終章『Reboot』

これからの日常

 アリアの暴挙を鎮圧した後、志希人はすぐさま英国の魔術師組合本部へと召喚された。そしてあの一件から一週間後の今日、ようやく解放されて日本の空港へと降り立つことが出来た。慌しい人々の雑踏は、心身共に疲労した志希人を出迎えるにはあまりに手厚すぎる。


 事が事であるだけに英国にいる間中、査問会やら何やら様々なところに出向かされ、これでもかというほどに質問と嫌味を受けた。


 けれども、労力に見合うだけの成果はもぎ取ってきたと思っている。手は自然と胸ポケットへと伸び、そっとその中身に触れた。


 行き交う人々の中、一人立ち止まっていた志希人を呼ぶ声がする。声のしたほうを見ると、吉野屋が手を振っていた。今日帰国する志希人を態々迎えに来てくれたらしい。


「仕事放り出して迎えに来ちゃった。でもまあ、組合長も先輩たちもいないし怒られないよね」


 黒幕であるアリアと、それに加担していた組合員たちは皆、英国へと連行されてしまった。しかし本部は今回の一件を明るみには出さず、表面上彼らは出向、という扱いになっている。組合長が霊脈を実験場にしていたなどと知れれば教会や無所属の魔術結社、《人外》などに弱みを見せるとして、そのような処置が取られた。

 突然の組合長トップの首変わり、その他大勢の組合員の出向と、その事態の異常さに気が付かないものはいない。皆薄々ながら何かあったと勘付いている。吉野屋もまたそうだ。


 吉野屋はきっと何かを知っている志希人を気遣ってそ知らぬフリをしてくれているのだろう。


「でも参ったな。この班、僕だけで大丈夫かな」


 最初に出会った頃のように、吉野屋が不安げな表情を見せる。けれども志希人は、彼のような心配はあまりしていなかった。横を通り過ぎる瞬間、彼の肩をぽん、と叩き、

「吉野屋さんがいるなら大丈夫でしょ。頼りにしてますからね」

 そう言い、吉野屋が運転して来た車の助手席に乗り込んだ。言われた彼はと言うと、数秒ばかり口を開けて放心していた。それからようやく我に返り、慌てて運転席へと乗り込んだ。


「えっ、あっ、志、志希人君、今頼りにしてるって言った!? どうしたの、英国で何か悪いもの食べた? フィッシュアンドチップスの油がよくなかったのかな」

「さすがに失礼なんじゃないですか? まあ実際美味くはないですけど」


 けれども言われてみれば確かに、依然はそう軽々しく口にすることはなかったやもしれない。



 ――その鋼の体は誇ることはあれど、恥じることは一切ない!



 あの言葉が少しだけ志希人の心を解いてくれたのだろうか。


 それとも一度に自身の命と同等かそれ以上のものを預け頼ってしまったためだろうか。


 どちらにしてもそれを認めてしまうのは何だか癪なような気がした。

 志希人は誤魔化すように吉野屋を捲くし立てた。


「や、んなことはいいんで早く車出してくださいよ、そこらへんを頼りにしてるんですから」

「そりゃ頼りにしてるって言うんじゃなくてアテにしてるっていうんだよ!」


 吉野屋が運転する車の震動。その心地良さを一身に受け、志希人は神代市へと帰ってきた。




 結局その日志希人が学校に着いたのは、昼休みも半ばに迫ってからだった。今日も来ないだろうと思っていた志希人が突然教室に入ったから、芽依子も晴彦も驚いたような顔をして、手荒い歓迎で出迎えてくれた。


 晴彦は志希人の頭を小脇に挟み、何日もサボりやがってコノヤロウ、と言いながら小突いてきた。どうにかその拘束から抜け出すと、今度は芽依子に心配したんだよー、と叫びながら飛び付かれ、泣かれてしまった。もうすっかり喧嘩をしていたことなど忘れているらしい。しかし入院していた彼女に心配されるというのは、何だか変な気分だ。


 アネモネはというと、芽依子と晴彦に囲まれる志希人を見て、穏やかに微笑んでいた。


 志希人は目を泳がせ、言葉を途切れさせながらぶっきらぼうにただいま、と告げた。アネモネはより一層笑みを深くして、おかえりなさい、と返してくれた。


「何だよただいまって。そこは久しぶり、とかだろうがよ」


 すぱん、と晴彦がツッコミで頭を叩いた。何だかこのやり取りが懐かしくて、痛いのに思わず志希人は笑い出してしまう。何笑ってんだよ気持ち悪いな、と言われるが、志希人には嬉しくてたまらないのだ。


 ああ、帰ってきた。日常に帰ってきたのだ。

 やっぱりただいまだよ、晴彦。そう心の中で思い、そして留めた。それは日常を守った志希人とアネモネだけが知っていればいい。




 今から食後のデザートにクッキーを食べようと思っていたところなんですよ。

 そう言ってアネモネがバスケットいっぱいの手製クッキーを取り出す。


「図らずも芽依子さんの退院祝いと、志希人さんの復帰祝いみたいになっちゃいましたね」


 アネモネのことだから、きっと図っていたに違いない。


 芽依子と晴彦が早々にクッキーに手を付け、小動物のようにもりもりと食べる。はたして志希人はそれに続くのか否かと、クラスメイトたちの視線が集まった。なぜそんなにも注目を浴びるのかわからない志希人は、視線に戸惑いながらもバスケットの中に手を伸ばし、甘い香りのするクッキーを噛み砕き、飲み込んだ。そして、

「美味いな、このクッキー」

 感想をアネモネにこぼすと、クラスの至るところから安寧のため息が漏れた。


「なっ、何だよお前ら! 人がクッキー食うのがそんなに面白いか?」


 クラスメイトたちはお互いの顔を見やって笑い合うばかりで、志希人の問いに答えてはくれない。結局、志希人は彼らの意図を掴めぬままだった。


 クッキーを頬張っていた芽依子が、

「そういえば志希とアネちゃん、仲良くなったんだねー。いつの間にやらやり取りが自然~」

 と言う。晴彦もそれに同調するように首を振る。他のクラスメイトたちも同様に頷いた。


 志希人とアネモネは互いの顔を見やり、それから、

「いや、別に仲良くはなってない」「元から仲が良かったですよ?」

 どっ、とクラスメイトたちが笑う。なぜ笑われているのかわかっていないのは志希人だけなようで、アネモネもくすりと悪戯な笑みを浮かべていた。




 放課後の屋上から見下ろすグラウンドは沈む夕日に照らされて真っ赤に焼けていた。今その景色を見下ろしているのは志希人と、アネモネだけだ。


「久々の里帰りはどうだ、楽しかったか?」


 メガネを外し、フェンスに寄りかかりながらアネモネが問う。質問に対し、志希人は肩をすくめ、ため息を吐くことで返事をした。


「査問会やら調書作り、それに元老院の方々に散々イジめ倒されてもうくたくただ。何故近くにいながらアリア・ベルの暴挙に気が付けなかった、止められなかった。それにあまつさえ彼の《血染花》に感知されるなど言語道断、だから貴様は万能の弾丸シルバーバレッドではなくて使い所を選ぶ弾丸フルメタルバレッドなのだとか言われた」

「はっは、それは酷いな」

「笑い事じゃねえよ……後な、英国には確かに永らく住んでたけど、俺の故郷はここだ、ここ」


 芽依子が、晴彦が――志希人の日常がある神代市こそ、帰るべき場所だ。もはやそれ以外に志希人の帰るべき場所などない。


「……ただまあ、最近は少し様変わりが激しい故郷だけどな」


 志希人のそのセリフを茶化すようなことをアネモネはしない。彼女もまた知っているのだ、日常が崩れ去る恐怖と、耐え難い心の傷を。


 きっと《血の王》になってしまったその日から、アネモネの世界は地獄へと変わってしまったのだろう。自らに、その地獄を強いているのだろう。ならばその痛みの欠片でも知る誰かが手を差し伸べても、罰は当たらないのではないか。


 胸ポケットから四つ折りにされた紙を取り出し、アネモネに見せる。

 それは、志希人が元老院から今回の口封じ料としてぶんどって来たものだ。


「……何だ、それは。認可、書?」


 大人の見栄でやたらと小難しく書かれているその書類を端的にまとめるのなら、魔術師組合は《血染花》を今後友好的協力者と認め、互いに敵対行動を取らぬものとする、とのことだ。これがある限り、アネモネは今回のように《血の王》というだけで事件の容疑者とされることはないし、彼女の言質にはしっかりと効力が発揮されるようになる。


「何故、そのようなものを――」

「アネモネに感知されたことが気掛かりなら、身内にしてしまえば大丈夫ですよって元老院を丸め込んでぶんどってきた」

「――違う! どのようにして勝ち取ってきたかを聞いているのではない! 何故そんなものを用意したのかと聞いているのだ」


 問われるとは思っていたが、いざ話せと言われると言葉が詰まる。そんなセリフを終ぞ吐いてこなかった志希人の口が、上手く回らないのだ。だって、こんなセリフはかつての志希人を知るものなら、らしくないと言うだろうから。


「……嫌、だったんだよ。誰よりもあろうとするお前がこのまま周囲に誤解され続けるのが」


 それは己を棚上げにした言葉なのかもしれないが、志希人の本心だ。


 この用紙一枚でアネモネの地獄が消え失せるワケではない。でも、少しでもその地獄から救われるならと。


「私は、そんなものなどほしくはなかった」


 だから、アネモネのその言葉は聞き捨てならなかった。


「ああ? いらねえだあ? 何でだよ、せっかくうるせえ元老院を黙らせて俺が――」


 取ってきたんだぞ。そう発しようとしていた志希人の声は、夕焼けの空に吸い込まれては消えていく。アネモネの頬を伝う澄んだ涙を見てしまうと、どんな言葉も出て来なかった。


 そしてアネモネは泣きながらに、微笑を浮かべていた。

 それに釣られて、志希人も屈託なく笑った。

 


 ――志希人の日常に紛れ込んだ異質。けれどもいつか、それも当たり前になる。



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鋼鎧のアウトレイヂ 藤村銀 @fujimuragin

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