第28話 腕時計

 ワインディングマシンで『フランクミュラー』が回る。

 子供の頃から憧れていた腕時計。

『カサブランカ』シンプルなデザイン、だけど、個性的はフォルム。

『異』でありながら、『奇』にならない。

 いうなれば…『妖』といったところだろうか…。


 今の僕には、過ぎた代物。


 滅多に身に付けることが無かったのは、もったいないからじゃない。

 自分が、この腕時計に相応しくないと自覚しているからだ。

 僕には、品格が足りない。

あやかし』を纏うには『おさな』すぎる。


 いつもそうだ、身の丈に合わない物を欲しがる。

 物だけじゃない。

 恋人もそうだ。


 そして、勝手に劣等感を抱き、病んでいく。

「どうして…僕の隣にいてくれるの?」

 僕のことなんて、好きでもないだろうに…。

 劣等感が強すぎて、自分に向けられた愛すら疑う。

 それほどに僕は自分が嫌いだ。


「自動巻きは、1日に数秒の遅れが出ますので…」

 購入するときに言われた。

 そういうものらしい。

 機能だけを優先するなら、クォーツのほうが正確なのだ。

 多分、3000円の時計でも、そんな遅れはでないだろう。


 なぜ、高級時計は自動巻きが多いのか?

 技術ではないのだ。

 機能より、ブランドが優先される。

 人間特有の矛盾だと思う。


 技術は向上している、大量生産も可能になっている。

 でも、それらに価値を見出さない。

 むしろ、正確な時刻を刻む時計より、遅れる前提で提供されている時計の方が遥かに高価値を見出す。

 能力重視ではないのだ。

 ブランドというロゴに価値を求める。

 これは、皮肉だ。

 そして、こういうことは、当たり前に受け入れられている。

 そう、会社でも…。

 仕事が出来る人間に価値を見出せない会社が多い。

 むしろ、そういう人間が邪魔だと判断する人がいる。


 パソコンを使えない社員が1日掛けて大変だと言うから、パソコンで10分の打ち込みで処理できるようにした。

 本来なら、効率化として褒められるべき事案だが…その男は、会社に居られなくなった。

 なぜか?

 その人の仕事を奪ったからだ。

 つまり、その人の価値を奪ったという理由で、協調性が無いと判断されたのだ。

 会社は、パソコンを使えない人間を庇い…パソコンを使える人間を疎外した。


 私のことだ。

 会社が求めていることは、必ずしも効率化ではないということだ。

 皆と同じレベルで働けること…。

 突出した能力は要らないということもある。


 この腕時計を、私が売らない理由は…。

 使うわけでもない。

 機能的でもない。

 重く…不正確な時間を刻む自動巻きの腕時計。

 これは、僕自身が、在るべき姿だから。


 私は時計が好きだ。

 懐中時計、腕時計、壁掛け時計…様々な時計がケースに収められ、あるいは部屋を飾る。


 だけど、私は時計を見ない。

 スマホがあるからだ。

 必要ないのだ。


 何本もの腕時計がケースで時を刻み続ける。

 時に電池が切れて止まったままの時計もある。

 同じデザインで色が違うだけの時計もある。


 その全ては、機能で選ばれた時計ではない。

 自分だって同じなのだ…。

 求めているのは性能ではない…見た目の美しさ。


 時を刻むことを目的としながら…誰もソレを求めていない…。

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