エピローグ:帰り道

「しかし、残念だな。君の仕事ぶりは評価していたし、楽しみにもしていたのだが」

「ありがとうございます」

「もし、長期欠勤のことを気にしているのなら。むしろ復帰して休んだ分をバリバリ働いてもらったほうがいいのだけどね」

「全くです。ただでさえ、うちの部署は人が育たないというのに」


 社長と課長の心からの言葉であろう引き止めを嬉しく思いながらも、俺は深く頭を下げた。


「最後にご迷惑を掛けるばかりになってしまったこと、本当に申し訳ありません。ですが、決して後ろ向きな理由からの退社ではありません。こちらで学ばせていただいたことも併せて、やれる内にやりたいことをやろうと思った、私のわがままなのです」


 課長に辞表を出したら、社長から呼び出しを食らってしまった。

 色々と迷惑を掛けた上に退社とか、絶対怒られると思っていたのだが、その実は、何か仕事に問題があったから辞めるのでは? という気遣いの上での確認だった。

 まぁ突然長期欠勤した上に退職とか、普通何かあったと思うよな。

 まして社長や課長は俺がハンターであることを知っている。


「やりたいことというのは、その、ハンターのほうを?」


 社長が眉根を寄せて単刀直入に尋ねた。

 うちの社はわりとアットホームな所があって、社長はいつも社員は家族であると言っている。

 気にしてくれているのだろう。

 そもそも一般人からすれば、今時ハンターなどと言う仕事は、テレビジョンで子供達が観ているヒーローものの主人公のような存在だ。


「あ、いえ、入社の面接の際にも話させていただいたのですが、私は本来手作りおもちゃを扱って行きたいと思っていたのです。ですが、ある意味そういう夢を追う仕事はハンターの仕事よりずっと現実味のないものとして正直諦めていました。ただ、そうやってやりもしないで諦めるのは何かが違うと思って、まだ新しく何かをやれる内にやってみようと思った次第です」

「ほう」


 俺の言葉に、社長は俺がこの場所に呼ばれてから初めて、眉間のシワを解消して明るい表情になった。


「長期休暇の間に心境の変化があったか」

「っ、あ、はい。そのような感じです」


 個人で、店を出す。

 実際出すだけなら難しいことではない。

 なにしろ資金は豊富に持っている。

 ただ、単なる趣味の店ではなく、それだけで食っていけるようなお客さんから求められる店になれるかと言うと難しいだろうなと思う。

 正直、ハンターの仕事のおまけ、金の余っている奴の道楽というように言われるだろうと覚悟していた。

 そして、そうなりたくないから俺はハンターを辞めていたのだ。

 それを再開して、二足のわらじを履くのだから、間違いなくそう思われるだろう。


「うん、いいことだ」

「……あ」


 社長がにっこりと笑って言った。


「我が社も元々は小さな家電ショップだったのだよ。お客様の要望でオリジナル商品を作るようになって今のこの会社がある。どんな大きな会社も最初から大きいということはないのだ」

「はい」

「もしおもちゃだけでなく、人に便利な商品を開発したなら、ぜひ我が社と提携してくれないかな。その時は木村君も社長だな」


 覚悟は決めていたものの、他人から見て愚かなことをしているという自覚があった俺にとって、ハハハと笑った社長の思いもよらない温かい言葉は、とても励まされるものだった。


 ―― ◇◇◇ ――


「飲まされたなぁ」

「当たり前ですよ。これが最後なんですから」

「佐藤の野郎がどかどか注いで来るから」

「佐藤さん凄い号泣していましたね。隆志さんをとても頼りにしていましたから、寂しいんですよ」

「まさか」

「まさかじゃないですよ。佐藤さんって発想が飛び抜けすぎて他人になかなか理解してもらえない方なんです。でも、いつも隆志さんにだけは相談したり、頼ったりしていたでしょう」


 そうだったのか、いつもうざがっていて済まなかったな。

 でも、俺だってほとんど理解不能だったんだぞ。


 俺が辞意を表明してから色々と社内ではあったが、とりあえず引き継ぎも、申し送りも大体終わって、月末の週末である今夜は送別会が行われた。

 気軽に楽しめるようにと、社長は資金提供だけをして、うちの課と隣の開発室のみの内々の送別会だったのだが、かなり資金をもらったとのことで、美味い料理と旨い酒をみんなで楽しんだ。

 新人君と佐藤に散々絡まれたのは辟易したが。


「一ノ宮室長、結局腕、駄目だったんですね」

「ああ、相手の力が肉体に干渉しすぎていて、変質を起こしてしまっていたらしくて。結局繋がらなかった。でも本人は最新式の義手を楽しんでいる風だったな。『人間は完璧すぎないほうが魅力があっていい。これで俺も足りなかった人間的魅力が加わって最強の存在になった』とかうそぶいていたぞ」


 伊藤さんがうつむいてしまったのをどう慰めようかと心配したが、俺の視線に大丈夫というように微笑んでみせる。

 どうしたって彼女は今回の件を自分のせいだと思ってしまうのだろうけど、そうじゃない。

 今回の件は全部俺から起こったことであって、伊藤さんも流もそれに巻き込まれたに過ぎないのだ。

 まぁそう言うと二人共怒り出すから言わないけどな。


 俺は会社を辞めたが、伊藤さんにはそのまま残ってもらった。

 本当は一緒に辞めると言われたのだが、店を出したいのは俺のわがままだし、いきなり躓くことだって考えられる。

 それに伊藤さんまで付き合う必要はないだろう。


「考えていることはお見通しですよ。私、結婚したら会社辞めますってもう課長に言ってありますから」

「えっ!」

「夫婦は共に支え合って生活するのが当たり前でしょう? まぁ結婚するまでは隆志さんのわがままを聞いてあげます」

「おおう」


 そ、そうか、一人でやりたいっていうほうがわがままなのか。ううん、また二人でじっくり話し合いをする必要があるよな。

 だが、もうすぐ伊藤さんの家に着いてしまう。

 とりあえず今日の所は勘弁しておこう。


「隆志さん? 本当に一人で帰れますか? なんなら家に泊まって行きませんか?」

「ダメだ、伊藤宅に宿泊したら、俺に明日は来ない」

「うちを迷宮よりも怖い場所のように言わないでください」

「ラスボスよりも怖いお義父さんがいるからな」

「またそんなこと言って」


 伊藤さんは知らないだろうが、今まで何度も俺は伊藤父に封印されそうになっているのだ。

 しかも段々本格的になって来ている。

 ヤバイマジヤバイ。


 ふっと、さわさわと鳴る葉音と、緑の匂いが風に乗って届いた。

 あの公園に差し掛かったのだ。

 街灯の光に浮かび上がる、滑り台と砂場とブランコのある小さな公園。

 陰りが落ちない清浄すぎる気配のせいか、かなり寒い時期なのに小さな花が花壇を白く飾っていた。


「なんだか不思議ですね。あんなに怖い思いをしたのに、私、あの方達がなんとなく好きなんです」

「怪異ってのは多少なりとも魅了持ちだからな、仕方ない」

「違いますよ!」


 話を混ぜっ返した俺に怒って伊藤さんが頬を膨らませる。

 伊藤さんってこういう顔がすごく可愛いんだが、これってヤバイんじゃないかな?ついいじめてしまうようになったらどうしよう。


「ちょっと、寄りませんか?」

「え?」


 言うなり、車止めのポールをすいと避けて、伊藤さんは公園の中へと入って行った。

 怖い思いをした場所なのに、全くその場所を恐れない彼女の強さに舌を巻く。


 街灯の灯りのある真下のベンチに座って、伊藤さんはいたずらっぽく笑った。


「こういう時はブランコなんでしょうけど、小さな子供用のブランコに私が乗ったら壊してしまいそうで」

「俺が乗ったら確実に壊すな」


 俺も同意してベンチの隣に腰を下ろす。

 この公園はずっと邪気が溜まる気配がない。

 人が集まる場所というのは邪気が溜まりやすいものなんだが、不思議なこともあるものだ。

 伊藤さんか白音かそれともまさかと思うが清姫か、なんらかの影響を受けているのかもしれない。


「隆志さん、私達、幸せになりましょうね」

「優香?」

「私、思うんです。人も怪異も何か大切な願いを持って生きること、それこそが幸せなんだって。だから、私、ずっと隆志さんがやりたいことを支えて行きたいんです。それが私にとって一番、幸せなことだから」


 伊藤さんの言葉が俺の胸の内を揺さぶる。

 人も怪異も、伊藤さんはそう言った。

 おそらくは彼女の内では人も怪異も同等の存在なのかもしれない。

 だが俺にとって、怪異は絶対に敵なのだ。

 だから、俺には怪異の想いを受け取ることなど出来ない。

 俺が未来へ進むのは俺自身がそうしたいからだ。


「大切な願い、か。そうだな」


 俺には身勝手な望みしかない。

 やりたいこと、やりたくないこと、何をしても必ず周りの人に迷惑を掛けてしまう。

 それでも、幸せになっていいのだろうか?

 歩き続けていいのだろうか?


「私、前に言いましたよね。隆志さんの作る美しい物が大好きだって。こんな素敵な物を作り出す人の心に触れてみたくて、そうして段々本当に好きになったんです。だから隆志さんはもっと自分を信じていいんです」

「ちょっと乱暴な根拠かな」

「乱暴じゃありませんよ。お店を開いたら、きっと隆志さんにもわかる時が来ます」

「そっか、じゃあ優香が俺の作品のファン第1号ってことだな」

「そうですよ! 私が一番隆志さんが大好きです!」

「ありがとう」


 そっと、壊れ物のように伊藤さんを抱きしめる。

 片手には送別会で貰った大きな花束があってだいぶ邪魔だが、それでも彼女の温もりを腕の中にしっかりと感じられた。

 どこまで行けるかわからないけれど、自分から諦めたりすることだけはしないように歩いていこう。

 主が眠りに着いたのに在り続ける迷宮や、闇の中で人の心から生まれ続ける怪異、人が人を傷つけたりする事件もある。

 勇者血統なんて特別な一族とか言われておかしな遺伝子を持たされただけの俺たちを利用したり、嫌ったり、憧れたりする者達もいるけれど、それでも世界はやっぱりどうしようもなく美しい。


「じゃあ、帰ろうか、あんまり遅くなるとそれが俺の死因になりそうだからな」

「もう、またそんなことを言って」


 光と影の間をゆっくりと歩いて行く。

 それがきっと一番幸せなことなのだ。


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この物語はここで終わります。

ここまで彼らを見守ってくださってありがとうございました。

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エンジニア(精製士)の憂鬱 蒼衣 翼 @himuka

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