日常へ戻るために
バスジャック事件から一日明けた日曜日、志希人は芽依子の見舞にと病院に来ていた。
しかしどうにも今日一日面会謝絶になってしまっているらしい。受付のナースに聞いても、理由は私たちにもわからないんですよ、の一点張り。
芽依子に何かあったのでは、と気を揉んでいると、
「あら~、志希人君じゃないのん。どしたの、そんなにやきもきしちゃって」
なぜか女医の服装をしたアリアがやって来た。
汚れ一つない白衣を着込み、首元には聴診器をぶら提げ、シャープなフレームのメガネを掛けている。コンセプトは優秀な美人女医、といったところだろうか。
「……コスプレですか、アリアさん」
アリアに対してだと、そんな言葉しか出てこない。似合ってますよ、だとか、綺麗ですよ、なんてコメントは一生出てこないだろう。
「違うわよぉ~、お仕事よ、お仕事っ」
身をくねくねと揺らしてアリアが主張する。格好が見慣れないせいか、普段の二割増しで心が疲れる。それと公衆の面前と言うのもある。あまり知り合いだとは思われたくない。
「病院で仕事、ですか?」
「ほらほらぁ~、志希人君も昔私にお世話になったでしょう? 今も昔も変わらず、《人外》の事件に関わった一般人のケアは私が担当しているのよ~。この病院、組合の傘下だし」
「ああ」
言われてから志希人の記憶の引き出しが開く。
この病院に来るのは初だと思っていたが、幼い時分、訪れたことがあった。一家が《人外》に襲われた後、アリアに保護され、この病院に入院させられたのだ。そしてそこで、アリアの魔術によるケアを受けた。
しかしあの時は女医のコスプレなどしていなかったと思うが。
「もしかして、芽依子が面会謝絶になってるのもアリアさんがケアをするため?」
「ああ、なーるほど、お友達ちゃんが面会謝絶で慌ててたのねん。そうよん、不意の来客で見られちゃうとまずいから謝絶なの。今日は、記憶の改ざんとか事後処理のほうだから大丈夫、お友達ちゃんには別に命の別状とかはないわよん」
その言葉を聞いて、志希人の肩から力が抜ける。
「数日入院するって言っても一応のための検査と、諸々の事後処理のためだから、心配しないで待ってなさいな。二、三日する頃には元気に学校に戻るわよう」
志希人を安心させるためか、アリアが陽気な調子でそう言った。
「それにしても休日も仕事なんて無理しすぎじゃないですか?」
「志希人君には言われたくないわね~」
「俺はいいんですよ、硬い
それジョークになってないわよ、とアリアが苦笑を浮かべる。
「別に私もいいのよう。今の私には仕事ぐらいしか何もないんだから」
どこか自嘲的にアリアが呟く。
「それより、よかったの? 今日の《血染花》との再戦、キャンセルしちゃって。いやね、私として昨日の今日だし、志希人君のコンディションのほうも気になるところだから、むしろキャンセルでよかったなー、ぐらいに思ってるんだけどね。それに突発的な事件があったから全然準備出来てなかったし……」
最後のセリフはごにょごにょと尻すぼみに消え入るような声だった。
「ええ、まあ、ちょっと思うところがありまして」
やたらと歯切れの悪い志希人の言葉に、アリアが不意に水でも掛けられたかのように目を丸くした。
まさかそんな反応をされるとは思ってもいなかったので、何なんですか、と問い詰める。
「いや~ん、まさか志希人君が《人外》退治でそんな曖昧な返事するとは思わなくて。いつもぶっ殺す、しか言わないのに。何かあったのかしら、と思っちゃって」
さすがに志希人を幼い頃より知っているだけあって鋭い。けれども志希人は、曖昧に笑みを浮かべるばかりで何があったか、などの詳細は決して口にすることはなかった。
それじゃあ久々のお休み満喫してねん、と言い残し、アリアは先を急いだ。
――私は人間を餌だと思ったことはない。
あの言葉が真実か、その場限りの嘘であったか。その真偽を見極めないうちは、アネモネと刃を交えることは躊躇われた。
言の葉の真偽を確かめるためには、現在神代市で起きている《血の王》の意図的な繁殖に関する事件を解き明かしてやればいい。
アネモネは本件の第一容疑者である。血が血を呼ぶ争いを起こすために、神代市で《血の王》を増やしていたものだと予測されたからだ。それにタイミング的に、異名持ちがいるのはあまりに怪しすぎるから、と。
アネモネが予想のとおり黒幕であれば言葉は大嘘、人を餌と見なしているということになる。
アネモネがもし黒幕でなかったのならば――あの言葉を、信じてやってもいい。
もしも言葉が真実であった時、今まで出会う《人外》を殺し続けてきた志希人は、一体どうするのだろうか。それは志希人本人にも全く想像が付かない。だって今まで人間を食い物にしない《人外》になんて、出会ったことはなかったから。
それを含め、志希人は知りたいのかもしれない。
『YOYOYO、自主的四連休の気分はどうだサボり魔。メイは検査入院でいねぇし、ウィンウィールドと二人きりだと上手く会話噛み合わねぇし、今日に至っては体調不良で休むし。オレが嫌われたとか考えちゃうだろうが! それもこれもてめぇがサボるのがいけねぇ! なァに電話に出てくれちゃってるかなぁ。せめて仮病で休むなら電話に出るんじゃねぇよ』
「あー、徹夜明けの脳みそだといつにも増してお前はうるせえなあ。電話に出なかったら出なかったで次の日うるせえしで、お前はどう転んでもうるさいな、晴彦」
『寝不足で荒んでるからってオレに八つ当たりするんじゃねぇよ』
「や、コレ寝不足とか関係なしのいつもの俺の感想」
『普段からオレのことそう思ってたのかっ!?』
「……お前の耳、もしかして都合の悪いことは右から左に流れてく機能付いてない? 普段から言ってるつもりだったんだけど」
パソコンの画面下を見ると、時刻は午前八時二十分。学校ではちょうどホームルームが終わり、一限目への準備時間に入ったところだろう。その合間を縫い晴彦は電話をしてきたワケだ。
集中して作業に取り掛かってはいたが、まさか日曜の午後から火曜日の朝までぶっ通しで行うことになるとは思いもしなかった。
いや、作業内容を考えるとそれも仕方がない。
志希人がほぼ二日もの時間を費やして行っていた作業。それはバスジャック犯の《血の王》の過去の足取りを監視カメラなどの映像から割り出すことだった。
男は逃げ出してきた、と述べていたため、それさえ掴めれば今回の一連の《血の王》勃発の黒幕が掴めるのではないか、と志希人は考えた。
普段そのような調査は組合のほうに放り投げており、志希人は武器を取るのみだったのだが、この件に関しては自分で調べてみたかったのだ。
とは言え、探索魔術を使えない志希人が一人で足取りを調べ上げるのは至難の業だった。監視カメラの映像を拝借して過去へ過去へと遡っていくという、大変地味で精神的疲労を伴う作業。しかも男は逃亡者であったから、人気のない道を選びたがる。そうすると自然に映像に残らないことも多々あった。だからこの映像に残っているということはこの辺の道を歩いたんじゃないか、と予想を立てて映像を遡っていく他なかった。
その地味極まる作業の成果もあって、ほとんど逆探知には成功している。実際に足を運んで正確な位置を確かめるだけだ。
あまり非日常のことで日常の時間を失いたくはないのだけれども、今はこちらのほうが重要な気がして、ついつい学校を無断で休んでしまった。
「まっ、だからお前は馬鹿なんだろうな」
『馬鹿じゃありませんー、馬鹿って言ったほうが馬鹿なんですぅー!』
「……ガキか、おめえは。おら、もう授業始まるだろ、電話切るぞ」
『ちぇー。明日は来いよ、絶対だかんな!』
わかったわかった、と適当な相槌を打ち、通話を切る。
言われなくとも行くつもりだ。
今日で全部終わらせよう。
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