Chapter.010 ジェームズ商会のボンドⅣ

「失礼します。お荷物はこれだけですか?」

 ふたりいるガードマンのうち細身の男が話しかけてきた。

「ええ。お願いします――」

 スマホ入りのアタッシュケースを彼に渡すと、七之助は大柄のガードマンの前に立って両手を広げてみせた。七之助はそれぞれにデブとガリという名前を付けた。

 デブが七之助の全身をボディチェックしている間、ガリのほうはアタッシュケースの中身を本人の許可を取ってから確認しだした。

「スマートフォンと――ボールペンですか?」

「はい。弊社の商材です。贈答用に何かいい商品はないかとご相談受けまして」

「なるほど。じゃあちょっと探知機当てますんでスマホだけ外に出しますね」

 愛想のいいガリはそう言うとスマホを隈なく目視してからアタッシュケースも置いてあるテーブルの上に並べた。そしておもむろにハンディ探知機をボールペンの上にかざす。

「…………っと、大丈夫っすね」

「じゃあこちらへ」

 アタッシュケースの確認が終わると今度はデブが七之助にゲートを潜るよう促した。にわかに緊張が走る。七之助はそれと気づかれることなく笑顔で応対した。

「ゆっくり通ってください」

 デブはそのハムのようにぷにぷにした腕で七之助を誘導した。

 隣ではガリが微笑みを浮かべ、アタッシュケースをすぐ渡せるように待っている。

 七之助は不敵な笑顔を浮かべてネクタイを少し緩めた。右足のつま先がいまゲートを潜る。セーフだ。膝が入った。セーフだ。七之助には時間がゆっくりと進んでいるように感じていた。一秒一秒が重苦しく、前に進むのが焦れったい。

 この状況から早々に抜け出したいと願って、大きく一歩を踏みしめた。


 ブブー!


 警告ブザーがなる。激しい回転灯の明滅に、エントランスにいたすべての人物がざわつき出した。デブとガリにも緊張感が走り、七之助はその背中に熱い視線を感じた。

「あ、あれぇ。お、おかしいなっ」

 慌てふためいた七之助は体中を触りまくる。受付嬢たちも心配そうな表情をこちらへと向けている。

「もう一度こちらへお願いできますか」

 デブの指示により七之助はゲートの横を通って元いた場所へ。最初にボディチェックを受けたところである。

 不安げな七之助をよそに、デブは手にしたハンディ探知機で彼の全身を足元から隈なく走査した。すると探知機は七之助の左手首に過剰な反応を見せる。

「あ、時計っすね」

 ホッとした顔のデブが七之助を見てそう言った。彼もまた安堵の表情を浮かべて金属製の腕時計を外す。それを受け取ったデブが黄色い歯を見せて再度セキュリティゲートへの入場を促した。

 乱れたスーツの襟を正して背を伸ばすと、七之助は改めてゲートへ踏み出した。


 ブブー!


 洒落では済まない空気が流れた。ガードマンふたりは互いに耳打ちをして不穏な雰囲気を漂わせている。

 ゲートを出たところで立ちすくんでいた七之助の前にデブとガリはやってきた。

「ちょっと動かないでくださいね」

 デブに肩を掴まれるとハンディ探知機を持ったガリがそう言った。

 つま先、くるぶし、膝。先ほどとは比べ物にならないくらい慎重に走査される七之助の身体は、わずかだが震えていた。受付嬢たちの視線が一層不安を煽っている。

 探知機のセンサー部分が徐々に上へとあがってくる。太もも、腰、腹部、両腕。そして脇の部分に僅かだが反応があった。

 ガリは表情を険しくして丹念に走査を続けた。脇からグルっと胸の前を通り、反対側の脇へとやってきた。するとセンサーの反応値が最大を示したのである。

「なんですかね、これ」

 ガリが七之助を睨んでいる。眉間に刻まれたシワが彼の本気を表している。また肩を掴んでいるデブの両手にも力がこもった。身じろぎをする余裕もない。

 七之助は観念したように天を仰いでいた。

 そしてゆっくりと瞳を閉じると深い溜め息をついた。

「バレないと思ったんだけどぁ……」

 その一言にふたりが身構えた。ガリが腰の警棒に手を掛ける。

「すんません。お兄さんたちちょっとぼくのこと、後ろ向かせて貰っていいです?」

 七之助はエントランスの壁側を指差した。

 デブは彼の肩を掴んだまま七之助をそちらへと向かせた。ガリは警棒に手を掛けたままふたりの脇を固める。

「ちょっと……動きますよ……」

 七之助はふたりからよく見えるように少しオーバーに腕を動かした。ゆっくりと両肘を曲げてネクタイをダラダラになるまで緩めた。そしてワイシャツのボタンを上からひとつひとつ慎重に外していった。

「じつは内緒にしておいて欲しいことがあるんですけど――」

 そう言って七之助は自らの胸元をはだけさせる。そこには肌着のさらに下から薄っすらと見える薄紅色をしたフリル素材の布があった。七之助は照れ笑いをして小声で呟く。

「自分――メンズブラしてるんすよ」

 ガードマンふたりは呆気に取られている。

 お互いに顔を合わせて目をパチクリとさせていた。

「行けると思ったんですけど――ワイヤーっすねこれ……」

 七之助の悔しそうな物言いにデブとガリはどう反応していいのか分からない様子だった。受付嬢たちからは彼らの背中しか見えない。彼女らは身を寄せ合って「大丈夫かしら?」と怯えるばかりだ。

「どうしたらいいすか? やっぱ外さないとダメすか?」

 悲しそうな瞳でそう訴えかける七之助に、ガリは困惑している。

「や、あの……自分もこういうのは初めての経験でちょっと……」

 明らかに動揺が隠せないみたいだ。

 するとデブのほうがようやく七之助の肩から手をどかすと、受付嬢のほうからの視界を遮るように移動した。帽子のつばを掴んで軽い一礼すると「すんませんした」と低い声で謝辞を述べる。

「前しまってください。通っていただいて結構なんで。――いいよな?」

 テンパっているガリから了承を取り付けるとデブは七之助に時計とアタッシュケースを返却して、彼を伴ってエレベーター前へとやってきた。

 すでに胸元を戻してネクタイを締め直した七之助の耳元でひとつ、ぼそっとデブが語りかけた。

「――自分もなんす」

「え?」

 七之助が見上げたデブの瞳は、同じ穴のムジナを見つけた喜びに満ちていた。

 彼らは軽く口の端を持ち上げると同じ温度で笑った。

 それはあくまでも密やかに。

 誰にも見つかってはいけない禁断の花園の香りがした。

 七之助はエレベーターに乗り込むとすぐに壁へと倒れ込んだ。アタッシュケースの中でスマホが鳴っているのに気づくと、うなだれた様子で通話に出た。

「やったね! ハァ~お腹痛いっ」

 雨衣である。その声色には息切れが混じっており、時折えずいたように咳をした。

 七之助は「このアマァ」と表情だけでスマホに訴え、彼女に防犯カメラの有無を尋ねる。

「大丈夫。エレベーターのカメラなら、まだ『おっぱい』の掌握範囲だから」

 七之助はネクタイをしたままワイシャツのボタンを外すと、メンズブラの中からふたつのチタン製の箱を取り出した。ひとつは無線の通信回線を乗っ取る装置。もうひとつはその電波を増幅するブースターである。スマホを中継器として使い、このふたつの機能でインターフォンをジャックしたという訳である。

 あの日の夜に『キングスマン』で出会ったナタリー・ポートマン似の女性との最後の記憶が彼女のブラチラだったことと、このあと強制的に連行される『ガチムチの恋』という映画タイトルに触発されたアイデアであった。

 もちろん雨衣は大爆笑だ。試着時などは床に転げ回っていた。

 人生何が役に立つか分からないものだ。もちろん最後のアレは偶然だったが。

「さてと。ここからだな」

 七之助はメンズブラのワイヤー部分から二本のケーブルを引き出した。一本は内ポケットにしまったスマホのUSB端子に接続し、もう一本はスーツの袖の中を通してその先端を右の袖口にピンで留めた。小型のマイクである。次にワイヤレスイヤホンを耳の穴にセットした。

 最後に懐から取り出した黒縁眼鏡を装着して、ネクタイを細く締め直す。

 当たり前の話であるが、ここからが本番だ。

 これがスパイ・梵門 七之助のファーストミッションである。

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