燃やす、ということ

 ユウリらも順次、沿岸の拠点をとしている。ユウリが思っている以上に、二人の息子は兵を上手く掌握しているようであった。

 マヒロから、トオサの地を陥としたので、一度軍儀をしておきたい。明日の朝そちらに向かう、という報せが入ったので、ユウリは二人の兄弟を召集した。

 久しぶりの、親子三人の夜である。戦陣なので、酒はない。夜営地で僅かな兵糧を食った。兵たちは遠慮して、近付いてこない。

「父上、俺たちの働きは、どうです」

 カイが、炙った干し肉を齧りながら言った。申し訳程度に筒袖鎧とうしゅうがいを着込んでいる以外は、相変わらず、遊びにでも行くような格好をしている。

「今のところ、よくやっている」

 ユウリは二人の息子を交互に見、言った。

「儂が思っているよりも、成長は早いものだ」

「父上、我らを幾つとお思いですか」

 寡黙なオオミが言った。

「誰よりも多く、父上の戦を見ているのです。我らも、父上の名に恥じぬ将として、ヤマトを支えてゆくつもりです。コウラもマヒロ様のもとでよく働いているようですし」

 とコウラの父であるこの品の良い長男は言った。なるほど、眼の光はユウリに似て強いが、穏やかである。細面だが鋭さはなく、丸みのある顎の線が優しげな印象をもたらす。それとは逆に、カイの方は、つり上がった眉と目尻が精悍な印象で、凹凸おうとつの強い顔をしている。

 オオミは、戦においては彼我の戦力、配置などを冷静に分析し、堅実で冷静な指揮をし、確かな勝ちを得ていた。カイは兵と共に騒ぎ、ときに進み、ときに逃げして、定まるところがないが、勝ちの匂いがする。などと言って誰も思い付かぬ攻め口から攻め立てたり、これ以上はあぶない。などと危険に対する勘を働かせ、甚大な被害を避けるべく撤退する決断ができるようで、兄弟ながら全く似ても似つかぬ二人であったが、どちらもよく兵に慕われ、武も強く、将たる器は十分であった。

 しかし、ユウリは、やはり何かが足りぬ。と思っていた。そう、例えばマヒロの眼を覗き込んだときに映るような火のゆらめきや、リュウキの雷電のような智を深く矯め込み思案している後ろ姿のようなものが無かった。

 それは、自らの足で潜った死線の数、あるいは見遥かす世の奥行きの差であるかと思われた。それゆえユウリは、二人に隊を自在に進退させる将として旗も与え、戦いの中でそれを見出だしてはくれぬかと思っていた。

「父上も、俺達に兵を取られ、さぞ難儀しておられるでしょう」

 カイがへらへらと笑う。

「馬鹿者。儂が更に老い、軍を動かすことが出来なくなったり、死んだりすれば、お前達が儂の兵を全て動かし、ヤマトを守るのだ」

 ユウリがたしなめた。

「冗談ですよ、嫌だなあ、真面目なばかりでは息が詰まりますよ」

 とカイは笑った。

「我らは、必ず父上の期待に応えてみせます。ですから、父上も、ご無理をなされませぬよう」

 オオミが父を気遣う。

 ユウリは二人を見、嬉しそうに笑った。性格も行動も全く違えど、父として二人に注ぐ愛の量には変わりはなかった。


 翌朝、マヒロが僅かな供を連れ、やってきた。ちょうど、二日に一度の補給船がやってくる日である。マヒロは、手勢を陣に残し、コウラのみを連れ、ユウリら親子と共に砂浜に座った。

「親子三代が揃ったわけですね、ユウリ」

 マヒロは笑った。やはりその瞳の光は深い。コウラは久々に祖父と父、叔父が揃う前に出るわけだから、緊張しているようであった。

「コウラよ、幾つになった」

 ユウリが相好を崩した。いつの世、どのような立場でも、孫とは可愛くて仕方のないものらしい。

「はい、十四になります。おじじ様」

「マヒロ様に、迷惑などかけてはおらぬか」

 オオミが年下の上司に気を遣った。

「なんの。コウラは、とても良く働いてくれている。トオサでの戦いも、自ら勇敢に矛を振るい、おれを助けてくれたのだ」

 マヒロが八重歯を覗かせて笑った。コウラは、照れ臭そうにしている。その眼を見て、ユウリは、おや、と思った。コウラの眼にも、小さいながら火が揺らめいている。マヒロの近くに長く居、その火が移ったか、と思った。

 そこへ、船がやってきた。水平線のあたりに豆粒のようにして浮かんでいた船団が、こちらにどんどん近付いてきた。沖で停泊しながら荷物を複数の小型船に移し換え、浜まで乗り上げるつもりらしい。しかし、その小型船の足が、異様なほど早い。マヒロとユウリは眉をひそめた。

 浜に上がった船から、使者が転ぶようにして駆け寄ってくる。それが、

「急報です。ハラのクニが突如兵を発し、ユウリ様の地を攻めております」

 と、タクからの急報をもたらした。ユウリの毛が、逆立つのが分かった。ユウリの治める地は、ヤマトのすぐ北である。そこを奪られれば、ヤマトに攻め込まれるかもしれない。

 残してきた兵力でも、ヤマトを守るには十分であったが、ユウリの治める地まで援軍を差し向ける余裕はない。傘下にしている地域から兵を出させれば、ハラごときの小国に手こずっていると思われ、要らぬ波紋を広げることにもなりかねない。

 この主力の中の、誰かが行くしかなかった。

「おれが、残りましょう」

 マヒロが、意外なことを言った。彼の性格からしてヒメヒコの危機、と飛んで行きそうなものであったが、ここで制圧したトオサの地を手放せばこれまでの事業が無駄になり、なおかつ攻撃を受けているのがユウリの治める地であったため、地理やムラ、都邑とゆうの構造に精通しているユウリ親子が戻るのが良い、と言うのである。

 それでは、とユウリは陥とした沿岸地域の押さえに自らの手勢千人を残し、兄弟と、その率いる兵を連れ、船に飛び乗った。

 小型船に乗り込む際、マヒロは、ユウリと眼を合わせた。

「留守を、頼む」

「ヤマトを、お願いします」

 と言い交わした。


 オオシマにも寄らず、船を飛ばしに飛ばし、二日後の朝、オオトの浦に付いた。既に船の来着を聞き付けたタクが迎えに出ており、ヤマトへ向かう山越えの道を行きながら、状況を説明した。

 彼は異変を聞くやすぐに、オオトの兵を三分し、ひとつをオオトの守備に残し、一つをヤマトに向かわせ、一つをユウリの治める地へと向かわせていた。

 タクの兵は、全て合わせても三千であるから、ユウリの治める地に向かったのは千ということになる。もともとユウリが領地に残してきた兵は五百。ハラは小国であるから、最大兵力を動員したとして兵力は互角か、ヤマトの方がやや少ないか、という具合であったから、そこにユウリが引き連れてきた兵四千を投入すれば、ハラを打ち破ることができる。

 ユウリは、駆けた。ヤマトの地を通過してもサナに挨拶もせず、夜も兵に松明をそれぞれ持たせ駆け通した。タクはサナに現状を報告するため、ヤマトに留まった。

 オオトに戻った二日後、ユウリは、自らの領地の都邑に辿り付いた。途中のムラは、殆ど焼かれていた。

 大きな河が野を潤すこの地は、南から見て、右側になだらかな丘陵が続いており、その丘陵の起点に、ユウリの居館がある都邑があった。

 その都邑から、煙が上がっている。

 親子は、愕然とした。

「我が地が、陥ちたというのか」

 ユウリは気を取り直し、部隊に小休止を命じた。この情景を目の当たりにしても焦らず、駆け通して来た兵に休息を命じられるのは、流石と言っていい。


 日がもっとも高くなるとき、再び陣形を組んだ。都邑の中の状況が分からないが、ハラの兵でひしめき合っていることであろう。

 土塁の前まで、ユウリは軍を進めた。

「候、ユウリが戻った。我が地を荒らす者は、何者ぞ」

 と大地が震えるほどの声で呼ばわった。櫓の上に人影が現れ、ユウリの方目掛け、矢を射掛けてきた。

 その軌道をユウリはよく見切り、避けなくとも当たらぬ矢には反応を示さず、自らに向かってくるもののみを矛を振り、払い除けた。

「――ゆくぞ」

 何事もなかったかのように、ユウリは左右の兄弟に向かって言った。雄叫びを上げ先頭を駆けるユウリが連れる兵の士気は、最高潮に達した。やはり、ハラの兵は少ない。どんどんユウリはハラの兵を屠っていく。オオミもカイも、獅子奮迅の働きをしている。

 そこへ、一騎の騎馬が進み出てきた。

 ユウリはその顔を見知っていた。ハラの歴戦の勇将であり、かつて、クナの侵攻からヤマト、オオトを救ったハクトである。ヤマトとハラの戦いにおいて、マヒロの父を葬ったのもこの男であった。

 歳はユウリと同じ頃で、すっかり老いているはずであるため、まさか戦に出てくるとは思ってもいなかった。

 若き日、ユウリもあの戦に出て、ハクトの働きに惚れ惚れとしたものである。ユウリは、この武そのものの老人に向け、歩を進めた。

 ハクトが相対する敵をユウリであると認めたのか、やはり一騎で進み出てくる。

 ハクトが、馬腹を蹴るのが見えた。

 矛を脇に構え、疾駆。

 ユウリは、馬に乗れぬままである。

 ハクトは、いつ、馬の練習をしたのであろうか。そんなことを考えながら、ユウリは駆けた。

 ぶつかるとき、ハクトの馬が倒れた。ユウリの矛が、ハクトの馬の首を、斬り飛ばしていた。あわよくばハクトの首も合わせて飛ばすつもりであったが、馬上で巧みに身を捻ることでかわされた。

 血を吹き上げる馬から降り立ったハクトは、笑った。

「さすが、ヤマトにその人ありと言われた男よの」

 と言い、矛を腰のあたりで構えた。

「ハラの勇者ハクトの技、見せてもらう」

 ユウリも、矛を構え直した。

 長い、対峙。

 風すらも、吹かない。ハクトの背後に立ち上る煙が、真っ直ぐ、天に消えている。

 それを、ユウリは眺めている。

 ハクトが、間合いを詰める。ユウリは、動かない。

「この地を攻めて、どうする」

 ハクトは、答えの代わりに、矛を繰り出した。ユウリは、ほんの僅かだけ頭を滑らせ、それをかわした。

「今さら、我らに楯突いてどうする」

 ハクトの矛が、もう一度唸る。

「なぜ、ヤマトと共に歩まぬ」

 今度はハクトの矛と、ユウリの矛が交わった。

「お前たちのしていることが、この地を乱すからだ」

 老いているとは思えぬ力で、ハクトが矛を押してくる。ユウリの足が地にめり込み、更に後ろに下がった。

 ユウリの肩が盛り上がり、ハクトを押し返してゆく。ハクトがその力を跳ね返す動作をしたため、二人は弾かれ、その位置を入れ換えた。

「我らがこの天と地の下を一つにしてこそ、世は安寧なのだ」

 ユウリは自説を説いた。

「思い上がりよな」

 ハクトが応じ、吐き捨てるように笑った。

「なに」

「お前たちが、大きな顔をしてのさばってくる前は、この天と地の間は一つであったのに」

「なにを」

「考えてもみろ。ヤマトがあり、ハラがあり、オオトがあり、クナがあり、民があった」

 ハクトの矛が、少し動いた。ユウリの矛もそれに合わせて動く。

「それを、ヤマトが、一つにするのだ」

 ユウリが遮って言う。

「違う。それだけで良かったのだ」

 ハクトの語気が、荒くなった。

「お前達が唱える女王の国を一つにするために、お前達は、奪い、壊し、殺しているではないか。お前達さえ何もしなければ、この地に暮らす者は誰にも奪われることなく、誰からも奪うことなく、幸福に生きておれたのだ」

 ユウリは、はっとした。それも一つの道理ではある。しかし、ユウリには、天と地の間に存在する全てのものを一つにする方法が、サナによる統一であると信じていたので、認めるわけにはゆかぬ。

「お前たちが何をせずとも、もともと我らは――」

 ハクトの身体に、気が充ちてゆく。

「――ひとつであったのだ」

 辺りの空気ごと巻き込んだ、凄まじい突き。さすがのユウリもかわし切れず、兜を飛ばされ、こめかみから生温い液体が流れ落ちるのを感じた。

「もはや、言葉では、分かり合えぬようだな」

 ユウリの身体にも、気が充ちてゆく。

「ならば、続きを語ろう」

 不思議なことを言い、ハクトは矛を繰り出した。

 凄まじい撃ち合い。

 両軍の兵は、息をするのも忘れたようにそれを見守っている。

 みるみる二人の老勇は、その身体を自分の、あるいは相手の血で染めてゆく。

 ハクトの矛が、更に冴える。

 ユウリの矛が、地に叩きつけられ、転がった。

 しかしユウリは追撃を許さず、抜剣し、間合いを詰めた。

 懐に入られては、ハクトも仕掛けがし辛い。ユウリを蹴飛ばすと、同じようにして矛を捨て、剣を抜いた。

 二人の咆哮が、響く。

 剣を打ち合う鉄粉と血が混じり、飛んだ。

 最早、言葉では何も語らない。

 しかし互いの剣を通して、通じ合ってはいた。

 無論、お互いに譲らない。

 これほどの傷を負いながら、お互い、何故立っていられるのか分からない。

「年寄りの、意地かの」

 ハクトが、口を開いた。笑っているらしい。

 血の霧の中、閃光が走った。ユウリは咄嗟に身を引いたが、左手が残った。

 その左手が、落ちた。

 草の上に落ちる、乾いた音がした。

 次の一撃で、終わる。自らの左手があった場所から吹き出す血飛沫の向こう、ハクトが最後の一撃を繰り出そうとしているのが見えた。

 その左腕を、ハクトの方に向けた。ハクトはユウリの鮮血で、視界を奪われた。

「年寄りの、意地じゃの」

 ユウリの、全てが込められた一撃が、ハクトを大地に叩きつけた。弾むようにしてハクトは転がり、死んだ。

 ユウリも、膝をつく。

 息子たちが、駆け寄ってきた。二人とも、涙を流している。

 眼前に、信じられぬものを見た。

 新手の軍。

 伏せていたのか。

 ユウリは兄弟に命じ、麻縄で左手をきつく縛らせた。

 まだ、死ぬわけにはいかぬらしい、と笑ったつもりだが、声がかすれて、上手く言えなかった。

 傷付いたユウリの前に立ちはだかる兄弟。

 それを押し退け、ユウリは、ゆっくりと歩いた。

 敵が、群がり集まってくる。

 ユウリは、火そのものになった。

 右腕一本しかなくとも、千の兵を退けられる。

 そう信じた。

 握りしめた剣で、始めに行き当たった一人を斬り倒した。死に損ないの老人の繰り出す斬撃とは思えない威力である。

 脇腹に、何かが来た。

 深く、それは入ってきた。

 カイが、泣きながら何か叫んでいる。

 ユウリには、もう何も聞こえていない。

 ただ、見せようとしていた。

 斬り、突き、薙ぎ、殺した。

 背後からの突きを、頭を滑らせ、かわした。

「やめておけ。儂には、当たらぬ」

 聞き取れぬほどの小さな声で、それでいて力強い声で言った。

 今、ユウリの火は、その生命を燃やしている。

 咆哮。

 血にまみれた、戦いの神の。

 敵が、明らかに怯んだ。

 今、彼らは、人智を超えたものを眼にしている。

 逃げろ。

 と一人が言う。

 ヤマトのユウリは、鬼神だ。

 更に一人が言う。

 逃げろ。

 逃げろ。

 その囁きが広がり、兵はじりじりと退がり、そして振り返り、走り、逃げた。


 ユウリは、一人で立っていた。

 兄弟が駆け寄ってくる。

「父上、父上」

「早く、手当てを」

「父上」

「父上」

 ユウリは、大地に崩れ落ちた。

 その目には、もう火は宿らない。

 代わりに、二人の息子の涙に濡れた目に、その火が移ったようであった。

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