9

 安都扉の中は真っ暗だ。先に一本の光の筋が見える。そこに近づくに連れて、光は短く太くなって行く。


 ようやく目の前に来てそれが何なのか分かった。完全に閉まりきらなかった扉から漏れていた光だった。


 月影がその扉を開く。


「ここは……」


 白黒の夢世界――。


 永遠と広がるような真っ白な紙の平原とそこに等間隔に引かれた直線がどこまでも伸びている。


 ノートだ――。


 上を見上げると、黒い円柱がノート地から何本も伸びていた。長さはどれもバラバラで、極端に長いものもあれば短いものもある。中には倒れているものさえあった。


 天は黒色だ。高いのか低いのかわからない。


「なんだ、この夢世界。学校や街とか知っている場所じゃない」


 驚きを隠せない陽向。


「ふん。冷たく重いのね、色のない世界って……」


 この夢世界で白黒以外の色を持っているのは、月影と陽向だけだ。ぐるりと辺りを見回して歩き出した月影は、あくまで冷静だった。


「それにしても何か変な感じがするよな。白黒の世界に俺たちだけには色があって」


「目立っていてよろしい。特に陽向は鮮やかで。悪夢の標的になりやすかったりしてね。ふふふ……」


 月影の着物は黒を基調にしている。髪の色も真っ黒だ。俺よりは確かに目立たない。


「本当に狙われたらどうするんだよ」


 と、辺りを警戒するふりをしながらあちこち見る陽向が、何かに気づいた。


「泪、あそこ。鳥が飛んでいる」


 天を指差す。青い鳥が目に入る。


「鳥ね。あれが対象に取り憑いた悪夢のようね。それほど強いものを感じはしないが……」


「どういうことだよ」


「昨夜、見たでしょ。畑岡氏の家で普通の体格の対象が首を絞めて来たところ」


 陽向は、その光景を思い出した。


「あの熊男のような畑岡氏が振り払われるほど」


「確かにあの鳥にそれほどの力あるとは思えないな。でも、この白黒の世界と何か関係あるかもしれないぜ?」


「それも考えてみたけど、対象が見る夢の場所自体が悪夢ということは、あり得ない。今までにそんなことは一度もなかった。何らかの動く形を持ったものが……!」


 突然、月影が話を止めた。


「泪、どうかしたのか?」


 月影が前方を指差した。


 闇へと続く海が目の前に広がっていた。波の音が聞こえて来た。


「海だな……」


 ノートの端、波打ち際にたどり着くと静かな波の音が聞こえる。そこから先は、どこまでも広がる暗黒の海だった。


 いったい対象は、どんな影響を受けているのだ。さっさとあの鳥だけでも喰っておいた方がいいか、と月影は思案した。


 でも、本当にあの鳥にそんな力があるのか。陽向の言ったようにこの特異質的な世界自体が悪夢であるのか……。


「ん?」


 月影は水面からこっちを見るモノに気がついた。陽向も気づいたようだ。


「対象か?」


「……いいえ。あれは、蛸」


 陽向はそう言われて、目を凝らした。


「確かに、蛸だ。これで、二匹片付けなきゃいけないわけだ。今日は疲れそうだな」


「そうね」


 月影は難しい顔をして悩んでいた。


「泪、そう悩むな。俺が泳いで捕まえてきてやろうか」


 屈伸運動を始める陽向。


 すると、蛸は海の中に潜ってしまった。陽向の殺気に気づいたのだろう。


「陽向、逃げろ!」


 月影が叫んだ。


 声のする方を見ると、月影は走り逃げている。


「おい、どうした?」


「後ろだ、陽向!」


 陽向は振り返った。と、猛突進してくる熊が目に入った。


「――ッ! なんでだ!」


 思い出した。今の俺は鮮やかに目立つ男だった――。


 爪を立てて振りかぶる熊。


 陽向は慌てて、月影の方向へ走り逃げる。


「なんで私の方に来るのよ。反対側へ行きなさいよ」


 着物で草履、さらにトランクを持っている私の方へ来ないで。あんな爪を振り下ろされたらひとたまりもない。


「馬鹿!」


 月影に追いついた陽向に、一言だけ言ってやった月影。


「いや、標的が泪に変わったらまずいと思って」


「こっちに連れて来てどうする。きゃっ」


 月影は、自分の着物の裾を踏んで転んだ。


「泪!」


 熊は迫ってくる。


 陽向は左耳の刀を模した耳飾りを外す。


「!」


 その耳飾りは一瞬で大きく、一振りに変化する。そして、構える陽向。


 と、一切スピードを緩めない熊の前で小さな爆発とともに莫大な煙が一瞬にして舞い上がる。それに驚いたのか熊は異様な声を上げた。


「なんだ? う、すごい匂いだ」


 鼻をつんざく臭いに陽向は鼻を押さえる。


「二人とも、こっち」


 突然、女が現れた。陽向は月影を立たせて、トランクを持って彼女を追った。

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