Chapter.025 その女、化け猫につき

 カルロが気絶し、統制を失った兵士たちは明らかに狼狽していた。

 とりあえず峰子に銃口は向けるものの、トリガーを引いていいものやら困惑している。このすきに便乗して逃げ出す手段もあったのだが、誰よりも驚いているのはむしろ七之助である。

 藤 峰子はロックカンパニーに雇われたヒットマン――。

 名無しはたしかにそう言っていた。

 状況から考えても七之助をスパイと見破ったからこそ、あのとき撃たれたのだ。

 だがしかしこの女はいま雇用側であるロックカンパニーの社員に肘鉄を食らわし、なおも交戦状態を維持しようとしている。

 その不可解な行動は、全くもって七之助の範疇を越えていた。

 しばらくの膠着状態の後、峰子が動いた。その突進に呼応してひとりの兵士がついに発砲を決意する。だが峰子は神がかったスピードで兵士の懐へと飛び込むと、片腕で相手が構えたライフルを押し上げ射線を逸らした。標的を失った銃弾は、毎分七百発のサイクルで壁を穿っていく。

 一方峰子は残った片手に握っているハンドガンで相手の膝を撃ち抜いた。

 この間、約一秒の早業である。

 飛び散る血飛沫と狂乱の叫び声に、ほかの兵士たちもようやく異常事態だと認識した。

 口々に怒号と奇声を上げながら銃を乱射し始める。

 言葉が分からないまでも「裏切り者め!」とでも言ってるように七之助には感じられた。とても正常な心理状態では無いらしい。次々と割れていくシリンダーと、生々しく床へとこぼれ落ちる「人間のパーツ」に室内はさながらスプラッタハウスだ。

 七之助は流れ弾に当たらぬように部屋の隅へと身を隠した。

 立ち込める硝煙がまるで霧深い山中のようである。壁も天井もすでに穴だらけだ。兵士たちは互いの誤射で血まみれである。だがその間、女性の悲鳴などは聞かれなかった。

 やがて全兵士の弾切れを迎え、銃声は止む。

 だが彼らの本当の地獄はいままさに始まったのだ。

 次第に薄れゆく煙の中から突如としてハンドガンの銃口が出現する。あるものは肩を撃たれ、あるものは手の甲を撃たれた。

 恐慌状態に陥った兵士のひとりが弾切れとなったライフルを棍棒代わりに振り下ろす。

 峰子はその一撃を華麗にかわすと、代わりに膝蹴りを見舞っていった。

 次々と倒されていく武装兵士たちだったが、幸いなことにひとりの死人も出ていない。それどころか峰子にいたってはブラウスに返り血ひとつ付着していなかった。

 やがて最後の兵士が膝から崩れ落ちたとき、その場に立っていたのは彼女だけであった。

 巧みな銃さばきと軽やかなマーシャルアーツを組み合わせた彼女のそれは、まるでアクション映画の殺陣でも見ているかのようで七之助の心を奪った。

 こんなときだというのに、ときめきが止まらない。

 我ながらどうしようもない性分だと思った。

 七之助は壁に背中を押し付けながら、ゆっくりと立ち上がった。兵士たちの呻き声に合わせるように、なるべく音を出さないように。

 ふと足元を見ると兵士の落としたライフルが目に入った。自分が歩哨から奪ったものと違い、軽量のポリマー素材を使用した最新型の銃である。

 彼は峰子の意識がまだ最後の兵士へと向けられている間に、その銃の下へと足の甲を滑り込ませた。目線は峰子のほうにある。一呼吸して身体をリラックスさせた。

「やる気かい?」

 峰子は目線を兵士から動かさずに、片手の銃口だけを七之助に向けた。

 その声色はひどく冷淡で、はじめて『キングスマン』で出会ったときの面影などほぼ皆無だ。ドスの利いた声というのとも少し違う。明らかな強者だけが持つ、重厚感とでも言おうか。

「あんたには借りがあるからね……」

「借り? ああ。あのときのことを言ってんのかい。あれは――」

 峰子が何かを言おうとしている。そのタイミングで七之助は、銃を蹴り上げた。

 射撃のために掴んだ――のではなく、峰子の顔に向けて。

 目眩ましである。

 一瞬のすきを突いて七之助は距離を詰めた。床に転がる兵士たちや、シリンダーから飛び散った臓物らを踏みつけながら。

 峰子は目元を両腕でガードしている。胸元から胴にかけてはガラ空きだった。


 ――いける!


 渾身の力で突き出した右ストレートが、峰子のみぞおちを捉えようとした刹那である。

 彼女が踏みつけた何かが、てこの原理で床から飛び跳ねてきた。

 それは自らが歩哨から奪い、さっきまでカルロに突きつけていた旧型のライフルだ。

 恐ろしいほどのタイミングでジャンプしてきた鉄の塊は、見事に七之助のパンチを遮り威力を削いだ。

 つぎの瞬間、例の強烈な前蹴りが飛んできて七之助の腹を痛打する。

 そのまま崩れ落ちて無防備となった彼の後頭部に、さらなる追い打ちを掛けるとばかりにゴリッと固い感触が突きつけられた。

 峰子は口の端を持ち上げて「フン」と鼻息をひとつ吐いた。

「つめが甘いよ、七の字」

「だ、誰が七の字だ!」

「目潰しするくらいなら素直に銃使いなよ。漫画じゃあるまいに」

「うるさいな! そっちだって二丁拳銃とか厨二の権化みたいな真似してるじゃないか!」

「あたしはいいんだよ。強いんだから。アンタは帰ったら鍛え直しだよ、まったく」

「き、鍛え直しだぁ? ヒットマンに説教される筋合いは無い!」

「ヒットマン? なんだか話が噛み合わないね……あ」

 峰子は七之助の頭から銃口を離すと、室外へと通じるドアを睨みつけた。

「こら権兵衛! いるんだろ? 出てきて説明しな!」

 すると笑いを噛み殺した名無しが、ドアの陰からひょいと姿を現した。一体いつからそこにいたのか、七之助には全く気配が感じられなかった。

「このイタズラ小僧が。また何か悪さしたね? 七の字にどんな説明したのさ」

 齢七十を越えると七之助にのたまった名無しが、見た目には三十手前の美人OL風ヒットマンにたしなめられている。

 名無しはタレ目に浮かんだ涙のひとしずくを細い指先で拭い去ると、ハァハァと肩でしていた呼吸を整えるようにして、大きく息を吐いた。

「ハァ~死ぬかと思った。厨二ですって、み~ねこさん」

「なに言ってんだい。アンタの腰のモノだって大概、厨二さね」

 仲睦まじく――とまでは言わないが、やけに親しく話し合う彼らふたりの姿を目の当たりにして七之助はいよいよ訳が分からなくなっていた。

 かたや国際的諜報機関『WTO』の日本支局局長であり、もう一方は目下の捜査対象であるロックカンパニーに雇われた刺客である。

 この状況をどう理解していいものやらと、ただふたりの罵り合いを眺めていた。

「そもそもこの子に何吹き込んだのさ。全く話が噛み合わないよ」

「いやいや申し訳ありません。ほんの出来心だったんですけどねぇ」

「あの――何なんすか……これ」

 ようやく絞り出した言葉もあやふやに。もはや具体的な疑問すらも浮かばなかった。

「ボンドちゃん。彼女は味方だ」

「は?」

「『WTO』のエージェントのひとり“化け猫ゴブリンキャット”さんだよ」

「名前なんざ、どうでもいいさね。ヒットマンとか何とかってな一体なんだい?」

 名無しのあごへと銃口を突きつけた峰子が、鬼の形相で凄んでいる。

 対する名無しはあくまでも飄々としていた。

「ほら峰子さん。とは言え、ボンドちゃんのこと本気で殺っちゃってるじゃないですか。彼も覚醒したばかりで色々と混乱していたし――まあそのままヒットマンってことにしておけば、収まりもよかろうと」

「本気な訳ないだろう。こちとらチューまでした間柄だよ? 弾だってプラスティック製だったろうが。ほら七の字も黙ってないで、なんかお言いよ」

 あの艶めかしいキスを思い出し、七之助は思わず峰子から顔をそむけた。

 そして自らの胸元をはだけて、銃弾を撃ち込まれたあたりを改めて凝視する。肋骨の真ん中からやや左より、ちょうど心臓の真上あたりに残った三つの小さな痣。それは『ミッドガルド』への帰還の際に名無しからレクチャーされた「健康体をイメージ」したことによる、修復跡だと聞かされていた。

に感謝しな。非殺傷弾ったって至近距離で撃てば人間の皮膚くらい貫通するんだ。あのブラジャーを着けてなかったら、さすがに即死だったと思うよ」

「ぶ、ブラジャー?」

「最初はジャケットそのものに防弾加工するつもりだったらしいんだけど、アンタのアイデアに触発されて夜なべして造ったらしい。なにげに今回のミッションで一番金掛かってんだから大事にしとくれよ」

「ミッションって一体何の……局長?」

 名無しは両手を挙げて「参ったね」とでも言いたげに肩をすくめた。

 沈黙が訪れると、研究所内に呻き声が満ちているのに改めて気が付いた。峰子に倒され床に横たわっている兵士たちである。『WTO』のエージェントらしく、たしかに死人は出していない。だが出血を含めたダメージの違いに個人差があり、ぼちぼち天に召されようとしているものも何人かいるようだ。

 名無しはそれを見て「ふむ」とおなじみのため息をひとつ。

「まずは彼らを何とかしようかボンドちゃん。工場はすでに制圧済みだ。医務室に運ぼう」

 それから数分を掛けて負傷した兵士たちを運び出した。

 名無しが言った通り、施設内の兵力はすべて無力化され、あれだけいた屈強な歩哨たちも全員縛り上げられていた。

 そんな状況にあるにも関わらず、やはり工場の組立ラインでは作業をやめていない。

 七之助は改めて日本企業の闇を感じた。 

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