Chapter.011 エスタビエン!

 エレベーターは三階で停まった。

 あくまでもジェームズ商会の梵門セールスマンは、総務課の大森某に会いに来ている予定である。期せずして同志の縁で結ばれてしまった『彼』に対しても、ほかの階で降りては無用な警戒心を与えてしまうだろう。

 社屋の構造は事前に調査済みである。一階にエントランス、二階には営業フロア、三階には内勤部署がひしめき合っており、四階の資料・倉庫フロアという緩衝地帯を挟んだ五階が、社長室を始めとする重役たちのオフィスと大会議場といったレイアウトになっている。

 七之助はメンズブラから出たケーブルを少し気にしながら、三階フロアのカーペットをピカピカの革靴で歩き出した。

「なんでブラなんかにスマホのケーブル仕込むんだよ! ちょっとワイシャツからはみ出ちゃってるじゃないか!」

 急造のスパイコンビはまだ若干の小競り合いを続けていた。

 七之助は鼻を掻くふりをして右袖に仕込んだマイクに苦情をぶつける。

「モバイルバッテリーの収納にブラのパット入れがピッタリだったの! タイピンで押さえておけば十分隠れるでしょうが。ごちゃごちゃ言わない」

「そういうこと言ってんじゃないでしょ。君、この状況を楽しんでるよね? 大体アレだけ理不尽なテクノロジー持ってて、どうしてここだけローテクなのよ。AR技術で眼鏡のレンズにモニター仕込むとか出来ないのかよ!」

「そんな都合のいい物はありません! もうっ七之助クンがブラ着けたいって言うから頑張って間に合わせたのに!」

「なんか色々と事実が捻じ曲がっておりませんか」

「そんなことより、ほら。応接室」

 雨衣はタイピンに仕込まれたカメラを通して七之助の行動をモニターしており、まるでFPSの主人公にでもなった気分でいるようである。

 応接室は部署ごとに個室が併設されており、同階に複数存在する。

 いま七之助の目の前にある部屋のドアには「未使用」のプレートが掛かっており、ドアノブに手を掛けるとあっさりと扉が開かれた。

「不用心ね」

「商談の多い部署ならこんなもんさ。使いたいときに使えないのが一番困る。施錠は終業時だけでいいって方針なんだろ」

 室内に入るとそこは、こぢんまりとしてはいるものの上品なインテリアと花とで彩られた落ち着いた空間だった。

 七之助は防犯カメラの位置を確認すると、変に隠れたりしたほうが不自然だと瞬時に判断し、入り口付近に設置してあった柄付きのダスターを手に取り掃除を始めた。

 テーブルの上にはトレイタイプの筆記具入れが常備されており、そこのボールペンをすべて自身がアタッシュケースで大量に持ち込んだボールペン型の盗聴器と入れ替えた。

 一本一万円とお高めだが性能は折り紙付き。電源を入れると微弱ながら広域の電波を発信することが出来るので、最終的にさっきの無線傍受ユニットとスマホで外部に盗聴した音声を飛ばす予定である。

 応接室から出た七之助は、例の大森某の顔を拝んでやろうと次に総務課へと向かう。しかしそこで新たな問題に直面してしまった。

「オートロックか。そりゃ部外秘扱ってる部署ならそれくらいあるよな」

 総務課のプレートが掲げられたアルミ扉の前で独り言ちると、彼は踵を返しまずは残った他部署の応接室から巡回していくことにした。

 幸い誰とも接触することなく一度三階を離れた七之助は、二階の営業フロアへとエレベーターを下っていく。

 二階はフロア丸々が営業部の前線基地である。開放感のあるワンフロアぶち抜きの構造と、各事業部との連絡を容易かつスムーズに行えるようにデスクに隔たりがない。活気に溢れ、絶えずひとの動きがある。七之助はリーマン時代を思い出し、自然と笑みが溢れた。

「分かってはいたけど、やっぱり外国人が多いわね」

 事前調査によりロックカンパニーの社員構成は全部把握済みである。約四百人分の顔とプロフィールを七之助は頭に入れていた。

「ああ。さすがは東南アジアのマーケットを席巻しているだけのことはある」

 七之助はスーツの襟を正して気合いを入れ直すと、優秀な営業マンの顔を作ってフロアへと歩きだした。あとは部外者と気付かれないようにボールペン型の盗聴器を各デスクにバラ撒いてくればいいだけなのだが、内心それでは面白くないなと考えていた。

 折しもそんなタイミングで、背後にもう一基のエレベーターが一階から上がってきてきることに気が付いた。

 エレベーターから現れたのはヒスパニック系の男性で、額に汗しながら手押しの集配台車を運んでいた。いかにも浮かぬ顔で、チラチラとしきりに腕時計を気にしている。

「あの男は確か――」

 脳内にインプットした約四百人分のデータを検索すると、彼がユーロ事業部のマルティニ・カルロであることがすぐに分かった。

 欧州圏へのパイプを開拓するチームのリーダーで、英国のユーロ離脱の件でいま何かと注目を集めている社員のひとりだった。

 そんな彼が会議にも出ずにこんなところで郵便物を押してウロチョロしていることなど、通常考えられないことだった。七之助はそんな彼に躊躇なく話しかける。

「やあセニョール。何をやっているんだい? 君の仕事は『女王さま』のナンパだろ?」

 カルロは一瞬、警戒したような素振りを見せたが七之助の温和な表情を見るとすぐに「聞いてくれよ」と愚痴を言い始めた。

「これから大事な商談があるっていうのに、今日に限って配達のアルバイトが休みでさ。総務課に書類を取りに行ったら、あの『壁際モンスター』がこう言うんだ――」

 おそらく『壁際モンスター』というのはあの大森某のことだろう。ある程度予想はしていたがそれに輪を掛けて嫌われているらしい。

「『やっぱりガイジンには日本の職場は似合わないね。日本人ならぼくが代わって配りに行きましょうかくらいのことは言うんだけどね』だってさ。もう腹が立ってさ。色々と言い返したんだけど、いつの間にやらぼくが配達をすることになってしまって……」

「分かるよ。君はいい人だからね。あの『壁際モンスター』にいいようにされたんだ」

「そうなんだ。だから急がないと」

 カルロは首をすぼめて、自嘲のため息を吐いた。

「しかし君みたいな優秀な男にそんなことはさせられないよ。よし。ぼくが代わって配りに行こう。それで問題なしだ」

「え! いいのかい? でも君にだって仕事が――」

「大丈夫。午前の商談はもう済んでいるんだ。あとは給湯室で女の子とおしゃべりをする予定だったんだけどね」

 そう言って七之助がウィンクをすると、さっきまでの表情が嘘のようにカルロの青ざめた顔が笑顔で満たされていった。

「じゃ、じゃあ頼むよ。配達リストはここにある。二階と三階だ」

「え? 三階? クソっ! なんてこった。今日に限って社員証を忘れてきた。普段オートロックのある部署なんかに用事がないからね。いや参ったな」

 するとカルロの表情はみるみるうちに暗く落ち込んでいくのが分かった。ぬか喜びであったことが余計にショックだったのだろう。

 時計を見た。商談の時間は目の前まで迫っている。彼の胸裡にはあの『壁際モンスター』の意地悪な笑顔が浮かんでいるに違いない。

 そして七之助は大袈裟なゼスチャーで拳を叩いた。

「そうだ! なんで気づかなかったんだ」

「ど、どうしたの? 何かアイデアが?」

「しばらく君の社員証を貸してくれよ。それで問題クリアだ」

「そ、それはちょっと――」

「何を言ってるんだよカルロ。君はこの会社の命運を握っているんだろ? ユーロへの販路を開拓するのは君を置いてほかにいないじゃないか! マルティニ・カルロ。男になれよ。そのためだったらぼくは何でもするさ。社員証はあとでユーロ事業部に届けておくよ」

「ほ、本当に?」

「神にかけて誓う!」

 疑い半分の表情をしたカルロだったが、改めて腕時計を見やるとすでに刻限が差し迫っていることに肝を冷やした。慌てて首から下げた社員証を七之助に手渡し、自身は逃げ去るようにしてエレベーターへと消えていく。

「と、とにかく頼むよ! 社員証のことは任せたから!」

エスタビエンまかせろ!」

 大きくサムアップをしてみせた七之助は、カルロの後ろ姿を確認すると彼から預かった社員証を首から下げた。そして残された郵便物と配達リストを確認すると、何事も無かったかのように営業フロアへと集配台車を運び始めた。

「な、何が起きたのいま――」

 唐突な展開に雨衣はついていけなかった。

 加えてふたりで交わされていた会話のすべてはスペイン語である。その内容の一切は彼女に伝わってはいない。

「ま、とにかくこれでオートロックはクリアだ。郵便でも配りながらボチボチ仕掛けていこう」

 七之助はこともなげにそう言うと、営業部の喧騒の中にその身を投じていった。

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