183:祈りの刻 その五
「全くお前はいつも元気だな。元気が有り余っているなら俺に分けろ」
「は? 何いってんの? おっさんはもう若くないんだから自重しろよ」
響く木刀の音、村で同い年の子供たちや少し上の子供たちとはもう相手にならないので、その頃俺に剣を教えてくれているのはじっちゃんだった。
それも真剣を使って教えると言うおとなげなさを発揮していて、ガキである俺としては呆れるしかない。
その点、終天は分別のある大人で、ちゃんと木刀を使って相手をするし、ムキになって技や力で圧倒することはなかった。
ガキである俺でもわかるくらい終天は上手い。
相手をする時はいつも俺を少しだけ上回る技量でいなし、攻撃し、叩きのめす。
だからこそ、もう少しで勝てると思ってしまい、つい楽しくなって続けてしまって段々と力が篭ってしまうのだ。
しかし、力が篭もり過ぎると全体のバランスが崩れて最後には見るも無残に負けてしまう。
「力の作用というのは結局の所バランスなんだぜ? 強い力で打てば強い反発が返る。こうやって足元を掬えば支えを失いひっくり返る」
「おわっ!」
ドスンと尻もちをついた俺に、終天は豪放に笑いながら手を差し出した。
終天の顔立ちはどちらかというと綺麗と表現したほうがいい顔立ちなのだが、性格が奔放で豪快でどこか悪戯っ子のような表情をする。
そのせいであまり美形という印象がなかった。
まるでお伽話の英雄のようだと俺は思っていた。
昔も昔、天衣無縫の武芸者が世を渡っていた時代の英雄のような男だった。
「もうちょっとと思うとつい突っ込んじまうんだよな。わかっちゃいるんだけどなぁ、この突っ込み癖」
ちぇーと、言いながらガシガシと頭をかきあげる。
この癖は元々は終天の物で、いつの間にか伝染っていたのだ。
「お前はいよいよとなると物を考えなくなるよな。まぁそれは武人としては問題だが、生き物としては案外とつええかもしんねえぞ?」
「なんだよ、それ」
「野生の獣って意味だよ、ガキだしな」
大きな、しかし繊細な手が俺の頭をガシガシとかき混ぜた。
「何も考えられなくなるんなら、いっそ半端に物を考えずに勘任せで動いてみちゃどうだ? んん? 大体なんでも半端なのが一番悪い。物事は何かを突き詰めた奴が最後には結果を出すのさ」
「またそんないい加減を言う。さっきはバランスを考えながら動けって言ったその口で!」
「ふふん、大人はいい加減なものなんだぜ」
「まったく」
なし崩しに稽古なのか遊びなのか分からない木刀での打ち合いが終わり、そこへ気配をあまり感じさせずに花のような色合いの女性が近づく。
手元には冷たいおしぼりと湯冷ましを乗せた盆があり、一緒に蒸したお菓子も乗っていた。
「ありがとう白音」
あまり口を開くことの無い彼女だが、俺と終天を見る時の目は優しい。
礼の言葉を受けて微笑んだその様は、まるで春の光の中でほころぶ花のようだった。
―― ◇◇◇ ――
「う、ん?」
チリーン、チリチリ、と言う、水晶同士が微かに触れ合う音を増幅した物が部屋に響いている。
俺のお手製の目覚ましの音だった。
起きてカーテンを開けると音は止まり、花に止まっていた蝶々さん達が舞い上がり戯れ始める。
窓から差し込んだ日の光を受けて、その羽がキラキラと優しく光を弾いた。
俺はと言えば、なぜか朝からぐったりとしている。
なんだか寝汗も凄い。
違和感を覚えて目元を擦ると、濡れた感触があった。
「泣きながら目を覚ますとか、無いわー」
夢見でも悪かったのか? 夢の内容はまったく覚えていないが、最近伊藤さんのことばかり考えていたから彼女に何かあった夢でも見てしまったのかもしれない。
いや、縁起でもない。
止めよう。
今日は土曜日だったっけな。
昨夜は少しビールを口にしたが、飲み過ぎる程は飲んでないし、体調が悪い訳でもない。
気にするようなことでもないか。
それより今日は会社は休みで伊藤さんと約束があるんだった。
あれだよな、政府の能力者訓練施設で設備を利用させてもらうんだったか。
正直俺は伊藤さんの訓練について未だに迷っていると言っていい。
伊藤さんが下手に能力を開眼してしまうのが怖いのだ。
異能の力なんぞ本人にとってみれば見えない手のようなもので、自分にとっても厄介だが、他人にとってみれば恐怖や畏怖の対象だ。
ちょっとでも使い方を誤れば世間は決して許しはしない。
本当はそんな物はしまい込んで普通に生きるのが一番いいのだ。
『そうやってまた逃げるのですか?』
ふと、弟の、浩二の顔と言葉が浮かぶ。
いやいや、俺は逃げたりしたことは無いから。
やりたいことをやりたいようにして来ただけだから……って、何自分の記憶に言い訳してるんだ、俺。
まぁ何にせよ、伊藤さんのことを決めるのは伊藤さんなんだから、俺がグダグダ考えていても仕方がないんだよな。
そんな風にややくたびれた気分で朝の準備をしていると、不意にドアホンが鳴った。
マンション入り口からの連絡ではなく部屋のドアのほうとなると身内か伊藤さんしかいない。
伊藤さんとはあと2時間後に駅で待ち合わせのはずだけから来る訳ないし、と思いながらドアホンに応えた。
「どうした?」
『おはようございます。こっちに来てしまいました』
「えっ、伊藤さん何かあったのか?」
いくらなんでも早い。
始発で来た時間だ。
びっくりしてつい、以前のように苗字で呼んでしまった。
『いえ、あの、ご迷惑だったですよね』
途端にシュンとしたような声になった伊藤さんに、俺は慌てて否定の言葉を返す。
「あ、いや、迷惑だなんてそんなことは、ともかく入って」
彼女は鍵を持っているが、俺は自分から玄関のドアを開けた。
見ると、おしゃれをした格好で、そぐわないビニールの買い物袋を持った伊藤さんがドアの前で真っ赤になって佇んでいる。
「あ、あの」
「うん」
「昨夜、グルメ番組でフレンチトーストの美味しい作り方を見て、どうしても、その、作りたくなってしまって、その時に隆志さんが一緒じゃないとつまらないなと思ったら、なんだか早く起きてしまって、気が付いたら買い物をしてここに……」
「お、おう」
「ご、ごめんなさい!」
伊藤さんは勢いよく頭を下げた。
そんなに勢いよく頭を下げるとせっかく綺麗に整えている髪が乱れてしまうぞと、変なことが気になった。
「あ、いや、謝るようなことじゃないだろ? 美味しい物を食べられるのは俺も嬉しいぞ」
「あ、はい」
伊藤さんは真っ赤になったまま導かれるままに中に入った。
そしてうつむいたまま足早にキッチンへと向かう。
最近、油断しているのか、伊藤さんがたまにこういった可愛い行動を取ることが多くなった。
以前はきっちりとした真面目で頭の良い人といった印象だったのだが、最近はそうじゃないということがわかり始めて来た。
だけど、それは全然悪く無いし、むしろいいと思う。
伊藤さんは何かに夢中になると、それに没頭してしまう癖があるようなのだ。
そしてそういう自分を恥ずかしく思っているらしい。
大丈夫だ伊藤さん。そもそも街の抜け道マップを作っている時点で、既に予感はしていた。
そういう所も可愛いと思う。
と言うか、むしろ尊敬する。
キッチンを窺うと、フライパンの用意をしているようだった。
「お、もう焼くんだ?」
フレンチトーストって下準備が結構大変だったような気がしたんだが。
「はい、家からパンは浸して来たんです」
見るとチャック式の袋の中に溶液とパンが詰め込まれている。
おお、なるほど。
トレーに溶液と馴染ませておいたパンを出し、伊藤さんはおもむろに買い物袋からプリンを取り出した。
「プリン?」
「あ、はい隆志さんプリン好きでしたよね」
「うん」
言いながら作業を止めない伊藤さんはフライパンでパンを焼き始めた。
良い匂いが立ち上る。
甘い優しい香り、休みの日らしい匂いだ。
フライパンはジュウジュウと美味そうな音を立ててパンを焼き、両面を焼かれたパンが皿に置かれると伊藤さんはそれにプリンを掬って乗せた。
「お?」
「美味しいらしいんですよ?」
たっぷりと盛られたプリンの黄色い部分がなんだかふわふわとしていてそれだけで美味そうだ。
「カラメルは残すんだ」
「はい。でもこれもデザートのアイスに掛けて使いますよ」
「なるほど、無駄がないな」
「もちろんです」
そう言いながら、もう一枚パンが焼かれる。
プリンの上にそのパンが乗せられ、フレンチトーストのプリンサンドといった感じだ。
「お~」
「美味しいらしいんです。一緒に食べましょうね」
「おう、楽しみだな。あ、コーヒー準備するよ」
「あ、お願いします。全部甘い物だからちょっと濃い目が良いですね」
「そうだな」
伊藤さんのもたらした突然の幸せな時間に、その朝に見たらしい悪夢のことなどきれいさっぱり霧散してしまったのだった。
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