17

 一時間半が経って、試験の終わりを告げる鐘が鳴り響いた。


 陽向は長椅子に寝そべっていた。学生がぞろぞろと出て来て、ようやく陽向は立ち上がった。出口から夢主である佳織が浮かない表情で出て来た。


 初めて佳織を見た時、悪夢の影響で暴れていたとはいえ、あの場にいた姉の顔と違ってやさしく丸みのある顔だった。今見ると、化粧のせいか目がきりっとし目立つ顔だ。しかし、試験の出来栄えが悪かったと言う表情にしては深刻過ぎる印象だ。


 おそらく夜、上手く睡眠がとれていないため疲れが出ているのだろうと陽向は思いつつ、佳織に声をかけた。


「畑岡さん。どうも」


 声をかけられた佳織は、私に何の用かといった感じで不思議そうな顔で陽向を見た。


「今、時間もらっても平気ですか? ちょっと夢のことで話聞かせてもらいたいんですけど……」


 続けて陽向が聞く。と、友達だろうか、佳織に声をかけて通り過ぎて行く。佳織は笑顔で返事をしたが、それが無理に作っている表情だとわかる。


「夢の話ですか? あなたも夢見の人ですか?」


 佳織が質問して来た。


「そう」


「その話だったら、今朝、草訳と言う女性の夢見と話をしました」


 陽向はエッと驚く衝動を抑えて、なんとかもう一度話してもらえるようにしなければならない。


「そうでしたか。師匠もそれならそうと言っておいて欲しいな。もう一度話を聞いて来いっていうから。朝と昼間では夢の捉え方が違うから、比較したいそうで……」


 咄嗟に出た言葉だった。並び立てた嘘がばれるんじゃないかと陽向はひやひやする。


「そういうことでしたら」


 佳織がそう言うと陽向は安堵した。しかし、陽向はでまかせで言ったとはいえ、水純のことを師匠と言ってしまったことに腹が立った。泪のことを悪く言っていたやつなのにと。


 佳織は喉が渇いたと言って大学内にある食堂に案内してくれた。試験期間中ということもあり、あまり人はいなかった。


 佳織は自販機で買った飲み物を一口飲んだ。教室から出て来た時の表情に比べると良くなった。それでもかなりの疲労が出ている。


「申し訳ないけど、朝話したことをもう一度話してもらえる?」


 陽向はへたに質問をして聞くより、水純が何を聞いたのかを知った方が得になると思った。佳織は、腑に落ちない感じではあったがゆっくりとした口調で話を始めた。


「確か最初は、寝ている時に見た夢を覚えていますかって聞かれました。それで私は、覚えていませんと答えました」


 佳織が話しているのを陽向は、ノートにメモして行った。佳織が答えた内容と水純がした質問も書き残して行く。


「もともと夢は見ない方なんですか?」


 陽向は、単純に思ったことを質問してしまった。後からまずいと思ったが、佳織は面倒くさがることなく丁寧に答えてくれた。


「見ない日もありますが、見ることの方が多いと思います。ここ数週間も見ていた感覚はあるんですが、全く覚えていないんです」


「見ている感覚はあると……。なるほど。それから?」


 そうノートに書いて行く陽向は、病院の先生になった気分で次に話を進めるよう促した。


「はい。次に普段見る夢の色を聞かれ、カラーと答えました。それで、夢の話は終わりました」


 カラーか。俺たちが佳織の夢を見た時は白黒だったな。普段と違うってことは、悪夢の影響がして精神的に安定していないってことか。


「え、終わり? それだけ?」


 水純の質問の少なさに驚いた陽向。夢の捉え方の比較をすると、でたらめを言ったばっかりに、これでは比較なんて出来ないでしょと、佳織に言われてしまうのではないかと焦っていた。


「いえ、夢に関するものは終わりで、それから私的なこと聞かれました」


 佳織に矛盾を突っつかれないで済みそうだ。陽向は勘づかれないうちに話を進めてもらった。


「私にはお付き合いしている人がいるんですが、その人に何か不安があったりしますかと、聞かれました」


「それで何と?」


「もちろん、ありませんと。ただ……」


「ただ?」


「……父が交際を認めてくれないのです」


 佳織の表情が曇った。水純が佳織の夢の中で、熊が畑岡氏を意味しているのではないかと言っていたことを思い出した。交際を反対している父が、支配的な態度や威圧的な姿勢を象徴するのが熊だということは陽向にも分かった。


 そう考えるなら、あの場にいた鳥や蛸、強大な化け物は誰を示しているのだろうか。


「それは、なぜですか?」


 陽向だけでなく、おそらく水純もそこに悪夢が取り憑く原因があると思った。


 佳織は悩みを打ち明けるように話し始める。


「はい、おそらくお付き合いしている人が気に入らないからだと思います」


「その理由は?」


 陽向は聞いてよいものかと思ったが、疑問に思ってしまった以上、聞かずにはいられなかった。


 佳織も答えづらいせいか、続きを話すまで少し間が空いた。


「そのお付き合いしている相手が既に働いていて、もともと私の家庭教師だった人なんです」


「じゃぁ、大学生と社会人という関係が畑岡氏の反対する理由ですか」


「それも理由の一つだと思いますが……。たぶん父は、誠一さんがしている仕事が一般企業のサラリーマンだから反対しているんだと思います」


 誠一とは佳織と付き合っている相手のことだろう。しかし、陽向はそれを聞いて首を傾げた。なぜ一般企業の営業だから駄目なのか分からなかった。


「仕事をしているのに?」


「父は、学歴や仕事の内容で決めているんです」


 畑岡氏は自分とつり合うくらいの男ではないと交際を認めてくれないようだ。六才年上の姉春香は既に結婚していて、夫は官僚だ。姉がそういった人と結婚したこともあり、畑岡氏は佳織も姉のような結婚を望んでいる。


 陽向は畑岡邸の居間にいた春香を思い出すと、あれこれ佳織に口を出していそうな雰囲気の女性だったなと感じた。


 身の上を語る佳織の言葉に、一種の強迫観念があるようにも思えた。


 畑岡家という名の下に生まれた佳織。泪と種類は違うが佳織も解き放つことのできない呪いを背負って生きているんだ。呪いと言っていいのか、人それぞれ宿命というものを背負っている。話を聞いていると悪夢の存在がすべてではなくなってきた気がするな。


「こんなこと言うのはまだ早いかもしれませんが、私は誠一さんと結婚したいんです」


「そうだったんですか」


 佳織の発言にドキッとしたが、その気持ちが十分伝わっているという意味でわざと大きく頷いた。


「本当に大丈夫でしょうか。私が寝ている間に何か起きているようですが、自分では覚えてなくて……」


「心配いりません。僕らにまかせて下さい」


 陽向は不安いっぱいの佳織に、神主の烏丸ミチルが見せるあの笑顔を意識して答えた。


 この場合の僕らは、水純の助手としてなのだろうか。それとも月影なのか。そんな下らないことを考えていると、佳織はアルバイトがあると言って、深々と頭を下げてその場を去って行った。


 陽向は正直彼女の話を聞いて、どのようにして仕事を進めていけば良いのか分からなくなった。水純が言う夢解釈が自分で到底出来るとは思えなかった。

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