第五回 最高のエンディング

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 その声は、圭士が駅に戻る方向から聞こえてきた。


 視線を右へ45度移動させる。白のブラウスにカーディガンをはおり、パンツ姿の柳奈々が立っていた。肩からは男モノの四角く黒い大きなバッグを持っていた。女性が持つには、あまりにも似つかわしくない。


「あ、柳さん。先日はどうも。えっと、今日はどうしたんですか。この辺が職場ですか?」


 おととい、初めてライブ会場で会ってSupertailの話に華を咲かせた矢先に姫宮の誘拐事件が起きてしまい、どんな表情を作れば良いのか圭士はわからなかった。あの時、もっとSupertailのことを話したかったこともあり、柳と再会できて正直心が踊った。


「いえ、そうじゃないんですけど、諒がお兄さんのバーのことを伝えたと言っていたので、ここに来れば深和さんに会えると思って」


 柳は、Beat Bootsで会った時ほど快活ではなかったが、笑顔を見せてくれていた。


「でも、どうして俺に……」


「決まってるじゃないですか。Supertailについて深和さんともっと話をしたかったんで」


「いやー、嬉しいです。この前はちょっと消化不良だったのでもっと話せたらいいなって……」


 対面する柳と圭士の距離は変わらないが、心の距離が近くなったと、圭士は感じずにはいられなかった。


「ふふっ。決まりです。もし、お時間あれば、ご飯でも食べながらお話しませんか」


 柳の誘いに圭士は一瞬、あっ、と思った。ポケットにしまった名刺の感覚がポケットの布ごしに伝わってきた。


 古井諒の兄・龍に渡された名刺の人物に、今日会いに行かずとも連絡をしようと思っていた。しかし、目の前に突如、柳が現れたことで、後でもいいかと優先順位を入れ替えた。


 どうせ、またたらい回しにされて徒労感を味わうよりは、今、柳と話をして盛り上がった方が精神衛生上いいに決まっている。下らない男心だが、いいじゃないか。


「ぜひぜひ。この後、どうしようか考えていたところだったので。俺には時間くらいしか余ってないし」


 圭士はそう言って悲しくなったが、柳と話ができることの嬉しさが悲しさもろとも包み込んでくれる。


「良かった。私、イイところ知っているので、少し奮発して大人の食事に行きましょう」


 少しはしゃいだ笑顔の柳を見て、普段の生活にはないときめきが圭士の中に湧いた。言い表せない感情が圭士の表情をフリーズさせていた。


「あの、そういえばお仕事をお辞めになられていたんですよね」


 柳は記憶を思い返して、圭士の金銭状況を考えてしまい、ばつが悪くなったと思ったようだ。


「あぁ、特にお金のことは気にしないでください。会社辞めたのは自分の意思ですから。少し休憩したいなと思ったので。さぁ、大人の食事に行きましょう」


 と、圭士は明るくふるまって駅に向かって歩き出した。


「えっと、駅に向かっちゃっていいのかな?」


「はい! まずは森手線もりのてせんで磯梅町駅に行きましょう。その先は、着いてからのお楽しみで!」


 柳もすぐに圭士の横に並んだ。そして、二人は目が合った。柳は特に意識してなかったが、圭士はドキッとしたことを悟られないように、柳が肩からかけている黒いバッグに視線を移した。


「それは仕事のバッグ?」


「これですか。仕事の……バッグです。カメラやレンズが入ってます。私、ライターやってて。今日も昼間取材しに行ってたんです。今、その帰りで、タイミングが合えば深和さんと会えるかもと思って」


「へー。でも、会社に戻らなくていいんですか?」


 ライブで出会った時は、どんな職業に就いているか全く想像できなかった。ライターと聞いて、その姿を見るとそう思えなくもない。


「えぇ。今日は大丈夫なんです。深和さんは今日、何か作者への手がかりを得ることはできましたか?」


「作者への有力な情報は得られなかった。でも、面白い話が聞けたよ」


 高架を走る電車の音に負けないように、声高らかとSupertailには続きがあるという可能性の話をした。柳も圭士と同様に驚き、すぐにコピー用紙を確認したがっていた。


 華似寿かにす駅は、夕方の帰宅時間と重なり、人が多い。圭士の後を追うように柳は着いて行き、改札を通り抜けた。そして、ホームに向かうエスカレーターを上がる。


「じゃぁ、私も面白い話を一つ。深和さん、もしかしたら気づいているかもしれませんけど」


 柳はそこまで言って、間を空けた。圭士は、その間に期待を膨らませる。


「なんだろう」


「Supertailの作者は、実は二人いるんじゃないかっていう説」


 その説は、圭士も初耳だった。


「どうしてそう思ったんですか?」


「やっぱりコピー用紙をよく見ないとわかりづらいんですけど、筆跡が違うように見えるんです。十枚ごとに回ってくるじゃないですか。交互に二人の人物が書いているんです」


「いや、それは気づかなかった」


 そう。何度もコピーが繰り返され、お世辞にもその白黒コピー用紙がキレイとは言い難い。それに手書きの文字も丁寧に書かれているわけでもなかった。読み始めた当初は、字に慣れるまでSupertail本来の面白さが伝わってこなかった。その点、幾分かの読者になる潜在人数が減ってしまったかもしれない。


 しかし、これが電子媒体によりテキスト配信されていたら、もっと多くの人に読まれていたかというと疑問だ。Supertailはコピー用紙だからこそ、ここまで読み継がれてきたのだ。


 やっぱり手元にコピー用紙が欲しい。外に出る時は持ち歩いてすぐに確認できるようにするか。あの量を持ち運ぶには枚数が多すぎる。


 そこに磯梅町駅のある犇川ひしめきがわ方面の電車がホームに到着した。車内は、混雑気味だ。



- 2 -


S5 森手線・電車内(夕方)


 圭士と柳奈々、長座席前の中央に立つ。

 奈々、バックを荷物棚の上に置く。


圭士「リレー小説ってやつか。打ち合わせなしで、続きから書く」


奈々「はい。Little Stories内でもそれは意見が一致してるんですけど、二人とも男性なのか、あるいは女性なのか。それとも男と女が交互に書いているのかは、意見が分かれています。深和さんはどう思って読んでました?」


圭士「俺は完全に作者は男だと思っていました。リレー形式だとしても、男二人が書いているんじゃないかな。ほとんどが登場人物の台詞だけで物語が進行して地の文があまりないから、当然、人間描写も少ない。そこがもう少し書かれていたら、男か女か判断できたのかもしれないけど」


奈々「私は、男女で書かれていると思っているんです」


圭士「どうしてですか?」


奈々「特に女性が書いているなと思うところがあって。ハワイ編の冒頭で、姫宮亜耶弥が聖士宛に手紙を書いたところとか、女性的発想かなって。英士だけを連れて、ハワイに行ってしまう内緒の行動を手紙に託す感じのあたりが」


圭士「あぁ、言われてみると、ちょっと男の発想にはないかも」


奈々「あとロボット編の最後の方に、突然差し込まれたように始まる月紀元前2500年のお姫様のお話やそこに登場するツクヨミとインドラの神話的世界を描くところも。出雲編でもツクヨミとインドラは亜耶弥と英士の守護神でもあったり」


圭士「それは単に一方の作者がファンタジー世界に精通する知識を持っていただけかもしれませんよ」


奈々「それはそうなんですけど。ツクヨミ・インドラ描写は、回ってきたコピー用紙の順番からして、ファンタジー世界に精通した人の回に必ず出てくるんですよ」


圭士「えっ? そんな細かく分析しているんですか」


奈々「はい。もちろん」


圭士「恐れ入ったな。俺は、ただ読み流しているようなもんだからな」


奈々「こんなことしているのは、Little Stories内でも私だけですよ」


圭士「Supertailは好きだけど、柳さんにはかなわないな。こんな俺が、作者探ししていいのか……」


奈々「そこは関係ないと思いますよ。作者探し、ぜひ続けてください」


圭士「あぁ……」


奈々「元の話に戻りますけど、コピー用紙の順番をハワイ編の冒頭まで追っていくと、亜耶弥の手紙の回と女性が書いた回が重なるんです」


圭士「へー。じゃぁ、男女でリレー形式という説は有力にしてもいいですね。そう考えると女性作者の方が発想が突飛な気もしますね」


奈々「はい、私もそう思います。突飛な展開ですけど、広げすぎて回収できていないところもありますし」


圭士「ハハッ! 確かに」


奈々「でも、もう一人の作者の場合、その突飛な展開を上手く物語に組み込んで進行させていると思うんですよね」


圭士「あぁ。女性作者ほどではないけど、面白い展開を見せますよね。え、これ、どうなるのって」


  × × ×


 電車、犇川駅に到着。多くの乗客が降車する。

 圭士と奈々、空いた座席に座る。

 奈々、荷物棚からカメラバッグを降ろして、抱えて座る。


奈々「深和さんは、どのお話が好きなんですか?」


圭士「そう言われると困るけど……んー、出雲編かな」


奈々「それは、どうしてですか?」


圭士「Supertailを初めて読んで衝撃を受けたからかな。会話だけで進んでいく展開スピードが凄まじく、最初は着いていけなくてさ。だんだん読んでいくうちに慣れて、地の文の描写が少ない分、世界を自分で想像しやすかったし」


奈々「そうですね。出雲編は、現代がベースですし。セリフだらけで何かの劇台本か、とも考えた時もありましたね」



圭士「もしくは脚本か、会話劇か。どれも違う気がするけど」


奈々「出雲編は、亜耶弥と八唐司で千里眼の妖術を作り出すところが好きです。この辺りから、みんなの連携が取れてきて、仲間っていいなって思いました」


圭士「俺もそこが好き。その前まで、個人で黒き影を倒していたけど、千里眼を作る二人は無防備になって、黒き影を引きつけてしまうから、聖士と英士が守るんだよね」


奈々「はいはい! 女目線でごめんなさい。その聖士と英士の連携やところどころ敵対していても、最後は信じ合っている友情にきゅんとしちゃうんです、私」


圭士「柳さんも出雲編が好きなんですか?」


奈々「んー、私は、ハワイ編ですね。うん、ハワイ編」


圭士「ハワイ編、少し重い話ですよね。多重人格」


奈々「そうですね。でも、あれが人間の本来持つ性だったりすると思います。タイムゲートをくぐって、ハワイから日本に戻ってきて、聖士たちの学校に到着してからの展開は、私、ゾクゾクしちゃいました」


圭士「あの展開は、誰も予想できませんね。亜耶弥と英士の豹変で、学校内はパニックになって、友達すらも平気で殺しちゃって。あれは、作者自身の投影なのか」


奈々「人間の性ですよ。今、それが起きたらテロですけど。その中でも、一番好きなシーンはラストのラスト。最高のエンディングです」


  × × ×


 いつの間にか、外は雪が降り出していた。

 雲に覆われて暗くなっただだっ広い校庭の真ん中に二人は突っ立っていた。

 そして、二人を追ってきた聖士。


亜耶弥「ふふふっ。追って来たの? 来なけりゃ、すぐ死なずに済んだのに」


聖士「黙れ! 仲間を殺されて、怒らない奴がいるかよ」


英士「涙? そんな大切なモノだったのか、あいつらが?」


聖士「お前らはもう何も覚えていないんだな」


亜耶弥「お芝居するのが、大変だったわよ!」


英士「特にバカやってる時はな!」


聖士「そういうことだったのか……。ハナっからそんなんだったのか」


  聖刀を鞘に入れなおす聖士。


英士「抜刀術の構えか……」


亜耶弥「まだやる気なの? (めんどくさい……)」


英士「お前がやれよな。どーせ、面倒くさいとか思ってんだろ?」


亜耶弥「いいえ、やります」


 聖士と亜耶弥は同時に走り出した。


英士「二人とも消えた」


 刀と剣がぶつかり、その残響音だけがあちこちから聞こえる。


亜耶弥「(どうしてトドメを刺せないのかしら)」


英士「(有皇川聖士、人間にしちゃ、やるな……)。どけ、亜耶弥。俺がやる」


 姿を現わす聖士と亜耶弥。そして、英士が走り消える。


亜耶弥「うんもう、どーして取るかな」


 聖士、刀を鞘に戻し、抜刀術の構え。消える。


亜耶弥「(私の時より速い。悟られたか……。今の聖士に私のそんなことを察する感情は持ち合わせていないはず……)」


 一閃の光。

 聖士と英士が姿を現わす。

 聖士の頬から血が出てくる。そして、英士からも。

 英士はそれを手で拭きとって笑う。


英士「おもしれぇーことしてくれんじゃんかー」


聖士「どうしてだ。どうして俺たちがこんなことをしなくちゃいけないんだ」


 それを聞いて笑いまくる二人。


亜耶弥「アハハハッ。人間は死すべき存在なのよ」


英士「そして、お前には生きる権利はない。いや、生まれてくる権利そのものがなかったんだ」


亜耶弥「そう。人間の存在自体が、忌むべきことなのよ。さぁ、死になさいよ」


 亜耶弥と英士は笑って剣を同じように構えた。そして、聖士は刀をそのまま捨てた。

 聖士はただ呆然と立ち尽くすだけだった。


聖士「お前らは、俺にいろいろなことを与えてくれた天の救いだった。でも今は、俺から大切なものを奪った悪魔のようだよ」


 雪降る天を見上げる聖士。


亜耶弥・英士「お褒めの言葉をありがとう」


 聖士に向かって走り出す二人。避けようともしない聖士。


<<亜耶弥が俺を信じてくれなくてもいい。俺は亜耶弥を信じる。俺はお前の本当の笑顔をちゃんと知っている。>>


聖士「お前らは残酷な天使だ」


 そして、聖士と二人はすれ違う。そこで天に舞う赤い血と白い鳥。



- 3 -


 磯梅町駅に到着すると、もう外は日も落ち暗くなっいた。磯梅町駅は湾岸エリアにあって、オフィスビルが立ち並び、少し歩けば海もある。こんなところでの大人の食事とは何なのか圭士は見当もつかない。


 柳は、海方面へと歩き出す。いくつかホテルがあったが、高級レストランでの食事なのか。圭士は、促されるまま柳についていった。


 いくつか通りを渡ると、湾岸に沿って走る電車の駅・梅芝にある客船ターミナル広場にやってきた。大きな帆のオブジェが広場の中央にあり、周囲の建物に客船会社の窓口がいくつもあった。柳は、その一つに迷いもなく入っていた。


 窓口で有無を言わさず、二万円に届かないくらいの支払いをさせられた。柳から事前に金額の提示がなかった分、良心的な値段にホッとした。


 30分後に出発する豪華客船に乗って、湾内クルーズに出掛けるようだ。大人の食事とは、湾内を周遊する豪華客船で夜景を見ながらの食事だったようだ。


 豪華客船と言っても、世界を股にかけて海を航るような大きな船ではなく、それをもっと小さくした船だ。小さくと言っても、見上げるほどはある。


 船が出港する。真っ暗な海を不安に脅かされることなく進んでいく。岸から離れていくと、大きすぎて見えなかった湾岸沿いのビルや工場のライトアップが遠くで幻想的に見えてくる。そして、それは船の速度に合わせて流れていく。


 海の上にいるのが不思議に思える景色だった。しかし、海からしか見ることができない数々の陸の光。


 圭士と柳は、客船の一番上のデッキにいた。屋根はなく、開放感のあるオープンデッキ。圭士は久しぶりに海風を肌で感じていた。恋人が並ぶように、柵に身をあずけ、二人のために灯された陸の光をしばし眺めていた。


 体が冷えてくると、どちらからともなく顔を合わせて船内に戻った。


 貴族の屋敷にあるような絨毯張りの階段を降り、レストランへと向う。平日ということもあって客は少なかった。二人は、窓際の夜景の見えるテーブルに案内された。


「こういうところ、よく来るんですか?」


「今日が二回目です。一回目は、仕事仲間に連れてきてもらったんです。あ、女二人ですけど」


 圭士は、内心ホッとしてしまった。男女二人で、夜景を見て下心が出ないといえば嘘になる。しかし、さらなる展開は夢物語だと自制プログラムを発動させる。


 コース料理が運ばれてきても、Supertailの話で盛り上がった。他人とこんな長い時間Supertailについて話をすることがあっただろうか。料理が美味しいから話がはずむのか。それとも話が楽しいから料理が美味しく感じられるのか。圭士は、言い知れぬ満足感に浸っていた。


「現代をベースにした少年少女の物語。今でいうライトノベルの走りの作品とも言えますよね」


「ごめんなさい。ライトノベルは読まないのでわからないんです。読者に考えさせる余白のある書き方をしているので、頭の中で想像はとてもしやすいですよね」


「いえ、俺もそこまで詳しくはないですが、書き方が似てるかなって。でも、ストーリー展開に毎回テンプレートがないからハワイ編のラストは予想できない。毎回、どうしても次回に期待しちゃうんですよ」


 圭士はアルコールが入ったせいか自分でも普段以上に勢いよく話していると感じていた。


「わかります。毎回、どんな風に始まって、終わって、どうバトンタッチされるのか楽しみでした。唯一、ストーリーのテンプレートといえば、新章の冒頭ですよ」


 柳も話している表情が楽しそうで、笑顔が絶えない。


「出雲編からロボット編になる時は地続きでしたけど、世界観がガラッと変わってましたね」


「ロボット編は夢落ちでしたね。ハワイ編の冒頭で、風邪で寝込んでいた亜耶弥の見ていた夢がロボット編という落ち。で、そのハワイ編は映画になってましたね」


 柳はワインを一口注いだ。圭士は柳がグラスを置くまで待った。


「映画という落ちにピッタリなハワイ編のラストだと思いますよ。ハワイ編の上映が終わった映画館から、ブラック・ローズ編が始まる。もし、あるならハワイ編の続きが見たい」


「はい、私も。本当に続きのノートがあるなら、読みたいですよ」


 それから一つ間をあけて、美味しかったと心からの言葉を出した。言わずともその表情を見ればわかると圭士は柳を見ていた。



- 4 -


 もう30分もすれば、湾内クルーズを終え、港へ戻る。


 圭士と柳は、酔いさましにまたデッキへ向かった。向かった先は、船の左右に伸びるシーサイドデッキだった。そこは誰もいないばかりか、照明もいくばくか暗く、男女の二人が最後の時間を過ごすにはピッタリだ。


 夜景はまだ遠くにある。真下を見れば、真っ暗な海。鉄板が波を砕く音しか聞こえてこない。それを二人だけで聞くには悪くなかった。


 カップルベンチも用意されていたが、しばらく、二人は立ち並んで柵越しに二人だけが共有する夜景を眺めていた。


「ふぅー」


 と、柳は深く息をして、柵から一歩下がった。圭士の視界から柳は消えたが、離れた様子はない。すぐ後ろにいるようだった。そして、カメラバックを開ける音がする。


 この夜景の写真を撮るのだろうか。


 圭士がそう思った時、後頭部に強い衝撃を受けた。痛みより驚きの方が強く、何が起きたのかわからない。上半身は柵を乗り越え、もし足が持ち上がればひっくり返って海に落ちてしまう状態だ。


 ズキズキと疼く頭を上げて上体を起こして、後ろを振り向いた。


 冷たい目をして圭士のダメージ具合を観察している柳が、銃を持っているのがわかった。圭士の意識はまだはっきりとして、倒れ込まないように手すりをしっかり握っている。一瞬、床に置かれた柳のバッグを見た。口の開いたバッグにカメラはない。入っていたのは、柳の握るそれらが確認できた。


 柳は銃口側を握って「へ」の字に持ち、振りかぶる。


 そして、ためらいもなく銃を振り下ろした。


 圭士は、こめかみを殴打され、また上半身が柵の外へ出てしまう。意識は朦朧とし、動きは鈍い。


 柳は圭士の両足を抱えて、そのまま立ち上がった。


 圭士は真っ逆さまに海に落ちていった。


 すぐに海水の冷たさで目を覚まし、必死に海面に顔を出した。デッキからは、柳が銃を向けていた。


「ど、どうして……」


 船の波を受けて、圭士は海水を飲み込んで咳き込んでしまう。


「ごめんなさい、深和さん。あなたのDestiny Begins to move. をストップさせなければならなくなった。あの方の命令は絶対だから。……本当に今日は話せてよかったし、楽しかった」


 影になった柳の表情ははっきりとわからない。しかし、引き金を引くと同時に柳の目からキラリと光る涙が一粒こぼれた。圭士は、柳から放たれたその二つの光を見て、海に沈んだ。

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