Chapter.022 ノーネーム・ノープラン
「さあプランを聞こうじゃないか。ボンドちゃん」
腰に帯びた刀の柄に両手を預けた名無しが問う。
しかし七之助は、突然のことに言葉を失っている。
「ど、どっから飛んできたんすか。それ――」
「これかい? 見てただろ。空からだよ」
「いやそうじゃなくて。たしか魔法みたいなことは出来ないって言ってませんでしたっけ?」
覚醒者といえども『ミッドガルド』の物理法則には逆らえない。
それは『アスガルド』で名無しが七之助にたしなめたことだ。それをまさか当の本人が舌の根も乾かぬうちに破ろうとは。
七之助にとっては夢にも思わない出来事である。
「ボンドちゃん。ちょっと後ろを向いてくれないかい」
「え?」
七之助は戸惑いながらも後ろへと振り向いた。そこにはラオスが誇る山岳地帯が広がり、樹々も豊富だ。遠くには雨季で増水した母なるメコン川も見える。観光スポットとしての景観には物足りないところもあるが、実に雄大な眺めである。
「これがなにか?」
「ふむ。君がその雄大な景色を見ている間、実はぼくの姿はこの世に存在していない」
意外な言葉を耳にして、七之助は首が千切れんばかりの勢いで振り向く。
だがそこにはついさっきまでの寸分違わずに彼の上司の姿がある。全身を純白で包み込み、腰元から生える刀のみが黒い。
「いる……じゃないすか……」
「うん。いるよ。いま君がこちらを向いたからね」
「――すんません。上司に向かってアレなんですけど、何言ってんだこいつって感じです」
「つまりだね。ぼくらはいま風景を見ているんではなくて、視野の範囲内にある情報を処理しているだけなんだ。目に見えてるときにだけ存在する――元々実体の無い『ミッドガルド』ではこれが当たり前なんだよ」
「なんだよって言われても」
「ぼくは訓練によって『ニヴルヘイム』のネットワーク上で特定の座標を移動させる術を身に着けている。だから誰の目にも晒されてないデータを任意の座標に表示することが出来るのさ。それを魔法と呼ぶなら呼べばいいけど、君の言語能力も十分に魔法だからね」
「それ訓練で何とかなるレベル?」
「ボンドちゃん。人間の能力には本来限界は無いんだよ。ただ寿命が足りないんだ、圧倒的に。物事を極めるには長い時間が掛かるんだよ」
こともなげにそう語る名無しの横顔に、七之助はふと幼き頃に通った道場を思い出す。
年齢も面影も何もかも違うが、いまの彼からは老いてなお強かった合気道の師匠と同じ雰囲気を感じたのである。
「それをいまから証明してあげるよボンドちゃん。はやく潜入プランを言いたまえよ」
「――って局長。さっきからどうして俺のプランにこだわるんすか? 初心者なんかあてにしないでプロの流儀を見せてくださいよ」
七之助が口を尖らせると、名無しは人差し指を立て「チチチ……」と横に振った。
「『WTO』のエージェントは脳筋が基本。まともに潜入なんか出来る奴はひとりもいない」
「威張れることか!」
数分後――。
施設内は恐慌状態に陥っていた。
夜の山中に響き渡るラーオ語の怒号とけたたましいサイレン。まるで蜂の巣をつついたみたいに歩哨たちが一斉に動き出した。見張り台から照らされるサーチライトなどは、まるで大蛇がうねり狂うが如くである。
件の騒動は、メインの工場棟からやや離れた区画で起きていた。
その渦中にいるのは全身を白のスーツに包んだひとりの剣士である。
遠目に見ても分かるほどの視認性。隠れる気など毛頭ない。さらに驚愕すべき点は、彼は手にした一本の刀で、四方から撃ち込まれる弾丸をすべて弾き返していたことである。そんな光景は映画はおろか、某天下の大泥棒三世の仲間以外に見たことはない。
果たしてひとは、ただ寿命が長いというだけでここまで超人的なことが出来るのだろうか。
そう疑問に感じつつ、七之助はひとり施設の外周を取り囲む金網フェンスの前に立っていた。
見上げれば首が疲れるほどの高さに、乗り越え防止のための有刺鉄線まで張られている。
通常で考えれば突破は不可能だ。
だがいまの七之助にとって目下の金網フェンスは、余人の侵入を拒む防壁などでは無かった。
なぜなら彼の目の前にある金網は、およそ縦二メートル、幅九十センチに、綺麗に切断されていたからである。
切り取られた金網はいま七之助の足元にある。その切り口は鋭利そのもの。グラインダーやフェンスカッターを以ってしてもこれほどの切れ味ではないだろう。しかも作業時間にいたっては一瞬である。
この所業を「居合い」の一言で片付けてしまう彼の上司も乱暴だが、そもそも「もしかして鉄とか斬れます?」と尋ねた七之助の神経も疑ってしかるべきだろう。
つまり彼の立てた潜入プランはこうだ。
まずはひとりが施設へと攻撃を仕掛ける。言うまでも無くこれは陽動作戦であるため、派手であればあるほどよい。
当初、七之助は自分がこの役を担うつもりであった。そのためまずは武器を確保しようと適当な歩哨から兵装を奪う算段を始めたのだが、彼の上司が殺る気満々で得物を用意したため、ポジションのコンバートを余儀なくされた。
しかし結果としてそれで正解だったようだ。この有様である。もし自分が囮役を買って出ていたら文字通り蜂の巣になっていたかもしれない。
遠ざかる喧騒をあとにしつつ、肝を冷やしながら七之助は金網フェンスを潜った。
手薄になった施設内だが、工場棟へとアプローチするまでにこれと言って遮蔽物も無い。要所に施設巡回用のジープが停車しているが、特に武器などは置いて無さそうだった。
車の陰から工場棟のほうへと視線を送ると、騒ぎを聞きつけた工場のスタッフや白衣を着た研究員たちが様子を見に外へと集まってきている。
その中にひとり、七之助には見覚えがある人物がいた。
施設内の混乱に乗じてその人物に接触することこそが、潜入プランの骨子であった。彼はやおら立ち上がりその場を離れようとした、が――。
「Hey! Hands up!」
ひどい訛りの「手をあげろ」と共に、後頭部にゴリッとした冷たい感触を突きつけられた。
以降は聞いたことがあるような無いような、いまいちしっくりとこない言葉が浴びせかけられる。どうやらラオスのラーオ語であるらしいが、とにかく友好的でないことだけは分かった。
何となくではあるが、七之助の着ている戦闘服を不審がっているようだ。
時同じくしてサーチライトが彼らの姿を掠めていった。
地面に落ちた影には、ライフルを持った男がハッキリと浮かんでいる。背格好は七之助と同じくらい。顔にスカーフを巻き、フライトジャケットのようなものを着込んでいる。割と軽装のようだ。そしてライフルのトリガーにはまだ指が掛かっていなかった。
七之助は一呼吸すると、一気に後ろへと振り向いた。
振り向きざまに銃身を掴み、相手の足首を踏み抜く。激痛に耐えかねて相手の握力が緩んだ隙を突き、奪い取ったライフルのストックでそのまま喉元を打撃した。
うつ伏せに倒れた相手に伸し掛かるようにして、七之助は絞めにいった。鍛え上げた前腕が相手の頸動脈に食い込んでゆく。しばらくして徐々に相手の身体から力が抜けていくのを確認すると、彼は戒めを解いて一息ついた。
足元に転がる銃を拾い上げる。よくある旧共産圏で大量生産されたモデルのアサルトライフルだった。しかも精度の粗悪さが目立ち、刻印も無い。どうやら非ライセンス品であるらしい。
七之助は絞め落とした男の服を奪うと、彼をジープの車内に隠した。
「あ~あ。サバゲ用だけど、結構高かったんだけどなこの服……あとで取りに戻れるか?」
などと渡航費以外すべての経費を出し渋った雨衣の顔を思い出しては愚痴をこぼし、見た目だけは現地人となってその場をあとにした。
怒号と銃声はいまだに鳴り止まない。名無しは張り切ってるらしい。そのうち一台の小型ヘリが施設内から飛び立ち、南の空へと消えて行った。外部からは隔離された僻地である。もしかすると増援でも呼びに行ったのかもしれない。
だが七之助の目下の任務は工場への潜入である。あわよくば岩田社長の身柄の拘束と、兵器密造の現場を押さえること。
そのためにはまず接触せねばならない人物がいる。その人物はまさに工場棟の出入り口に立っていた。
「なにが起こっているんだ――」
その男はネイティブなスペイン語でそうつぶやいた。
彼のとなりへとやって来た七之助は、顔に巻いたスカーフを外してこう答えた。
「牛追い祭りじゃないことだけは確かさシニョール」
「き、きみはっ?」
「また会ったね。カルロ。商談はまとまったかい?」
その人物とは、ロックカンパニー・ユーロ事業部のホープ。マルティニ・カルロであった。
社員証を借りた件から、じつに三十六時間ぶりの再会である。
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