9.エピローグ

エピローグ

「遅くなってしまったな。ギリギリだな」


 雨の中、薫は傘をかぶり、時計を確認した。


 賑やかな駅前を少し離れた所までやってくると、雑居ビルが立ち並ぶ。一方通行の道路に面したビルの一階はお店が並ぶ。コンビニやラーメン店、雑貨店等々。


 その一画に小さな画廊があった。入口横の壁に、画廊・セリカ・アートヤードと書かれたプレートが貼り付けられていた。


 薫は入り口の軒先で傘を閉じた。ガラス張りの入口からは中が見え、何となくどんなものが展示されているのかがわかる。


 その入口には『四季野牡丹展・少女蝶々の箱』と題されたポスターが貼ってあった。それには牡丹が、がむしゃらに作っていた作品の一つがメインイメージとして写っていた。


 一週間前、セリカ・アートヤードを運営する知人から連絡を受けた。画廊が空くから誰か展示する人はいないか、ということだった。


 その期間だけずっと空いていて誰も入ってくれず困っていたらしく、閉めてしまうのはせっかくの機会がもったいないとのことで。お金の面で、ということではないらしい。


 期日まで時間はほとんどなく、宣伝も十分できないから、画廊の費用は運営側が持ってくれた。


 牡丹に課題を与えて一ヶ月半。最初のうちは悩んで集中できていなかったが、次第に他のことを忘れるくらい作業に没頭していた。素人目に見ても出来はいい方だと思って、牡丹を推す運びとなった。


 画廊に入るとすぐに小さな受付があり、女性が「ゆっくりご覧下さい」と出迎えてくれた。


 画廊には誰も客はいない。静かなものだ。ただ、天使の羽を震わせるようなやわらかな歌声の入った音楽が、この空間を包み込んでいた。


 真っ白な壁が奥まで続き、左右の壁に沿って白い布をかぶった台が並んでいる。その上に牡丹の作品が置かれていた。


 水槽のようなガラスでできた箱の中に、蝶の羽を生やした女の子がいた。「1.揚羽黄柚子」と書かれたプレートが作品脇に置いてあった。


 薫はもう一度作品に目を戻す。


 その作品は、下部四分の一くらいに校舎の屋上と階下一階分が厚紙で作られていた。屋上を囲う柵は串を均等に切って色を塗り、作られていた。学生服姿の揚羽黄柚子は黄色の羽を背に広げ、宙を飛んでいるように下から棒で支えられ、静止していた。牡丹の世界の一端が表現されている。


 人物は紙粘土で形作り、顔の凹凸もしっかり出ている。肌が露出する部分は肌色の布が当てられ、服も布で仕立てられていた。髪の毛も似た毛の素材を使って表現され、人物は全体的にやわらかく優しい印象を受けた。羽は厚紙で型抜きされ色が塗られていた。


 薫は隣に足を進めた。


「2.赤星稲穂」と題された作品は、箱全体に枯れ木が何本も立てられ、その林の中に赤い羽を広げた少女が立っていた。学ランにスカート姿で刀を構えるその女の子は、勇ましくもあり美麗であった。


 次へ進む薫。


「3.志染紅子」は、箱に向かって左側が真っ白な空間になっていて、そこにはビデオテープを模した物がいくつも散乱している。


 右側は青い空間になっていて海の波が打ち寄せていた。その打ち寄せる波は、白い紙をくしゃくしゃにして細長く丸めて表現されている。


 紅子はその海へ飛び出すようにオレンジ色の小さな羽を羽ばたかせながら飛び立とうとしていた。


 次は「4.屋久島るみ」。


 丘の上のように土が盛られ、これもまた枯れ木が数本立てられていた。夕陽の光に包まれているように背景はオレンジ色の紙で覆われている。るみはTシャツ、短パン姿に青い羽を片羽だけ広げてこちらに手を伸ばしていた。


 次の作品は屋久島るみの向かい、薫の背中側にあった。画廊の奥は関係者以外立ち入り禁止になっていて、順路としてはここで折り返す形になっている。


「5.褄黒白絵」の作品は、いままでの作品と趣が異なり、箱の正面以外は黒い紙で覆われていて、白絵は箱の中央に浮いていた。


 白い羽は蜘蛛の巣にからまり、白絵の体は一角から伸びた細いプラスチック製の鎖に巻かれていた。また数本の鎖が下に落ちている。これは白絵から鎖が外れたことを表現しているのだろうと薫は思った。


「6.楯葉蒼」は、見るからに空を飛んでいる様だった。下面には雲を模した綿が敷かれ、青い背景の空に向かって手を広げて舞う蒼がいた。


 薫はここで終わりかと思っていたが、まだ先に二つ作品があった。次へ足を進めてみると、「7.四季野牡丹(未完成)」とあった。


 箱の中央で、真っ白の人物が真っ白の羽を生やし、膝を抱えて座っているだけだった。その人物は紙粘土が乾いた状態のままで、色も塗られていない。


 作品が未完成といっているのか。


 それとも牡丹自身がまだ未完成であることを伝えているのか、とも受け取ることもできる。薫は面白いなと思って微笑んだ。


 そして最後の作品は、「0.少女蝶々の箱」というタイトルの見慣れた標本ケースがそこに置かれていた。それにはちゃんとガラス板がはめ込まれていた。蝶を模したティッシュペーパーが虫ピンで止められている。作品の元になった牡丹の心が飾られていたことに薫は驚いた。


 まさかこれを展示するとは……。これは牡丹が隠しておきたいものだろうと思っていたのに……。


「先生! 来ないのかと思っちゃいましたよ」


 画廊の奥から出てきた牡丹が声をかけてきた。


「ごめんね。予定が押しちゃって。それにしても素晴らしい展示になったね」


「本当ですか?」


 牡丹は嬉しそうに笑った。こんな笑顔を見るのは彼女と出会って以来初めてではないだろうか。薫も嬉しくなった。


「驚いたよ。これがここに置かれていて」


 と、薫は標本ケースを指差した。


「私の原点でもあるし、少女蝶々はこの箱から広い所へ移動したという意味も込めて置きました」


「牡丹さんの答えをこういう素晴らしい形で見れて良かったよ」


「ふふっ。私もです」


 牡丹はまた笑顔を薫に見せた。


「先生。ちょっと不思議なことがあるんです。これ、見て下さい」


 牡丹はそう言って、標本ケースの隣に広げて置いてあったノートを手に取った。


「見てくださったお客さんのメッセージノートなんですが」


 薫はこのノートの何が不思議なのかわからなかった。


「一つずつメッセージを見ていって下さい」


 困惑する薫に牡丹はノートを手渡した。薫は一ページずつメッセージを読んでいく。


 不思議な世界。五番の黒の箱が怖かった。また展示会があれば見に来たいなど、それほど数は多くないが、メッセージが書かれていた。特に不思議と思えることは書かれていない。


 薫はページをめくっていくと、牡丹の言っていることがそこでやっとわかった。正直、目を疑った。


「これは……」


 薫の背筋が凍った。



 ――こんな醜い私を愛してくれてありがとう。あなたに話せてよかった。


 揚羽黄柚子――



 ――うみはひろいな、大きいな。しょっぱいな。ざばーんってなみがうみなんだね。おにいちゃん。


 しじみもみこ――



 ――落ち込んだ時、壁にぶつかった時、刻印された蝶の羽を見て、あなたを思い浮かべます。また必ず約束の地で会いましょう。


 屋久島るみ――



 ――プライベート・オンリーの時みたいに楽しませてもらっています。いつもお手紙ありがとう。また、書きますね。


 褄黒白絵――



 ――もっと色んな空を飛んでみたいので、いろんなところに連れて行って下さい。船長キャプテン


 楯葉蒼――



「不思議ですよね。少女たちの名前が書いてあるの」


 観覧者としての名前があった。筆跡は明らかに女性の字で、同じ人が書いたような字体ではなかった。特に志染紅子の字は、字を習い始めたような不安定で子供らしい字だった。そして彼女らのメッセージはどれも、牡丹の夢物語と酷似している。というより、むしろその先があるようにも思える。


「これは、みんな実在していて、見に来てくれたってことですよね。でも、赤星稲穂だけないってことはやっぱり……」



 もし、牡丹が自分で書いていないのであれば、そういうことになるだろう。



 実在しているならば、牡丹の夢物語は心からのメッセージではなく、牡丹の確固たる体験談ということになろう。今までの判断は何の意味も成さない。


 仮に少女蝶々を捕まえる力が牡丹さんにあったとすれば、この世界と異世界をつなぐ力を持っていたと。その力は、魔法か。異世界へ行くワープゲートが見えるのだろうか。特別な扉をくぐれば行き交うこともできるのか。


 狂いなく闇の中で救いを求める叫びが聞こえていたに違いない。響き合う叫びが蝶の羽を輝かせてお互いをつないだ。六匹の蝶を救ったことで、持ち得ていた魔力がなくなった。使い切ってしまった。それが牡丹さんの臨界点だったのかもしれない。ただ、この魔力は回復するのだろうか。もし、回復したとしたら、牡丹さんはまた同じことを繰り返して苦しむだろう。そうならないで欲しいと願う。


 どうであれ、牡丹さんは別次元を飛び回り、闇を彷徨い困っている人を助けていたようだ。昔も今も牡丹さんは変わっていない。人の心はどこかでつながっているのだろう。きっと彼女たちの感謝の念がこのノートに乗り移ったに違いない。


 今回のようにあの世界を具現化し、自分の中で整理がついてしまったとなれば、異世界をつなぐ力は消えただろう。退院したことには嬉しく思うが、もう少しその現象を調べてみたいと思う自分もここにいる。

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少女蝶々の箱 水島一輝 @kazuki_mizuc

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