177:宵闇の唄 その十六
夜の公園というのは独特の雰囲気がある。
由美子の言うところによると、子供には誰でも大なり小なり巫としての資質が備わっているのだそうだ。
それは先天的な巫女とは別の意味で、世界を直感として感じ取る力と言ってたか。
もっと砕くと種族や立場という壁を作らずに自由に友達になれるのが子供なのだとか。
そして、それはごくごく小さいものだが、世界に干渉する力なのだ。
だから、子供が多く集まる場所には意思ある影のような物が刻まれる。
それらはなんらかの切っ掛けがあれば良くも悪くも変化し得る精霊のような存在だ。
だが、この公園からは、しばらく前からその存在が消え去っていた。
正確に言えば、押し流されたのだ。彼女の生み出す世界に。
俺はどこか呆然とした伊藤さんを支えながら、事件の後始末を治安部隊から連絡してもらった異能専門の特務部隊に任せ、ハンター協会に嫌々連絡して情報の共有を果たし、とりあえずは本日の帰宅を許してもらった。
いや、ゴネられたけどな、色々と、だがそこは後日穴埋めすることにして強引に納得させたのだ。
そしてシャトル鉄道を使って外へ、伊藤さんの家のある壁外の住宅街へと降り立った。
そこでようやく俺はほっと息を吐いた。
不思議なことに守られているはずの街の中より、恩恵の薄い外のほうに安心感を覚えたのだ。
伊藤さんは終始ぼんやりした感じだったが、そこでようやく目の焦点が合ってきたので、自販機で飲み物を買って途中の公園のベンチに一緒に座ったという所だった。
今の『何もない』この場所なら彼女の負担になることもないだろうとの判断だった。
「私、ここで歌ったんです」
「え?」
「数日前? ううん、もっと前だったと思うんですけど、ここであの人に会って」
「待った、あの人って誰だ?」
唐突に語られる言葉をそっと遮って、俺は伊藤さんに問い掛けた。
トランス直後の巫女に刺激を与えてはならないということは、業界人なら当然の知識だ。
俺は子供に話すような優しい口調を意識して使った。
とは言え、伊藤さん相手に厳しい口調になれるはずも無かったが。
「花、花のような人でした、淡い色合いの春に咲く花のように、優しく儚げな
「花?」
「ええ、髪はまるで桜貝のような色で、瞳は夕焼けのようでした、白地に花びらを散らしたような着物を着た、少女のような母のような不思議な感じの」
「……っ、白音」
常に終天と共に在った精霊のような雰囲気の少女、今の俺は彼女が終天の眷属の鬼であることを知っている。
昔は彼女に憧れのようなものを抱いたことがあったとしても、その危険性をおそらくは誰よりも俺は知っていると言っていいだろう。
一見儚げに見えるが、彼女は終天の直下のしもべ、強力な鬼だ。
それにしてもなんで彼女が伊藤さんに接触したんだ?
やはり、俺のせいなのか?
俺が伊藤さんの運命を捻じ曲げてしまったのか?
「彼女が笛を吹いて、私が歌って、小さな子供の頃に戻ったようで、楽しかった」
「そうか」
なるほどと、思った。
その結果が今のこの公園の有り様だ。
降り積もる澱のようにこの場所に刻まれていたはずの影は二人の巫女によって綺麗さっぱり祓われたのだろう。
巫女はその技を音に託すことが多い。
音は波動の本質に近いからだ。
互いに干渉し変化を促す波動を自在に操るのが巫女の巫女たる所以だ。
集め、放出し、均す、巫女は精霊を宿し、コントロールする存在なのである。
伊藤さんが
巫女の体質は生まれつきのもので、それは一生変わることがない。
ただし、神を容れる器としては思春期前までがピークと言われている。
本人の個が確立してしまうと、肉体を神と共有出来なくなってしまうのだ。
そうなってしまえば下手をすると本人の意思が神に上書きされてしまうという危険がある。
更に一度神と交感した巫女はもはや普通の人には戻れない。
どういうことかと言うと、一度神を降ろすと、自分の魂と肉体にズレが生じてしまうらしい。
そのため、巫女はどこか自分の心を他人の物のように感じて生き続けることになるのだという。
冒険者であった伊藤さんの父が、伊藤さんを巫女にすまいとした理由はよくわかる。
誰だって自分の子供がそんな、喜怒哀楽を実感出来ない人生を送るとなれば反対するだろう。
ましてや、巫女の能力者は親から隔離されて国が育てることが多い。
巫女が神を宿して事件でも起こしたらその被害は甚大だからだ。
そのため、巫女に対する扱いは、大体どこの国でも似たようなものとなった。
「まぁ、もう思春期は過ぎているから優香は神降ろしは出来ないだろうけど」
どこかほっとしたように俺は呟き、自分の身勝手さに苦笑いを零した。
今まで仕事の上で巫女に助けてもらったことは数多い。
それなのに、そんな巫女を厭うようなことを考えるとは、恥知らずにも程があると言うべきだ。
だが、俺はずっと浮世離れして道具のように扱われる巫女という存在になんとなく哀れを感じていた。
本人からすれば余計なお世話かもしれないが、あどけない顔に浮かぶ人形のような無機質さに耐え難さを感じてしまうのだ。
きっとそれは傲慢さだと思うのだけれど、感じてしまうものは仕方のない話だ。
「私、いったい何をしたのでしょう?」
伊藤さんが夢から覚めたように缶コーヒーを握りしめながら言った。
「俺を助けてくれた」
「どうやってですか?」
「俺も、そんなに詳しい訳じゃないからほとんど推測になるけど」
「はい」
「俺の体を薄く膜のように包んでくれたんじゃないかと思う」
そう、そうすることによって不可侵の領域で俺を包み、奴の力が及ばないようにしてくれた。
あの時感じた不思議な暖かさ、相手に触れてもまるで手袋越しであるかのような感じは、おそらくは伊藤さんの存在そのものだろう。
恐ろしい程に近く、俺は伊藤さんを感じていたのだから。
「私、隆志さんを抱きしめているように感じました」
「そ、そうなんだ」
ストレートに言われると、さすがに照れる。
戦いの最中に感じることではないが、ひどく、安心したのは確かだった。
彼女の、伊藤さんの香りを感じて、一瞬、自分が何をしているのか忘れかけた程だ。
「私、何なんですか?」
とうとう聞かれたと思った。
きっといつか聞かれるだろうとは思っていたが、出来ればずっと、一生口にしたくなかった答えを返さなければならない時が来たのだとわかった。
彼女を日常から非日常の領域へ誘うかもしれない答えを告げる時がとうとう来てしまった。
俺は大きく息を吸うと、答えた。
「君は
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