嫌いな理由

 神代市の案内と言っても、地方都市――片田舎だ。それほど見るべきものはない。だから志希人たち四人はスーパーマーケットから生活用品店、各種専門店、映画館までも取り込んだ大型ショッピングモールへと足を運んでいた。


「町を案内するねっつって、ショッピングモールってどうなんだ? メイ」

「でもここさえ知っておけば日常生活で必要なもの大抵揃うし、娯楽も押さえてるよ?」

「そのとおりなのが悲しいなあ……」


 ショッピングモール内には志希人たちの他にも制服姿の客が見受けられた。まだ平日の昼間ということもあって、客数はあまり多くない。


「アネちゃん、どこか見て回りたいお店ある?」


 芽依子が案内板を指差す。アネモネはそれに寄って行き、一階から最上階までを眺めた。


「そうですね、洋服屋さんには寄りたいです。まだこっちに来たばかりで私服をあまり持っていないので」

「あっ、私もお洋服見たーい。他にはある?」

「他ですか、ええっと……うーん」

「あっ、じゃあじゃあ、一通り回ってアネちゃんが気になったところに入ってみようよ」

「すいません、優柔不断で」

「ううん、気にしないでー。ハルはどこか行きたいお店ある?」

「オレ? オレはそうだなぁ、新作のゲームとか、ヘッドフォン見てぇかな」

「志希は?」

「別にねえ」


 爆弾アネモネを引き連れていてはオチオチショッピングなど楽しめるものか。なるべく早くショッピングモールから出たい一心でそう答える。


 すると芽依子は頬を膨らませ、志希人を睨みつける。しかし目力が一切ないので、威圧感は微塵も感じられない。それどころかいっそ駄々をこねる幼い子供のようで愛らしいとすら思えてしまう。


「……何だよ」

「べっつにー」


 ふいっとそっぽを向くと、芽依子はアネモネの手を取ってさっさと歩き出してしまう。


「わわっ、メーコさん?」

「ほら、志希なんてほっといて行こ行こっアネちゃん」


 なぜ芽依子が突然不機嫌になり出したのかわからない志希人は、ただただ呆然としていた。独り言のように、


「……俺、何かしたか?」

 と力なく呟くと、隣にいた晴彦がはは、と若干呆れ気味に笑った。彼にはどうやら芽依子が怒っている理由がわかっているらしいが、しかし教えてくれることはなかった。


「ま、メイも遊んでるうちに機嫌直すだろ。ほら、行こうぜ」


 ばしん、と背を叩かれ、志希人たちも芽依子たちを追って歩き出した。



 

 晴彦の要望である電気屋へ行く途中におもちゃ屋を発見、陽気な音楽に芽依子が誘われて中へと入ることになった。


「イギリスのおもちゃってなんだろう、マトリョシカだっけ? あの中から小さい人形が出てくるやつ。可愛いよねー」

「それはロシアの民芸品ですよ」

「あれー、そうなんだっけ」

「なぁなぁ、これオレに似合うか!?」


 着せ替え人形を眺めていた芽依子とアネモネのところへ晴彦が駆けつける。似合うとは何のことかとそちらのほうを振り返ると――パーティー帽子に鼻メガネを装着した、大阪の名物人形のような格好の晴彦がそこにいた。


「あー、えーと、その……」


 アネモネが言葉を選んで言い淀むも、中々セリフが口から出てこない。あまりにテンプレートなおふざけの格好すぎてコメントに困っているのだろう。素の彼女であったのなら、ばっさりとつまらないと切り捨てているだろうが、今はアネモネ・ウィンフィールドを装っているのだから、そのようなコメントは出来ない。



「うん、ハルすっごい似合ってるー」



 悪意の介在しない素直な芽依子の感想に不意を突かれ、ツボに入ってしまったのかアネモネは笑いが止まらなくなってしまった。

 笑いを取りにいったことは間違いないが、まさかこのような形で爆笑されるとは思ってもいなかった晴彦は、悲しそうな目でアネモネを見つめていた。


 それから、少し離れた位置でアネモネを監視していた志希人のほうを向く。安っぽいレンズ越しに、哀愁漂う晴彦の目が覗いていた。


「……ツッコまないからな」


 志希人がしっしっ、と手の平を振って拒絶してやると、晴彦は手に持っていたピーヒャラ笛を咥え、息を吹き込む。ぴゅろろろろ、と情けない音を出しながら、巻かれた紙が真っ直ぐに伸びる。

 ようやく笑いが収まりかけていたアネモネが、また息を吹き返して笑い出す。終いにはやめてください、やめてください、と必死に懇願する始末だった。そんなザマの彼女を見ていて、芽依子も釣られて笑い出す。


 それからしばらくアネモネは発作のように笑い出し、落ち着き、笑い出しを繰り返し、このままおもちゃ屋にいたのでは体が持たないと主張して店を出た。

 クセになってしまったのか、何でもない晴彦の顔を見ても不意に吹き出す。


「……ウィンフィールドって結構笑うんだな」

「ねーっ」


 複雑そうな顔で、晴彦がそう言い、にこにこと嬉しそうに芽依子がその弁に頷く。


 志希人だけがその様を一歩引いて眺めていた。

 本当に、心底楽しそうにアネモネは笑うのだ。


「……」


 志希人はそれが心底気に入らなかった。




 晴彦の買い物を終えると、一向は芽依子とアネモネの要望である洋服屋へと向かった。


 開けた店内には女性客ばかり。また隣接してブラジャーなどが展示されており、男子は居辛いとのことで、店外に設置されたベンチで志希人と晴彦は女子たちの買い物が終わるのを待つことにした。


 えー、二人は来ないのー、などと芽依子は素っ頓狂なことを言っていたが、男子陣は無視してそそくさと店を出た。


 遠目からでも、アネモネと芽依子が服を選びながらはしゃいでいるのがよくわかった。きゃっきゃと姦しく、こっちのほうが似合うよ、でもあっちのが可愛いかも、と洋服を手に取り、互いの体に重ね合わせていく。


「よくやるよ……」


 芽依子はともかくとして、アネモネには心の底から呆れている。人の寿命の何倍も長く生きた《血の王》が、人間の、まだ十七にも満たない少女と戯れている。何かの悪い冗談だとしか思えなかった。


「ホレ、これでも飲んで頭冷やせ」


 近場の自販機に飲み物を買いに行っていた晴彦が戻ってきた。目の前に差し出された紙コップを受け取る。


「お前の奢りなんて珍しいな」

「バカヤロウ、懐の広いオレサマをケチみたいに言うんじゃねぇやい」

「つか何だよ、頭冷やせって」

「そのまんまの意味だよ」

 言いながら、どっかりと晴彦がソファに腰をかけた。


 細かい氷が入ったアイスココアを口に含む。甘く冷たくて、美味い。


「お前、今めちゃくちゃ不機嫌そうな顔してんぞ」

「えっ……マジ?」

「マジマジ、オレ嘘吐かない」


 指先で自分の顔に触れて見ると、眉間や口元に深いシワが刻まれているのがよくわかる。

 そんな風にしているつもりはなかったが、無意識のうちにそんな表情になってしまっていたらしい。


「何だよ、ウィンフィールドが嫌いなのか? あいつが笑えば笑うほど不機嫌になっていくけれどもよ」


 くっく、と咽喉を鳴らし冗談めかして晴彦が言う。


「……ああ、嫌いだな」


 俯きがちに志希人が答えると、晴彦は目をひん剥いて驚いた。


「……お前が人を苦手とか曖昧に言うんじゃなくて、ハッキリ嫌いって言うなんて珍しいな」

「まぁ、そうだな」


 明確には、アネモネは人ではない。志希人の大嫌いな《人外》だ。しかしこの胸のざわつきは、ただの《人外》に対する嫌悪感とは違っていると思う。思う、というのは、その差異が志希人にもわからないのだ。


 なぜアネモネが笑うたび、こんなにも心が苛立つのか。


「はぁー、まあ、ともかくだ、その嫌いって感情がお前から滲み出てるぞ。あまり関わりたくありません、馴れ合いたくありませんって感がさ。で、それをメイが嫌がってる。なんでアネちゃんを嫌うのーってな」

「ああ、だから怒ったのか、メーコ……」


 自覚がないだけで志希人の言動に露骨な距離感、壁があったというワケか。

 志希人とアネモネを仲良くさせたい芽依子としては、面白くないに決まっている。


「オレも渾身のボケにツッコミをくれなかった時は怒りそうになったぞッ!! 何だあのおもちゃ屋での覇気のなさ!」

「俺はお前のツッコミ役じゃねえって言ってんだろ!!」

「ボケはツッコミがいるから安心してボケられるんだからなー!」

「知るかっ! お前一人でもウケてただろ!」

「オレの望んだウケじゃないんですぅー!」


 互いに睨み合っているうちに、たまらず可笑しくなって吹き出した。

 しばらく笑った後に省みる。芽依子にとって《血染花》監視の任など、志希人が不機嫌な理由など関係ない。その彼女に関係のないことで不愉快にさせるのは間違っている。志希人は自分の非日常に彼女たちを巻き込みたくはないのだから。


 演技でいい、せめて普通のフリをしようと決心し、気合を入れるために自分の両頬を叩いた。


「よしっ後でメーコに謝ろう」

「メイのことだから、一発で機嫌直るって。ウィンフィールドと仲直りの握手を交わせりゃ百点だな」

「……それは、どうかなあ」


 想像するだけで苦虫を噛み潰したような表情になる。


「志希、ハルー、ちょっとこっち来てー」


 洋服店の試着室のほうで、件の芽依子が志希人たちを呼んでいた。女性たちの目を気にし、申し訳なさそうに店内を進んで行くと、そこにはアネモネがいなかった。


「今アネちゃんが試着してるところだから、男子の感想ちょうだい」


 もぞもぞとカーテンが動き、衣擦れの音が雑踏に混じって聞こえてくる。そこにアネモネのか細い声が加わった。


「あのぅ、着れたことには着れたのですが……見られるのはやはり少し恥ずかしいというか」

「ここまで来て何言ってるのー、はいお披露目―」


 芽依子はカーテンの端を掴むと、投擲でもするかのように勢いよくそれを滑走させる。


 試着室の中から現れたアネモネは、淡いブルーのセーターを着、その上から緩やかなストールを羽織っていた。下は足首まで隠れてしまいそうな裾口の広いロングスカートを履いている。三つ編みと赤縁のメガネのせいで文学少女と言う感を与えた。木の葉の落ちる秋の窓辺、物鬱げに本を読んでいれば十中八九の人間は目を奪われること間違いなしだ。


「どうどう、可愛いでしょー」


 鼻息を荒げ、芽依子が胸を張る。


「何でメイが自慢げなんだよ」

「何を隠そう私のチョイスだからなのだよー」

「実はお友達に選んでもらった服をこうして着るのって、夢だったんです」



 何て《人外》らしくない夢だろう。

 何て《人外》らしくなく幸せそうに笑うのだろう。



 そんなことを考えた途端、志希人の中に燻っていたアネモネに対する名の付けられない苛立ちのワケが端から氷解していった。


「ああ……」


 瞬間、志希人だけが世界から切り離されてしまったかのような錯覚に囚われる。楽しげに戯れる芽依子に晴彦、そしてアネモネの姿が志希人の目には霞み、声は遠ざかっていく。


 志希人は、気に入らなかったのだ。アネモネが《人外》らしからぬ笑みを浮かべ、夢を語り、人と交わるその様が。業腹で仕方がなかったのだ。

 憎くてたまらない《人外》がまるで人間のように振る舞うのが許せなかったのだ。人間のように、幸せを噛みしめているのが。

「……《人外》のクセに」


 溶け出す負の感情は重油のようにドロドロしていて、志希人の奥底で燻る憎悪に触れると、激しく燃え上がった。

 なぜ人間を餌として食らい生きるものが幸福を謳歌して笑い、なぜ化け物に食われ死すものが絶望に泣かねばならない。


「ねね、志希も似合うと思うよねー?」


 灯ってしまえば燃料が燃え尽きるまで炎は消えない。

 今の志希人はさながら暴走列車のように、止まることを知らない。



「《人外》が人間の服着て似合うワケねえだろ。人間の真似事なんかしてんじゃねえ、腹が立つ」


 

 熱は言葉となり、言葉は呪いとなる。


 その紅く妖しく輝く目を眼窩からこぼれ落とさんばかりに見開いて、アネモネは一驚に喫した。その表情は仮面の留学生アネモネ・ウィンフィールドのものではなく《血染花》の、素の彼女のものであった。


 ふっ、と自嘲気味に笑みをこぼすと、

「そうか……似合わないか。やはりこのような愛らしいものは、私には……」

 と寂しげに呟く。


 ぱん、と乾いた音が耳朶を打った。


 視界がぐらりと揺れ、左の頬に鋭い痛みを覚える。

 芽依子に頬を打たれたのだと理解するのに、数秒を必要とした。その痛みを頼りとして、志希人はハッと我に返り、自身の言動を思い返す。


「あれ、俺、今……」


 さっき普通を演じると誓ったばかりなのに。芽依子たちの前では決して見せてはならない姿を晒してしまった。

 だが万事気付いた時にはもう遅い。


「……何で、何でそんな酷いこと言うの? 何でそんなにアネちゃんを嫌うの……? そんなの、そんなのいつもの志希じゃないよ……」


 必死に堪えようと、芽依子がしゃくり上げながら言葉を紡ぐ。しかし堪えようとすればするほど涙が溢れ、感情の濁流は決壊を目指していた。


「メーコ、その……」

 志希人が差し出した手を――芽依子が振り払う。


「もういい! 志希なんて知らないッ!!」

「あっオイ、メイッ!!」


 晴彦が止めるのも聞かず、芽依子は志希人の元から駆け出して行ってしまった。


 志希人は、ただ小さくなっていく芽依子の背中に手を伸ばすことが精一杯で、足を動かすことは出来なかった。見かねた晴彦が、彼女を追いかけて行く。




 呆然とショッピングモールのベンチに座っていた。ベンチの対岸にはアネモネが座っており、志希人とは対極的にけらけらと笑っていた。


「くはは、派手に喧嘩したものだな。まさか平手打ちとは。貴様相手ではビンタをした芽依子のほうが痛かっただろうに、なあ?」


 アネモネの声は、鼓膜を通り抜けて反対の耳からすり抜けていく。


「若いうちは仲違いするものさ、い」


 ぽっと出の部外者であるアネモネには先程のやり取りが青春イベント程度にしか見えていないらしい。志希人にとって日常がどれほど大切か知りもしないで。しかしもはやそれについて怒る気力も残されていない。


 あれからどれだけの時間が経っただろう――晴彦からメールが届いた。慌てて内容を確認すると、しばらく一人にしておいてほしい、と芽依子が言っているらしかった。それ以上は、何も書かれていない。


「芽依子はなんと?」

「……」

「おい」


 ひょい、と容易にアネモネにケータイを奪い取られてしまう。


「ふむ、なるほどな。まあ、距離を取って冷静になることも必要だろう」


 ケータイを奪い返し、ポケットにしまい込むと力なくベンチから立ち上がった。ここでこうしていても仕方がない、ともかく帰ろう。そんな一念が志希人の体を動かす。


 ショッピングモールの外へ出ると、来た時はあんなに高々と昇っていた太陽は山の谷間に沈もうとしていた。道行く人が誰も彼も焼かれてしまったかのように赤く、表情が窺い知れない。


 ふらりふらりと歩くその後ろを、まるで志希人の影のようにアネモネが付いて来る。


「……付いて来んじゃねえ」


 しかしアネモネは立ち止まらない。

 ならば、と志希人が立ち止まり、振り返り、吐き捨てる。


「目障りだって言ってんだよ、《人外》」


 《人外》。ただ事実を述べているだけなのに、アネモネは手の平で溶け行く雪のように儚く、せつなさげな表情を見せる。


「……本当に、貴様は《人外》が嫌いなのだな」

「ああ、大嫌いだ、憎いとも。てめえらがいなけりゃ、俺は、俺たち姉弟きょうだいはこんなザマにならずにすんだんだ」

「俺たち姉妹……?」

「いつもいつも、てめえらは俺の日常を踏みにじりやがる。あの時も、そして今日も……! もううんざりだ。人喰らいのてめえが人と仲良しごっこして楽しいかよ。俺を巻き込むんじゃねえ、《人外》……!」


 それだけ言い残すと、志希人は逃げるように走った。アネモネはもう、それ以上追っては来ない。影だけが切り離されたようにぽつりとその場に立ち尽くしていた。

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