4.三匹目 志染紅子

Aパート

「おはよう!」


 朝、そう言ってスライド式のドアを開けて薫の病室に入って来た牡丹。


 カーテンは薫のベッド付近だけ空けられ、明るくなっていた。薫は起き上がって、ベッドをコの字にまたぐテーブルの上に手を置いて、なにやら遊んでいる。その表情は明るかった。


「もうすぐ朝ごはんだよ。と、噂をすれば朝ごはんが来たよー」


 薫の言葉は優しく、幼児に向けて話すように牡丹は聞こえた。


 朝食を乗せたトレーを持ってベッドのそばまで行くと、薫の左手に例のごとく蝶の羽の生えた女の子がいた。右手には何もなく、指を使って人を模しているような動作をしている。


 さっき薫が子供っぽい台詞を言っていたのは、右手の人物になりきってのことだろう。


「おはよう、薫君。新しい女の子?」


 牡丹はテーブルの端にトレーを置いた。


「おはようございます、牡丹さん。この子は俺の妹ですよ。もう忘れちゃったんですか? 昨日、一緒に会いましたよね」


「えっ、あーそうだったね……」


 牡丹は、そうだったかなと昨日のことを思い出した。しかし、実際はそうではなかったので答えるのに言葉が詰まった。


「さぁ、朝ごはん食べよう。その子、しまいましょうか」


 もちろん、しまう先は標本ケースの中だ。


「紅子は一緒にいてくれるんです。紅子は大人しくここにいるんだよ」


 薫はテーブルの上にティッシュの箱を置き、その上に紅子もみこと名付けられた妹をイスに座らせるようにやさしく置いた。薫の動きは関節機能をもった人形を扱うようだった。


 人形のように節々を動かすことができることに、牡丹は驚いた。


 ベッド脇にある台の上の標本ケースを見て、この中にいる子たちも動かせるのだろうか、と牡丹はガラス越しに、膝や腕、首を観察した。


 蝶の羽を生やした二人の女の子は、動かされた様子は全くない。表面上、関節機構のような作りは見られず、人と全く同じだった。実は皮膚の下に隠されているのかとも思ったが、不自然な膨らみなどはない。


 ティッシュ箱の上にちょこんと座っている紅子で三人目。


 薫が泣き乱した後、二日間は何も起きなかった。涙を流してすっきりしたのだろうか。


 蝶の女の子を捕まえることはなく、精神的に薫は落ち着いていた。てっきり毎日連続して女の子が増えていくのかと思っていたけど、そうではないようだと朝食を食べ始めた薫を見ながら牡丹は考えていた。


 何か法則らしいものはあるのか。わかっていることは、今のところ朝、薫君の手に握られているのが蝶の羽を生やした女の子ということぐらいだ。それがどういう心理状態の時に現れるのかは不明だ。


「昨日、お母さん来たよね。何を話してたの?」


 牡丹は問うた。


 薫の母親は、二週間に一度のペースでかかさず様子を見に病院まで足を運んできてくれる。自宅から病院まで県をまたぎ、こんな山の中まで。それでも二週間に一度という頻度はとても高い方だ。素晴らしい親御さんだ。


 他の患者さんの中には、一年に一度、それ以上見に来られない親御さんも少なくない。


 薫はとても良い方だ。確か薫が入院する日、お父さんと妹も一緒だったと聞いた。しかし、妹さんはそれ以来、病院には来てなかった。


 昨日は、お母さんだけしかお見舞いにこなかったのに……。


「ずっと妹のことばかり話してました。入院してからは会っていなかったので。妹は新しい習い事を始めたらしく、続けていけるのか少し心配しています」


「何を始めたの?」


「歌です。地元に合唱団があって、入ったみたいです」


「じゃぁ、将来は歌手になるの?」


「歌手ではないと言ってました。ピアノを引けるようになって曲を作りたいそうです」


「作曲家だ」


「えぇ。たまたまテレビで曲作りのドキュメンタリー番組を見て、触発されて」


「曲作りの番組なのに、歌を?」


「俺もそこは不思議に思ったので聞いたら、歌う人のことも知っておかないといけないからと言ってました。きっとテレビでそう言ってたんだと思います」


「へぇー。小学生なのにしっかりしてるね、妹さん」


「いつか俺のために曲を作ってくれるって」


「あら、素敵じゃない。できたら私にも聞かせてよ」


「はい……。みんなの心が安らぐようないい曲を作りたいって意気込んでます」


「みんなの心が……か」


 牡丹は小さい声でつぶやいた。


「それはそれで俺は嬉しいけど、あまり無理して欲しくないのが本音です。うちの妹に限ってないと思うけど。紅子のようになっては欲しくないから……」


 薫は、ティッシュ箱の上で微動だにしない新しい妹、紅子を見つめた。

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