54:迷宮狂騒曲 その四
恐ろしいことに、俺本人の意思など全く反映されぬまま、色々なことが決まってしまった。
由美子のサポーターとして登録しているんだから仕方がないと言えば仕方がないが、釈然としない気分なのもまた仕方がないと言っていいだろう。
翌日、未だそのショックが残ったままだったのが伝わったのか、周りがなんとなく気遣っているのを感じた。
俺がわかり易いのか周りが聡いのか、俺の自尊心のためには後者であって欲しい所だ。
とにかく、プライベートを仕事に持ち込む訳にはいかない。
俺はきっぱり頭を切り替えることにした。
「木村ちゃん、新しい地図見た?」
切り替えた所で、何から手を付けようかと思っていた俺に、なぜか佐藤が真面目モードで話し掛けて来た。
この男が真面目だとそれだけで不安になるのはなぜだろう。不思議だ。
「地図? まだ見て無いけどどした?」
「早めに見といたほうがいいぞ。だいぶ立ち入り禁止地区が増えてる」
「マジでか?」
思わず口調に地が出てしまった。
佐藤は真面目な顔でそれに頷く。
「マジだ」
くそっ、オウム返しにされるとむちゃくちゃ恥かしいぞ。
相手に悪意がなさそうな分、余計にヘコんだ。
「あ、それならブリントアウトしておきましたよ。それと共有ボックスに入れておいたので手元のパソコンでも見れます。オープンファイルに設定してあるので、ご自身の端末や携帯電話とかに送っていただいても構いませんよ」
伊藤さんが大判のフルカラー地図を連絡パネルに貼り出しながらそう言った。
おお、うちは外回りは滅多にないけど、全く無い訳じゃないから助かるな。
それに私用に使えるのはもっと助かる。
色分けされた地図には立ち入り禁止地区が赤く、立ち入り制限地区が黄色で枠取りされていた。
主要道路やよく利用していた抜け道、駅の近くの商店街の一画にも該当地域があり、慣れるまで不便そうだ。
俺達があのおかしな連中と発見したような
それにその周辺に住んでいた住人や商店主はおそらく立ち退きになっただろうから、いい迷惑だったに違いない。
もちろん補償はあったのだろうが、人の気持ちというものは収支で割り切れるものではないだろうしな。
「さてみんな、迷宮騒ぎはお国に任せて、俺達は本来の仕事に気持ちを切り替えるぞ」
課長が手を叩きながら宣言した。
ここの所迷宮関連の大きな工事やら政府のお達しやらでほとんど仕事が進まなかったので、そろそろきっちりと通常業務に戻したかったのだろう。
「こっちの実績グラフを見てみろ、迷宮だなんだと浮ついている場合じゃない。うちの主力商品の大型の湯沸かしポットの売上は相変わらず目に見えて落ち込んでいる」
課長は地図の隣に貼ってあるグラフを指し示して、会社の方針の説明を始める。
そうだな。
確かに今回の件はむやみに不安を煽ってパニックを起こされるよりは、日常の中へと埋没させた方がマシに違いない。
今のところ迷宮の瘴気が外界を侵すことは無く、あれ以来終天の気配も消え去った。
それが、相手の手心次第の酷く危うい薄氷の上の安全だとしても、人々が恐怖に駆られ不安にさいなまれるようなことになれば、巷はたちまち限界を越えた瘴気に溢れ、怪異の温床となってしまう。
その点に関して政府の手際は見事であると言えるだろう。
まあ、元々結印都市に住む人々の危機感が薄いということはあるのだろうが、それにしたって、迷宮を降って沸いた資源のように扱うとか、思いも及ばぬ方策だ。
ものは考えようとは言うが、よくもまあそんなポジティブ思考に至れるもんだ。
だが、そのおかげで、人々は突然の大事件である迷宮についての話を、面白おかしい日常の茶飲み話にしながら通常通りの毎日を過ごせるのだから、大したものだと思わざるを得ない。
まあちょっと危機感無さすぎなんじゃないかとは思わなくはないけどな。
なにしろ終天がちょっと気分を変えて迷宮を開放状態にするだけで、この都市はたちまちの内に滅ぶかもしれないのだから。
そこまで酷いことにならなくとも、少なくとも、今の平穏な日常は二度と取り戻せないだろう。
「木村くん、聞いてるか?」
と、余計なことを考えていたら課長の不意打ちを食らった。
「うわ、すいません!」
「都市部では大家族で住んでいたりとかは滅多に無いですからね。一人暮らしの人が遥かに多いはずです。こないだの魔法瓶はその辺を狙った商品なんでしょう?」
そこへ新人くんが間髪入れずに意見を述べる。
別に助けてくれたつもりは無いんだろうけど助かったぜ。
魔法瓶というのはあの術式内包のポットのシリーズ名なのだが、びっくりする程ストレートで、聞いた時にちょっと笑ってしまったものだ。
構造の技術特許を取ったので、しばらくはうちの独占商品となる。うまくすればうちの看板商品になるかもしれないな。
「そうだな、おかげであれは今年度の売れ筋商品になりそうだ。しかし利益率が悪いのがネックだな」
「一人暮らしの若い層狙いですからね、そういう顧客は日用品にそう金を掛けたりはしないでしょうし、イメージの問題もありますから、営業部の価格設定は妥当だと思いますよ」
俺もそう意見を述べた。
大体の原価を知ってる身としてみれば、今の販売価格がどれだけ薄利かは予想がつく。
単純な原価だけではなく、俺らの給料や流通コストが乗ると、売れたからと単純に喜べはしないだろうな。
やはり会社としては、値段が少々高くても顧客が納得出来る商品が欲しい所なんだろう。
……と、そんな風に、職場ではその後顧客の意識調査などの資料を元にしたセッションが行われたのだったのだが、
「あの、木村さん、どうかしました?」
問題は就業後だった。
「あ、ああ、なんだっけ?」
「お夕食はなんにしますか? 実はあんまりレパートリーが無いので少し恥かしいんですけど」
そう、さんざんそのことを考えないようにしていたのだが、無情にも時の進みは止まることは無かった。
二日前、「あなたの全てを知りたい」という衝撃の告白を受けた俺は、あろうことか、自宅にお伺いしたいという伊藤さんの言葉をいつの間にか了承していたのだ。
いや、別に家に来て欲しくないとかそういうことじゃもちろんないんだが、……マズい、マズいよな? マズいだろ!
だって、彼女、俺を命の恩人だと思ってるんだぞ?
何かあっても拒絶出来ないだろ?
何かって、その、ほら、だって俺、伊藤さんのこといいなあと思ってるし、その、女性として。
ってことはこう、雰囲気によってはムラムラとすることだってあるだろ? やっぱり男と女なんだしさ。
何とも思ってない相手にだって、隣に座って酒でも飲んでればそんな雰囲気になることもある訳で……って、いや、だから伊藤さんのことはなんとも思ってない訳じゃないんだから、ああ、何か混乱して来た。
どうしようか?
「あの? リクエストありませんか?」
ちょっと軽い混乱状態に陥っていた俺に、伊藤さんが話し掛ける。
「うおう! あ、ああ飯の話? そうだな、カレーで良いんじゃないか?」
「あう、カレーですか? それって私に気を使ってくださったんですよね。まず失敗しない料理ですから」
「え? いや! そんなことは無いですよ? カレーは奥の深い料理じゃないですか」
俺が悶々としている間にも、刻々と時は進んで行く。
自宅で手料理とか、それ、彼女持ちの定番シチュですから、本当にありがとうございます。
何かが根本的に間違っている気がするのに、なんとなくこのまま流されてもいいんじゃないかな? と思っている俺もどこかにいて、尚更焦る。
俺達色々と間違ってないですか? そんな風に聞けるわけもなく。
「スーパーとかもう開いて無いんじゃないかな?」
気持ち的に逃げ腰なので、言葉もどこか消極的になってしまう。
「大丈夫ですよ。夜十時までやってる所とか、最近は二十四時間開いてるスーパーもあったりしますし、手前の駅でちょっとだけ降りることになりますけど、いいですか?」
「へえ、コンビニみたいだな」
「きっとコンビニに対抗しているんだと思いますけど、私達みたいに仕事で遅くなる人間にはありがたいですね。コンビニにも最近はカレーの材料ぐらい置いてありますけど、やっぱり安さと新鮮さ、品揃えはスーパーの方が上ですから」
「確かにそうですね」
受け答えは普通に見えるが、内心は未だに焦りまくっている。
ことが決まった日に由美子に
「あの」
「おわっ!」
「……やっぱりご迷惑だったのでは?」
「いやっ! ご迷惑では無いですよ! ちょっと緊張してるだけで!」
ど、どうするよ、据膳がなんとかって先人が言ってたような気がするが、それって人として許されないことなんじゃ?
少なくとも俺じゃない男がそういう立場を利用して女性を好きにしたら俺は絶対に許さないだろう。
そう、絶対に、だ!
もし俺の目の前にいたら、生まれて来たことを後悔させてやる! と、断言出来る程だ。
「お肉はやっぱり牛ですよね? うちの父なんかワニが一番とか言って母に殴られたりしてますけど」
「ワニというと鮫ですか? 美味いですよね、あれ」
上の空でうっかり考えもせずに返事をしてしまい、言葉の内容に気づいて、はっとして伊藤さんの顔を見る。
伊藤さんは最初意味がわからなかったようだった。
そういや彼女、帰国子女だし、外国人とのハーフだし、ワニ=《イコール》鮫とかわからないよな、同国人でもわからない奴はわからないだろうし。
うちの村は内陸の山間部にあって、鰐料理という名前で鮫を祝い事に食うのが定番になっていたのだ。
なので、つい、ワニと言われて故郷の料理を思い出してしまった。
だが、伊藤さんはおそらくこれが俺なりのジョークだと判断したのだろう。
くすっと笑ってみせると、楽しそうに応えてくれた。
「木村さんもゲテモノ好きだなんて、きっと父と話が合うと思いますよ」
それってお父さんにご挨拶に行かなきゃいけないってことなんでしょうか?
いや、いかん、俺は色々気楽に考えすぎてる気がする。
これってもっと重大な問題じゃないのか?
伊藤さん、本当にいいのかな?
というか、危機感全くないですよね?
ヤバイ、何かあったら俺は罪悪感で死ねる。
……うう、どうしたらいいんだ。
散々悩み抜いて、二人きりの夜道だというのに何も楽しむことも出来ないままアパートに辿り着けば、部屋にはちゃっかり由美子が上がり込んでいた。
テンパっていた俺は室内の気配に気づかないまま、鍵が上手く刺さらないのを焦りのせいにして、なんとなくドアノブを回したら開いてしまったのだ。
室内は明るく、奥の部屋でテレビジョンが楽しげな話題を振りまいている。
振り向いた我が妹は、驚きすらしないで立ち上がると出迎えに寄って来た。
うん、受験の時に合鍵作ったもんな。
でもさ、連絡しようぜ、主にお兄ちゃんの心の平安のために。
「あ! ユミちゃん、こんばんは!」
「ゆかりんこんばんは」
俺の気も知らぬげに、女子二人は楽しげだ。
お前らいつの間にそんな親しくなってたんだ?
ゆかりんってなんだよ!
手際よく進められていく夕食の準備を見ながら、俺がようやく思考出来たことといえば、食器セットを新たに買い入れておいてよかったという、そんなどうでもいいことだけだった。
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