本質

 クナをその手にした若きヒコミコが乗り出した最初の事業は、イヅモと呼ばれる地域の平定である。先王の時代から、この大陸に近く鉄器製造の盛んな海と山と湖に恵まれた先進地域に目をつけ、併呑しようと取り組んでおり、ヤマトをはじめとするオオト地域にまで攻め込んだのも、イヅモをその手中に収められるだけの国力を付けることが第一の目的であった。

 この頃のクナの範図は、こんにちで言う九州地方一帯から山口県、広島県の瀬戸内海側を切り取って、それとしていた。

 今でこそ山陰地方と言うと穏やかな地域という印象があるが、この時代では、このイヅモこそ先進地域であった。無論、現代においてもなおその名を濃く残す出雲地方のことである。

 ちなみにイヅモとは、律令時代になり雲出づる処という意味で付けられた呼称であるとするのが定説であるが、この時代既にその呼称が用いられていたこととする。


 それを、ヒコミコはいきなり攻めた。

 大船団を組織して陸路と海路をもっていっせいに押し寄せ、その数実に二万にのぼった。当時としては考えられないほどの大軍と言っていい。

 その土地に昇ったのは瑞兆たる雲ではなく、ムラ、そして民の焼ける煙であった。

 一度火がつくと、イヅモの地は枯れ草を焼くように一気に燃え上がった。勿論当時の最先端地域であるイヅモの抵抗も尋常ではなく、激しい消耗戦になった。

 まず、ヒコミコは、イヅモの都邑とゆうの周りのムラをことごとく焼いた。中心から少し離れた地域には手を付けず、陸路の部隊にも素通りさせ、そのまま残してある。土地全てを焼いてしまえば、生産を行う民がいなくなり、せっかくの先進地域を飲み込んだ意味がなくなってしまうためだった。

 だが、その分、都邑の周辺地域のムラに対しては、まさしく全てを灰にする勢いで攻め立てた。ひとつには、都邑と周辺地域の連絡を遮断し、平定事業が速やかに行われるようにとの意味もあった。

 とにかくクナの軍は攻め、焼き、犯し、奪い、そしてあるときは抵抗するイズモ軍により殺された。

 そして都邑を囲んだときには、もうクナの兵は半分ほどしか残っていない。

 遠征軍であるため兵站の手配が難しく、周辺地域を平定せぬまま中心部に急行しており陸路での輸送が困難で、なおかつ海路は兵の輸送に使っているため、船が足りない。

 無論、作戦の立案時にユンがその無謀を指摘したがヒコミコは聞かず、占いをする者——といってもヒコミコを恐れ、その意思と異なることは決して言わない——に神の声を聞き、天の意思もそうであることを証明し、それみたことかと言って取り合わなかった。

 策戦家として非常に高い素養と知識を持ったユンは、むりだ。と思ったが、ヒコミコはその無理を押し切るだけの推進力を持っていた。

 ——兵糧など、奪えばよい。

 と彼は言う。

 実際、ヒコミコはその兵に、積極的に掠奪りゃくだつを奨励し、ムラを焼く度にその倉を開き、兵にたらふく食わせ、業火の中でさんざんに女を犯させたし、彼自身もそのようにした。

 セイだけが、必要最小限のものしか食わないし、女にも手を付けなかった。そのぶん、セイは陣頭に立ち、誰よりも斬り、誰よりも焼いた。彼自身も、その遺伝的形質により周囲に馴染めぬ生き辛さを、ヒコミコと彼自身の力を重ねることで起きる化学反応によって新たな世界を創り、打ち破ることを期待した。

 その意味では、ヒコミコはじめ、他の全ての者が建設を目的とし、破壊はその手段であると思っていたが、彼の目的は、破壊そのものにあったのかもしれない。


 火を吹く家から、子を抱えた女が逃げ出てくる。

 それに兵が群がろうとする前に、斬った。生きれば、女は死よりも苦しい思いをすることになる。

 その子も、斬った。生きれば、その子は憎しみの炎の中の生を強いられることになる。

 一人斬るごとに、自分を受け入れない世界が、晴れていくような気がした。暴力と理不尽とがもたらす世界の歪みが、正されてゆくような気がした。

 炎熱に浮かされながら、彼は舞い、翔ぶような気持ちで剣を振るった。

 誰にともない、行き場のない呪詛じゅそが、彼をして火が映し出す影のようなものにせしめた。

 ——ヒコミコの火が、俺を創る。

 また一人、斬る。

 腕利きらしい者が、進み出てきた。

 僅かな間、対峙する。

「我はイヅモがクニの——」

 抜剣し、名乗りを挙げるその男の口から、鮮血が吹き出てきて、あとはごぼごぼと言う水の音になり、倒れた。

 その喉笛には、飛刀があった。

 セイは、表情を変えない。

 そういえば、この男にはおおよそ、表情というものが無いのではなかったか。

 会話などによる周囲からの刺激に反応し、表情筋が動くということはあっても、彼の感情が外に向け発現することは、極めて少ないように思う。

 ただ彼の感情は、自分の内側へとのみ向かっているようであった。

 炎の音の中、特異な風切音。

 セイ目掛けて飛んでくる矢を、信じられないような動作で斬った。

 前方に、ばらばらと躍り出てくる一団が、炎に照らされていた。それにごく自然な動作で向かう。

 やや人数が多いが、セイにとってはさしたる問題ではないようであった。

 進む。

 途中、また矢が何本か飛んで来たが、全て避けた。

 十歩ほどの間合い。

 踏み込んだ。

 飛刀を投げ、それが刺さった直後、セイの身体もそこにあった。

 斬撃。

 するりするりと、岩を避け流れる水のように、セイは動いた。

 イヅモの兵たちが、一斉にくびから血を吹き上げ、倒れる。

 セイは一瞬、血と脂で鈍った己の剣を見た。

 脇で燃える火の中から、半身を焼いた男が飛び出して来た。

 剣を構えるが、動作が遅れた。

 その男に、飛来した大きな矛が突き立った。

 男は地に倒れ、焼け続けた。

「セイ」

 ヒコミコであった。

 まだ燃えている男の死骸に足をかけ、矛を引き抜く。

「あまり、先にくな」

「はい」

「共に、行こう」

 と言い、ヒコミコは破顔した。白い歯が炎を照り返した。まさしく、火の神であった。

「共に、参ります」

 セイは、幾つにも伸び、揺れるヒコミコの影の一つを踏みながら、駆けた。

 イヅモの王の館に至った。

 無論、途中にあった者は、全て屠った。

 王の館は、流石に先進地域のそれだけあって、粘土を固め高温の窯で焼いて造った煉瓦でもって造られた楼閣で、その周りにも、やはり煉瓦を積み上げ造られた壁が張り巡らされていた。

 門がある。

 その前に、兵が百人ほどいた。

 セイとヒコミコの姿を認めるや、一斉に向かってくる。

 ヒコミコが、咆哮する。

 通常の倍近くある刃渡りの矛を、まるで枝きれのように、振り回す。

 その烈帛れっぱくの咆哮を聴くのが、炎を宿す瞳を見るのが、セイは好きだった。ただ一個の生物として、それを美しいと思った。

 ヒコミコが矛を一振りすると、四、五人が屍と化した。

 セイも、ヒコミコの背後を取ろうとする敵を、するすると斬った。

 振り下ろされる矛を、剣で受け止める。

 柄を剣が滑り、セイは懐に入る。そのまま相手の腰から剣を抜き、それでもって腹を抉った。

 そのまま両手に剣を握り、薙ぎ払い、打ち、砕いた。

 あまりにも多くの血を吸った剣はもはや斬れず、鈍器のようになっていた。

 もともとの剣をうち捨て、振り下ろされてくる剣を右手で受け止め、頭突きを食らわし、更に左手で握る剣の柄で目を潰し、新たな剣を、もぎ取るように奪った。

 飛刀も殆ど打っており、肩から提げた帯には一本しかない。

 握りしめた剣が、ばきりと折れると、その飛刀を抜き、逆手に握った。

 剣が折れたことを見て殺到する鋭利な光の下を、セイはくぐった。

 そのまま一人の喉を切り裂き、別の一人の顎を下から突き上げ、後ろからの斬撃を身を捻ってかわし、前方の者の顎に飛刀を突き刺したまま後ろの者の頭部に蹴足を入れ、首を真向こうに向けた。

 いつのまにか、またヒコミコの側から離れてしまっていることに気付いたが、右手前方で人が冬の枯れ枝のように軽々と飛び散っていることで、彼はヒコミコの健在を知った。

 そこに向かって、セイは激流と化した。

 短い飛刀をのみ握りしめた状態で、ヒコミコに向かって駆けた。

 駆けながら、その道を阻む者は全て葬った。

 全身血まみれであったが、肩に一ヶ所、二の腕に一ヶ所の傷が深い。

 しかし痛みを認知する前に、彼の身体は斬撃に反応し、敵を葬った。

 もはや、感覚も思考も置き去りにしていた。

 ただ、ヒコミコが見えていた。

 ヒコミコが、火そのものに見えていた。

 彼の眼には、ただそれのみが宿っていた。


 眼を覆い、耳を塞ぎたくなるほどの争乱が、終わった。

 彼はイヅモの王の居室に、ヒコミコと共にあった。

「クナは、この天と地を、どうするつもりなのだ」

 流石に王は慌てた様子はない。ただ、自らの滅びを不思議がっているようではあった。

「焼き尽くすまで」

 ヒコミコの矛が、真っ直ぐに突き出された。

 その首を貫いた刃の上に、王の頭部が残った。

「終わったぞ、セイ」

 振り返ったとき、セイは気を失い、板敷きの床に突っ伏した。

 死んだか、とヒコミコが思い担ぎ上げたとき、微かな鼓動と息吹を感じた。

 矛はその場に捨て、右手で王の首をぶら下げ、左腕でセイを担ぎ上げ、居館を後にした。


 こうして、クナはその範図をこんにちで言う日本海側にまで広げたが、失った兵の数は一万三千にのぼり、その傷を癒やすことに大変な時間を費やすこととなる。

 その傷が癒えるまでの間に、ヤマトに新たな女王が出現し、その力を急速に伸ばし、それを面白く思わなかったヒコミコは、傷が癒えた途端にヤマトを粉砕するための事業に乗り出すのである。それが、あのオオシマの大戦。


 サナらのことを描いた時間軸へと戻り、オオシマへ向けての最初の出戦のとき、船の上でヒコミコは、セイとこのような会話もしていた。

「まったく、焼き尽くすつもりが、次から次へと勝手に燃えおるわい」

「それは、クナやヤマトの別なく、我々の本質が火そのものだからでしょう」

「それにしてもセイ、この海の匂いはなんだ」

「ですから、同じでしょう」

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