9

 私は、私の後ろ姿を見ていた。月夜の晩、烏丸神社にある自分の部屋の窓から外を眺めている私。その後ろ姿は、写真のように動かない。奥行きすら感じない。そして、昼間の光景に変わると、私は布団の中で寝ていた。


 夢見をやめようと思ったのに、どうしても夜に眠ることができなかった。どうしてこんな出来事を夢で見させられているのだろう。そう、これは夢なんだ。でも、夢から覚める方法がわからない。


 また、夜の私の部屋だ。でも、私はそこにはいない。なぜ、いないの?


「あの日から、自分で部屋を出て行くようになったじゃない」


 と、私の声が聞こえた。振り返ると、私は大きな和風の城を目の前にして、月の玉のついた大きなかんざしを持っていた。私の影はあんぐりと大きな口を開けていた。


 城の後ろには満月があった。天守閣にいるもう一人の私を、私は見上げている。天守閣にいる私も、戦闘態勢の私を見下げていた。


 月の玉かんざしを持つ私は、天守閣の私から目線をはずした。そして、かんざしを構え、赤い瞳を両目に持つ白い大きな兎と向き合う。かんざしを振り回すと、私の影―邪口も動く。


 その様子を私は天守閣の中から見ている。


「こんなところで何やってる? 泪」


 私が振り返ると、火の灯った燭台を持っている陽向がいた。


「陽向。どうやってここへ来た?」


「なんて声してるんだ?」


 私の声には覇気がなかったようで、それでも私を気にかけてくれているんだと分かった。


 そう言って陽向は懐から試験管を出した。栓は外され、その中に一輪だけあった。でも、枯れていた。


「それは?」


夢見草ゆめみそう。夢主の中に入れるんだ、これを使うと」


「そんなもの、いつの間に」


 私は聞いた。


「泪がいなかった日に、誠一さんの家で草訳さんを助けたお礼に彼女からもらった」


 私のいなかった日……。佳織さんの通う大学に向かう途中に車から降りて……。夜、月影家に入った日のことか。陽向はあの人と仲良くやっていたあの日。


「だから、なんて顔してるんだよ。相棒が助けに来たって言うのに……」


 私の顔を覗き込んで陽向は言った。そして私の頬を軽くつまむ。顔が熱くなったのを感じた。


「別に私はいい。ここでこうしてるのだ」


 私は、すぐに陽向の手を払い、下の私を見た。


「赤い瞳の正体は、兎だったのか」


 陽向は天守閣から下を見ると、その場からいなくなった。陽向の持っていた燭台がその場に置かれ、ただ私を揺らぎ照らしている。そこから下を見ると陽向は兎と対峙する私の隣にいた。


 陽向は刀を構え、玉かんざしを構える私の横に並んだ。


「なぜ、一人で祠に行ったんだ?」


 陽向が聞いて来た。


「行かせたのは、陽向でしょ。本艦の船尾で赤い瞳を絶ち消して、草訳さんと一緒に夢見をすると聞いたから」


「……俺は船尾には行ってないぞ。ずっと部屋で寝てた。夢でも見てたか?」


 陽向がそう言うと、突然、目の前の大兎が笑い出した。そして、喋り出す。


「気づかなかったのか。あれは夢だ。ふふふ、悪夢だよ」


「そんな……」


「一人でここに来てもらうためにな」


 悪夢は人の弱きところに取り憑く。


「一人寂しく過ごしていた方が気楽だったくせに。こうやって、誰かに気を使われると大変だろ。だから、夢を喰い始めたお前に消えてもらう。そして、天守閣にいる昔の自分に戻りたがっている夢を叶えてやる」


 大兎はそう言って、私の方に向かって飛んで来る。


「泪。耳を貸すな。あいつは泪の弱いところにつけ込んでいるだけだ」


 陽向が言う。そして、刀を一振りすると風の刃が飛ぶ。大兎は軽々、飛んでよける。


「貴様ものこのこ人の夢に入り込んで来て、ただでは済まさんぞ」


 大兎は俊敏に方向を変え、陽向に向かって行く。瞬時に後ろ向きになり、後ろ足で陽向は蹴り飛ばされてしまった。


「陽向っ!」


 私はかんざしを振り回した。かんざしの月玉から三日月の衝撃波が乱れ飛ぶ。しかし、簡単によけられ、大兎は私に向かって来た。そして、陽向を蹴り飛ばした後ろ足で、私も蹴り飛ばされた。間一髪、邪口を盾にしたが、その強さのあまり私は城壁に叩きつけられた。


「ふん、やっぱり二人ともやられてしまったのね」


 天守閣にいる私は言った。


「こっちの泪は、見ているだけか?」


 陽向が私の後ろから声をかけて来た。


「あなたも忙しいじゃない。下にいたり、上に来たり」


「俺が思うに、今ここにいる泪は変化を怖がり昔のままでいたい自分だ。強固で安全な城の中で身を守ってるからな。でも、あの悪夢と戦う泪のように危険を冒してでも先へ進んで新しい自分を、実は手に入れたいとも思っている」


 確かにそうかもしれない。夢喰師をやっていくしかないし……、でもそこでもう呪いに苦しむのも嫌だ。陽向には分からないだろう。


「それにしても、言うようになったな、陽向。あの人の影響か?」


「あぁ、そうだ」


「だったら、夢見を乗り換えてみてはどうだ? 夢魔に出くわしたら、彼女をその刀で助けてあげたらよい」


「もちろん、泪を目覚めさせてから一緒にな」


 城壁に叩き付けられた私は、かんざしを支えにして立ち上がる。


「本当の泪ならそれをはっきり分かっているはずさ。ここへ来る時、泪が生まれてくる夢路を通って来た。そこで、泪のお母さんはお父さんにこう言っていたんだ。



 ――ろうそくのように誰かを照らしてどこかに導いてあげられる夢見・夢喰師になって欲しい。それが夢喰師の定めだ。そのために苦しくても流れるなみだほど立派な泪はない。でも、流れるなら嬉しい泪がいいわ――



 ってな」


 陽向の話す言葉は、母様が言っているように聞こえ、声が聞こえなくなると同時に、傍らに置いてあるろうそくはすべて溶け、火が消えた。


 私の名前、『泪』にはそういう意味が込められていたのね。母様、ごめんなさい。悲しみの泪しか私には出ないと思ってました。でも、今、この悪夢を見れて私は、嬉しい泪を流しています。


 私、この身体、受け入れます――。


 天守閣でただ状況を見ていた私の姿は、月が満ち欠けて行くように消えて行った。


 城壁の前で立ち尽くしていた私。でも、今まで心の中にあったうやむやな気持ちと迷いは吹き飛んだ。


 すると、私の目の前の視界が紫色になった。


 これは――。


 私の体から紫色のドリームストリームが溢れ出ている。そうか。


 ――悪夢を身体に宿す夢喰師は、悪夢の力を自分の力として還元できる。


 身体の、心の、夢の奥底から力が湧いてくる。私は、草訳さんが言ってたことを思い出した。


 そして、かんざしを天へ向けた。


「十五夜の月!」


 大兎はすぅーっと、宙に浮く。後ろ足を跳ねても地を蹴ることはなかった。そして空を見上げると城の後ろに城を覆うほどの大きな満月が目に入った。ゆっくり月に吸い寄せられているようだ。


 今ここであの悪夢をアイツに絶ち消してもらうことも出来る。


 でも――。


「悪く思わないでね、テラス。赤い瞳、喰わせてもらうわよ」


「気にするな、泪。ひと思いに喰ってくれ。その方がすっきりする」


「ふん! 遠慮なく行かせてもらうわ。私のことを思ってここまで来てくれて本当にありがとう。今回の福夢を運んで来てくれてありがとう、テラス。


 狂気の世に重ねて錯乱せしめる悪夢よ、喰う!」


 と、邪口が巨大化し、口を開いた。そして、宙に浮く兎を丸呑みした。


 ――完食!


「お見事!」


 陽向が親指を立てて見せた。


「陽向テラス、あなたがいてくれたから……私、この身体を受け入れられた。感謝する」


 私は笑顔を見せた。もう孤独や寂しさを感じる必要はない。


「それにもう、テラスとの約束はなくしてもいい。でも……」


「あぁ、それでも俺は泪の夢絶だからな!」


 陽向も笑顔で答えた。すると、周囲の風景が色を失って、闇に変わって行く。陽向も闇に溶け込んだ。私自身も夢の一部だから闇に溶け込んで行く。その闇の中にろうそくの火で照らされた赤い瞳が二つ現れた。そして、人の輪郭が闇の中に浮かび上がる。


「泪。人の嬉しきも憂きも心はひとつ。同じように涙は流れる。泪が光となり夢の迷い人をうつつ路へ導いてやるのだ」


 赤い瞳が閉じた。そこで私の夢は終わった。


 分かりました――。


 父様――。

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