146:好事魔多し その四

「ごめんなさい、みんなはしゃいじゃって、いつもはもっと分別があるんだけど」


 伊藤さんの謝罪に、俺は応じることが出来なかった。

 口を開けると吐きそうだったのだ。

 なんかこう、ガツンと来る酒をガンガン飲まされた。

 俺もいいかんげん酒には強いほうだと思うんだけど、何度か気が遠くなった程だ。

 しかしなるほど、あれは伊藤さん的にははしゃいだ結果なんだな。

 酔っぱらいのナイフ投げの的にされた時は、もう死ぬんだなと思ったものだ。


 とりあえず俺はガクガクと自分でもぎこちなく思えるようなうなずき方で首を振った。

 勢いよく頷くと……以下略。


「あの、やっぱり泊まって行きませんか? 雑魚寝になっちゃいますけど」


 俺はゆっくり首を横に振る。

 このままこの家に留まったら、目覚めることのない眠りに就きそうだ。


「そうですか……あ、あの」


 伊藤さんがもじもじと何かを言い淀む。

 彼女も少しお酒を飲んでいたので、目元と首筋が赤い。

 自宅でのパーティだったので、外で見るより幾分かラフな格好の彼女は、普段は滅多にないことだが、やたら色っぽく見えた。

 こ、これは、俺の理性が試されてる?

 というか、どうこう出来るような場所じゃないんだけどね、玄関先だし。


「……なにか?」


 俺は精一杯頑張って言葉を紡いだ。

 やべ、逆流しかけた。


「私のこと、その、嫌になっちゃいました? その、はしたない姿をみせちゃって」


 なんだ、この人は何を言っているのだ?

 はしたないってどんな姿?

 グラスを両手で持って舐めるようにお酒を飲んでいた姿か?

 俺はああいうの好きだぞ、マジで。

 それともあれか、あのババァに背中のファスナーを下げられた時のことかな?

 安心していい、俺はあの時殴られた上に踏まれていた。

 残念ながら見ていない。

 というか見ていた連中が憎い。


「私もみんなといると、つい子供の頃の気持ちになってはしゃいじゃうんです。その、節度を忘れる女ってお嫌いですよね」

「伊藤さんは、さっきも今も、その前もずっと可愛いですよ」


 ここで何も言わないのは男として間違っている。

 俺はひっくり返りそうな胃を抑えこんで、そう告げた。

 声が潰れてしゃがれて格好がつかなかったが。

 伊藤さんは元々赤かった顔を真っ赤にして、ほっそりとした手をグーの形に握りこむと、俺の胸を殴った。


「もう! ほんと、木村さんは、ううん、隆志は、そういうのダメなんですからね! 誰にでもそんな風だと、私きっと酷い女になっちゃいますよ」

「誰にでも言う訳ないだろ、その、ええっと、優香は大丈夫だから」


 何がどう大丈夫なのかわからなかったが、思わず頭に浮かんだ言葉を告げる。

 だめだ、くそっ、うまくものを考えることが出来ねぇ。


「なにうちの娘、呼び捨てにしてんだ? そういうのは俺に認められてからにしろ」


 大魔神、じゃなかった、伊藤父がその広い胸板に、作務衣がはだけそうなぐらいに筋肉をみなぎらせながら割り込んで来た。

 男のポロリなんか見たくないんだけど。


「もう、お父さん! あっち行ってて! お客さんのお相手してないとダメでしょ! いい加減にしないと明日から口利いてあげないからね!」


 伊藤さんが別の意味で顔を真っ赤にして父親を叱り付けた。

 伊藤父、ジェームズ氏は、ものすごいショックを受けた顔で固まっている。

 俺のせいで何度か娘から嫌われる危機に陥っているジェームズ氏の心中はいかんばかりか。

 きっと俺への憎しみはいや増すばかりだろうな。

 でも自業自得なんだぜ?


 その伊藤父がすごすご奥へと引っ込んで行くのを見送っていると、伊藤母が俺に親指を立てていい笑顔を見せて来た。

 ……なんだろう?

 しかし一瞬そちらに気を取られたものの、はっと気づいてみれば伊藤さんがなぜかぐずり始めていた。


「ぐす、せっかく、みんなに紹介して、本当の家族みたいにして欲しかったのに、うっ、ひく、もう、ほんと台無しなんだから、えっく」

「ゆ、優香ちゃん、大丈夫?」

「ちゃんとか……うっ、えっ」


 泣き上戸かな?

 それとも眠いんだろうか?

 彼女は眠い時にはちょっと子供っぽくなる傾向がある。

 ちょっと甘えてくるので可愛いのだ。

 いやいや、そうじゃないぞ、俺。


「大丈夫、俺はその優香の家族も大事な人たちも、みんな嫌いじゃないよ。だって優香を大切に思ってくれているのがまるわかりだしね」


 伊藤さんは家族や冒険者の仲間達に愛されている。

 それははっきりとわかることだった。

 彼らにとって、彼女は娘であり、妹なんだ。

 だから悪い虫が嫌いなんだよな。

 うん、ハイ、わかってます。


「そうやって、物わかりがいい所、嫌い。でも、好き」

「お、おう」


 これは、マジで子供のようになっているな。

 早く家に戻さないと。


「俺も、君が大好きだ。……おやすみなさい」


 そっと額にくちづけをする。

 こういう恥ずかしいことは相手の意識が朦朧としている時に限る。

 正気な時にはとても出来ないしな。


 伊藤さんは一瞬びっくりしたように額に触れると、ぱちぱちと瞬きをして俺の顔を見た。


「おやすみなさい」


 俺はもう一度そう告げる。


「あ、はい、おやすみなさい」


 伊藤さんはなんだか不思議そうにそう返した。

 うんうん、今日はいつもと違う伊藤さんの顔を一杯みれたぞ。

 これだけでもおっさん達にいたぶられた甲斐があるというものだ。


―― ◇◇◇ ――


 帰り道、魔除けの街灯が照らす道をゆっくりと歩く。

 住宅街のあちこちには、うっすらとたなびく煙のような瘴気溜まりが出来てうごめいていた。

 そう言えばここは壁外だ。

 壁の中と違って夜は昏い。

 その昏さは、俺にとっては懐かしいものだ。

 とは言え、村はもっと暗かったけどな。

 まぁあそこはちょっと特別だし。

 俺の育った村では小型の怪異はあえて放置されていた。

 子どもたちはそれらに襲われて、それを撃退することで自然に戦い方を覚えていく。

 ヤモリとかトカゲとか悪いことをしないやつらを虐めると大人に弱いものいじめをするなと怒られたっけな。

 俺は山が好きで、知らない場所を見つけるとそこに入り込んで遊んでいた。

 

『カァ!』


 その時突然頭上から声を浴びせかけられ、ギョッとして振り仰いだ。

 デカイ烏が月明かりの下で羽を広げている。


「よせよ、普通のカラスは夜はあんま飛ばないぞ」

『なんと!』


 驚く程にわざとらしい。

 その烏はひとつ咳払いすると、言葉を続けた。


『恋人達の夜を邪魔する闇夜の使者参上!』

「酔いも覚める驚きの白々しさだな。どうしたんだ? 久しぶりだな」

『もっとこう、リアクションしようぜ、覚めた大人になってしまったら人生つまんないだろ?』

「おちゃらけた大人になるほうが嫌だな」

『愛してるぜベイベー! デコチュー!』


 俺は物も言わずにそこに落ちていた石を投げつけた。


『ギャハハハハハ照れるな照れるな、いいじゃねえか、青春だねえ』

「もう二十代後半だ、青春もへったくれもない」


 外したか、俺の腕も鈍ったもんだ。

 いや、待て。

 俺はもう一個石を拾うと、それをまた投げる。


『おいおい、何度やっても……っ!』

「縛」


 ククッ、甘いな、それは囮よ、本命はこっちの鎖だ。

 左手の手首だけで放った細い銀の鎖が烏に巻き付き、絡め取る。


『おい、馬鹿、やめろ……』


 烏は落下しながら段々と生物の持つ柔らかさを失い、ぽてんと地面に転がる頃には小さな木彫の鳥の姿になっていた。

 俺はため息を吐いてそれを拾い上げる。

 既に術者との繋がりを絶たれたそれは単なる可愛い木のおもちゃにすぎない。

 俺はそのままその鳥をポケットにしまった。


「なんだってんだか」


 突然現れた古い馴染みのことはひとまず忘れて、俺は夜道をシャトル乗り場へとゆっくりと歩いた。

 まだ終電まで時間があるからこの夜の雰囲気にひたっていたかったのだ。


 駅までの通り道には小さな公園があり、そこから子どもたちの影が鬼ごっこをしながら飛び出してくる。

 俺がパン! と手を叩くと、その影もふっと消え失せた。

 基本的には害はない、土地の記憶のようなものだが、偶にこれのせいで事故が起こったりするから消しておくに限るのだ。


「ほんっと、懐かしいな」


 ふと、見上げると、目には見えない壁の向こうのビル群が街の明かりを従えて黒く浮かんでいる。

 怪異のいないあの街が不自然なのか、怪異のいる世界が過酷なのか、俺には正直判断が出来ないでいた。

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