Chapter.024 造られし産声

「君はデザイナーベビーという言葉を知っているかい?」

 薄明かりの照明に浮かび上がるカルロの顔は、どこか不気味さを増していた。

 七之助は「いや……」と無感動に答えると、カルロは脳髄の入ったシリンダーの前に立った。

「遺伝子操作によって生み出される新人類……とでも言っておこうか」

「新人類?」

「そうだ。元は目や髪の色など、指定した身体的特徴が遺伝される確率を上げるという技術的アイデアだったが、のちに受精卵の段階で遺伝的疾病を回避するということを主眼に研究が進められ、大いに飛躍した。だがこの研究を最も後押ししたのは、そんな崇高な医学的探究心からではなく、『より優れた子供が欲しい』という親たちのエゴだった」

「つまりは生まれる前から子供の姿形を弄って、イケメンや天才を作ろうってことか?」

「身も蓋もないことを言ってしまえば、そうだ」

 七之助の脳裏には玉木家のダガーの笑顔が浮かんでいた。

 二日酔いで寝ていると、頬をペチペチと叩いて起こしてくるあの天使のような愛くるしい微笑みを。両親よりも先に「なな」と呼んでくれたダガーは、七之助にとって我が子同然である。

 今後彼がどう成長しようと、それは変わらない。

 世界中で子供のことで悩んでいる親たちをたくさん見てきた七之助だったが、そこには必ず愛があった。困難を補って余りある愛が。

 そんな彼だからこそ、カルロの言う「親たちのエゴ」には不快感を覚えたのだ。

「だが我々のビジネスは、そんな小さな顧客を相手にしている訳ではない」

「なに?」

「いま世界各地では難民問題が起きている。島国である日本人には関心の薄いことかも知れないが、これは深刻な問題なんだよ」

「それがこの遺伝子操作のトウモロコシとどう関係するんだ?」

 七之助は皮肉を込めて、手の入ったシリンダーを叩いた。

 それを見た研究員たちは露骨に顔をしかめる。

「いずれ難民たちは受け入れた国家と交わり、その地に帰順していくことになる。だが受け入れた側はどうだ? 国際的な役割を担うかたわらで蝕まれていくだろうナショナリズム。やがて国民は誰ひとりとして純血種ではなくなるのだ」

 カルロは一度言葉を切ると、今度は肺の浮かび上がるシリンダーへとやって来た。

 となりには何かのデータを取るアフリカ系の女性がいた。

「とくに危惧を感じているのはヨーロッパ諸国のお偉方だ。そこでぼくは彼らとのパイプをロックカンパニーに繋いだという訳さ」

「来るべき混迷の時代に、純血の国民を残すための研究だとでも?」

「その通り」

「馬鹿げてる! そんなことのために命をおもちゃにするのか?」

「事実、需要がある。倫理よりもビジネスを優先させるのも時代の最先端さ」

「需要だと? こんなパーツしか作れない中途半端な技術に金を出す国があるとでも?」

 するとカルロは不気味な低い声を出して笑った。

 否、彼だけでは無い。七之助を除いたこの場にいるすべてのものがカルロに共鳴している。

「……なにがおかしい」

「いや失礼。ここにあるものはあくまでも研究資料さ。完成品は別にある」

 カルロはひとりの研究員に指示を出し、モニターにとある画像を表示させた。

 そこに映し出されたものは一枚の写真だった。

 卵のような形をした容器にすっぽりと収まったひとりの少女がいる。

 それはあのとき七之助が目にした隠匿ファイルと同じものだ。そして驚愕すべき点はもうひとつある。七之助はその少女の顔に見覚えがあったのだ。

「ニル……ヴァーナ……」

「おや? 知っていたのかい? そう彼女の名はオペレーション“ニルヴァーナ”。一万人のロシア人から採取したサンプルを元に遺伝子から作り上げられた純血種のデザイナーベイビーだ。すでに臓器は稼働している。あとは覚醒させるだけさ」


 ――私はまだ生まれていないから。


 そう言った彼女の顔を七之助は思い出していた。

 どこか憂いを帯びた無垢なる瞳と、まるで絵本の中から抜け出してきたかのような幻想的な容姿。その穢れのない精神に七之助の魂は救われた。出会った瞬間から彼女には、不思議なシンパシーを感じていたが、まさかこういうことだったとは――。

 七之助とニーナはコインの裏と表だ。

 長い時間を掛けて過ごした世界とは別に、目覚めるべき場所を持っている。

 覚醒者としての誕生が遅かった七之助ならではの感慨であった――。

「ニーナは……いや彼女はまだ目覚めないのか?」

「ああ。これから目覚めさせる予定だった。しかしこの騒ぎでね。ついさっきまでそこの手術室で眠っていたんだが――」

 カルロは部屋の最奥にあるガラス越しの手術室を指差した。

「安全を考えて社長直々に別の場所へと移送されたよ」

「どこに?」

「それは言えないな。最重要機密だ」

「言え……」

 酷薄な口調で銃を構えた七之助に、室内は凍りついた。

 銃口を向けられたカルロは両手を挙げつつも「冗談だろ?」と問い掛ける。

 もちろん冗談などでは無かった。七之助は表情を崩さぬまま研究所の中をもう一度見回す。そして手術室の奥に開きかけた扉があるのを見つけた。

 どうやら抜け道でもあるらしい。

「レイ・三島……おかしいとは思っていたよ。たしかその社員は女性だったはずだからね」

「男の顔は忘れても、女の顔は忘れないってか?」

「社長から社内にスパイがいるらしいとは聞いていたが……」

「なに?」

 その瞬間。状況は一変する。

 突如として研究所の扉が開かれ、武装した数名の兵士が中へと流れ込んできた。一斉に七之助へと向けられた銃口は、彼の動きを一瞬で封じる。

 そのすきにカルロを残した研究員たちが上階を目指して避難していった。そして入れ替わりに現れたのは誰あろう、かの藤 峰子である。タイトなミニスカートにガーターベルト。加えて胸元をことさらに強調したドレスシャツに、二丁拳銃のショルダーホルスターといった出で立ちであった。

「形勢逆転という奴だね、スパイ君」

 銃を手放した七之助に向かってカルロが勝ち誇る。

 上気した顔を冷やすかの如く、ネクタイを緩めて峰子のとなりへと身を寄せた。

「階段を降りるとき君から先に行かせたのは、彼らを呼ぶためさ。最初から怪しいと思っていたからね。足止めのために長話をしてしまったが――日本じゃ冥土の土産とか言うんだろ?」

 峰子は無表情だった。

 洒落でも何でも無く、まるで死人でも見るかのような気持ちだったことだろう。

 七之助はカルロの軽口を聞き流しながら、峰子がショルダーホルスターから二丁の拳銃を抜き放つのを眺めていた。

 彼女にしてみれば目の前から忽然と消えた男との再会である。

 七之助は掛ける言葉も見つからなかった。

「捕らえろ! どこの回し者かは知らんが、拷問に掛けてやる!」

 言葉が通じないながらも、カルロの号令に兵士たちは従った。ゆっくりと七之助との距離を詰める。まさに絶体絶命といった状況である。

 足元にある銃を拾い直すことも出来るだろう。しかしその瞬間に撃たれてしまう。

 ならば死んでしまう前にまた『アスガルド』に戻ればいいのだろうが、七之助はまだいまいちあちらで覚醒する感覚が分かっていなかった。

 今度こそ死ぬ。

 そう思った瞬間に突如として足がすくんだ。一度命を落としかけ、世界の真実を知ってようやく「生きている実感」を手にしたのである。

 命より重いものなど他に無かった。それは他人の命も、自分の命も同じである。

 喉の奥に死の味が迫っていた。死にたくない――心からそう思った。

「……なるほど。ここが下衆どもの温床かい」

 美しい声色から老練なセリフが突如として飛び出した。

 峰子は、印象的だったプラチナフレームの眼鏡を外してぞんざいに床へと投げ捨てる。

 目は完全にすわっていた。

 迫力に気圧されカルロが固まっていると、拳銃を持ったままの彼女の肘が、彼の鼻先へと飛んできたのである。

「ぶべらぁ!」

 盛大に鼻血を撒き散らしながら部屋のすみへと吹き飛んだカルロは、そのまま気を失い床に伏した。残された兵士たちは唖然として動きを止めてしまっている。

 無論、七之助にも理解不能だ。

 そして峰子は両手に握りしめた拳銃を構えた。射撃というよりもまるで舞いのように。

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