166:宵闇の唄 その五

「おひさー」


 気だるい様子で挨拶を交わすと自分のデスクに座る。

 ええっと、休日挟んで三日? 四日か? 一身上の都合で欠勤した後の出社は結構緊張する。てか考えて見たら、実質二日休んだだけなんだな。

 考えながらデスクを見るとなんか色々置いてある。

 付箋だらけの書類とか、指示書の付いた何かの模型、なんだこれ?


「ちょ、佐藤さん、これ、そっちの試作構造の解説指示じゃないですか、なんで俺のとこに来てるんだ?」


 模型のほうは犯人は明らかだった。

 所々に入っている印の付け方の癖で丸わかりだ。


「いやいや、ゆっくり休養したんだろ? 頼むよ」

「いや、頼むよとか言われても、俺にあんたの作った模型の解説出来る訳ないっしょ」

「ほら、俺ってさ、天才だからぁ? 他人にわかるように解説するとか苦手なんだよね。その点、木村ちゃんは相手に理解しやすいように説明するのが得意じゃないか、な、頼むよ」


 何言っちゃってるのこの人。

 さすが佐藤は佐藤だぜ。


「ほら、これってさ、この台座部分が計量装置になっていてね、物を置くと起動するんだよ。まぁそれだけの構造なんだけどね」

「説明しろって言ってませんから、てか計量装置ってこの凹凸はなんですか?」

「滑り止めであると共に、どんな形状の容器でも正確に計量するためにだな」

「あ、やっぱ説明いいから、俺休んだ分の仕事を確認するんで、これはご自分でどうぞ」

「久々なのに木村ちゃんが冷たいぞ! なぜだ! この装置はだな、応用次第では更なる進化をもたらす画期的な!」

「木村さんおはようございます」


 そこへ女性陣とお茶の準備をしていたらしい伊藤さんが顔を出した。

 うむ、今日も可愛いな。


「おはよう。あ、この進行表伊藤さんだよね? ありがとう」

「いえ、その程度当たり前です」


 デスクの上にあった付箋の付いたレポート用紙は伊藤さんの手作りの進行表だった。

 休んだ間の仕事の進行を纏めてくれていたのである。

 付箋の吐いている所は俺の仕事に関係する場所だ。

 さらに彼女は会社の電算機パソコンの共用BOXの中に作業ファイルを俺宛で保存していて、両方を付き合わせればこの二日に起こった仕事上の出来事がほぼ把握出来るようになっていた。

 ありがたや、おもわず拝んでしまいそうだ。


「ふむふむ、おお、伊藤ちゃんは相変わらず纏め上手だな。俺のアイディアファイルもちゃんとわかりやすく整理してくれたし」

「そうですね、我が開発課に伊藤嬢ありと言っても過言ではないでしょう」


 課長まで悪ノリなのか便乗して伊藤さんを褒めている。

 俺と佐藤までなら平気だった伊藤さんもさすがに上司に褒められて照れているようだ。

 真っ赤になってあの、その、とか言っちゃってるのがいいね。


 配ってもらったお茶を口にする。

 うん、美味い。

 こういう時はやっぱりコーヒーとかじゃなくてお茶だよな。

 とりあえず社内は普段と変わらない様子で安心した。例の意識喪失事件の影響を受けてはいないようだ。

 実際、この大都会で一日一人意識を刈り取られたとしても、死人も出ていない事件など本当なら誰も気づきもしないような話だろう。

 単なる交通事故から事件性を探り当てた連中が凄いのだ。


 その日の帰りは、昨日うやむやになったお祝いをちゃんとやろうということで、あの多国籍食堂に寄ることになった。

 相変わらずのひっそりとした佇まいの食堂だったが、その日はちょっと雰囲気が違っていた。

 店の表にごついバイクが固まって停まっているので何事かと思えば、冒険者のチームが団体さんで来店していたのだ。

 そういえば元々ここは元冒険者のやっている店ってことで伊藤さんが探してくれたんだっけ。

 確か冒険者組合のマップ情報に載っているんだったな。


「どうする? 場所を変える?」


 冒険者イコールトラブルという認識が出来上がっている俺は、せっかくの時間を冒険者達とのゴタゴタに費やすのもどうかと思い、伊藤さんに聞いた。

 だが、伊藤さんはきょとんとした風に俺を見て「どうしてですか?」と問い返す。

 普通の若い女性なら自分が訪れた店に見た目からしておかしい集団がいたら避けると思うのだが、彼女にとって、その光景はおかしいものではなかったようだった。


「ああ、いや、いいか、そうだよな」


 俺はなんとなく自分の心の狭さにバツの悪い思いをしながら店に入る。

 カウンター周りと正面の一角を占拠している冒険者達は、こちらの気配をさぐる様子はみせたものの、大きく反応することもなく、俺たちはそのまま少し奥の席に座った。

 今日は例の音大の娘さんが来ているらしく、ピアノの音色が優しく響いている。

 マスターが少し悪い片足で独特のリズムを刻みながら、それでも動きはなめらかにお冷を運んで来た。


「何にしましょう?」

「とりあえずお祝いなので特別なお酒が欲しいな。でも平日だから軽めの物で、何かいいのありますか?」


 伊藤さんの問いに、店主はしばし考えて、


「ニアガルのアイスワインの良いのが入っていますよ」


 示されて、壁に貼ってあるメニューの中にあるアイスワインという文字を辿る。

 グラスで千二百円、720mlのボトルで六千円と、なかなかの値段だった。


「じゃあボトルでお願いします」


 伊藤さんのきっぷのよさに感動した。

 しかし、さすがにこれは高すぎるだろ。

 店主さんを見送って、俺は伊藤さんに提案した。


「今日は俺も出すよ」

「だめです。隆志さんはゲストなのですからおとなしく接待されてください」


 俺も伊藤さんとの付き合いはある程度重ねて来た。

 だからわかる。

 今の彼女には譲る気がない。


「わかった。このお返しは必ず」

「何言ってるんです。隆志さんがちゃんと元気で帰って来たことが私へのご褒美なんですから、お返しなんて野暮ですよ」


 なんとういうことだ、なんかいきなり酒も飲んでないのに涙が出そうになったぞ、危ない。

 俺の鋼の精神を一瞬で陥落させるとは、なんという恐るべき女性だろう。


 ふと、風が流れた。

 扉が開いてまた誰か入って来たようだ。

 何気なく入り口を見ると、店の照明に鮮やかな赤毛が一瞬炎のように揺らめいて見える。

 その新しい客に冒険者達が片手を上げて挨拶をしている。

 どうやらお仲間のようだ。

 しかし、ちらりと見えた口元に見覚えがあった俺は思わず声を出していた。


「ピーター?」


 相手も俺の声に気づいてこちらを見る。


「オー! キムラリーダー?」


 元気に手を振って、すぐに不思議そうな顔を見せる。

 そりゃあ不思議だろう。俺だってまさかこの広い街でよりにもよって『外』でこの男に再開するとは思わなかった。

 てか対外的はこの男、ピーターはどういう扱いになるのだろうか。

 新大陸連合の特使ということになるのかな?


 そこにいたのはかつて迷宮を共に走破した青年、水礫を操ってみせた新大陸連合の勇者ヒーロー、ピーター・ローリングストーンに間違いはなかった。

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