14:古民家は要注意物件 その三

 本日、土曜日の午前中、北路線駅の東口で、かの同僚の女性、伊藤さんとの待ち合わせだ。

 だが、当日になってふと気づいたんだが、こういう時ってどんな服装で行けばいいんだろう?

 表向きは同僚の家に遊びに行くというシチュエーションなんだよな?

 友人宅を訪問する。

 一般的には子ども時代に体験するらしいイベントだが、実は俺、社会人になってからやっと、流のとこに飲みに行った経験ぐらいしかない。

 あいつは男で、しかも一人暮らし、伊藤さんは女性で家族と一緒に住んでいる。

 どう考えても全く何の参考にもならない。


 待て待て、落ち着いて考えよう。

 今日は休日で会社じゃない。

 だから、通勤の時のようなワイシャツにズボンっていうのはちょっと違う気がする。

 しかし、だからといってあまりにもラフな格好は、社会人としてマズいかもしれない。

 だがしかし、うっかり気合いを入れて服なんか選ぶと、されてはいけない勘違いをされそうな気もするし。

 何しろ相手は年頃の未婚の女性、勘違いされたら洒落にならない。


 くっ、まさかたかだか服選びでこんなに苦労する羽目になろうとは!

 今になって悟った。

 他人の目を気にするような場合は、着るもの一つないがしろに出来ないんだな。

 昔、ちょっと外出するのに何十分も準備に掛けるな!と言って怒って悪かったな、妹よ。


 結局、下手にめかしこむよりは気軽な感じのほうがまだいいだろうという結論に達して、ラフだけど小汚くはない感じに纏めてみた。

 女性を相手にする場合は何よりも清潔感と、大学時代に出来た貴重な女友達が言っていたのを参考にしてみたのだ。


 選んだのは黒っぽい単色のカーゴパンツにわさび色の綿シャツなんだが、着てしまってからもやっぱりラフすぎないかと不安だ。


 そもそもこんな服装一つでぐらぐらするなんてどういうことなんだろう?有り得ないよな?

 心臓なんかかつてない勢いでガンガン脈打ってるんだが、一体なんでこんなになってるんだ俺?

 まさかと思うが、もしかして、自覚が無いながらデートみたいな気持ちなんじゃないだろうな?なんだか段々自分が信じられなくなっていく。


 よく考えろ、今から行く所は浮かれ気分でいいような場所じゃないぞ。

 相手は怪異マガモノだと想定できる。

 それなら、どんな弱い相手であっても油断は禁物だ。

 物心付いて以来、いや、物心付く前から、その事は『骨身にしみて』知っているはずだろ?


 そうやって自分に言い聞かせると、ようやく心臓のリズムが平常運転に戻る。

 念のため、鏡の中の自分の目を見て濁りが無いことを確かめた。

 うん、まあ、精神汚染とか自覚なしにやられるはずは無いんだけどな。ちょっと精神状態に不安があったんで念のためだ。


 あと、都市内は非武装地帯なんで少し迷ったが、攻守、雑用に何かと便利な狩猟ナイフを内着の上に装着したベルトに挿し、透明度の高い水晶と針入り水晶の基本二種の結晶体をそれぞれ二本、染みのない新しい懐紙を三十枚、所定の場所に収める。

 武器を装備したので、今まで仕舞い込んでいたチェーンを通した金属のライセンス板を引っ張り出して首から下げた。


「あー、なんでこんなことになっちまったかな?」


 もう二度と足を突っ込まないと決めた場所にまた飛び込もうとしている。

 嫌で嫌でしょうがなかった昔の無茶な修行とか、家の事情とか諸々を思い出してちょっとヘコんだ。



 俺に時間を操作する力など無いので、準備に手間取った分は、きっちりと時間に反映される。

 到着した時間はどう見ても待ち合わせ時間を過ぎていた。まずい。


 しかも待ち合わせの場所へと近づくと、性懲りもなくまたも胸が高鳴って来た。

 何期待してるんだか、馬鹿だろ俺。

 頼りにされてそれが愛情に変化するとか、物語では王道だけどさ、世の中そんなに上手くはいかないぞ。

 いや、そうかな?よくよく前向きに考えてみると、王道と言うのはそういった流れになりやすいってことだよな。

 うっかりそんな風に考えた途端、心臓が痛いくらい張り切り始めやがった。

 どんだけ単純なんだ、俺の体。


「木村さん、こっちです!」


 その声に、どきりと、かつて無い激しさで心臓が鼓動した。


「お!おおう!丁度今来た所だ!」


 な、何言ってんだ俺?

 彼女が先に来ててこっちを見つけたんだから、俺が今来たのはわかり切ってるだろ?馬鹿か?

 案の定、彼女、伊藤さんは「ぷっ」と噴き出す。

 しかし、


「私も今来た所です」


 そう言って、自分の言葉にウケたのかもう一度笑った。


「あはは、木村さんって案外楽しい人なんですね。私、うちの課の人達ってみんな凄い技術者で、難しい人ばっかりだと思ってました」


 なんか、スベらずに済んだ?フォロー入れてくれたのか?


「いや、そうでもないだろ。みんな結構お気楽だし。それに伊藤さん、いつもビシビシ俺たちに指示出してるじゃないか。書類の提出とかデータのバックアップとか」

「それは仕事ですから、そういう所で遠慮とかできませんし。でもみなさんいつも暗号みたいな会話していて、到底私には入り込めない世界だって思ってました」


 そんなもんなのか?


「伊藤さんて情報処理と経理を修めてるんだろ?俺はそっちに疎いから、逆に尊敬するけどな」

「なるほど、隣りの芝生は青いってことですね」

「そうだな、そういうことか」


 そんな会話の内に、遅刻した上にテンパッて変な発言をした俺の気まずい思いはいつの間にか払拭されていた。

 これってわかってて伊藤さんが空気を変えてくれたのだろうか?

 もしそうなら凄い気遣いだ。自然すぎる。

 会社でもいつも元気がよくてフォローが上手い人だなって思ってたけど、こうやって一対一になると特にそういう部分に助けられるな。

 これは、彼女を拝んだら御利益がありそうな予感がする。ナム……。


「ええっと、木村さん、なんで私に向かって手を合わせているんですか?」


 あ、やばい、つい。


「いや、拝んどけばその処理能力のご相伴に預かれるかな?と」

「あは、じゃあ私も木村さんを拝んでみようかな?難しいことがわかるようになるかも?」


 おお、綺麗に俺のポカをフォローした。

 うん、これはあれだな。

 伊藤さんは基本的善性の持ち主なんだ。きっと。

 無能力であることも関係してるのか?いや、それは無いか。

 しかしちょっと羨ましい。


 そうやって色々と考える一方で、今日の彼女の服装を横目でチェックした。

 淡いサーモンピンクっていうのか?鮭の切り身の色のワンピース、模様として白い大振りの花柄が描かれている。

 その上に七分袖の白のカーディガンらしき物を羽織っていた。

 カーディガンのレースが細かくて、いかにも可愛らしい。

 いつもの仕事場での雰囲気と違って、彼女の小柄で可愛らしい容姿を全面に出した感じだった。


 これってもしかしておしゃれして来てる?

 えっと、……ちょっとは期待していい……とか、ないよな。

 いや、有りか?


「あの、隔外になりますけど、いいですか?」


 自分の人生における重要問題で懊悩していた俺に、彼女は遠慮がちに声を掛けて来た。

 俺より背が低いのでちょっと上目使いになって、凄くいい。


「ああ、全然問題無い。ドーナツ地帯だろ?」

「そうなんです。土地付きだからどうしてもそうなっちゃったみたいで」

「いやいや、中央の隔外って一等地だろ、個人なんだし」


 そう、中央都は結印都市なので当然ながら結界に囲まれている。

 だが、常設の結界があるということはその維持には巨費が掛かるということでもあるのだ。

 そうなると結界内の土地には固定資産税の他に守護基金という特別税みたいな物が必要で、ここに住むとなると馬鹿高い維持費を徴収される。

 なのでそんな余裕の無い一般都民は、結界のすぐ外の土地に家を建てて住むことが多い。

 それを上空から見ると、住宅地が都市を囲んでドーナツ状に固まっているのでドーナツ地区という通称が使われているのだ。

 都市用結界は、最近では地下に埋められたケーブルによって作られている。

 ケーブルで結界陣を作って、そこに常時電気を流しているのだ。


 これは昔によく使われていた結界陣と違って、線引をした内側だけに効果があるのではなく、そこから発する波動によってある程度の範囲までそこそこの効果を発揮する。

 なので、人々はこの範囲内に新たな外側の街を作り、そこで生活しているのだ。

 ちなみに、ドーナツ地区も住所的には中央都になっている。

 ややこしいんだよな。


「内寄りの200m以内なんです」

「へぇ、じゃあやっぱりそれなりにいい場所だな」

「そうなんです。だからうちのお父さん自慢しちゃって、恥ずかしいったら。……あ!そうだ」


 シャトル鉄道の改札を通りながら話をしていた伊藤さんは、突然何かを思い出したように声を上げた。


「あのランプ、凄く効果ありました!両親共前みたいに戻って、私、凄くホッとして、今日木村さんに会ったら一番にお礼を言おうと思っていたんです。それなのにすっかり忘れてて、私ったら」

「あ、いや」


 彼女の勢いに、俺は少々焦る。

 何しろあのランプはあくまでも仮留めに過ぎない。

 しかも解除されると現象は以前より更に悪くなる可能性が高いのだ。


「あれはあくまでも一時的な処置だから、実際は何も事態は好転してないんだ」


 慌てて抗弁する。

 質の悪い仕事をして評価されるとか、これ程バツの悪いことはない。

 しかも、今回の件、正直俺は嫌々だったので尚更申し訳なかった。


「いえ、それでもお礼を言わせてください。だって、木村さんは本来何の関係も無いのに親身になってくださったんですから。本当にありがとうございました」


 駅の通路、衆目の中で連れの女性にペコリと頭を下げられるという、非現実的な光景。


 も、もしかして、これが俺のいい加減さに対する罰なのかも?

 オタオタとする俺の心の声は誰にも届かず、伊藤さんのフォロー能力はここでは発揮されないようだった。

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