喫してるな!」


 鼻で笑いながら現れたのは三井だ。


「似合ってるでしょ?」


「あの堅物とは見えない出来だわ」


 思い返して思わず連藤は頭を触る。


「ああ、お前、取るなって!」


 三井が連藤の手を押さえ、


「雪の女王みたくブリザードしか放たないお前が、お面かぶってるのはほっこりするんだから、しばらくはそれをつけておけよ」


「私もつけてるんだから、お揃いでいいの! さ、そろそろ花火の時間ですよ。席で食べながら見ましょっ」


 莉子の勢いに押され、外せないまま席に腰をおろし、さらに莉子は連藤の右に腰を落ち着けた。

 すぐに手に残っていたイカ焼きとお好み焼きが、連藤から抜き取られていく。


「連藤さん、右の手のひら、出してください」


 莉子はその手を受け取ると自身の太ももの上へと置き、それから連藤の口元へとイカ焼きを運び、さらにお好み焼きを食べさせていく。莉子もお好み焼きを頬張ると、焦げたタレを堪能しながら、


「やっぱ直の鉄板で焼くと香ばしさが全然違いますね!」


 莉子の隣に腰をかけた瑞樹が、


「俺もそこのお好み焼き買ったんだよね。他の買ったけど、そこが一番うまい!」


「キャベツの量が違うと思って選んだんだ。正解だったね」


 莉子が自慢げに頷いたとき、ポンと高い音が響いた。

 始まった。ところどころから上がる声で、すぐに会場の明かりが落とされていく。

 暗くなり、あたりのざわめきが止んだ時、激しい炸裂音が鳴り響いた。

 腹に響く音とともに舞い上がる笛の音は、席が近いせいもあるからか、はっきりと聞こえる。

 上空へとたどり着いた途端、音が止み、歓声が上がって、さらに破裂音が轟いてくる。若干熱気も感じるほどだ。


「今、シャンパン色の花火が地面からたくさん舞い上がってますよ

 莉子が連藤の耳元で解説をし、太ももへ置いた手のひらにその花火の絵柄を描いていく。

 再び体に刺さる音が鳴ったあと、ひときは大きな炸裂音が鳴り響いた。


「空いっぱいの大きな花火です。菊の花のように大きいです。赤色から緑に変化しました」


 再び花火の絵が描かれる。


「今度はニコちゃんの絵ですよ!」


 ───連藤の手のひらに、いくつもの花火が上がっていく。

 連藤は音の大きさから、花火の規模は想像ができても、どんな形でどんな色の火花が散らされているのかはわからない。

 だが、おおまかであったとしてもそれを彼女が手のひらに描いてくれる、それだけで暗い瞼に昔見た花火が映し出されてくる───


「もうラストのようです。ナイアガラですよ。その後ろにヤシの木みたいな花火がたっくさん上がってます。

 すっごくキレイで、大迫力です」


 さらさらと聞こえてくる花火の音は火花が散る音なのだろうが、まるで粉雪が散らされるそんな音にも聞こえる。瞼の裏にも透けるほどの明るさを感じながら、莉子が描いたヤシの木が幼い頃の記憶に繋がった。



『お母さん、ヤシの木みたい!』


『そうだね、かーくん、ヤシの木みたいだねぇ』


 優しく手を握って話す母の顔が見える───


 莉子の手が急に握り締められ思わず連藤を見上げたが、柔らかい微笑みを浮かべて少し遠くに視線を投げている。何かを懐かしんでいるそんな表情に、莉子も微笑み、握られた手を優しく握り返した。




 花火は上がれば終わるもの。

 豪快な花火の打ち上げが終わったあと、いつものメンバーで名残惜しそうに屋台をなぞり、買い忘れのないようにしながらカフェまでの道をのんびりと歩いていく。

 綿あめを手首に引っ掛け、連藤をサポートしながら歩くこと20分。

 辿り着く頃には体力が0といっても過言ではない。

 人ごみで自分のペースで歩けないのは苦痛のなにものでもない。

 だがこのカフェだから20分で済んだのだ。

 これが駅まで行くなら何時間かかるのだろう。


 三井はすぐさま車を動かし、接待の人間を次の会場まで送る手配に入る。

 片手をあげて颯爽と消えていくなか、奈々美と優も荷物をまとめ、すぐに巧の車で移動を始めた。1分でも遅れると走り慣れた道が壮絶に混むのである。


「莉子さぁーん、またねー!」


 四人の声を見送りながらカフェに残されたのは、莉子と連藤だけだ。

 立ったままの二人だが、


「連藤さんは接待いいの?」


「ああ、俺は混雑する場所への参加はしなくていいことになっている」


「花火は参加してたのに?」


「花火は、これは特別だな。

 エマの件もあって抜けられないんだ」


 莉子はふぅーんと興味なさげに相槌を打ち、


「したら、シャワーでも入って、ビールでも飲みましょうか」


 莉子は連藤の手を取ると、階段を上っていく。

 少し疲れた足取りだが、ビールが待っているからか手のひらからは浮かれた雰囲気が聞こえてきた。

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