152:好事魔多し その十
「うおっ!」
「ひえっ!」
「あ」
「ふう」
突然床からガバッとばかりに牙のようなものが突き出して来る。
しかもびっしりとした物が三段だ。
先頭にいた俺が背後の大木を抱えて壁を蹴って飛び退き、由美子をなぎ倒し、浩二に蹴りを入れたらその足を掬い上げられて、そのまま半回転して地面に真っ直ぐ立つ。
振り返ると、倒れた由美子はすぐに起き上がって、もう消え去った牙のあった所をしげしげと眺めている。
「生物っぽい」
「ああ、やっぱりか、どうも最初っからこの壁やら床が粘膜っぽいと思ってたんだよな」
「うえっ? それって、ここが化け物の腹の中ってことっすか?」
「う~ん、なんとも言えないが、生物的な何かってことじゃないかな? マップにはそういう私見っぽいことは書かれてないけどな」
大木が外にいた時よりも人間を止めた肌色になりながら頭を抱えた。
と言っても、怖さで真っ青になったというのではなく、皮膚が硬化しているせいだ。
危険を感じると変化が顕著になるらしい。
何も俺の真似しなくてもと冗談で言ったら、「いや、リーダーは岩系って言うか鋼系? っすから」などと疑問符付きで応じられた。
なんとなく複雑な気分だ。
とは言え、そう言うだけあって大木の体表面はどちかかというと爬虫類の皮膚のような感じに見える。
大木っぽく言うと生物系ってことか?
「しかし、今のって罠を踏んだって感じじゃないよな」
「センサー?」
「どうする? 俺が壁を走って全員を向こうに渡すか?」
「出来得る限り分断の可能性は減らしたいですね」
俺の提案に浩二が駄目出しをした。
手間がどうのという以前にそうか、分断の可能性がある訳だ。
「僕が蓋をします」
言うや、浩二が視線を固定して凍り付いたように動きを止める。
今、こいつの頭の中は変化し続ける空間を把握する計算が猛烈なスピードで行われているのだろう。
この感覚だけは正直想像もつかない。
俺は浩二を半分担ぐようにしてその目線を遮らないように移動誘導させる。
世界を分断する力は強力だが、本人が他に何も考えられなくなるのが問題だ。
動けなくなってしまうんで一人では隙が多すぎて使い物にならないのだ。
先ほどの罠に差し掛かるとまた牙が飛び出して来たが、それはまるで透明な壁の向こうの出来事のように俺たちの体には届かない。
うん、しかし、この分かたれた世界の境界に踏み込むのは正直ぞっとしない、五感の全てがそこにある物を許容出来なくなってパニック状態だ。
見ないのが一番だが、見ない訳にもいかないしな。
「え? え?」
「大丈夫、大丈夫」
何がなんだか分からないといった風の大木を、由美子がその背を押してやる感じで進ませた。
薄暗くてよく見えないのが幸いしたな。
「てか、この先ずっとこんな感じなのは勘弁して欲しいな」
マップにある一番安全なルートとやらを進んでいるんだが、
「この通路そのものが生物というのならこれ使ってみますか?」
大木が装備しているヘアドライヤーのような形の何かを取り出した。
銃にしては間抜けな形だし、何かな? と思ってはいたんだけど、どうやら武器だったようだ。
「怪異はその元となった生物の肉体特性を受け継ぐでしょう? それなら細胞を破壊する攻撃は効くだろうって開発された武器なんっすよ」
「いや、それ、怪異じゃなくても危なくね?」
突っ込む。
むしろ人間に効きそうなんだが、それ。
「とりあえずやってみましょう」
大木はその武器を壁に向けて構える。
即断即決か?
俺はこの狭くてだらだらした通路にいい加減イライラしていたので、あえて止めることはしなかった。
とりあえず変化が欲しいという気持ちだったのだ。
「守りに堅く、身は軽く、忠誠に厚きもの……」
背後で由美子が何か詠唱をしているのが聞こえる。
大木がそのヘアドライヤーのような物のトリガーを引く。
その瞬間、『ポーン!』というなんとも言い難い音が響いた。
う~ん、あれだ、太い鉄パイプの端っこを殴り付けたのを逆の端で聞いているみたいなそんな音。
途端、壁がボコボコと煮え立つようにうごめいたかと思うと、ドロドロと溶解を始めた。
え? え? なに?
俺が物事を把握し終える前に、通路全体が急激に崩壊し始める。
溶け崩れ、消失した足元には絡まったワイヤーのような物が現れた。
だが、それも次々と崩壊し始めている。
落ちる! と思った瞬間、ガクリと何かに引っ張られる感触があった。
ブブブ……と、聞き覚えのある羽音に上を向くと、真っ白な複眼がこちらを見ている。
どうやら由美子の蜂らしい。
他の連中もがっちりとした蜂の顎に装備の一部を銜えられ吊り下げられていた。
「全部が体組織ならこうなる」
自分はちゃっかりと二匹の蜂が渡したロープに腰掛けた由美子が当然のことを告げるように言った。
いや、先に言おうよ、ああ、そうかお前もちまちま歩きたくなかったのかな?
うん、それなら仕方ないね。
とは言え、軍の新兵器もこの生物の体組織全てを壊すには至らなかったようで、広がった通路は途中で崩壊が止まった。
通路全体が痙攣するように震えているが、これってやっぱり痛みを感じているのだろうか?
それにしては痙攣は小規模な感じがする。
崩壊した床の奥の絡み合った鉄骨の足場のように見える向こうに開けた空間が見えた。
「あっちに行ってみるか?」
「了解」
由美子が返事を返し、浩二が頷く。
大木は自分の武器と自分を吊り下げているでかい蜂を交互に見ながら「うわあ! うおおう!」と、意味不明な声を上げているので問答無用で同行させた。
広い空間に降りて、自分達が通り抜けて来た場所を見上げてみると、その場所が少しずつ修復されているのが見て取れる。
「治るのか」
「ますます生物っぽいですね」
言って浩二が肩をすくめた。
俺たちが降り立った空間は、ちょっとした草原のような場所だった。
大きさ的にも、屋根がある造り的にもドーム球場を彷彿とさせた。
だが、当然地面は土ではなく、草のように見えるナニカも草ではなかった。
ゆらゆらと揺らめきながら俺たちの体に絡み付いて来ようとする。
俺はナイフを取り出すと、周辺のその触手だか繊毛だかわからないナニカを切り裂いた。
幸いなことに、なんらかの確かな意思の元に攻撃を仕掛けて来たのではなく、単にそこに何かがあるから絡み付くといった反射的な動きだったらしく、簡単に切り払うことが出来たので、とりあえず安全な空間を確保することに成功する。
大木はなんだかお手玉をするようにヘアドライヤー的武器を取り落としそうになって、慌てて掴んでホルスターに収めるという、一人コントのような真似をやらかしていた。
どうした?
とりあえずマップを広げて全員でそれを見る。
とは言え、そのマップには高低差は無く、通路と部屋との繋がり具合しか描かれていないのでわかり辛い。
「今どこだかわかるか?」
ナビ役であり、外部との連絡係でもある大木に尋ねた。
今、本部のほうではもうこの階層のマップは把握しているはずだ。
なにしろ軍のナビシステムは、俺たちのいる周囲数百メートル程の空間を把握出来るという便利仕様なのだ。
「あ、……あ、あ? あ! ……マップですね!」
おお、大木よ正気に戻ったか、よかった。
大木は荷物から詰め合わせの菓子箱のような物体を取り出すと、ピッと端を押して起動させる。
今度は平面的なマップではなく、立体的なマップが表示された。
『どうしてきみたちは次に活かせないような行動を取るのだ』
あ、武部さんだ、うわあ、通話が出来てやがる。
恐ろしい技術の進歩具合だな。
「俺じゃなくてあなたの部下なんですけどね」
『今、その班のリーダーは君だろう、言い訳するな』
怒られた。
しかし、確かに武部隊長の言う通りだな、大木に謝っておこう。
「悪かったな、大木」
「は? 何いってんすか、今回はこの武器の効果をちゃんと理解していなかった俺の落ち度っすよ」
なんという謙虚さ、成長したな、大木。
『君たちのいた通路と現在の場所との位置関係は判明している。冒険者のマップとは照合し難いが、見た所そこは冒険者連中がアリーナと呼んでいる場所ではないかな?』
「アリーナ、アリーナ、……あ、これか、ええっと、なになに? 一定周期で怪異の群れが湧く危険エリア……」
どうもさっきからずっと周囲からボトッ、ボトッと変な音がしていると思ってたんだ。
なるほど怪異が天井から降って来ていたのか。
「まぁ広いから動きやすいし、ストレス解消にいいかもしれないな」
「じゃあその間に道順を確認しておく」
「僕はサポートで」
「あ、俺はええっと」
「大木は俺が取りこぼした奴から荷物と由美子を守ってくれると助かる」
担いでいたリュックを大木に任せて、ちょっとした仕掛けのあるナイフを取り出した。
柄にチェーンが付いている幅広のナイフで、物語に出て来る鎖鎌みたいな感じに使いたいと言ったら作ってくれた物だ。
間合いが広がるのでとても助かる。
ちらりと見ると、大木は先ほどの物とは違う、ちゃんとした銃を取り出して構えていた。
ガチッガチッという硬い物がぶつかり合うような音がして、転がった塊が骸骨に姿を変え、更にスライムっぽい肉の塊がその足元から這い上がりながら肉付けをして、歪な人間に近い何かになる。
見た目的にグロい。
さっさと退場してもらうおう。
俺は軽く踏み込んでその組み上がり途中の怪異に近づくと、首と思しき部分を寸断した。
ゴロリと転がった首っぽい物が再び本体へと近づこうとするのを踏み潰す。
同時に体のほうの中心部にナイフを打ち込んだ。
ボロボロと崩れたそれは砂のように溜まり、その中に小さな夢のカケラが転がっている。
うん、わりと脆いぞ、これ。
考えながらわらわら寄って来る次へと回し蹴りを入れ、倒れ掛かった敵の体を切り崩す。
俺の横をすり抜けて由美子達のほうへと向かおうとする奴にヘッドバットを決めて、投げ飛ばし、動き出そうとしていた一体と共に転がした。
次の場所へと素早く踏み込み、次の奴の首を飛ばし、破壊の術式が刻まれたナイフを突き込む。
よし、リズムが掴めた。
リズムが取れれば動きから無駄が無くなってコンパクトな動きで数多くの敵を倒すことが出来る。
少し遠い敵をチェーンを使ったナイフで仕留め、固まりかけの怪異を震脚で踏み潰す。
難しい考えなどいらない、全てはシンプルだ。
動いて、壊す。
ただそれだけで、始まって、終わる。
「ふうっ」
汗を拭って周囲を確認した。
どうやら全て倒したようだった。
押し寄せる怪異の波も止まっている。
「とりあえず終わったようだな」
「道の探索も終わった」
「じゃあ移動しましょう」
荷物に手を伸ばすと、大木がぽかーんと口を開けてこちらを見ていた。
どうした? 馬鹿っぽいぞ。
「えっ? えっ? い、今、何がどうしたんっすか? え? もう終わり?」
「と、思うけど、俺の見落としがあったら言ってくれ。あ、そう言えば夢のカケラとか素材とか今回はどうするんだ?」
「あ、はい、回収出来れば……」
「了解、ユミ頼んだ」
俺の声に由美子は一瞬いかにも面倒という顔をしたが、大きかった蜂を分裂させて素材や夢のカケラを回収させた。
お前、自分で集める訳でもないのになんで面倒そうなんだ?
「リーダー、やっぱ、すげえ、半端ないっす」
「お? おう、ありがとう」
てか今回の相手はそんなに強くなかったからな。
前の時のあの冒険者とか、グール騒ぎの時のとかヤバかったけど、怪異相手だと、気が楽で助かる。
と、アリーナから出るための通路の奥から『ギャッギャッ』とか『ジーチージーチー』とか怪しげな音なのか鳴き声なのかわからない物が聞こえてきた。
次はなんだ?
ため息を吐いて、ちらりと見た大木は、酷く真剣な顔で何やら考え込んでいた。
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